かなり、ガツンと来ました



第9回 メキシコの巻・後編


11月01日(金) オアハカ くるくる踊れ!

今晩のためにマスクを買った。
みんなこの日の夜は様々な仮装で出歩くのだが、ペインティングまでやると明日早朝からの仕事にまともな顔で行けそうもない。アルドからはしつこくペインティングの要請があったけど断り続けていたので、意外にもやる気があるところを見せてやろうという目論見もあった。
桜井はガイコツを。私は魚の顔部分のマスクを購入。
日本で言うユザワヤみたいな所でマスクのゴムも買って準備万端。

 すっかり辺りが暗くなった頃、アルドが車で私達を迎えに来た。車内にはすでに女の子が2人乗っている。
3人で1人足らないKISS。雷ペインティングでやる気いっぱいだ。
アルドはちゃんと説明していないのか、女の子達のご機嫌が少しよろしくない。
女とはいえ、こちとらおばちゃんだから心配すんな、と言ってしまいたいのに桜井が年齢を隠しに隠すのだ。
まったく何を期待してるんだか〜。桜井はハイチュウで機嫌をとる。
相手が子供だろうが大人だろうが、いつもハイチュウ作戦。効き目はナゾだ。
昨日と同じく車の移動はパパの病院までで、途中からは徒歩。
しばらく行くと仮装をした人々、多くは子供達がバンドを伴って家々を廻り、寸劇を披露している所だった。
へたくそなコメディーなのだが、なんとも微笑ましい。一通り寸劇が終わると音楽が鳴り響き、みんなで踊る。
2.3件目では私達も男の子達にエスコートされ踊りの輪の中へ。これをほぼ朝になるまで繰り返すのだ。
楽しいと言えば楽しい、とても楽しいのだがものすごく長丁場なので、4件目くらいですでに私の電池は切れた。
持病の腰痛も出てきた。しかも今日の目的は、まだ行っていないお墓の深夜墓参りが目的なのだ。
いつになったら、この参列を抜けてお墓へ連れて行って貰えるのだろう・・・。そればっかり頭に浮かぶ。
意識はもうろう。そのうちアルドが「テンゴアンブレ〜(お腹空いた〜)」と叫んだので、ラッキーとばかりタクシーに乗りお墓へ向かうのだった。しかし・・・そのお墓は昨日のお昼にも来た事のあるお墓・・・。
ここぢゃない・・・と思いながらも、もしかしたら何かイベントがあるのかと大人しく後を付いていく。
途中女の子達に「こういうこと興味ある?」って聞いたら「全然」と答えられた。ひえ〜。
そもそも、このアルドというちびは結構気の利かないワンマンタイプで、人を振り回す。
それも彼にとってはもの凄い奉仕の気持ちでやってるから、みんなお礼を言わなくちゃならない。
イヤな奴かって言うととっても良い奴だし、いつもウキウキ嬉しそうな所がどうしても憎めない。
だから結局周りのみんながちょっとずつ我慢を強いられてしまう。
ま〜自分が大好きで、自分の写真ばっかり撮ってたよ。
こっちに余裕があれば、アルドの観察だけでも楽しめる位お調子者のすっとこどっこいなんだけど・・・。
ま、とにかくこの人の手術は受けたくないなあ。
女の子2人のうちの1人(ブサイクな方)がアルドの彼女で、綺麗な方は彼女の友達。
メキシコもアジア同様2人っきりでのデートは親が許さないので、同性の友人が一緒に付いて来る。
興味のない墓参り、気の利かないエスコート、知らない変な外国人、誰より彼女の友達は気の毒だ。
んで、せっかくお墓に来たものの、何かイベントがあるかっていうと昼間よりもずっと寂しくなってて、特に何もなかったのだ。うー・・・・。落ち着け。墓場の屋台でタコスを食べ、少し落ち着く。
「違う方のお墓にどうしても行きたいんだけど、もし疲れていたら帰っても良いよ」と桜井が彼らに言うと「うーん!とんでもない。一緒に行くよ」と全員が即答した。
「全然興味ない」「疲れた」「腹減った」それも包み隠さず言うが、でも「一緒に行くよー!」と心配だったり、付き合いが良かったりするのもメキシコ風なんだかな。時計は深夜00:00を指している。
いろいろ苦労を重ねたが、墓参りには最高の時間だ。迷わずタクシーに乗ってちょっと遠いその場所まで・・・。
大きな通りを抜けて、郊外に出るとまったく車も通らなくなった。
しかも、この暗さ。こ、怖い・・・。この時ばかりは付いてきてくれたみんなに感謝せずにはいられなかった。
しかも「ここだよ」と運転手が指したその場所は・・・
稲光がバックに無いのが不思議なくらい寂れて暗闇に沈んだ墓場の門。
昨日テレビでやってた「チャッキーの結婚」で最後にチャッキーが死んだ場所そのものみたいなのである。
更に運転手は「今日はこのお墓はクローズだよ」。おめえ、知ってて乗せやがったな!
何よりもここでの深夜キャンドルを楽しみにしていた桜井。このキャンドルデイをカメラに納めるために来たと
言っても過言ではない桜井はがっかし。「このままホテルへ行って頂戴」ここで元気な桜井も電池切れだ。
アルド達にお礼とさよならを。耳を疑ったのは「また電話するね!」・・・
でも、きっと今日のコレで懲りて連絡はないだろうと推測した。そう願ったと言っても過言ではない。
向こうにしてみりゃ苦労したのはこっちの方だ!って事だろうけどね。とにかくもうクタクタだす。



11月02日(土) オアハカ 光あるところに陰がある

ズンジャーズンジャーズンジャーズンジャーズン、
「オアハ〜カ、オアハ〜カ、オアハカ」今日も響くよオアハカオアハカ。朝食のカフェである。
明日は朝から日曜日にしか開催されない朝市に行くので、もしかしたら彼の歌をゆっくり聴けるのも今日が最後・・・。
そう思った私は、つい「そのCDはいくら?」と聞いてしまった。
「うわー、ついに買うのか〜?!」と言う桜井も何故か嬉しそう。
旅の想い出に人々はいろんな物をおみやげに買うだろうが、良いな、と思った物は片っ端から買ってしまう商売が災いしてか、「売れない物」「合理的でない物」にものすごく惹かれてしまう傾向にある。
「100ペソ」と彼は言った。
「まじーふざけんな、たけーよ〜。有名ミュージシャンのコピーCDが10ペソで売ってんのに・・・」日本語でぶつくさ言う私。「したら、70ペソ」と彼。「何を〜10ペソにしろ」と言い放った私に向かって桜井が「えーん、あつこちゃん、10ペソなんて言えないよ。この人の目を見てよ。まじだよ、この人・・・」ううっ確かに彼の目は燃えていた。それは物乞いの目ではない。自分の才能を信じているアーティストの目である。
オアハカオアハカのくせして・・・。「私が20ペソ出すから買ってやって〜」桜井の熱意に押され70ペソで交渉成立。
CDはVol.4まで制作されている。
「オアハカって曲とオアハオアハカって曲があるけど、どっちがオアハ〜カ、オアハ〜カなの?」などと訳の分からない会話。「こっちがいいよ。オアハ〜カ、オアハ〜カも入ってるし、カフェカリエンテも入ってるから」って知るかっちゅうところだけど、「ありんこ」とか面白そうなタイトルも目に入り、彼曰くベスト版とも言える1枚を受け取った。ちょっと待てと、手で合図され何が出るかと思えば、彼のナゾのポーズが大きくコピーされた2003年のカレンダーが粗品に付いてきた。そこへ奴はサインをしようと・・・んん?ペンがない。
隣席のおっさんがさっとペンを貸してくれた。すると「お前にもやる」とばかりにおっさんにもカレンダーを渡した。
なんだよかなりおごそかに出してきたくせに、そんなに気軽にくれるなら桜井の分も頂戴よと言うと、2枚のカレンダーそれぞれに、「日本の友達へREY・OH・BEYVE」とサインをした。
そう彼の名はレイオーベイビー。王様ベイビーという名前だ。
ベイビーは思い切り当て字だがね。
写真を撮らせて貰うと、馴れた感じでさっとポーズ。
媚びることなく真っ向からアーティストとして我々と向かい合うベイビー。
その強いまなざしと異様に勘違いしたオーラがまっすぐこっちへやってくる。
すると私達はマジックにやられたようにベイビーの思うがまま勘違いをしはじめてしまった。
それをカリスマ性と言うのであろうか。
また彼の口から驚くべき言葉が・・・「これをコピーして日本で売ったら儲かるから、70ペソはすぐに元が取れる」。
コピーを奨励するミュージシャン・レイ・オー・ベイビー。彼が去った後、何故か勘違いして興奮する女2人。
「きゃーベイビーステキ〜もうメロメロ〜足がカクカクする〜」「折れないように持って帰ろう」と
カレンダーを大事にしまい込む。
自分の位置や人との差は自分で決めるメキシコ。
ここにも一人、自分をアーティスト以外の何者でもないと決めた物乞いがいる。
彼の自意識の中では、彼はミュージシャンだ。それは誰にもとめられないし、否定されないし、そして否定できないだけの強い眼差しがベイビーにはある。
常々私は「猪木」「矢沢」「長嶋」はある意味別の星の人達だと思っているが、ベイビーも同じ星の下の、ただ日があたらない方に住んでいる人だと思う。

さて、昨日のお墓へもう一度。ここへ来るのは3度目になるが、今日はお花に埋もれるように美しい。
一昨日の背中にゾクゾクと来るような感じはまったくなく、墓々は花に飾られ、あちこちにマリアッチの歌声が響く。
ここでいつもベイビーと同じ時間に布を売りに来るおばあちゃんを発見。
すでに毎朝会っていて顔見知りなので、声をかけると嬉しそうに家族を紹介してくれた。立派なお墓に大勢の家族。
おばあちゃんの仕事は道楽だと言う事がわかる。カフェを廻り、観光客に民芸品を売り歩く仕事なんて、
恐らく他の国で言ったら良い仕事ではない。ましてや道楽でなんて絶対にしないだろう、ある意味差別される仕事。
ここでの仕事の善し悪しは、上の仕事・下の仕事っていうイメージの問題ではないのだ。
ベイビー含め、自分が何者であるかは、自分の自意識の問題でしかない。
それが売春婦であろうと、物乞いであろうと、民芸品売りであろうと、タコス屋であろうと。
それがいいの、と自分が勝手に思いこむだけではなくて、それを「由し」とする世間がなくては成立しないことだ。
この国にいて肩の力が抜けていくような安堵感があるのは、こういう「自分が誰だっていい」と許されている世情が起因しているとつくづく思う。おばあちゃんにバイバイして、更にお墓を練り歩く。桜井が一人の女性に声をかけた。
女性はたった一人で墓前に佇んでいた。
「ご主人がお亡くなりになったのですか?」と聞くと「いいえ、娘二人よ」と言ってにっこり微笑んだ。
私達は言葉を失ってしまって、手を合わせ、写真を撮らせて貰ってその場を去った。「参ったな」と二人はつぶやく。
雨雲が急ぎ足で去ると、お墓一杯のマリーゴールドやケイトウの花が水滴でキラキラと輝いている。
メキシコ人の多くはキリスト教だ。それはスペインが侵攻してきたときに、インディヘナが信仰していた女神と、褐色のマリア・グアダルーペをオーバーラップさせる事で浸食させたと言われている。
グアダルーペが褐色の肌を持っていたことが多く彼らを惹きつけたことは言うまでもない。
欧州からの侵略、膨れ上がる移民、そんな事から褐色の肌に対するアイデンティティは強い。
キリスト教は死んだら愛する神の御元に行けるという。
この「ガイコツ祭り」などから見て取れる、死を楽しく受け入れようとする思想は、「死がいつも隣にあった」事からの恐怖が、キリスト教と結びついたのではないかと言う気がしてならない。
死んでいく子供に「大丈夫、死ぬのは怖い事じゃない。天国はここよりずっと良い所だ」と言って、送ってやらなければならない時代が確かにあった。
「さあ、見てやって頂戴!」エンターテイメントのように明るく墓前で宴をする人々。
しかし、その中には、まだ大切な人を失ったばかりでどうしても笑えない人達もいる。
それでも、マリアッチを招き、陽気にやる。そうしないと、死んだ者が浮かばれないのだから。
日射しが強く明ければ明るいほど陰は色濃いように、そうしなければ生きてこられなかった人々の悲しみも強く感じられる。そして、悲しくても怖くても生きてきた、彼らの強さと死んでいく者を思う優しさが胸に響く。
静寂や厳粛とは反対側にある同じ意味の語らいや笑い声、それはとても良いお墓参りだった。
お墓を歩きながら胸がいっぱいになってしまった。

 ホテルへ戻る途中メスカル屋へ。
メスカルはテキーラと並ぶ名物酒で、オアハカが産地だ。陽気なお兄ちゃんと、何やってんだか店に座り込んでる
じいちゃんのおしゃべりが可笑しい店に入って桜井が試飲をしていた。
その時私の目のはしっこに見覚えのあるプレスリー風のジャケットが「あ、ベイビーだ!」と、つい桜井にでかい声で言うと、ご本人のベイビーが反応してしまって、くるりっときびすを返すと店に入ってきた。ビニル袋をかざすレイ・オー・ベイビー。
「来週から着る衣装の生地を買ってきた!」
私達が渡した70ペソで早速生地を買ったに違いない。強く縛られたビニルの口をなんとか開けようと、汚い歯でビニルの口を噛む。片手はギターで両手を使うことが出来ない。
しばらくがんばるが、ちょっと無理っぽくて諦めかけると「なんだよ、見せて見ろよ」と兄ちゃんがたきつける。
更にベイビーはヨダレをベーロベロビローンとさせながらビニルと格闘。
「ああ、あれに触らなきゃならない状況になりませんように」と思っているとまもなく「ほれ」と奴は口は開いたがヨダレいっぱいのビニルを差し出した。頭の中で「いや〜ん」と叫びながらビニルに触れないように
それを引っぱり出すと、キラキラ銀のラメがいっぱい入った黒いポリエステル生地が出てきた。
「いいねえ」「いいねえ」と口々に言うと、ベイビーは満足げに手を挙げ去っていった。
ああ、びっくりした我らのアイドル・ベイビーの突如登場。ああ、来週じゃ新しい衣装は見られないなあ。

 アルドから連絡なく・・・ほっと一息

11月03日(日) オアハカ ホットチョコとピーナッツ

今日はオアハカの郊外3時間半くらいの場所へ民族衣装の仕入れに行く。
ガイドブックによるバスの出発地点は閉鎖されていて、道行く人によると市場から乗り合いタクシーに乗って行くのが普通だそうだ。しかしその乗り合いタクシーたるや・・・。
その場所へ向かうタクシーにはすでにお父さんと男の子が乗っていたので、私がその隣へ、桜井が助手席に座った。
さ、出発進行か?と思いきや、なんともう一人助手席に乗せたのだ。
彼氏でもあるまいし、知らないおっさんと運転手にぴったりと挟まれ桜井悶絶。
小雨の降るガタガタ道を突っ走っていった。
やがて淋しい市場へ到着した。
「帰りは市場のはじっこ、タンス屋の前からタクシーは出るから」と言い残してタクシーは去った。
朝市と聞いていたのに、まだ露店が開いていない。朝御飯でも食べよう、と思うが店らしきものもない。
朝はうんこが大事だから、屋台では心もとないのだ。
何か無いか〜とふと見ると、レストランと書かれた小さなホテルがあった。
ガラス戸を覗いてみるが、どうも人の気配がない
。立ち去ろうとしたその時、ガラス戸が開いて気のよさそうなおっさんが手招きをした。中に入ってなるほど、これはマジックミラーなのだ。中からは必死に覗いている私達がありありと見えたことだろう。
「朝御飯は、ホットチョコレートにパン、それから玉子を付けるわね」と女将さんが言った。
長いテーブルでは、この宿の子供達が朝御飯の準備中だ。
つまり普通の家族の朝御飯をご相伴にあずかるような感じなのだな、と思い、同じテーブルのはじっこに座った。
しかし、しばらくすると親戚一同と思われる団体が到着。長いテーブルはいっぱいになった。
普通の家族の朝御飯から久々の親戚歓迎会みたいな席になってしまったのだ。
親戚の子供は真っ直ぐに「この人達誰?!」という視線を向けてくる。
ホットチョコレートの美味しさと差し引いても落ち着かない・・・。「ご、ごちそうさまでした・・・。」
 市場へ戻れど、まだ本格的に始まりそうもない。じゃ、先にお墓を見るか・・。
と、また子の地のお墓を見るために人力自転車に乗った。
オアハカに比べると小さい墓地だが、サントドミンゴ程ではないが、中にはウルトラバロックの教会もある。首ちょんぱされている司祭や
キリストなどえぐい表現で有名な教会。しばらくぶらぶら墓参りをする。
 さて仕事へかかれど、雨は次第に酷くなり、目指す物は見つからない。
どうやら雨なので露店も引いてしまっているようなのだ。
それでも何件かのお店で交渉し、衣類と少しの雑貨を買った。
雨よけのビニールシートで帆をを張った市場の中は青いトンネルみたいだ。
うろうろしていると、向こうから見覚えのある顔が・・・「あ、ようこちゃん!」メキシコシティのドミトリーで同室だった
ようこちゃんだ。さすが雑貨好き・・・とはいえ、こんな所まで好きってだけで普通のお嬢さんが来るなんて、もう私は負け気分だ。しかも朝早くからしっかり化粧もしている。女としても負けである。
少し立ち話をしたが、お互い明日はシティに帰る予定なので「じゃ、またね」と別れた。
 私は買い物を始めると終わるのも早い。
さて、帰ろうかなと各店々から預けて置いた荷物を回収すると、一目散に帰る。
のに、桜井の雑貨好きは留まるところを知らず、またしても私が肩に荷物を全部背負って、
お帰り準備OKになってからお買い物を始めるのだ。桜井にだって雑貨を見る権利はある。
旅行なんだから会話を楽しみながら買い物するのは良いことだ。
と思いつつも私のそこはかとない怒りはオーラとなって背中から立ち上っていたことだろう。
オーラが見えたか眉間のしわが見えたか知らないが、しばらくすると「えへへ、ごめんごめん」と桜井がやっとタクシー乗り場を目指してくれる気分になった。しかし、人に聞けば聞くほど道に迷う。
場所を聞いてそこへ行くと今来た道を戻れと言うし、そこへ行くとまた反対側だという。
「じゃバスを使うか」とバス停へ行ってみると、オアハカ行きはもの凄い混雑ぶりで、荷物を持って立ったままの移動は難しそうだった。もう一回、相乗りタクシー乗り場を探そう。
そこからまた長い長い市場の端から端までを何往復したかわからない。荷物に押されて私の足は猛速で進んでいく。
こればっかりは桜井が悪いわけじゃない。
ただ何に怒っているかわからないが腹が立つ。どんどん私は歩いていく・・・そこでまたハッとした。
桜井の足のことをまた忘れていたのだ。振り返ると離れて一生懸命付いてくる桜井が見えた。
「ごめんごめん」と手を挙げて曲がるべき方向をゼスチャーで聞く。桜井も「もうちょっとまっすぐ行ってから!」と手で指し示す。桜井のペースで歩きたいけど、ゆっくり歩いていると背中がもう限界だった。
結局、2人が最後に行き着いたのは、最初に教えて貰った場所からほんの数メートルの所だった。
今度の相乗りのお相手はおじいちゃんとおばあちゃんだった。桜井はまた助手席に乗ったが、運転手に「5人はつらいよ。このまま4人で出ない?」と交渉し、もう一人分払うことで4人で出発して貰うことになった。
 私の隣では、おじいちゃんとおばあちゃんが静かに座っている。
おばあちゃんは、ポケットからビニールに入ったピーナッツを出して食べ始めた。おじいちゃんはおばあちゃんの荷物を大事そうに抱えて、片手をおばあちゃんの膝に乗せ、トントンとリズムを刻んでいる。
メキシコで見かける年寄り夫婦は、本当に仲が良い。ここでは、男は男らしく、女は女らしく、という理念が生きている。
私は最初のうちその言葉から亭主関白でマッチョな暴君を想像していたが、やがてその男らしさ女らしさの概念が
日本と違う事を知った。男は女のために何を何処まで出来るか、女を死んでも守る、という騎士道精神で生きている。
誰もが陽気で気易いが、対応はとても親切で女の子を大事にしてくれる。
女は家庭にあれこそすれ、男に付いていくような感じではなく、強力なパワーで一家をとりまとめている。
また、外で働く女はばっちりスーツをきめ、ケバケバの化粧でタバコをふかし、取っつきにくそうだが根が優しくて人が良い。何より男女共にセクシーでなくてはならない。
男は愛のために身をつやす事を美学とし、女は身をつやされる事に値するいい女であれ、という事だ。
だから、レストランや道ばたでも、でっかいお父ちゃんが、小さな赤ちゃんを抱いて、上の子の手を引いて、荷物を背負って、そのうえ女房の花やアイスや風船も全部丸抱えにして嬉しそうに歩いている場面をよく見る。
粋な男は大事な女房に重たい思いなんかさせないのだ。
目が合うと「かうわぃいでしょ?うちの坊主?」と微笑んでウインクしてきたりする。
きっとそういう光景は日本も含めアジアでは見られないだろう。だって、格好悪いじゃない。
でも、その格好悪さこそがとても格好良いのだ。
男の男らしさ、女の女らしさはその見かけ、振る舞いではなくて、もっと本質的なところを指しているからこそ、そんな事を嬉しそうに出来るのだろう。
 おばあちゃんはタクシーの振動が心地良かったのか、そのうちウトウトしはじめた。
おじいちゃんは、おばあちゃんのピーナッツをそっとしまって、真っ直ぐに道を見つめている。
それでも、やっぱり年寄りなのでちょっとウトウト・・・そして、ハッと目を覚ます。
そんなちょっとした無理も横で見ている私にはなんとも愛おしい。
騎士道精神を忘れないでいる間はおじいちゃんも男だ。おじいちゃん、セクシーだぜ!
おじいちゃんはちゃんとおばあちゃんを守っている。



11月04日(月) オアハカ−メキシコシティ さようならオアハカ

 いよいよ最後のホットケーキ・・・そしてレイ・オー・ベイビーとも今日でお別れだわ。
奴は目が合うとさっと手を挙げたり、さり気なく目配せをし、帽子を持って小銭を貰いに廻るときも「お前達からは、とらないぜ!」とばかりに素通りしてくれる。私としては最後だから急接近したいのだが・・・。
なのに体は我が儘で、ベイビーと接触できそうなその直前にうんこがしたくなって席を立ってしまった。
帰って桜井に聞いてみると「もう〜メロメロ〜」と一人で堪能したようだった。悔しい。
 出発ぎりぎりまで探していたが、やっと良いアレブリヘスに出会えた!
良い値段の物なので、たくさんは買えないのだが、それでも出来るだけ質と値段のつり合った物を探す。
それから念願だったオアハカピーナッツも買った。
これは、ビールを注文すると付いてくるおつまみなのだが、すこぶるうまい。私は下戸なのでビールが飲めない。
だから桜井にビールを飲んで貰って、このおつまみをちょうだいしていた。
日本の物と比べてやや小粒のピーナッツ、カリッと揚げたにんにく、それを丸ごとの唐辛子と粗塩でざざんと炒めたようなものだ。辛くてピーナツカリカリ、しょっぱくてにんにくシャリシャリ。絶対これ買って帰る!
「チリのピーナッツってさ、どこで売ってるかねー」と、いつも道を教えてくれる乾物屋の女将さんに聞くと「うちにあるけど」と、、、ありゃ、失礼しました。
女将さんの手作りおつまみは、ピーナッツもまるまるしていて、より美味しかった。1kgばかり購入。
重たいので、半分はシティのドミ仲間にふるまうとしよう。
そして、桜井お気に入りのおばちゃんのタコスをテイクアウト。
タクシーを待つ間に食べようね、なんて言ってたのに出来上がりを待ってたら結構良い時間になってしまった。
ホテルへ飛んで帰って、タクシーを捕まえたい旨フロントのお姉ちゃんに言う。
バスターミナルのトイレっていかんせんなんだよなあ、と思い、やはり一度行っておこう・・・と
私が「トイレに行って来てもいいかな」という声と共にお姉ちゃんがタクシーを捕まえてしまった。は、早すぎるう。
「トイレはバスターミナルで行きなよ!!」とえらそうに桜井は言い放つと、駆け足でタクシーに直行してしまった。
なにを!君ね、荷物を積み残しているんだよ、君は。
炭酸でべたべたになったジュースの瓶とか、汁の垂れたタコスのビニールとか、カバンとか帽子とか、こんな子供みたいな荷物はぜ〜んぶ、お前のだが?!
むーっとしながらそのべたべたを持って私がタクシーに乗り込むと「おせえな」という視線から一変「きゃー!忘れてたー、ごめ〜ん、えへへへへ」とアニメ声で笑う。いつか殺す。
 とにかく、私が大人だから喧嘩しないでシティへ着きました。

11月05日(火) メキシコシティ 修学旅行

  ドミの平均年齢がぐっと上がっている・・・。中にはゲバラの残党もいるくらいだ。
ゲバラは、主に60年代「新しい社会主義」を打ち出そうとメキシコ、キューバ、などで活躍した革命家だ。
傲慢なヨーロッパ中心主義の歴史観や世界観に反撃を試みたゲバラは、今でもTシャツになったりポスターになったりして人々から愛されている。このドミにいる風間さんも、当時そのゲバラが説く新しい社会理念に共感してメキシコへ渡ってきたのであろう。今はもう60過ぎの良いおじちゃんだ。
それから吉田さん親子。アメリカで大工として働いていたが、いつの間にかビザ切れしていて、その不法滞在中にパスポートや全財産を車ごと盗まれたという。早い話がメキシコへ逃げてきたのだ。
吉田おとっつあんの方は風間さんと同い年くらいか、息子の方は私と同じくらい。
あと、中年自転車乗りのセニョール、先生と呼ばれている高校教師をクビになったってこっちに来た人、それからなんとなく追いつめられた感じのする子連れの謎家族。子供が小学校にあがるまで旅を・・・と言っていたが、それにしては暗いのだ。3家族もドミにいるってのもすごいですが、もう1家族は明日から管理人になる予定の2歳のかわいい坊主オリオを連れて旅している若夫婦、かおりちゃんとしげおちゃん30代前半。
それから退院したばかりで養生中のちーちゃん、明日旅立つ予定の管理人高木君、昨晩到着した悪そうなタカシと良さそうなタカシそして我々・・・と、いったところでしょうか。あらかたみんな何かから逃げてますなあ。
そんなうらびれた感じで、初めてここに来た時の戸惑うばかりの「若さ」はみじんもありません。
朝食と共に、革命・芸術・宗教・文明的テーマでお話が弾んでいる。
もうこりごりな体育系自転車セニョールや、すっかり風間さんを馬鹿に仕切ってる先生は、早々に退散。
話し込んでいる吉田おとっつあんと風間さんの間に我々も加えて貰って、頭をゆっくり回転させながら脳のリハビリです。風間さんはアル中で手もぶるぶる震えちゃってるし、通風で膝も痛いという。
今でこそこうやって人と交わっているが、このドミで暮らしていてもほとんど引きこもりだったそうだ。
革命家も角が取れたと言うことか・・・。当時学生運動家だったりした人は、大きな志と無力感の狭間で自分を落とし込み抜け殻症候群的になってしまう人が多い。
しかし、癖はあるもののこういう老いた狼のような人を私は嫌いではない。
話をする風間さんが時々キラっとした目をするとちょっと嬉しくなる。受け手の吉田おとっつあんも、そんな風間さんと話すのだから、アメリカの件でしおれて飲んだくれてた朝だのに一生懸命議論していた。
アル中と飲んだくれとの朝食・・・それは酒臭い。

 オアハカから持ち帰った荷物と、ドミに残していった荷物、これで今回の買い付けはほぼ終了といえるボリュームになった。これをいかに持って帰るか頭が痛く、とにかくこれを収納できそうなカバンと今日の獲物シルバーを買いに行くことにした。とっても危険な所へ行くので、日が一番高い時に出かけることにする。
バスに乗っているうちに桜井の道の記憶がよみがえり、あほみたいにデカいカバンを早々にゲット。
また、渋滞が災いしてか桜井が賢かったのか、シルバー店の並ぶ一角も恐ろしいほどスムーズに発見。
店は一件ずつかなりきちんとした宝石店の作りで、品質にも安心感があった。面白かったのはお金の引き渡し方法だ。
接客自体は普通の宝石店と変わらないが、お金を渡すときだけ電話ボックスのような人一人はやっと入れる鉄の箱へお店の人が入る。お店のお兄ちゃんが裏側からその鉄の箱へ入り施錠する。
私のとい面に付いている小さな鉄扉からお兄ちゃんの手がにゅーっと出て来た。
こちらが合計金額の書かれた紙とお金を渡すと、ささっとお釣りが返ってくる。
受け渡しが終わると、お兄ちゃんはそこから出てきてまたしっかりと鍵を掛け、振り返って「ありがとう」と笑った。
そうしてやっと私は指輪やピアスを受け取る事が出来る。
強盗防止のそのボックスレジをみるだけで、この辺りの治安の悪さが伺える。とはいえ、ダイナミックなメキシコ人のことだから、盗むとなったらお兄ちゃん入れたまま箱を担いで出ていっちゃうかもね。
 
あまりにもスムースに仕事が終わって早めにドミへ帰ると、2階のトイレが詰まっていると言って、しげおちゃんが例のぺこぽんを持って立っていた。しげおちゃんは、うちのセニョリータセーターのページで子供を抱いて立っているその人。ジョー山中ファンの私にはたまらないのだが人の夫。
つい「何持っても格好いいね〜」と言ってしまった。
我が家ではうんこが詰まると熱いお湯を3リットルくらい便器に流し込んで、しばらくしてから流すようにしてる。
お湯でうんこが溶けるんだよ。ままか秘伝のうんこ流し。レッツトライやってみて!としげおちゃんに言うと、沸点の低いメキシコのお湯をたんまり抱えて2階へ上がって行った。しばらくすると「成功した!」と口々に言う周囲の朗報と共にしげおちゃんが帰ってきたが、うんこの湯気にあたってしまったらしく、遠くを見ていた。
そんな危ない感じもますます格好いいなと思った人の夫。
それからしげおちゃんの奥さんでオリオのママのかおりちゃんや、退院してきたちーちゃんが買った物を見たいと言ってお部屋に遊びに来てくれた。みんな若造が旅に出てしまって鮮度は落ちているものの、年輩はその分ちょっと密度が濃くなったのかなんだか修学旅行のようで楽しい。
 そんな中、今日は「お好み焼きパーティーをするぞ」と先生が言ったので、みんな何も考えずに晩御飯の時間はわいわいと食堂へ降りていった。先生自慢のお好み焼きが振る舞われる。
とっても美味しいのだが途中で気が付いてしまった。大部分の人達がお好み焼きパーティーに誘われていたが、先生は若干名に声を掛けていないのだ。風間さんと、吉田親子、良さそうなタカシ君。悪いタカシは参加しているのに。
その人達は大テーブルを占領している私達の目の前で、それぞれ自分のご飯を作っているのだ。
呼ばれているより、呼ばれていない人の数が少ないって言うのは集団でするいじめみたいだ。
かなり気分が悪くなる。そこへ先生は「これが今日のスペシャル!」と言って大きなホールケーキを持ち出した。
一同ワーっと言うが「誰かさんのお誕生日に何もしなかったから」と言ってちーちゃんを見た。
ちなみにちーちゃんの誕生日は5月だ。もう約半年経っている。
ちーちゃんが入院している間も先生はせっせと食事を差し入れしていて、つまりはこれは先生がちーちゃんによく思われたいが為の「ちーちゃんのお誕生会」だったのだ。我々は知らぬ間にいじめには参加してるは、お誕生会には参加してるわで忙しいなあ、おい。そして戸惑うちーちゃん。かわいそう。
そのケーキが切り分けられた時、丁度追いつめられたような謎家族が帰ってきた。
「子供にケーキをやらなかったら、即お前を殺す」と思っていたが、周りの気遣いの方が早く子供は無事にケーキをゲットした。オリオと並んでほおばっている。
しかし、そこまでしてモテたいかっつうより、だからお前はモテないんじゃ・・・とその場の全員が思っていたことは言うまでもない。小さな日本ここにあり。


11月06日(水) メキシコシティ 奇跡の聖母

 実質上の買い付けは終了しているので、ここへ来てやっと余裕が出てきたよ。
後はもう少し欲しかった物を追加したり、偶然目にした物を気に入れば買うっていうくらい。
そこで今日は観光にも行ってみようと。私が行きたかったところは「グアダルーペ」。
グアダルーペについては、軽く前述していますが、もうちょっと詳しく説明しましょう。
メキシコ人に最も崇拝されているグアダルーペは黒い髪と褐色の肌を持つ聖母。
スペイン侵攻の時にアステカの宗教で崇められていた女神とオーバーラップされながら先住民達にも受け入れられていった神の子の母だ。布教の時に言い伝えられたきたグアダルーペを巡る物語がある。
先住民のファン・ディエゴ君の前に聖母は現れ、「ここに寺院を建てろ」と言う。
そう言われたよ、とファン君が司祭に言ったって、司祭はおいそれと信じない。
すると聖母はファン君に12月には咲いていないはずのバラを手渡す。奇跡の証としてそのたくさんのバラを大事にマント包み、ファン君は司祭の元へ急ぐのである。丁度その頃ファン君の叔父さんが危篤状態だったのだが、聖母はそこに現れ病気を治していた。司祭のもとに着いたファン君が、司祭にバラを見せようとマントを広げると金色の光がはじけ、マントに聖母が浮かび上がったという。奇跡を目の当たりにした司祭は早速寺院を建立。
それがこのグアダルーペ寺院だ。
この物語の通りに寺院は建てられ、またその伝説のマントもここに現存している。
この奇跡が事実かどうかを問うのはは野暮な話だが特筆すべきは、
このマントの素材である竜舌蘭(サボテンの一種)は、通常1世紀でボロボロになるのに、
16世紀経った今でも張りが失われていない。そのマントに浮かび上がったグアダルーペの姿は、
分析した結果地球上に存在しない成分で描かれているという。また、そのグアダルーペの瞳には
その伝説時にグアダルーペの眼前に立っていた、司祭と通訳3人が映っているというのだ。
ひえーまじですか、と。それは一応観ておくべきでしょう!

 地下鉄を上がると、もう寺院はどこですか?と聞く必要のないくらい人々の群が寺院へと伸びている。
長い行列の端々には神様グッズの露店が並び、何でもないこの日もお祭り気分だ。
例のマントの前に人々が立ち止まってしまい、スムーズに拝観が出来ないので、「動く歩道」を設置したと聞いた。
それも見たいではないか。教会でお祈りした後、マントが奉られている所を探すが、なかなか見つからない。
人々に聞いてみるが、何度そこへ行ってもマントはない・・・。
それもそのはずで、「マント」その物があると思いこんでいた私達には全然目に入っていなかったのだが、飾られているのはマントではなく、その絵が浮かび上がった部分を額縁に入れ絵のように飾ってあるのだった。
そう言われてみれば目の前には歩く歩道・・・。っつうか、超短いベルトコンベアー?距離は3m位しかなく、結局長くグアダルーペに会いたい人達はこの歩く歩道の両脇に溜まってしまっている。
そのベルトコンベアーの両端で人々は涙を流し、祈りを捧げているのだ。
だってこの3mじゃなんとも充実感がないもんな。一応往復2通路の歩く歩道だけど、行って帰ってだから何?・・・的な気分につい笑ってしまうではないか。それでも何往復かしてみましたが。
泣いている人達の間でなにやってんだか。
厳かな空気流れる中、ふと私の横で泣きながらお祈りしているおばちゃんを見ると、ポケットを探っていた手がレシートみたいな紙を見つけたらしく、斜めになって泣いているその姿勢のまま手だけがすごい勢いで動いて、ペーッとその紙を捨てた。あ・・・おばちゃん、公共の場でそんなゴミを・・・。
しかし彼女は、そんな事より何より集中して何かを祈っていて、さらに涙を流していた。
嗚咽と共に祈る信心と公共道徳はまったく別物である、と体現されてしまって軽いショックが・・・。
んで、肝心のグアダルーペは高い位置に飾られていまして、目に映っている司祭や竜舌蘭の繊維など、その事実を目の当たりにすることは出来なかった。帰り道、ローストチキン屋で昼食。
また地下鉄に乗って市場を軽く見て、梱包材を買ってドミへ帰った。
 
 晩御飯に、スーパーのお寿司を食べてみる。メキシコ人が考える「Sushi」っていったいどないやねん。
それは・・・不思議な食い物だった。海苔も日本のと一緒、お米もまあまあがんばりました。
中身はアボガドとまぐろ、んで、それをレモン醤油で食べるのがいかんせんなのですが、でもでも、それだけだったら別に美味しいはずじゃない?でも変なのだ。
酢飯も海苔も中身も全部が口の中でバラバラにアピールしてくる感じ。
よく美味しんぼなんかで「味がバラバラで・・・」なんて言ってるけど、なるほどまさにこの現象だ!と納得したくらい。
そしてみそ汁替わりにまるちゃんのカップラーメンを食べる。
相変わらず沸点の低いお湯で中途半端なふやけ具合だぜ。標高が高いから、こっちの沸点は80度。
だからスパゲッティーはどんな一流イタリア料理店でも美味しくできない。
ま、スパだけじゃなくてたぶん麺はほとんどダメじゃないかな〜。
そうそう、こっちのカップラーメン、概念はスープなので屋台なんかでオーダーするとフォークじゃなくてスプーン付けてくれる。スプーンでカップ麺・・・これはゲームか?と思うくらい集中力を必要とする。
私はメキシコで裂き割れスプーンを売る計画を真剣に考えるね。さて、バラバラでふやけた食を終え、先生を振りきって女の子部屋でいつもの修学旅行ナイトを満喫。

11月07日(木) メキシコシティ 沸点は80度

  残念ながら、メキシコで眠る日も今日で最後。ああ、ほんとうになんだか帰りたくない。
でもバラバラじゃないSushiは食いたい。
ともあれ、最終日は絶対に仕事しないと決め、今日は自分のために市場へ行く。
そう、それは世界最大の靴市場だ。「男は靴で決まる」と言われるほど靴に拘るメキシコ人。
自慢の革靴はウエスタンブーツでも有名だ。市場に着くと、皮の匂いが一面に広がっている。
狭い通路を通るだけでも一苦労。最初の角を曲がって目に付いた茶色のブーツを試着させて貰う。
オヤジはものすごいデカマッチョで、強面の顔で「本物の皮だぜ」とブーツに火を付けて見せたりする。
「じゃ、下さい」と言う私。世界最大の靴市場を直進一曲5mで終了。
桜井は「な、なんだよ、もう決めちゃうの?信じられん!」と言ったが、こんなにいっぱい靴屋があっては何もないのと同じ(意味わかんないけど)しかも激安。オヤジ怖いし。
ビニールにブーツを放り込む。しかし、さすがにこれじゃ寂しすぎるか・・・ダーへのお土産靴を探す。
しかし、これもさほど時間を掛けずにかなりのお気に入りをゲットした。
買い付けも早いが、自分の買い物はもっと早い。世界最大の靴市場30分で終了。
う〜ん、まだまだもったいないよなさすがに。
いろんな方向から欲望を刺激しようと、ついついウエスタンブーツまでも物色。
ひやかし半分だったのに、だんだんその気になる。頭をよぎるのは税関だ。
皮製品の履き物は、引っかかったら税金がもんのすご〜く高い。
3足の皮靴だけならお土産と言えても、おびただしい買い付けの荷物と一緒に入国するんだから「これだけはお土産ですよ」って通用するのか(本当なのにさ)。
ま、心配よりも欲望は勝って「・・・履きこなしたら尊敬するよ・・・」と桜井に言われながら蛇の鱗と牛革のウエスタンブーツを購入。

 桜井は本当にノーペイでハードな日々に貢献してくれた。それはもう言葉では言い尽くせない感謝なのだが、体で返すわけにもいかないので、今日のランチは超豪華ステーキを奢っちゃうことにした。
プロレスラー御用達のその店は昼日中からお姉ちゃんの半おっぱいと半ケツが見られる。
しかし勘違いしてはいけない。見られるけど触っちゃだめだ。なぜならウエイトレスだから。
ここのウエイトレスになるなら、美しくないと面接通らないらしい。
ホントにメキシコ・・・美人にもいろんなタイプがいるもんだ。髪の色、目の色、肌の色、むっちり、ほっそりエトセトラ。
巨大なTボーンステーキを食べ、おっぱいと尻を見、綺麗なトイレを2度も堪能。支払いはカードで。ああ、飽食。

 飽食の後は文化芸術鑑賞。国立人類学博物館へ。もちろん我々が目指すのは民族学コーナー。
先住民族の手織や刺繍、その技法や素材などを調べておかなくてはならない。
立派な建物の中には、同じ服装の子供達がウロウロ。社会科見学らしい。
まあ、奴らは目の前の遺跡よりもへんちくりんな外人の方が珍しいらしくて、側に来てはひゃっひゃ言い、はろう、と言ってみたりぶつかってみたりと鬱陶しい。遠く離れてもこっちを見てるようなので、手を振ってみたら、なんとクラス全員が振り返してきた・・・。それにしても、民族学へ行く前から結構面白く見入ってしまう。
アステカ文明の遺跡や、動物や人を形取ったデザインなどのセンスが、今のメキシコにもそのまま生きているのだ。
桜井は大学で立体もやってたから、さぞ面白かっただろ。
一日じゃ見切れないと言われた博物館に堂々とランチ食べてから来たので、そうゆっくりも観ていらない。
取りあえず、調べ物だけ先に終わらせようと民族学コーナーへ上がる。
そこでも、また同じ驚きが待っていた。何千年も前に作られた食器は、今でもそう変わらない形で使い続けられている。
パッツクアロで買ったわら細工のブタ貯金箱なんて、今売ってるやつがそのままウィンドウの中にいるのだ。
衣装や塗り、布なども素材こそ多少違うが、デザインは寸分違わず昔のまま。
変わっていくことには必然があって、やはりより便利に都合良く物は進化していくのだと思う。
気候の変化の厳しい国ほど発明が産まれる、と以前に何かで読んだことがある。
日本がしゃにむに発展を目指してきたのも、この四季を快適に乗り越えていくためだったからかもしれない。
考えてみれば、日本の四季は穏やかなものではない。小さな国なのに北から南までの気候の差は激しく、1年を4つに分ける短いスパンの中であらゆる天災を体験しながら1年をやり過ごしているのだ。
その反対に常春のこの地では、生活を変えていく必然がなかった。
日本の方が発展してきたとか、そんな事を言いたいのではない。確かに日本がんばった。
天災を自覚しなくなったほど快適に暮らせる国になったのだもの、先人の苦労は計り知れない。
そしてここメキシコでは、またそれがメキシコらしいのだ、と変わる必然のなかった物達が語っているようでならない。
どこからやって来たのか人種のルーツも不明瞭なメキシコ人。
彼らを太古から現在まで繋ぐ1本の糸、それは唯一持ち続けた変わらない営み、生活という文化ではないか。
顔も見たこと無い自分のひいひいひいひいひいばあちゃんも、同じ器でご飯を食べてたなんて、なんとも不思議でなんだか嬉しいではないか。と、感慨に耽る・・・。
耽りながらも屁タレなので更なる研究は出来ずにお茶を飲む。
遠雷が聞こえてからオープンカフェにはまもなく雨が降って来た。
本当に最後だと思うと、ちょっと寂しくなる。カフェを出て震えながらタクシーを捕まえようとするが叶わず、適当にバスに乗った。バスで雨雲を追い越して、後は歩いて帰る。迫り来る雨雲より少し先にドミに到着。

 かおりちゃんが怒っている。怒っているかおりちゃんの背中の向こうから先生が私達に「飯が出来てる!」と声を掛けてきた。オアハカからようこちゃんも帰ってきてるし、きっと晩御飯は私達が何を食べたかろうと、先回りして何か作っちゃうんじゃないか?と思って豪華ステーキをランチで食べておいたのだ。
メニューは沸点の低いスパゲティー。
で、問題は沸点ではなく、そのソースの味見を、先生はかおりちゃんに頼んだらしいのだが、ディナーにはご招待していないのだ。別にかおりちゃんだって、スパゲティーが食べたくて怒ってるんじゃない。
どうしてそんな事が出来るんだろうって事だ。ソースを作ってる間はかおりちゃんの協力に甘えて和気藹々としていたのに、それを食べさせる人の選抜で協力者を落選させるって、確かに大人にゃあ出来ませんわな。
「おーい、早くしないとさめちゃうぞー♪」と先生。
「はーい、って言って、かおりちゃんとしげおちゃんが嬉しそうにテーブルに並んじゃったら?」と言って一同笑った。
そのぐらい、わざと無自覚さ装ってやっつけないとダメだわ。独身の女の子(若い順)にしか世話焼かないんだから。
それがちっともサービスになってなく、ちょっとみんな鬱になる位嫌がってる事にぜーんぜん気づいてない。
やはり無自覚に対抗するには自覚的無自覚しかない。
この先生って人は、女の子にしか珈琲入れてくれないんだけど、珍しく、先生がしげおちゃんに珈琲を勧めた事があったらしい。「結構です」って出かかったんだけど、ふと断らずに飲んでみようかとしげおちゃんは思い直し、それを丁重に戴くと、なんと女の子達の飲み殻で作ったうっすうすの珈琲だったそうだ。そ、それって悪意?そんな橋田寿賀子なドラマティック嫁姑的出来事って、旅先ではなかなか体験できませんわなー。
・・・なんて、井戸端でそんな事を小声で話している事自体すでに橋田寿賀子的。
「ちょっとだけしかいりませんよ」とブツブツ言いつつも小さく盛られたスパゲティーを速攻で戴き後片づけを済ますと、すたこら食堂から逃げた。
 部屋へ戻ると、アメリカ不法滞在で逃げている吉田親子がべろんべろんに酔っぱらって私を呼び出しに来た。
親子は酒に酔いながら、話に酔いながら、涙に暮れながら、私に1通の手紙を託したのだ。
「日本へ行ったら、ポスト投函して下さい。」と。「心配なので、ポスト投函と同時に送り先へ電話もして下さい」と。
「はい、分かりました。大事にお預かりしますね」と部屋に帰り、貴重品入れの中へ手紙をしまった。
それを見ていた桜井が「だからさ〜大事な用なら自分で電話しろっつうんだよな」と言った。
「は、それもそうだ」とやっと目覚めた私。
「日本の番号に001ってすれば電話できるんですよって言ってるのに、酔っぱらっちゃってて意味分かってないんだよ〜あの人達。」桜井がぼやく・・・。
そうだよ、ここから本人が電話すりゃ3分で済む用事なのに、やけに大事な用事となって私の所に転がりこんで来ちゃって・・・帰りに自由に死ぬことすら出来んじゃん。意味不明の最重要事項。
「遠いからなんだか大変」っていうよく考えてない酔っぱらい吉田親子と、疑わず同じ目線で話し込んでいた自分にびつくり。あ、口から出てくる気化した酒に酔わされたか?涙のトークに酔わされたか?
ま、「私は人が良い。っていうか、良い人?」と思うようにしよう。

11月08日(金) メキシコシティ バイバイメヒコ最終回

誰も起こさないように、そーっと出ようと思った早朝なのに、お見送りをしてくれようと同室のちーちゃんもようこちゃんも起きてくれた。寝ぼけてるようこちゃんに「もう行っちゃったよ」と桜井が言うと「しまった〜失態や、最悪の失態や〜」とノーメイクで狼狽するようこちゃんはかわいかった。
60kgの荷物を自力では動かせないので、前の晩にしげおちゃんに頼んでおいた。
ちゃんとしげおちゃんもかおりちゃんも起きて来てくれた。静かに荷物を下階に降ろして、ドミを出る。
外はまだ薄暗く、空気が青い。
「この時間のタクシーはボルからなー」と良いながらしげおちゃんがタクシーを捕まえてくれた。
桜井が交渉すると何という事も無げにメーターで行ってくれると言う。
「さい先良いじゃん」と小さなワーゲンに無理矢理荷物を詰め込んだ。
「それじゃ!元気で!私はいつもHPにいるので!」「またね!」みんな小さくなるまで手を振ってくれていた。
そして私の隣には桜井。桜井はまだまだ旅を続けるつもりでいるが、私を放っておけないので付いてきてくれている。
「へー、そりゃご苦労さんだな」と先生にも言われてた。
この国はまるっきり初心者の私だが、そんな煽りに乗って一人で動く程アホではない。
旅人にはみんなそれぞれ得意な国があって、ガチンコすると自慢話と武勇伝合戦になる。
そう言うのってとっても面倒くさい。
特にドミに長期で滞在している人達は、その話の為にいるみたいにずーとさるかに合戦してる。
どうにも太刀打ち出来ない初心者の自分が、かえってすごく楽ちんで良かったなあ。
空港までさほど遠くもなく、道もスカスカ。こりゃ時間がいっぱい余るかなと思いきや、巨大な荷物を持つ乗客の長い長い行列が出来ている。でも、私の荷物が一番大きいかも・・・と少し不安になった。桜井が前に並んでいるおばちゃんと喋っている。
「あつこちゃん、このおばちゃんの荷物持ってみい。100kgあるかもって本人は言ってるぞ」と大きめのスーツケースを指さした。おばちゃんも持ち上がらないリアクションを見せてくれる。
なんだか不安が顔に出てたらしい。1時間ほどかけてやっとチェックインカウンターへ進めた。
たくさん買ったシルバーも金属反応せず、心配事は一気に解消されていった。
入国審査も問題なし。と、ここにもまだ桜井が。
ウズベキスタンで入国審査をビカちゃんと一致団結で乗り切ったことを思い出す。
またしても、一緒に出国しない友人の保護のもと無事に全手続きを終了した。
「30分くらいだけど、お茶でも飲むか」スターバックスの珈琲を飲む。「精算しようぜ」と私がタクシー代と珈琲代を渡そうとしても桜井は受け取らない。
「なんだよ、訳わかんないな、だって、帰りのタクシー代だって私が持つべきなんだぞ」と言っても受け取らない。
どうやら昨日のステーキを申し訳なく思っているようだ。もう30分しかないのに、そんな事しててもしょうがない。
日本に帰って埋め合わせるから、とお金を引っ込めた。
「これで最後だね」なんて言うと恋人とのお別れみたいだけど、ホントにちょっとそんな感じだ。
高校時代は同じ教室にいたものの、まったく違う友達と遊んでいた私達。
でもなぜか旅を決めたときに思った「こいつなら大丈夫」と思い、また確かに旅はとても楽しいものだった。
「本当にお世話になりました。とても楽しかった」
いろいろすれ違いがあったとしても、最後に素直な感謝を口に出来ることが嬉しい。
一服してうんこしたら30分なんてあっと言うまだ。荷物を背負ってエスカレーターに乗った。
「じゃあね!」桜井が遠くなる。
すぐに日本で会えるのに、ちょっとぐっと来てしまった。
最初に会った時から18年。
お互い30になるまで顔も見てない。そんな変な時間軸の中で出会ったり別れたりする人だから、
ここという場所とこの時間の桜井にはもう会えない、と思ってしまったのだ。当たり前のことだけれど・・・。

 数日後、桜井からメールが届いた。そこには、こう書いてあった。
 あなたが去った後、いまだに私は「私」ではなく「私たち」という 動詞をつい使ってしまいます。」
 
 桜井・・・・

 それを言うなら動詞ではなく主語だろう・・・

※スペイン語は、複数に対しての動詞があるので、間違いじゃないんだって。

もうけっこう
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