10月24日(木) メキシコシティ 桜井参上!
どの位飛行機に乗っただろう。日本からまずバンクーバーへ8時間ほど?。
バンクーバーでは機内清掃の間軟禁状態で2時間ほど待たされて、再度機上後約7時間でやっとメキシコシティへ。
今回の買い付けはまったく予定外で、ある日ある女が出かけるというからくっついて来たのだ。
その女、仮名桜井は、高校の同級生で現在はフリーのイラストレーター。
私の高校は公立高校初の芸術選択クラスを設けた実験高校で、実験に失敗したのか今はもうない。
そこで彼女はデザインを学び、私は油絵を描いていた。
高校時代にたくさんの「才能のある人」と出会ってしまった私は、幸か不幸か自分のレベルを早くから勘違いすることが出来ず、絵で食う事は早々に諦めがついた。
たぶん、ストイックに絵を描き続ける仲間を見て尊敬する傍ら、そんな風に18歳という若年で1つのことに埋没しきるのが怖かったこともあったろう。才能はなくても絵は好きだったから、その後また何でもありの実験大学へ進んで油絵を続け、新たに社会学を学んだ。桜井は2浪の後、ちゃんと美大へ進んだ。両人生とも潰しが利かないのは同じで、お互い自営業(自由業?)となり、世の中の同じ年代の人たちより、貧乏だが時間の融通だけは利く人生を送っている。
桜井と私は、高校時代に特に仲良しだったわけじゃない。特に仲良しどころかほとんど接触がなかった。
卒業してから10年以上会っていなかったし、その間何をしていたかも知らなかった。
まあ、誰かとピザパーティーやったとかそんな事は噂で聞いてたけど。
30代を迎えて、同窓会があって、そこで久しぶりに顔を見たのだ。見た目は恐ろしく昔と変わっていない。
だけど、そこには確かに私の知らない桜井がいた。私の知っている桜井は、こういっちゃなんだか地味だった。
いつも双子のように仲良くしている女友達とぴったりとくっついてて、彼氏の「か」の字も感じさせないタイプだった。
たまに話すと独特のアニメ声で独特の意見を言ってた。
絵の才能はすこぶるあって、話せば面白い子だとは思っていたけど、深入りしたことはない。
その地味っ子桜井が、テーブルの真ん中で誰にも臆せず話す。次から次へと口から出る過激な話は全部面白い。
北米から南米へ旅する彼女の武勇伝は壮絶だ。私は「今度行くときには必ず声をかけるように」としつこく言っていた。
丁度、南米の雑貨を扱い始めた私の琴線に触れたのだ。
かといって、旅とは難しく、誰とでも楽しく行けるものじゃない。
いつでも喧嘩出来て、すぐに喧嘩をやめられる相手としか出かけたくない。
しかし、何故かそのへん、私には変身後の桜井にも変身前の桜井にも両方に根拠のない信頼感があった。
何故か桜井も、根拠なく私を大丈夫と思ってくれてたようで、ある日突然メールが来たのだ。
「メキシコに行くけど行く?」私の返事は「行く行く行く行く」。
それから、一度のミーティングもせず・・・旅はいきなり成田空港から始まった。
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