かなり、ガツンと来ました



第9回 メキシコの巻・前編


10月24日(木) メキシコシティ 桜井参上!

 どの位飛行機に乗っただろう。日本からまずバンクーバーへ8時間ほど?。
バンクーバーでは機内清掃の間軟禁状態で2時間ほど待たされて、再度機上後約7時間でやっとメキシコシティへ。
 今回の買い付けはまったく予定外で、ある日ある女が出かけるというからくっついて来たのだ。
その女、仮名桜井は、高校の同級生で現在はフリーのイラストレーター。
私の高校は公立高校初の芸術選択クラスを設けた実験高校で、実験に失敗したのか今はもうない。
そこで彼女はデザインを学び、私は油絵を描いていた。
高校時代にたくさんの「才能のある人」と出会ってしまった私は、幸か不幸か自分のレベルを早くから勘違いすることが出来ず、絵で食う事は早々に諦めがついた。
たぶん、ストイックに絵を描き続ける仲間を見て尊敬する傍ら、そんな風に18歳という若年で1つのことに埋没しきるのが怖かったこともあったろう。才能はなくても絵は好きだったから、その後また何でもありの実験大学へ進んで油絵を続け、新たに社会学を学んだ。桜井は2浪の後、ちゃんと美大へ進んだ。両人生とも潰しが利かないのは同じで、お互い自営業(自由業?)となり、世の中の同じ年代の人たちより、貧乏だが時間の融通だけは利く人生を送っている。
桜井と私は、高校時代に特に仲良しだったわけじゃない。特に仲良しどころかほとんど接触がなかった。
卒業してから10年以上会っていなかったし、その間何をしていたかも知らなかった。
まあ、誰かとピザパーティーやったとかそんな事は噂で聞いてたけど。
30代を迎えて、同窓会があって、そこで久しぶりに顔を見たのだ。見た目は恐ろしく昔と変わっていない。
だけど、そこには確かに私の知らない桜井がいた。私の知っている桜井は、こういっちゃなんだか地味だった。
いつも双子のように仲良くしている女友達とぴったりとくっついてて、彼氏の「か」の字も感じさせないタイプだった。
たまに話すと独特のアニメ声で独特の意見を言ってた。
絵の才能はすこぶるあって、話せば面白い子だとは思っていたけど、深入りしたことはない。
その地味っ子桜井が、テーブルの真ん中で誰にも臆せず話す。次から次へと口から出る過激な話は全部面白い。
北米から南米へ旅する彼女の武勇伝は壮絶だ。私は「今度行くときには必ず声をかけるように」としつこく言っていた。
丁度、南米の雑貨を扱い始めた私の琴線に触れたのだ。
かといって、旅とは難しく、誰とでも楽しく行けるものじゃない。
いつでも喧嘩出来て、すぐに喧嘩をやめられる相手としか出かけたくない。
しかし、何故かそのへん、私には変身後の桜井にも変身前の桜井にも両方に根拠のない信頼感があった。
何故か桜井も、根拠なく私を大丈夫と思ってくれてたようで、ある日突然メールが来たのだ。
「メキシコに行くけど行く?」私の返事は「行く行く行く行く」。

それから、一度のミーティングもせず・・・旅はいきなり成田空港から始まった。



10月25日〜26日(金・土) メキシコシティ 時差ボケ?

 私たちが宿泊していたところは、日本人専用のドミトリー。
なんちゃってバックパッカーだった私にもドミトリー経験はなく、どんなもんかいささか不安だったが、ここは桜井がメキシコ滞在中にいつも利用しているところで、大家さんとも仲良しだったし、荷物を置きっぱなしであちこち行くのに最も安全と言うことだった。ドミトリーというのは、相部屋のことだ。
その分値段はぐっとお安い。
ただ、部屋には自分たち以外にも誰か居るわけで、コミュニケーション下手な日本人にはうっとうしく感じられるだろう。
買い付け日記の度に言っているけど、旅行中に東京の子が話しかけてくることはあまりない。
日本のグッドコミュニケーターは関西人だ。このドミも、やっぱり関西人口が高かった。
同じ部屋には、ようこちゃんと言う名古屋の女の子が先着していた。彼女のベッドはすでに雑貨の山だ。
誰しもが心奪われるだろうこの国の雑貨。
特に買い物好きな彼女は、予算を限られた長旅にも関わらず、少しずつお気に入りを集めていき今では立派な山を作っていた。元気で歯切れが良く、何よりセンスが良い。
約10歳も年が離れているのにとても大人で、毎晩話し相手になってくれた。教わること多々。
「いろいろ見て回って、何が一番欲しいと思った?」
彼女のお薦めも含めて、初日と2日目はシティから地下鉄で行ける市場を見て回る。
物価が高いとは聞いていたが、これほどまでとは・・・。
ちょっと良いなと思っても、お土産ならともかく買って帰って売れる値段ではない。物は溢れるようにあるのに。
やはりここは生産国、というよりは消費国なのだろう。インドやタイからもたくさん衣類や雑貨が来ているようだ。
焦っちゃいけない、まだ始まったばかりなのだから。
「いざとなったら、ガテマラへ飛ぼう」と桜井は言った。
歩き回ってくたくた、お腹ぺこぺこで帰ると、宿の常連さん達が餃子パーティーに誘ってくれた。
まだ日本食が恋しい時期ではないけど、手作り焼き餃子にごはんは美味しい!。
桜井はここの管理人までしていたことがあるので、当然みんなと顔なじみ。
私の仕事の話をしてくれ、お勧めの雑貨などの情報を集めてくれた。
この時があって、私はセニョリータセーターと出会うことになる。すでに市場で見かけて、とってもかわいい・・・と思っていたが、数は少ない、値段も良くない、製作背景もまったく解らず。
何しろ嵩張る物は慌てて買い込むと後悔する事になるので、目だけ付けていたのだ。
仲間の一人がそのセーターの話をしてくれた時、なかなか頭の中でソレとコレが結びつかなかったが、ああっと気づいてすっかり嬉しくなった。セーターの作り方や、素材、買っても良いと思われる値段、需要が減りもうすぐ無くなってしまうであろう事、などなど。
私が乗り気になったので、桜井がさっそく大家のポソレちゃんにどこで買うべきか相談に行ってくれた。
聞いてみてびっくり、ポソレちゃんのお母さんは、このセーターで商売していた事もあったのだ。
「まだあるかどうかわからないけど」。桜井を信用しているからこそ、大事な入手ルートを教えてくれる。
桜井はそのチアンギス(週1回だけの市場)への行き方を確認。「どうしよう・・・」そのチアンギスは火曜日に開催される。しかし、私たちはそろそろガイコツ祭りのグッズを揃えに
山越えをしなくてはならない。・・・じゃ、明日出発して1泊で戻ろう。
その街へはシティから約5時間。日帰りは無理だが、1泊だけあれば何とかなるだろう。
素晴らしいやる気、志とは裏腹に私の電池は完全に切れ、いろいろやってくれている桜井を後目に
部屋へ戻ってしまった。こんなに眠いって産まれて初めてかも・・・。
眠い頭でぼんやり悩んだりする。もし買える物が見つからなかったらガテマラまで足を運ぶつもりだったけど、ガテは今ここよりも物価が高いんだと、宿客が言っていた。やっぱ、腹を据えてここで決めなくちゃだめだな。
眠くて視界がブルブルしている。心配していた時差ボケの方は、初日の夜に薬に頼って寝たお陰かあまり感じられない。
ただ、まだ疲れがとれないうちからむやみに歩き回るからか、電池切れが早い早い。
夜になったと同時に就寝、朝は信じられないくらい早くに目が覚める。
まさに太陽とともに生活・・・今日なんか目さめたの5時半だよ。太陽追い越しちゃった。あれ?これが時差ボケ?


10月27日(日) パッツクアロ KARATE!

今更なんだけど、
高校時代日本語しか話していなかった奴が、スペイン語なんかペラペラ喋っていると、とっても不思議。
なんだか口をじーっと見ちゃう。なんか宇宙人みたい。格好いいなあ〜

バスターミナルまで地下鉄で移動。シティの地下鉄マップはかわいらしい絵で描かれている。
それぞれの駅のシンボリックな物をデザインして表示し、駅名が添えてある。
文盲者への気配りか、観光のためかわからないが、そのデザインがとても良い。
料金は驚きの価格、どこまで乗っても一律2ペソ(25円程度)。ちなみにトルティージャもどこで買ってもだいたい2.5ペソほど。どんなに才能のない物乞いでもこの位は缶に入るだろう。
つまりどんなに貧乏でも、最低限食事と移動が出来るように配慮されているんだそうだ。懐でかいな〜メキシコ。

しばらく電車に乗っていると、どんなに混んでいても向こうの車両から物売りがやってくる。
威勢よくチュッパチャップスを売る兄さん、激安CDを売る男の子。誰か買ってんのかな、見たことないや・・・。
やってくるのは物売りだけじゃない。わずかな喜捨を求めて、年老いた物乞いが小さなキャンディーを持ってくる。
電子オルガンを抱えた盲目の歌手もやってくる。
これは考えたな〜と思ったのは、さささ〜っとなにやら紙切れを先に配っておいて、回収するときに小銭を貰う。
紙には「ありがたいお言葉」が書いてあるのだ。読んで「ありがたい」と思った人は、お金を払う。
地下鉄の中はそんな風に、つい笑っちゃったり、悲しくなっちゃったりといつも飽き飽きしている暇がない。
バスターミナルの駅を降りると、売店が軒を連ねている。
私たちも薄いビーフカツレツを挟んだトルタ(サンドイッチみたいな物)を買って、長距離バスに乗り込んだ。
出発してちょっともしないうちに、驚くくらい気持ちが悪くなる。まだ10分くらいじゃん!
もともと乗り物に強い方じゃないけど、13時間位のバスなら爆睡でしのいだ経験もある。なんだろう、この気持ち悪さ。
バスはゆっくりと山を旋回中。ああ、そうか、シティでさえ標高が3000m(富士山の五合目くらい?)なのに、
更に山を登っているんだ。無理もないか・・・。楽しみだったはずのトルタすら恨めしい匂いを放つ。
それも中身は揚げ物だぜよ。これから5時間のノンストップバスなので、お腹を壊さないようにハムや野菜を
避けちゃったんだよね。体をあっちこっちに沈ませながら苦戦するも、ようやっと山を下りだす。
体が楽になると、今度は空腹で気持ちが悪い。ええい食べてしまえ、揚げ物トルタ!
食べ終わる頃、バスはまた山を登り出す。ああ・・・!
バスには小さなテレビがいくつか付いていて、ビデオの上映をしている。一瞬我が目を疑った。
それは黒帯の男達が瓦を割ってる絵だ。しかも、背中には「韓国の国旗」。バスに日本人は私と桜井だけだ。
つまりサービスでかけてくれたんじゃないかな。そのビデオの中で「KARATE〜カラテ〜」と言っているんだけど、明らかにそれはテコンドウ。アメリカやヨーロッパから集められた精鋭達が、KARATEの本家を倒す!というお話(なんだよ、よく考えたら倒されちゃうんじゃん、ほんとにサービスか?)。
息子のために、俺は勝つ!ロッキーみたいな人が出てた。
車内のみんなに言いたいよ。これは日本の空手じゃありません。韓国のテコンドウですよ。
それ以前に私たちのせいでこんなに面白くないもの見る羽目になってスミマセン。

 喧嘩もなく、無事にパッツクアロに到着。「死者の日」の影響で、ホテルが心配だったから、部屋があると言った1件目で何も考えずチェックイン。荷物を置いてとりあえず市場の下見に出る。
明日はばーっと買うだけ買って帰るので、何がどこにあるか位置を確認。
お茶するまもなく夜は更けて、晩御飯もいまひとつ進まずソパ(スープ)で済ます。
桜井は夜の街を写真に撮るからと言って、闇に消えていった。
私はちょっと寒気がするのでホテルへ帰ってキャッツクロウ濃縮錠剤を飲む。うむ、これで明日は復活だ。
また信じられないくらい早寝をした。


10月28日(月) パッツクアロ ガイコツの山盛り

 朝爽やかにお目覚め。昨日の具合悪さはどこへやら。
朝御飯はカフェでコンチネンタルもどきを元気に戴く。空気薄。
帰りのバスの時間までノンストップで買い付け。
そもそも、私は桜井のメキシコ行き便乗派で、きちがいガイコツグッズコレクターなのは桜井だ。
その目利きというか、情熱は買い付けという私の仕事を越えている。「あはは〜あ〜かわいいなあ〜」と言ってはしょーもない代物を手にとって、交渉して、悩んで、買うのやめたり!(これが信じられん)。
しかし、私もだんだん頭がおかしくなり、いつの間にかしょーもない代物を買っている。
このしょーもなさが実に癖になる。
ガイコツグッズコーナーにアップされている、9歳の男の子が作った謎のお香立てもここで買った。
「うわ、三本足なんぢゃんこれ、気が付かなかった〜くそ〜いいな〜、こりゃ良い買い物だ〜お目が高い〜」と桜井があんまり言うので、ちょといい気持ちになったりしてしまったが、つくづくしょーもない。
でも、見ているとつい笑ってしまう。それがこのしょーもない物の味だ。
とはいえ、いくら大好きでも、私はそれだけを買って帰るわけにもいかない。それだけを買っている桜井が怖い。
ここパッツクアロは桜井鼻血のガイコツグッズ重要ポイント。だけど、それ以外の物もなかなかいい。
わら細工や普段使いの陶器なんかも、うひゃーうひゃー言っちゃうかわいさ。しかし値段もなかなかいい。
うちのターゲットもろあたりの先住民族が刺繍を施したブラウスも、「これ、いいなあ」と思うと、びっくりするくらいの値段だ。道売りの先住民族のおばちゃんと交渉してみるが、なかなか値段が下がらない。
おばちゃん曰く「2ヶ月もかけて刺してるんだよ。」とちょっと寂しそう。これからが最盛期を迎える祭りに備えて、私が全部持って行ったら何もなくなっちゃう。2ヶ月かかるんじゃ再製作も間に合わない。
「いっぱい買うから安くして」って言う私に持って行かれるより、一枚ずつ高く買ってくれる人がゆっくり来てくれた方が嬉しいんだ。それにここメキシコの先住民は、「いっぱい売れるからミシンでいっぱい作る!」ってなりがちなアジアの山岳民族と違って、自分たちの手仕事が文化的に意味ある物だと言うことを知っている。
だからこそ、自分たちの価値を値段で指し示す。私的にはそれは素晴らしく良いことだと思うし、それだけの価値があると認められる仕事だけれど、卸としてはかなりきつい。
何とかお願いして下げられるだけ下げて貰う。予算を大きく上回ってしまったが、再両替えしてまでも買った。
一方桜井は、かなりクレイジーな今年のガイコツ陶器に夢中。売り手のおばちゃんと意気投合すると、おばちゃんは隣の売場のおばちゃんにまで「サービスしてやれ!」とお節介を焼いてくれる。
とても小さく穏やかな街で居心地が良い。このままカフェで一服して、また明日何しようか・・・などといきたい所だが、もうあーっという間に帰りのバスの時間だ。
ホテルに預けて置いた荷物を取りに帰って、きびすを返してバスターミナルへ。
またあの標高を5時間上がってシティへ帰る。そして明日は3時間半の移動でまた別の街へ日帰り・・・。
ああ、私は芸能人か


10月29日(火) メキシコシティ タコスの味

今日もメキシコはハナ肇でいっぱい。たるんだ目袋の上にキョロっと乗った愛想のいい目はまさしくハナ肇。
そして、必ずと言って良いほどハナは良い人。道を聞くならハナがお勧め。
メキシコには、メチスソ(白人系とインディヘナ系の混血)60%、インディヘナ系(先住民系)25%、白人系(主にスペイン系)15%と一応おおざっぱに数字はあるものの、ひと目でこのカテゴリーに入れられないような人達もたくさんいる。ハナだってそうだよな。なんだかモンゴロイドだもの。
あまりにもヨーロッパやアメリカから侵略され略奪され続ける歴史の中で人々は混じり合い、ルーツは曖昧になってしまった。血統書付きなんていない。みんな雑種だ。
道を歩けばハナ肇、モハメッドもいる、ロナウドもいるし、パティストゥータもいる。
オールアバウト・マイ・マザーのセシリア・ロスみたいな格好いい大人の女から、フルモンティのロバート・カーライルみたいな情けない顔も。
鼻が大きくて首が無くて、むっくりした体に大きな頭が乗っている、インディアンによく似たインディヘナすらその焼けた肌の色の濃淡はそれぞれ。人種の混沌だけでなく貧富の差が非常に激しい。
それでも、彼らはそれぞれとなんとなくうまく付き合いながら生きている。
それを人々は「差別はない」という言い方をするらしい。
まじかいな、と調べてみると、男性と女性の賃金格差は激しいし、他にも先住民族系の人々への行き渡らない教育問題や、ストリートチルドレンなど問題山積で今にも迫害の引き金が引かれそうだ。
けしてパラダイスなんかじゃない。でも、この引き金が引かれない事には理由があるように思う。
それは人々の意識が今まで私が見てきたいかなる国にもなかった、特有のものなのだ。
確かにそれは「差別がない」と言ってしまいたくなるようなもの。でも、それは正確じゃない。
「違いを認め合える」というのがホントのとこじゃないかと思う。

 今日はシティから3時間半ほど離れたサンディアゴの市場へ行った。目的の物を求めて市場を突っ切っていく。
教えられるままにそのエリアに入ると、不安が吹き飛ぶように露店が並んでいた。
消滅の危機にさらされている木製編み機で編んだニット達だ。まずは拝見と、ゆっくり一件ずつ見て回る。
しかし、セニョリータサイズの物は思うように見つからない。私と桜井が口々にセニョリ〜タ〜と言っていたせいか、どこかからおばちゃんがやって来て自分の袋の中の物を見ろと言う。
中にはオフホワイトの優しい色合いが素敵なセニョリータセーターが入っていた。
私がそれを物色していると、痩せた先住民系のおばあちゃんが袋から1枚を引っぱり出し、おばちゃんと交渉を始めた。私は地元の人が下げた値段を桜井が聞き逃さないよう願いながら「がんばれ、ばあちゃん」と日本語で激を飛ばしたが、私たちの交渉と大差ない値段から下がらず、諦めて去っていった。
たぶん、このニット類はもうこれ以上下がるまい・・・と思った私は袋の中の物を全部戴いた。
その後もあちこち見て回ってたが、桜井の胃袋がエンプティーサインちかちか。
この人はお腹がすくと、もうどうにも耐えられないらしい。
とりあえず、立ち食いのタコスでも引っかけるか・・・(引っかけないと働かない桜井)と、来た道を戻る。
ああ、いい匂い。もうトウモロコシの匂いが鼻についてきている今日この頃なのに、空腹だとやっぱり良い匂い。
人の間に割り込んで、長椅子に二人でようやっと座る。
もう真っ黒になっちゃった油で揚げたパパスフリータス(いも)まで美味しく感じてしまう。
でも、疲れて言葉少なな私たち。

その時、私の後ろにあのセーターを諦めたおばあちゃんがいて、タコスが出来るのを待っていた。
いなせな兄さんからタコスを受け取ったのを見た私は、「座る?」と自分の席を指さした。
おばあちゃんは首を振った。ささっと食べ終えるとその場を立ち去っていった。 

「差別がない」のではなく「違いを認め合っている」という感じがする、という話を私が桜井にした時、桜井は、ああ、そう言えばあの日・・・と、このおばあちゃんの話になった。
おばあちゃんはよく見ると、物乞いと変わらない格好で、とても豊かな生活をしている感じではなかった。
彼女が席を譲られても座らない理由は、何故だろうか。
それはぶっちゃけ「座るほどの身分ではございません」という事なんだと思う。
タコス屋の兄ちゃんは、彼女にタコスを売ることをちっとも嫌がっていない。
私が「座る?」と聞いたとき、隣の席の親子がお尻をずらそうとした事からも分かるように、  周りで食べている人達も場を共有することに不快な顔はしていない。
ハラハラする必要もなく、彼女が貧しいから汚いからって誰も彼女に冷たくなんかしていないのだ。
私が一声あげなければ、彼女の存在はまったく浮き彫りにされなく、それは自然にそこで食べ、お金を払って去っていくだけの事。座るのを断ったのは、自分が座ると隣の人に臭いかなとか、そんな事に気を使うのが面倒だったかも知れないし、すぐに立ち去るつもりだったからかも知れない。
でも「私は立って食べる」という事を自分で決める事は、自分の身分も自分で決める、という事なのだと思う。
それに対して異を唱える人はない。
例えば日本で、もしくはアジアで、自分の店に乞食が来たらどうだろう。
日本は慇懃にお断りするか無視するか、アジアなら出て行けって叱るだろう。
ここでそう言うハラハラした感じが全然ないのは、人々の意識の中に、「乞食である」という事実と、だから「いじめたる」と言うことが結びついていないからなのだ。
それでも何かのトラブルを避けて彼女が立ち食いをするのであれば、それはそれだけの事。
お金が足らなければセーターは買えない。それと同じ。
彼女自身が決めた「みんなとの差・違い」なんだ。
「ばあちゃん、そんな事言うな、ばあちゃんは汚くもなければ臭くもない、座れ座れ」と言う言葉にはウソがある。
それはちっとも優しい事じゃないんだね。


10月30日(水) オアハカ 空気が濃いぜオアハカ

信じられないくらい激動の移動が続いております。一夜明けてオアハカへ8時間のバス移動。

バリッとスーツを決めた、いいオヤジが路上でアイスをベ〜ロベ〜ロ食べていたり、朝からコピーCDの店にたかって、あれこれ言っては視聴しまくり。トルタを売るだけでも、必ず一言二言ジョークを飛ばして大笑い。
そんなラブリーなメキシコ人は、いつでも何処でもウキウキしている感じがする。
そんな彼らを、桜井は「あほ〜だ〜」「キュンとしちゃう。」と喜ぶ。
「この人達子供みたいだよ〜。ほんと来る度に何とも言えない自由な気分になるんだよね。あーどんな風だって些細なことで楽しく生きていけるっていうか」
そうだね、本当にこの人達はいつだって楽しそうだし、楽しい気分にさせてくれる。天真爛漫な姿は確かに子供のよう。彼らは楽しみながらとってもよく働く。楽しそうに働くと、まるで怠けているように見えてしまうのが日本人の悲しい業。
でも朝早くから夜遅くまで、ほんとに良く働き続ける。
治安が悪いとされるシティは、そのイメージとは裏腹、路上にゴミはあまり落ちていない。
自分のお店の前は自分たちできれいにするし、道路は貧しい人達がゴミを拾いながら歩きお金を貰っている。
長い棒でゴミをプッと刺して袋に入れる。その姿はとてもユーモラスだ。
ここへ来て一週間経たない間に3往復長距離バスに乗った。車内はいつでも、とっても静かだ。
トイレも不可抗力以外は、なるべく他の人のために綺麗に使おうという努力が見て取れる。
山を登るバスのトイレの揺れは酷くて、トイレの中であっちこっちにタックルしながらズボンを脱がにゃならん。
あんなじいちゃんが入ったら、そりゃもうすんごい事になっちゃうだろう、頭におしっこくっつけて出てくるかもよ〜ってくらいよぼよぼのじいちゃんでも、結構きれいにこなしてくる。
ああ、懐かしく思い出されるのは、何が楽しいのか座席にガムとかを擦り付けたり、ドリンクコーナーを持って帰っちゃったりするアジアバス。見習え・・・(怒)。
天真爛漫あほ〜みたいなウキウキライフをおくりながら、でも、シャキッとするところはちゃんとシャキッとしているんだよね。その両方が出来るっていうのは、子供どころか理想的な大人だと思う。

 バスはシティよりも標高の低いオアハカへ向かっている。
8時間という長時間ではあるが、標高を上がっていく3時間半のパッツクアロよりも体はうんと楽だ。
車内から風景を楽しむ余裕もあった。
どんどん変わる景色。この国の大事なとうもろこし畑。どこまでも広がっている。
かつて飢えたヨーロッパに惜しげもなくこのトウモロコシを分け与え、彼らの胃袋を満たした、という話が思い出される。
この季節はとうもろこしだけじゃなく、果物も豊富だ。西欧の人々には、この豊かな大地が巨大な冷蔵庫に見え、恩を忘れて我が物にしたくなったに違いない。日本の物より5倍くらい大きいであろうマリーゴールド、それからけいとうが無造作に束ねられ、トラックいっぱいに積まれて「死者の日」の為にどこかへ運ばれていく。
路上には、時々ぽつんぽつんと十字架が見える。交通事故で死んだ人達のお墓だそうだ。
断崖絶壁、まさに崩れかけた山の壁際を猛スピードで駆け抜けると、3m〜6mはあると思われるサボテンが無数に現れ、それが岩山を覆い尽くしている。ムーミンに出てくるニョロニョロみたい。
ニョロニョロは地平線を目指して旅をしている。だからその旅は生涯終わることがない。
ニョロニョロのモデルは、このサボテンなんじゃないか?と本気で思った。
それくらい夕日を浴びて立つその姿は凛と美しい。
 昼に出発したバスだったが、すっかり辺りが暗闇と化してくる。
少しうとうとした頃、無いはずの休憩が入ったので取りあえずバスを降りてみた。物売りが近づいて来た。
エンプティサインで身もだえしていた桜井が「タマレス」を買う。
トルティーヤを作るトウモロコシの粉にチキンやポーク等の具を入れ、それをとうもろこしの皮で包んで蒸したもの。
お肉の部分が出てくるまでは、呆けた脳味噌ではなかなか理解出来ない意味不明な味だった。
ゆっくり馴れたらほかほかと美味しかったけど。
街に着いたら何を食べようか、と楽しみにしていたのにここでちょっと落ち着いちゃった。
更にもうひとっ走り2時間程だ。バスを降り、タクシーでホテルへ。
これがまた、張り込んだ値段の割にかな〜りステキな・・・小人ホテルで・・・。

 10月31日(木)その1 オアハカ 超ウルトラ〜

 オアハカは先住民が多く、古い風習や宗教的な民芸品などが見られる一方、観光客の訪れる街として洗練されたカフェやショップが建ち並ぶところでもある。我々一行も小人ホテルからソカロ(広場)周辺まで多少の距離はあるものの、美味しい朝御飯を食べに出かけた。
桜井が注文したのは、ふっくらと大判のホットケーキ。
それが3枚も重なっていて、カリカリに焼いたしょっぱいベーコンが乗ってる。
さらにそこへメープルシロップをたっぷりとかけて食べるのだ。ここのホットケーキは本当に美味しくて、2人の間でヒットとなり、朝起きる度幻の匂いに導かれたものだ。
なんつったって、このカフェのトイレは綺麗だし、鍵が付いているのが私にとって最高。
いや、メキシコのトイレ事情はアジアに比べればそれほど悪くない。ただ、治安が悪いという事情からか、鍵のかけられる所は非常に少ない。この国のトイレの扉はたいがい上と下が切れているやつ。
座ってると足が見えるし、立っていれば頭の先っちょと足が見える。
だから、お前が入っていれば誰も開けないだろう、という事なのだろうが、自分が落ち着かないのももちろん、こちとら足下を見る習慣が付いていないので、いつかうっかり誰かがちんまり座っているところを思いっきりオープンしてしまうに違いないと思っていた。まあ、トイレは良いし、気圧が低くて空気も濃いし言うこと無し。
強い日射しを避けた日陰は涼しい風が通っていく。
風に吹かれながらのんびり朝食を摂っていると、いろんな人達がやってくる。
子供を抱えて民芸品を売りに来る人、特産の布を肩から下げて売り歩くおばあちゃん、流しのギター弾き、プラスチックかぼちゃのカップを持って小銭を貰いに来る子供達。
「この子達しつこくないから、冷たくしないで」と桜井は言う。
ストリートチルドレンの多い>アジアの旅ではこう言った場合、無視するか、しつこい場合は強くNo!の意志表示をしなければならない。だからにそんな事に馴れてしまっている旅人は彼らに対して同じように振る舞うのだけれど、その態度を見てメキシコ人はびっくりしてしまうらしい。ここでは冷淡に映るのだという。だから桜井は旅人に子供が近づくとドキドキしてしまうそうで、前もって私にその事を言ってくれたわけだ。
確かにのんびり接してみると、別段しつこいことはない。
知らなかったら私もいつものように見ざる聞かざるしていたことだろう。
概してこの国の人達は、上げる方も貰う方も優しい。貰い手は騒がない、しつこくしない。
上げる気のある人は、さっと取り出せるように小銭はいつもポッケにあるようだし、お金を出せない人も、関わりがあれば何だかんだ話しながらバイバイする。
私も毎朝同じカフェで朝食を食べるので、会う物売りもいつも同じメンバー。
その距離感に馴れてしまえば、楽しいとも言える。「おはよう」てなもんである。
 カフェに来る流しの中で、私の心を打った男が居た。初めてその歌を聴いたときの衝撃は忘れられない。
ズンジャーズンジャーズンジャーズンジャーズン、「オアハ〜カ、オアハ〜カ、オアハカ」。えええ?
確かにここはオアハカ。で、オアハカオアハカってそのままじゃん。
「○×◎△☆▲〜ラララ〜ララララ〜」オアハカ意外の所は桜井も全然聞き取れない、しかもそれはちょこっとで後はラララ〜なのである。
歌が終わると、帽子を持ってお金を集めながら彼が高らかに掲げたのは、テープとCD。
「CDだってよ。こりゃ今までないタイプの物乞いだ」「誰も買かわねよな〜」と我々が囁いていると、やはり収穫ゼロで彼は去ってく。しかし彼は今後、いえ今日中にはもう私たちの中で大きな存在となる。

 オアハカに来た大きな目的は墓巡りだ。ガイコツ祭り本番は明日明後日なので、今日はグッズを見て回る。
でも何しろここんとこ移動が続いたので、とってものほほんしたい。
でも、もったいないからとにかく動こうで、まずは観光。歩いてすぐのサントドミンゴ教会へ行く。
ここはウルトラバロックという建築様式で有名なところ。
何しろバロックにウルトラが付いちゃうんだから期待膨らみますわな。
外観も斜陽で素敵なのですが、中に入ってびっくり。期待以上のウルトラ。
何かの本に「隙間恐怖症的」と書いてあったけど、その通り!圧巻です。
コメント写真はページ横の写真をクリックよろしく。
とにかくやりすぎ。かっこいい。
それから民芸博物館を探して道に迷い結局たどり着けず、地元の女の子達に連れていって貰ったところはただのお店・・・ちゃうちゃう。へたれなのですぐにお茶。
カフェを出た私たちは一路タクシーでお墓へ向かう。
タクシーの運転手に、「今日は死んだ人達が帰ってくる日だね」と桜井が言うと、
「俺だったら帰ってこないよ、天国の方が楽しいに決まってんじゃねえか〜!」と高らかに笑った。
私と桜井もこの「死んだ方が楽しい」という概念通り、このお祭りも底抜けに楽しい物に違いないとこの時は思っていた。お墓に着くと、まだ少し早かったのか期待していたほどのお花もなく、人々もまばらだった。私達が写真を撮り歩いていると、ハナ(ハナ肇)が寄ってきていろいろ教えてくれる。
「今日は子供達が先に天国から戻ってくる日だよ。もうその辺を走り回っているだろ。大人は明日だ」桜井は他にもいろいろ聞いていたが、彼女の知っている情報と少し違っていたようで、首を傾げていた。
広いお墓の中を歩き回っていると、ちょっと体が重い気がする。
それを言うと桜井も、「実は私もちょっと、キテマス」と言っていた。やっぱり明るくしててもお墓はお墓。
きっと昼だから盛り上がりに欠けるのだろう、と夜に出直すことにした。
お墓を出たところで、女の子がガイコツ人形を売っていたので覗いてみる。ここでカトリーヌを購入。
 バスに乗ってソカロへ戻ると小雨がぱらついてきた。そこでお茶をしようとカフェに入る。
朝御飯のカフェとは反対側のカフェだ。
ここで自称スウィートジャンキーのわたくしが何とか生クリーム物を頼もうとすると、桜井のスペイン語が誤爆して、「バナナフラッペ」とは「バナナシェイク」だったらしくテーブルには、ビール、バナナシェイク、珈琲と2人で3っつの飲み物が並んでしまった。
仕方なく、今買ってきたカトリーヌを席に座らせ、珈琲を担当して貰った。
「怖え〜よ、カトリーナ、こっち見んな〜」とか言っていると、後ろからアメリカ人の青年が声を掛けてきて、「このお人形何処で買ったの?」ともの凄くうらやましそうだ。
「お墓で売ってたけど、女の子のお人形はこれ一体だったの。ペアのだったらまだあると思うけど、それも少なかったよ」と言うと、「ありがとう」と言って席に戻ったが、いつまでもカトリーナに熱い視線を送り続けていた。
「キモイ」とか「動いたらどうしよう」とか言っていたカトリーナが急に良い物に見えてきた。
うーん、やはり私は良い買い物をする。
と、その時雨音に紛れて聞き覚えのある声が・・・・。
♪ズンジャーズンジャーズンジャーズンジャーズン、
「ジョ〜ビア、ジョ〜ビア○×◎△☆▲〜」や、奴だ!朝オアハカを歌っていた流しである。
しかも今度は雨が降っているからって、「あ〜め、雨、雨」と歌っているのである。
それもそのままやんけ!「あ〜雨だけど、俺は働きに行こう〜エパ!」と歌っている(訳桜井)。
「いつも奴は即興なのか?」「でもCDは即興じゃ作れんじゃろ」「エパって何だよ」「わかんない、かけ声じゃない?聞いたこと無い」と興奮する我々。周りの欧米人も笑っている。
「ねー可笑しいですね〜」なんて視線をその欧米人達に送っておいて、さんざん彼にブツクサ言った私達だったが、気が付けば口から知らぬ間に「オアハ〜カ、オアハ〜カ」「ジョ〜ビア、ジョ〜ビア」と歌っている。
こ、これは・・・もしやもの凄くメジャー感のあるメロディーだったと言うことか?
いや、オアハカも、ジョビアもほぼ同じメロディーだから覚えちゃっただけなんだけど。
などと言い訳しつつも明日から彼に会うのが楽しみになっているのは確か。ああ、早く新曲が聴きたい!
 
 こんなんをのほほんというのでは?
と思いつつもこれでいいのかと、自由とはなんぞやと、ここでやっと頭の中でスケジュール調整が始まる。
明日・・明後日が祭り・・・でその次が・・・あ、あれ!。
「桜井、もしかしたら今日しかこの街の民芸市場見られないんじゃないか?」
桜井は2杯目のレモネードにとりかかっている。
「じゃー、きょう行くかー」と言いつつ我々はかなりそこに根を張ってから重い腰をあげる。

10月31日(木)その2 オアハカ ああ、ジョビア・・・

荷物の移送用にビニールバッグを探す。
民芸品市場に行くため足早に準備しつつ、桜井はお墓情報を収集している。
すると乾物屋の前で桜井がある初老の女性にナンパされた。それが何でだか不明だが、お墓を廻って、観光客がなかなか行かれないような所を来るまで連れていってくれると言うのだ。
「行っても良いかな!」桜井は嬉しそうだし、もちろん構わないが、とっさに解せない私。
・・・で?何でご招待してくれるの?根拠が本当に分からない。だって、乾物屋の前で立ち話しただけじゃん。
「今日の夜、医者の息子が迎えに行くから」医者の息子ってそりゃ美味しそうでいいですけど、息子は了解なのですか?

「あーかわいいねー!」「あー、ここも見たかったんだよう」
桜井は何しろこのガイコツ祭りが楽しみでここに来ているのだ。ガイコツに涎たらして誘われるままに歩いて何が悪い。
それをしに来たんだからね。そう思いつつ言いつつ、私の背中からは「この野郎、早くしろよ」というオーラが立ちこめていた、だろう。察して桜井は、はいはいっと早足となりホテルへ一回戻り、空のリュックを背負って装備。
すぐ裏の市場へ向かう。こんなところにこんなでかい市場があったかと・・・
マリーゴールドとけいとうが山と摘まれる中、大勢の人々が行き交う。
うかうかしてたらみんなに迷惑だ。真っ直ぐ目的地へ向かうため、桜井が道を尋ねつつ進む。
ただ、道を聞かれた人はちょっと解せない顔して「ここの市場じゃないんじゃない?数件はあるけどね」と言う。
それ根本的な問題なんじゃないの?と思いつつ足が止まらないので、その数件のお店を目指す。
民族衣装を飾った何件かはほの暗い通路で、人けがない。
私たちが入っていくと電気を付けたが、店を出るとすぐに消す。そんなことでひるんでいては仕事にならず。
ある1件のお店が気になったので、暗闇で眠っている店主を起こした。面倒くさそうに起き出した彼は、
まだ半分夢の世界の人だったが、こっちが本気で買いそうなのが分かると、一気に娑婆へ急降下。
約40分で桜井に借金する程買った。
 さて、ここからこの荷物でどう脱出するか。リュックの重さで腕の血が止まっているから早く行かなくちゃ。
とにかく1回表へ出て人混みを抜けたらタクシーに乗ろう。
私は常々、買い付けの秘訣は自分に優しくすることだと思っている。
変にがんばって歩きすぎたり、重たすぎたりすると買い付けなんてすぐに嫌いになってしまう。
もう重たかったりしたらす〜ぐ嫌い大嫌い。距離なんか関係ない。タクシーに乗る!
いつだってどの国だって、荷物を持って市場をすり抜けて行く時、私はかなりナーバスだ。
前しか見ないで小走りに移動する。急ぎすぎたか?と、振り返れば桜井が・・・みかんを買っている、?。
何でミカンなんか買ってんの?それじゃなくても重いのに!
「この野郎!」と思って、もう置いてっちゃうっと更にスピードを加速させて歩く。
しかし、怒りを加速させる意味でか?もう一度さっきの光景を思い出してみると、大荷物抱えながらもみかんに手を伸ばし、どうしても食べたいという桜井がやけに可笑しくなってきてしまった。奴は食いしん坊。そう言えば・・・。
仕事していると本当に他のことが遠ざかってしまうらしくて、大事なことをよく忘れるのだが、桜井は日本で膝の手術を終えたばかりだったのだ。ハっとして振り返ると、葉っぱのついたみかんを持った桜井が似合わぬ必死さで、とっとことっとこちゃんと付いて来ていた・・・。
タクシーはあるものの逆方向に道いっぱいで動かず、結局そのまま早足でホテルへ帰った。
やっぱり買い付けが少し嫌いになった。
さて、ベッドに足を伸ばして桜井が嬉しそうにみかんをほおばると、「きーッすうッパーッッッ!!!」すごい酸味で、どうやら祭壇に置いたその後が食べ頃になるはずの、若いみかんだったようだ。

 すっかり暗くなった頃、小雨の中車のお迎えが来た。中には初老の男性とちっちゃい男が乗っていた。
おばちゃんの旦那さんと息子のアルドだ。車内の暗闇の中で顔がまだよく確認できなかったが、話せば気さくな、二人とも本当に良い人そうだった。とにかくほっとした。30過ぎてメキシコで輪姦なんてイヤですよ。
しかも女衒が母ちゃんなんて笑えない。
しばらくすると小さな舞台が用意された場所に車が着き、素敵なお父様は帰っていった。
気になったのは、車に乗って帰っちゃった事だ。舞台では子供達による寸劇が披露されており、まもなくそれも終わってしまった。さっさと舞台は片づけられていく。
どうしようもなく何もしようがなく立ちすくむ雨の中・・・。
で?で?と心で思うが、何も起きない。
そのうち、えくぼの素敵な男の子がちび男アルドの側へやって来た。2人の話が弾む。嬉しそうなアルド。
で?で?と私はまだどうにもならない雨の中。
えくぼの彼はイバンと言う。彼は子供達の世話係らしい。やがて彼の仕事が一段落すると、イバンのBMWが我々一行に寄せられてやっと移動と言うことになった。アルドより、イバンの方がステキ!と
桜井と私が言い合うもつかの間、私達を適当な場所で降ろすと、イバンは帰っていった。
つまり、アルドがイバンに会いに行ったのに付き合っただけってことだ。
「お前も帰っちゃえよアルド」と思うが口には出さず。さ、地元の人しか行かない所に連れていって貰いましょうか。
小雨降る中一行は大きな祭壇の前へ。「ここは昨日のお昼も夜も見た」と思うが口には出さず。
「死んじゃっても誰も迎えてくれない人、家族の居ない人は、ここに来て好きな物を食べて良いの?」と聞くと、「ああ、そうだね」とアルド言った。「聞くまでもなかったか」と思ったが口には出さず。
「一杯やるか」とアルドは言い、カフェに入った。「お母さんは、何故私達に親切にしてくれたのでしょうか?」と尋ねると「うーん、彼女はいろんな国の人と友達になりたいんだ。hotmailで連絡とったりさ。変なスペイン語話す日本人がいるって言ってたよ。だから、興味あったんじゃないの?」「ふうん」小一時間程カフェで話す。
結局、ホテルまで徒歩で送ってくれたが、彼と会うことのメリットがまったく見いだせなかった。
旅人の良い想い出になるよう、友達になりに来てくれたのか・・・?
母ちゃん、ちゃんと説明したんか?!だいいちなんでナンパした母ちゃんは来ないの?
そして恐ろしいことに彼の口から出た言葉は「じゃ、また明日ね!夕方までに電話するよ〜」
・・・雨の中、意味不明の移動でくたくたな私は気絶しそう。
でも、もしかしたら明日こそ、良いところに連れていって貰えるのかも・・・・?

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もうけっこう
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