記念すべき新婚旅行の南イタリアがメインだったような気がする
買い付け日記じゃなくてごめんね


第13回下 南イタリアのおまけ
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 10月15日〜16日 ローマ

早朝。テルミニ駅に到着すると、小雨がぱらついている。
ネットで予め予約しておいたホテルまでは徒歩10分くらいなのだが、雨はますます強くなる雰囲気だったので
駅構内にあるベネトンで一番安い折り畳みの傘を買った。
ひとまず、何も感じない。初めての国へ降り立つと、どれだけあちこちの国へ行っていても怖い。
その空気の違い、人の顔の違い、建物の威圧感などにびびる。が、さすが近代国と言うべきか、傘をひとつ
買うにしてもカードを渡すだけで済み、今まで訪れた何処の国よりもファーストインプレッションが弱い。
傘を差し、ゴロゴロとスーツケースを引っ張って「トッチの家」へ到着。今日の宿だ。
リラからユーロに変わった影響もあるのだろう。物価が高い。特に日本人にとって現在のユーロのレートはいたたたた
・・・と言ったところ。特にホテルは高くてモニタをどれだけ睨みつけても頃合の良い値段は見つからなかった。
他よりも少し安めで、小奇麗な写真と「朝ご飯はトッチ母さんの手作り卵料理が素敵」とコメントのあったここに決めた。
大きな扉の前で「トッチの家」の番号を探しブザーを押す。そう、ここは所謂ホテルではなく、大きな扉を持つアパルト
メン。空いている部屋を貸してホテルとうたっているのだ。つまり民宿のようなもの。
トッチお母さんは、まったく英語が喋れず「はー、うー」と困惑気味に私達を迎え入れた。
中に入ってもホテルらしくなく、普通のお宅にお邪魔した感じ。まだ朝が早すぎて部屋の準備が整っていないので、
荷物だけ預かってもらい、さっそく町へ出ることにした。鍵はトッチ家の扉と、アパルトメンの大きな扉のと2つ。
使い方を聞いたにも関わらず、思ったように鍵が回らない。うんんんんんーーーー?
まごまごしていると上の階に住んでるダスティンホフマン似の兄さんが降りてきて、ちょいちょいと開けてくれた。
グラッツエ!ありがとうと言うと「プレーゴ。君達は日本人?あー、そうなんだ。オレの彼女も日本人だ」」と英語で
話し軽く手を挙げるとヘルメットを被りバイクでご出勤された。冷たい雨の路上に2人。ちょっとさみしい。
駅から今来た道を戻る。駅前は出勤ラッシュが始まって賑わいを見せ始めた。きっと駅の側なら朝ご飯が食べられる
だろうと歩いていたら、先を行くダーちゃんが突然女の子ともみ合っている。何か柔らかいものを揉み合っているなら
素敵だけれど、つまりは諍いを起こしているのだ。私はぼんやりしていて事の次第を理解するのに時間がかかって
しまったんだけど、確かにここを通りがかる時に変な感じはしたのだ。
数人の女の子がダンボールを持って道の両脇に立っていた。その真ん中を通り過ぎた時に事件は起きた。
大学生くらいの年齢だったからプラカードかなんかかなと、勝手に想像させられたそのダンボールには、
やはり何やら字が書いてある。それを見せるようなフリをして近づいて、そのダンボールの下でダーちゃんのバッグに
手を突っ込んだのだ。もう一人の女の子が気をそらすために、自分の手のひらにキスをしてそれをダーちゃんのほっぺ
にくっつける。唇とほっぺを往復するキッス。チュッチュッチュッチューとその早いことったら。
で、ダンボールの下の手を振り払い、悪意に濡れたキッスを避けて、ダーちゃんは暴れていたのだ。
振り切って小走りにそこを後にし振り返ると、まるで悪びれた様子もなく彼女達はまたダンボールを手にその場に
立ち続けている。イタリア名物の手口らしい。しかし、ここへ来て一時間もしないうちにスリに遭遇と言う事実に、
これから先が思いやられる気分。しょぼーんとしてしまった。気を取り直してカフェに座っても、なんだかしょぼーん。
それでもがっついた観光客である我々は、義務のように名所を歩き回る。
観光地は絵葉書のようで現実感がなく、食事はシステムがよく理解できずに適当に済ませて(美味しいのは
言うまでもないが!)なんだか心をどこかに置いたままローマのシュミレーションゲームをしてるみたいで
感受性がぼんやりしてる。ちょっと疲れているのかな。日が暮れて来るとさっそく暗闇からは怖〜い雰囲気が
漂い始めるので、早めに夕食を済ませてトッチ母さんの所へ帰った。
また入り口でうーーーんん、と鍵を回しているとダスティンホフマンがお仕事から帰って来た。
「一緒に入ろう」と簡単に鍵を開け、ウィンクして二階へあがっていった。ぐ、グラッツエ。
「ただいまー」どうせ英語も通じないのでダーちゃんは日本語だ。
お部屋はここよ、と通されてこれまたびっくり。あのHPに載っていたのはどの部分なのだ?
小さな部屋には真ん中のへこんだベッドがひとつ。シーツはなぜかトロピカル。わたせせいぞう風だ。
何よりすごいのはシャワールーム。普通の部屋に簡易シャワーが置いてあるのだ。水はなぐさめ程度の量で
シャンプーがいつすすぎ終わるのかは、神をも知らないと思われ。
HPでは陽射しの差し込んでいた素敵な窓。開けてみると隣の飲み屋の室外機と酔っ払いの笑い声だ。
いろいろ観察すると疲れそうなのですぐに目をつぶり、寝てしまった。

お母さん自慢の卵料理は出なかった。一般的なイタリアの朝食らしく、カプチーノと甘いクロワッサン。
サービスなのかチーズにジャムが並んでいる。それが廊下の一角に不自然に設置されたテーブルに並ぶ。
起きた人順に朝ご飯だ。深夜には列車で南へ向かうため、また荷物だけ預かってもらう。
「行ってきまーす」取り合えずのように、しかし十数時間は帰れないお出掛け。
その日は朝からちょっと体調が悪かった。何度もカフェに座ったり、座れる所を見ては腰掛けていたが、気分が悪い。
こんなに具合が悪くなるとは思わなかったし、あの部屋をデイユースするのは意味がないと思っていたのだ。
でも家を出てからすぐに、深夜まで横になる事なく町をさまようのは少し無謀な気がした。
ローマのカフェでトイレを借りても便座がない。冷たい陶器の便器にお尻が触れないようにしっこするだけで
とても疲れる。三越など行く人の気が知れないと言ったのはどの口だ。三越のトイレは日本仕様で最高。
観光も勢いで済ませてしまえば、もうすぐに私たちは行き先を失ってしまった。
辿り着いた教会で肩を寄せ合い一時間ほど眠った。まるで家なき子だ。うううぅ、それでもまだまだ今日は長い・・・
夕方、ディナーに向かう元気も食欲もなく、ただ疲れて駅のカフェに入ると、私は椅子に座ったまま貧血を起こして
しまった。座って貧血起こしている人が次にとるべき姿勢は倒れるしかないわけで。
どうしよう、こんな所で突然寝っ転がったらクレイジーモンキーですよ。
テーブルにつっぷしてしばらく耐える。長い長い沈黙の時間。流れる汗、耳鳴り、暗闇。
ついにはお腹に悪魔が降りた。お腹の中から遠雷が聞こえる・・・・立ち上がって貧血で倒れるか、
座ったままうんこもらすか、立ち上がって貧血起こしながら倒れてうんこもらすか3つに1つです。
さあ、あなたならどっち?
取り合えず立ち上がってみた。キーンと耳鳴りがするけど勢いで歩いていったらなんとかなりそう。
カフェにトイレはない。駅のトイレへ行くしかない。広い構内を歩き、エレベーターを降りる。
駅のトイレは有料だ。キレイであればそれもまた良いでしょう。しかし使える硬貨が限られていて、
その両替をするのに並ばなくちゃならないのはご勘弁。あーーー、もう、お腹の悪魔は今遠くにいるけど
目の前がまたチラチラして来ちゃった〜。ぎりぎりで便座に到着。有料だと便座がある・・・
カフェへ戻り、お会計をして早すぎるけど荷物を取りに宿へ帰った。もしかしたら少し横にさせてもらえるんじゃないか
と淡い期待もあった。ダーちゃんが鍵を開けている間、階段に座っていると、ダスティンホフマンが帰って来た。
「やあ、どうしたの?」と問う彼にダーちゃんが、なんとイタリア語で「貧血」と言った。
私がトイレに行っている間に、もしもに備えて調べていたらしい。「ふうん」とダスティンは興味なさそうに答え
「今日はさ、俺は独身だ!彼女が日本に帰ってるの、もう何しようかな〜超のびのび気分!」なんて
自分の話をしている。扉が開くとダスティンは先に階段を上り、二階へ行くのかと思ったらトッチお母さんの
家のドアを叩いている。談笑しているようだが、どうやら私の状態を報告してくれているのだ。
お母さんは笑いながらコッチコッチと手を振った。ダスティンも一緒にお母さんの家に入った。二人はもう関係の
ない話で盛り上がりながら、朝食の時に座っていた廊下の一角になんとなく私を座らせる。
そしていつものように手を上げてダスティンは自分の部屋へ帰った。グラッツエ・・・プレーゴ〜♪
お母さんは私に「水飲む?」と聞く。「飲む。ガス入りの下さい」必要最小限のイタリア語はローマの家である
トッチお母さんの家で一番役に立った。「もっと飲む?」「飲む」「もっと飲む?」「もういらない」
ダーちゃんと世間話をする合間に(ほぼ一方的に彼女が話し続けているのだが)グラスを見ながら、一回ずつ
聞いてくる。そして「もういらない」と言ったらすぐにコップを洗ってしまった。「少し何か食べる?」と甘いクロワッサン
を見せる。「うん」と言ったのに一口しか食べられない。いつまでも口の中でなくならないパンを飲み込む苦労を
見ながら別の話をしている。「あららら!大変、かわいそうに・・・ささ、横になって、いいのよ遠慮せず!」
日本のおばちゃんの言いそうなセリフが思い出された。全然違うのだ。ダスティンも、お母さんも、具合の悪い人に
ほとんど干渉しない。求めた事だけをやってくれる。日本のおばちゃんも優しいと思う。でも、表現の違いは
面白いもんだなあと思った。具合の悪い人に、過剰に干渉しないこと。具合の悪い人が遠慮したり、
居心地の悪い思いをしないように、目に入っていないフリをするのだ。神妙な様子で顔を覗き込んだりしない。
「こっちは楽しくやってるから、のんびり治せよ」と言うスタイル。実際、放っておかれるのは楽だった。
そして、それでも優しさは充分に伝わってきていた。宿は最低だけど、お母さんは素敵だ。
もし横になりたかったのなら、そう言えば良かったのだ。求めたならお安い御用だったのだろう。
時間より早かったが、動けるうちに動こうとスーツケースを引っ張り出した。
トッチお母さんは相変わらず「送っていこうか?車だそうか?」などと言わない。
求められてもいないこと無理な事はしないのだ。
笑顔で軽く抱きしめてくれ、食べかけのパンを適当に包んで私の手に持たせた。

列車が到着するまでの間、バーで座っていた。貧血騒動でダーちゃんは晩御飯を食べ損ねている。
「何か食べて」と言うと席を立ってサンドイッチを作ってくれるカウンターまで行くのだが「なんだかやめた」と
帰ってきてしまう。イタリア人のように「こっちは美味しく食べてるから早く治せよ」くらいの感じで良いんだけどね〜
私は小さいヨーグルトを頼んだ。ウエイトレスのでらかわいいお嬢さんは「ヨーグルト、フィニッシュ、アイスクリーム
OK?」と言う。届いたのは信じられない大きさのフローズンヨーグルト。思わず「グランデ!」と叫ぶと
「うーん、ディス、イズ、イタリアン、ミディアム!」と最後は跳ねるように笑った。かっかわいい・・・。
ローマだったら英語でほとんど問題ないよと言われていたのだが、思っていたよりも問題あった。
そんなローマともしばしお別れ。
列車は南へ。寝台列車はイタリア人のご夫婦と同室で。芦屋雁之助と太地喜和子たいなご夫婦だ。



 10月17日 パレルモ

コンパートメントは、二段ベッド式のものではなく、座席を引っ張り出すと足が伸ばせるようになるお座敷風。
くたくただった私達は乗り込むなり、挨拶もそこそこに眠り込んでしまった。暑かったり寒かったり、雁之助がトイレに
行ったりで目を覚ます以外は爆睡。その私の腕をむんむんと引っ張って起こし、窓の外を指差す喜和子。
イタリア語でなにやら解説してくれている。大きな建造物が見える。「おおー、グラッツエ〜」何を見たか解らないが
その配慮にお礼を言った。ローマから12時間後は世界で最も美しいイスラム都市パレルモに到着する。
メッシーナ海峡を渡る際には、ヴィッラ・サン・ジョバンニ駅で車両が切り離され、列車は丸ごと連絡船に乗せられる。
列車が連絡船に乗るなんて!死にかけでも絶対に見たかったのだが、暗闇の中軋むレールの音が鈍く響くだけで、
何かをやってる雰囲気しか分からなかった・・・。やがて空が白み始める。
身支度を整えて雁之助夫婦が列車を降りていった。私達もそろそろ・・・と、敬遠していたトイレへ行ってみる。
ラテンの国はなぜ鍵が甘いのか。メキシコ同様、トイレはけっこうキレイに使われているものの、鍵がうまくかからない。
さりとておしっこをしないわけにもいかない。一瞬で済まそう・・・。ごそもそごそもそ急げ急げ。
よし、もうちょっとでパンツ上げ完了、と言うところで残念!扉を開けられてしまった。
扉が開いたその瞬間にタックルする様に扉を押し返したのだが、その時、相手と目が合った。これまた残念。
若い男性であった。ううう・・・体がくたくたなうえに恥をさらし、もう私はボロ雑巾だ。
そんな事を知らないダーちゃんが、トイレから戻ってくる私の姿をパチリ。世界で一番淋しい顔をしているスナップ。
あまりに淋しそうで公開すると売り上げが下がりそうなので控えておきます。
シチリアで一番大きな都市パレルモ、とは言え駅はこじんまり。でもちゃんとマックがある。マック最高。
なんてたって座ってお茶飲むだけで10ユーロ(1400円程度)は確実に飛んでいくこの国において、座り賃取らないで
お茶飲ましてくれるのは世界共通マニュアルのある大手チェーンだ。「どこで食ったっておんなじなのに、なぜ旅先で
マック?」なんて言ったのはどの口だ。マック最高!ちょっとマックで休憩してから地球の歩き方を開き、今夜泊まる
ホテルの目星をつける。何しろ仕事しっぱなしで上陸したので、何の勉強もしないで来てしまっている。「地球の歩き方
で周る旅行なんて、もはやツアーと変わらない」なんて言ったのはどの口だ。地球の歩き方ありがとう!最高!
今、地球の歩き方なしには生きられない。まじで。
駅からはやや遠いし、シャワーブースも笑えるくらい小さいが、ちゃんとお湯の出る清潔なバスルームと、へこんでない
ベッドのあるお部屋へどうにか辿り着けた。一泊85ユーロ。服も脱がずにそのままベッドに倒れこんだ。もう限界・・・。
それでもお腹は空くのである。空腹で目を覚まし、やっと街へ出る気になった。何しろゴッドファーザーの街である。
少しでも明るいうちに夕食を済ませたほうがよかろう。駅に向かって歩いていく。いつかレストランの立ち並ぶエリアに
出るだろうと思っていたが、いくら歩いても食べ物屋さんがない。それどころか、店という店が閉まっている。
街が死んでいた。なぜ?!あ!そうか、今日は・・・日曜日!
イタリアはシエスタ。ランチと夕食の間はどのお店も長い休憩を取る。そして日曜日も観光客の敵なのである。
気をつけてないと日曜日は飢え死にするぞ。
やっと見つけたバールは腹を空かした観光客で満席だ。うつろな目でウロウロしていると、ジャッポーネ!と声を
かける人達。もう良い気分で酔っ払っているようだ。挨拶がてら近づいていくと、彼らがいっぱいひっかけてる酒屋の
後ろに小さなレストランが見えた。このエリアは生臭い。恐らく平日は魚の市場なのだろう。
レストランには前菜用の大皿が並んでいる。「ボナセーラ!」陽気なおやじが席を勧めてくれた。
屋根がかろうじて付いてるくらいの、本当に小さなお店だ。場所のせいでハエが絶え間なく飛び交っている。
メニューを見ていると大きなお皿を持って来て「その辺のもの食えよ」と言う感じで前菜を指差す。
もちろん英語は通じない。何も考えず適当にハエのたかってる前菜を取ると「ワインは?」と聞いて来る。
ダーちゃんが赤のハウスワインをオーダーすると、すぐに
白ワインのビンに入った赤ワインを持って来た。
「さ、パスタは何にする?」「魚も食うだろう?」と、どんどんメニューを追加していく。あわわ、スィーもノも言ういとまなく
彼は厨房へ消えてしまった。らららら〜♪歌と共にジュジュ〜と何かを焼いている音が聞こえてくる。
壁に貼られているのは一面ピンクと黒のストライプ、サッカーチーム「パレルモ」だ。それから誰だか俳優さんの
撮影スナップ。歌いながらペスカトーレを持ってきた彼に、「これだあれ?」と聞いてみると息子だと言う。
おー!と言うと嬉しそうに笑った。それから私達がチーム・パレルモグッズを指差すと、姿勢を正し胸に手を当てて
「パッレールモ、パレールモ、パッレールモー!」と節をつけて叫んだのであった。おやじ素敵。
たった二人のお客にシェフはかかりきり。ほぼ勝手に作った料理をどんどん運んでくる。もうよしてくれ!
病んでなくても無理だぜこりゃ。前菜、パスタ、リゾット、スパーダ、トンノ、パン、ワイン、テーブルに載りきらない。
「ごめんなさい」と白旗揚げて、食後のカプチーノを頼むとエスプレッソを持って来た。
おやじはもうコースを自分で作ってちゃってんだ。
お会計をしてびっくり。ちょっと良いレストラン並に高い。つーか、おやじは良いレストランのつもりだし、
知らぬ間にとは言えコースを食べちゃったんだもんな・・・。「グラッツェ!」と元気に送り出された。
ぼ、ぼられたかい?
とにかく彼のハリキリぶりを見るとぼったってのとはちょっと違う気がするんだよな。
久しぶりに腕が鳴るぜ〜たのし〜って感じで下心なさそうだったし、まずありゃ自分の実力を疑ってないよな。
良いコースを作ったつもりなんだと思う。で、美味しかったかと言うと・・・・うまくはない。だっはっは。
それに関しては騙された。
でも初めてイタリアらしい、と言うか南男のゴツイ勢いみたいなものに触れられてかなり楽しかった。
ね、それでいいやいいや。




 10月18〜19日 パレルモ

体調を見ながら少しずつ散歩のエリアを広げる。
まずはパレルモでもっとも雑多で活気のある市場へ。昨日の閑散としていた街にも血の気が通る。
ピカピカの魚や、つやつやの大きな野菜たち!美味しそうなハムやチーズが並ぶ。
だが、まだ「イタリア」自体に馴れていない私達は、騒々しい市場の中で自由に遊ぶ事が出来ない。
目の前を景色だけが通り過ぎていくような感覚がまだ続いていた。
危険でもバスに乗らなければ思うように行動が出来ないので、まだ日の高いうちにバスに乗る練習を試みた。
ゴッドファーザーのラストシーンに出てくる「マッシモ劇場」へ行ってみよう。
お金はバスの停留所側にある発券所や、タバッキと呼ばれる売店で購入するのだが、これもなかなか要領を得ない。
停留所のおじさんに行き先を言って買うのは簡単。でも全ての停留所に発券所があるわけではなく、
途中乗り込みの場合はどうしたらいいのかな。ガイドブックを読んだり、みんなの行動を観察する。
なんだか、まともに切符を買ってる人はいなそうな感じもする。地球の歩き方をにらみつつ、バスを待っていたら、
ベンチに座っていたおじさんがイライラした風に私達の方を見ないで言った。
「困った事があれば聞けばいい!聞けば答える。イタリアーノは親切だ!」←訳わたし。
そうなのだ。馴れていないので頑なに自力で難関を克服しようとしてしまう。アジアにいたら「おばちゃーん教えて」
と言える所も、何故か考え込んでしまう。ささいな事なのに口が開かないのだ。
この「聞く」と言う事が出来ないから、なかなか実感が伴ってこないと言うのにはったと気付いた。
「あのね、ここへ行きたいんだけど、このバスでいいの?」と聞くと、ベンチに座っている人々がみんなで「シーシー!」
と答えた。わはは、みんな気にしていたのね。バスに乗ってあちこち回りながらもその視線に気付く。
私達が行く先々で彼らは声も掛けず見つめたりもしないが、意識をこちらに向けていた。
イタリアが私達を無視していたのではなく、私達がイタリアを無視していたのだ。
治安の悪い国で起きる様々な問題を回避する為に、誰も彼もを悪者と思わなくてはならないような、
そんな気持ちで旅をしてしまっていたのではないか。黄色人種としての気構えもあったと思う。
アジア圏を多く旅する私は肌の色で差別される事は少ない。ヨーロッパと言う響きにびびっていた。
肌の色が原因でいかなる差別を受けても、行動自体が馬鹿にされないようにしっかりしないと、と思っていた。
でもよく見れば南イタリアの肌の色なんて滅茶苦茶だ。ラテンの血が騒ぐ大らかさだ。ヨーロッパにありながら
メキシコに近い。そしてこの人たちはちっともしっかりしていない。そこがとても良いのだから同じペースで良いのだ。
夜はホテルのレセプションのお兄ちゃんにオススメのレストランを紹介して貰う。
何を聞いていたんだか、ちっとも辿り着けず諦めて駅前の食堂に入った。
メニューを見て驚く。あれ?安いね、ここ。車えびのロースト皿盛、いわしのパスタ、サラダを注文する。
げげげーうまい!げげげーと言っていると、目が合うたびに真顔でウィンクするおにいちゃんが寄って来て
今食べた物を日本語で書いてくれとマス目の付いたメモ用紙を持って来た。日本語で客寄せだ。
日本語に訳して書くのではなく、イタリア語の音をカタカナで書けという。
これを読んで、とメニューを見せられる。「ピッツアペスカトーレ」と読むと「パーフェクト、そのまま書いて」
まあ、この位なら日本でもお馴染みだから分かるか。でもそれはイタリア語でもわかるのだが。
なので書きながら何気なく「spadaは日本語で「か・じ・き」だよ」と下にカジキと書いておいたりした。
日本人は日本語でメニュー書いてるとこを避ける習性もあるけどね。
パレルモ駅近くのEnzoと言うお店。変なカタカナメニューが貼ってあったらそこよ。いわしのスパゲティーは絶品。
翌日は海の方へ探検に。しかし海には近寄れず、住宅街をさ迷っていたらガキに「アチョー」と言われた。
まだブルースリーかよ。「ナカタ!」もたまに。旅する田中さんに同情します。「ナカタじゃねえよ!」
旅でさ迷うのは苦しくてつらいけど必要な事だ。お陰で美味しいコロッケパンと遭遇。
さっと買ってその場でモグモグ出来るのがまずその国にお近づきになる第一歩だよな。うんまい!
夜はもう一度レセプションのお兄ちゃんに行き方をきちんと聞きなおして、再挑戦。
やっぱりちょっと難しいのよね・・・このレストランへの道。さっそくご飯帰りのスーツの男性に聞いてみる。
「ああ、ここならこっちじゃなくてあっち側、わかるかな」←訳わたし。
今度はその方角へ言ってからお姉さんに聞く。「はいはい、ここはこの通りを渡ってすぐ裏よ」←訳わたし。
誰一人英語は喋らないけど、聞かれた事には真剣に前かがみになって教えてくれる。小走りで着いて来たりして。
こっちもイタリア語が分からなくてもボディ語でちゃんと理解できるもんだ。
ちゃんとお店に到着できた時には、いろんな人に助けられてここへ来れた事が嬉しかった。
パレルモでやっとイタリアに少し触れた。
ここからが本当のスタートなのだね、と美味しいパスタをほお張りながら話した。



 10月20日 パレルモ→タオルミーナ

大好きになったワイルドなパレルモを後にして、シチリアと言えばここ、タオルミーナへ向かう。
シチリアのおやつで高校生などがいつもほお張っているアランチーニを、1個だけ買って列車に乗り込んだ。
アランチーニとはトマト・ひき肉、チーズなどがたっぷり入ったライスコロッケ。
スーパーや駅の売店で欠かさず売っている。でもなるべく美味しいところで食べたい。駅の側にあったお店は
アランチーニの専門店で、一坪ほどの小さなそのお店はいかにも街のコロッケ屋さんと言う風情が素敵だった。
買うならここで、と決めていたので、荷物をダーちゃんに預けたら走って買いに行った。
背の高い高校背に挟まって不憫な私に、お兄さんはウインクしながら「何個いるの?」と優しく聞いてくれる。
大きさはグレープフルーツくらいあったろうか。すでに食欲が減退している私達には、とても1個ずつは食べられない。
たっぷりの油で揚げられ、味も濃い。元気だったらもっと美味しかったのにな。
程なくタオルミーナの駅に到着。小さな駅にはバスの時刻表だけ貼られているが、路線がよく解らない。
早速、人待ちのタクシーが声をかけてきた。言い値はどう考えても法外。「バス待つから」と断ると
「そっちへ行くのはもうないよ」と言う。またまたそんな馬鹿な事を言う。強気で待つが・・・バスは来ない。
一緒に列車を降りた人々はもれなく迎えが来ており、呆然としている人なんていない。唯一、バスの時刻表を見ている
お姉さんに行き方を聞いてみてると「私も旅行者でわからないのよ」とのこと。やがて一台のバスが停まったが、
私達が待っていたのとは会社が違った。私達はパレルモで学習した鉄則を忘れていた。とにかく目をそらさずに聞く!
なのに、もたもたしては乗客に迷惑が掛かると思って、そのまま通過させてしまったのだ。
バスの運転手は私達を覗き込み、いかにも何か言いたげだったのに。もう一度よく調べてみると、やはりそのバスに
乗るべきだったのだ。イタリア人は旅行者がまごついていたって、腹を立てたりしないじゃないか。かと言って
わざわざ質問してもないのに答えを教えてくれたりはしない。ちゃんと聞かないと・・・。
ニヤニヤとタクシーのおやじが近づいてくる。このバスを逃したらもう1時間は来ないだろう。
仕方ない、少々値引きを交渉してメッシーナ門まで乗ることにした。道が不案内な時にはぎりぎりまでタクシーで
行ったほうがいい。なのでメッシーナ門で「観光案内で停まってね」とおやじにお願いすると、おやじはちょーっと
迂回して案内所の入り口に着け、交渉前の値段を持っていった。ケチぃ。
何はともあれ、やってきましたタオルミーナ本丸。私が想像していたタオルミーナは、素朴な人々、素朴な料理、
海と白い砂の漁師町だ。「カオス・シチリア物語」「グラン・ブルー」のイメージ。
だが・・・衝撃的なぐらい、、、か、軽井沢だった。
メッシーナ門の周りは山間で、石畳の細長い道沿いにブランド店がずらりと並ぶ。道を埋め尽くすのは旗の下に
集まる行列、アメリカやドイツからの観光客だ。集団でブランド店に群がっている。
ロープウェーで山を下ると高級ビーチリゾートのイソラベッラ。そこはグランブルーの舞台となった所で
もちろんそれを目玉に集客を計るホテルが立ち並んでいる。
うひー、どっちもどっちも高級リゾート。観光案内でホテルの値段を見たら、本当にお金が落ちて行くのは、
都会のローマでもなく、パレルモなんて問題外で、ここだな・・・と覚悟せざるを得なかった。
適当にホテルを見繕って、食事に出た。うにのパスタやいわしのバスタを食べたかったのに、素敵な男の子に
「ここ僕のお店なんだけど、是非感想を聞かせて欲しいんだ」と声を掛けられ、ちょっと興味を持って入ってみたら、
そこは残念ながらピザ屋。しかもなぜか海の幸はゼロ。そしてその男の子は経営者じゃなくてただの客引き。
うははは・・・と苦笑しながら山の幸満載のピザを食べて、近くのバーで一休み。
がんこそうな親父さんが切り盛りする小さなバーは、山間らしい石段の中腹に立てられていて、お店の中で
飲む人よりも、その石段に並べられた椅子に座って飲む人の方が多い。私達も風に吹かれて外に座った。
男らしいバーで、スィーツもなければ花も置かない。辛口の酒とピーナッツ。お腹いっぱいの私達には丁度いい。
「お勘定!」と、怖そうなお父さんに声を掛けたがバーにふさわしい小銭が全然ない!
慌てていると笑って「いいよ」と足らない分おごって貰ってしまった。わー申し訳ない。
それ以来、忠犬カミムラ夫婦は毎日ここへ通うことになる。
ホテルへ帰ってシャワーを出してみると、水がちょろり。パレルモの1.5倍高の宿代でこのパフォーマンス。
洗髪は諦め、ちょろちょろで体だけ洗っておやすみなさい。明日は絶対違うホテルへ行く。


 10月21〜22日 タオルミーナ

歩いて見つけたホテルは、イソラベッラの目の前。恐らくロケーションで言ったら最もゴージャス。
だけど、シーズンオフなので半額だったのだ。それでも、パレルモの2.5倍はするだろうか。
とても素敵なお部屋かと言えば、タイの中堅コテージ程度でなんちゅうこともない。
使え使え!あぶく銭じゃー!と壊れる。毎日「うにスパゲッティー」を食べる。海老を食べる。ムール貝を食べる。
それにしても余程日本人が「うに」「うに」と言うのだろう。リッチデマーレと言う立派なイタリア名前を持ちながら、
タオルミーナでは「うに」がどのレストランでも共通名称となっていた。
21日は私の誕生日だったので、高級レストラン「マッフェイズ」でダーちゃんがご馳走してくれた。
ここはダイバーが毎日潜って、食材を調達してくる。その日取れた物しかメニューにのぼらないそうだ。
もちろん「うにスパゲッティー」は欠かせない。そしてからすみのパスタも。
残念ながらこの二品はしょっぱすぎて四苦八苦したのだが、海老のグリルやサラダは申し分なく美味しい。
何しろ、サービスもトイレの清潔度もやはり一線を画している。気持ちいいことは確かだ。
ホテルを海辺へ移動したので、毎食ロープウェーで山に登ってくる。日中と夜間、また山の上と海辺とでは
信じられないくらい気温が違う。海では毎日泳げるのに、夜の山ではカーディガンでちょっと震えるくらい。
ご飯を食べ終わると、おじちゃんのバーへ行く。この日もお誕生日会の後おじちゃんちに寄り、道売りのバラを
買ってもらったのをおじちゃんに見せたりして。「新婚で、お誕生日だ!」と言うと「いいね、おめでとう!」と
渋く笑う。おじちゃんのバーのトイレは、びっくりするほど小さい。大男は扉を閉められないのでは?
おじちゃんに「ピッコロバーニョー!」と言うと「ピッコロピッコロ」と答えてくれる。「ちっさいトイレー!」と言うと
「小さい小さい」と答えてくれていると言うことだ。これを毎回やるが、毎回「ピッコロピッコロ」と言ってくれる。
そうやって毎日同じ様な日々を幸せに過ごしていたわけだが、退屈は幸せを分からなくさせるものなのだ。
冒険虫がまた疼きだし、ジャンレノも潜ったイソラベッラを取り立てのCカードで征服してやろうと企画。
それもライセンスカードを日本に送り返してしまっているのにだ。ホテルから見える小さなダイビングショップに
とぼとぼ歩いて行って「ライセンス今持ってないんだけど、潜っていい?」と聞いてみた。
「前に潜ったのはいつ?」「先々週かな?」「だったらOKだよ」「でもその前は5年くらい潜ってない。彼は前回の
潜りがライセンス取得だよ」「・・・」お兄ちゃんは笑って「まあ、なんとかなるでしょ。明日10:00ね!」
それだけで、イソラベッラに潜れた。
しっかし大変だった。潮の流れも穏やか、視界も良好。だけど深さのレベルはCカードを超えている。
かなりの深さを上へ下へと動き、さんご礁の間をくぐり、回転したりとそれはそれはアクティブに動き回った。
午前と午後の2本潜ったが、丘に上がったら何の役にも立たないベロンベロンの酔っ払いだ。
それでも列車のチケットを取りに駅まで行かねばならない。吐き気を催しながらバスで山を下り、
無事チケットを入手して晩御飯。でも何を食べたか良く分からないくらいで、歯も磨かず就寝。
私が歯を磨かないなんて有り得ない・・・と本人が驚きながらゆがむ世界に落ちてしまう。
ぐらんぐらん、グランブルーの夢を見る。大物には出会えなかったけど、地表の形状は面白かった。
ガイドの美しい兄ちゃんは、美しい彼女を連れてきて、水中でチューしたり、絡まってみたりと人魚のようだ。
なぜか彼はタコに物凄く執着し、タコを捕まえてはスミを吐かせて見せてくれた。
彼女のビキニラインの脱毛が甘いこととか、おっぱいがオレンジみたいだったこととか全部がグランブルー。

翌日になっても下を向くと鼻から大量の水が出てしまって困る。
ホテルのロビーに日本人観光客団体が。「どこからですか?」と聞くと瀬戸内からのご一行らしい。
「良い景観だねえ!でも瀬戸内の海はですねー、もうちょっとこう・・・」世界に名だたるイソラベッラでお国自慢。
でも瀬戸内の海、キレイだもんね。お国自慢が出来るって素敵。
添乗員さんが部屋の割り振りに走り回っている。お父さん達はみなポケットのたくさんついたチョッキを着てる。
サファリルックだ。女房達はサンローランとか書いてあるサンローラン。うーん、まだまだ課題はあるなぁ。
しかしツアーは忙しい。なんとここに一泊だけだと言う。うひゃー。でもみんな満足そうに軽井沢を闊歩していた。
最後の晩御飯を食べて、バーのおじちゃんにさよならを言って夜行列車で今夜ナポリへ向かう。



 10月25日〜26日 ナポリ

まだ夜の明けきらぬナポリ駅。暗い待合室で静かに夜明けを待つ。
昨日の夜、クレジットカードが2件続けて通らなかった事がずーっと気に掛かっていた。
まだ限度額は超えていないはずだ。どこかで悪用でもされたのではないか・・・
こちらの早朝は日本の日昼。丁度いいからカード会社へ電話してみよう。
日本からレンタルしてきた携帯電話がどう言うわけかうまく繋がらず、公衆電話から電話をかけた。
電車の切符から公衆電話まで、とにかくカードの出番が多いイタリア。カード会社へ電話するのもカードを使う。
やはりうまく通らないので、ダーちゃんのカードを借りた。周りから悪い人が来ないように注意しながら、
壁に描かれた電話の掛け方と格闘する。なんとか繋がると、カード会社はすでにどこで何回カードがエラーを出して
いるかを知っていた!考えてみたらそりゃそうなんだけど。悪用されている形跡はなく、多分カードにも問題はなく、
お店側の読み取り機がボロいだけじゃないでしょうかー、とお姉さんは言った。通話時間恐らく3〜5分程度。
格闘していた時間は約1時間。そして日本に帰ってその通話明細にはもっと驚くことになる。
うまく時間をつぶせたと言うことにしよう。
ナポリ駅は朝の通勤ラッシュが始まろうとしており、あちこちで話をする人の輪が見られる←朝からよくしゃべる。
人の流れと反対に、スーツケースを引きずってホテル探し。でこぼこと固い石畳にスーツケースが悲鳴を上げる。
それでなくとも、あちこちうんこだらけで、呑気にスーツケースを転がしてはいられないのだ。
ナポリ駅に降り立って一番目に付くのがホームレス。その転がったうんこは犬猫のものだとは限らない。
ほらご覧。おばさんが座りしょんべんしているよ。それが流れてこちらの足元へ・・・
いやあ・・・最近はベトナムでもこういった光景をめっきり見なくなったので新鮮な衝撃だ。
何件かふられた後に、ようやくホテルが決定。見掛けも設備も充分。朝食も付くのに今までで一番安かった。
陣地が出来たら腹ごしらえ。ナポリへ来たらピザです。いいえ、ピ〜ッツア!
さっそく小さな市場へ足を伸ばした。人の列が出来ている屋台でピザとコーラを注文する。グランデに目をしばしば。
釜の温度が違うのか、生地が違うのか、香ばしくてもっちりしている。確かにうまい。
「うーん、うまいねえ」と感心してると、隣の席ではホームレスの兄ちゃんがが靴下を売りに来ている。
ピザを食べているカップルの席に、一緒に座って売り込み中だ。「今間に合ってんだよ、他をあたってくれよ」と
笑いながら困った顔で男が言うと「他って?」「えーっとほら、あそこの席の人!」と別席を指差す。
指さされた席の家族が「えー!なんだよー」と声を上げる。素直に腰を上げるホームレスの兄ちゃん。
笑いながら「まあ、まあ、とにかく見るだけ見て」とまた席に座った。なんだか、のんびり悠長な風景。
ホームレスの兄ちゃんは、私達の顔を見るとくるりときびすを返し、他のターゲットへ周った。
観光客に関わるのは彼らにとってもストレスなのだろう。メキシコの物乞いに観光客が冷たく当るのを
同行した桜井が心配していたけれど、共通の価値観を持っていない人々に信頼を寄せるのは難しい。
嫌われたり突き放されたりする事もあるのだろうな。ただ悠長なわけでもなさそうだ。
彼が持っていた靴下はどこから来たか。ホームレスでも買える靴下。物価が安いなあ、と思う土地には
必ず中国人の姿アリ。ここナポリにも中国人の経営する爆安衣料店などが軒を連ねる。
もちろん小売のみならず、小さくて大きな卸問屋でもあるのだ。少しお金が出来ると、ここでネタを仕入れて
明日の日銭に変えていける。その日テレビでも「今、イタリアで元気な華僑が市場を変える!」特集をしていた。

一夜にしてぎっくり腰になった私が、一夜にして灰になってしまった古代都市ポンペイへ。
ナポリの残された時間を思うと寝ている暇などないのだ。そろ〜りそろりと出発。
何しろ、突然の火山の噴火で本当に一瞬で灰に焼かれてしまったのだ。だから考古学的にはまるまる当時の
生活を見る事が出来る重要な遺跡となっているのだけど、彼らだって遺跡になるために生まれてきたわけじゃな
かったはずで、その直前までふつーに暮らしていたわけなのよ。逃げてる格好とか寝てる格好のまま死んじゃった人
を包んでいた灰に石膏を流して象りした物、いいえ、人が展示されている。それ見せられると、やはり悲しい気持ちに
なってしまう。空爆の黒こげ死体にそっくり。「写真撮ってください!」とデブの女の子にカメラを渡さた。
この眠る体の横でポージングされる違和感・・・。
商店街だった場所を通ると、魚の絵が大きく書かれた魚屋さん、釜を持った食堂、カフェなどの名残が残っている。
絵やインテリアがかわいらしい。大勢で風呂に入るのが得意なのは日本人だけかと思っていたが、
大きな大衆浴場もあった。水道橋のラクーアみたいなもんか。上階で溢れたお湯は下階の湯船へ流れ込む。
合理的で無駄がなく、美しい。それは入浴場、洗濯場、乾燥室の一体型施設で、お風呂に入っているうちに、
衣類を洗いに出し乾かせる。水の流れや太陽の方向を考えてユニットされているのだ。これはすごい。
ぎっくりこっくり歩いていると、聞きなれた言語が耳に。それも最近聞き覚えた方言が。
「じゃーここで写真とりますかー!」見ると、それはポケットのたくさん付いたベスト。サファリルック。
あのシチリアでお会いした御一行がもうナポリへ上陸しているのだ。
いくらイタリアが小さいからって・・・観光客、特に日本人が行くところって同じなのね。


 10月27日〜29日 ナポリ

ホテルの一階で朝食を摂る。メンバーはほとんどがイタリア人のビジネスマン。後は日本人が入れ替わり立ち代り
二組ほどか。定泊しているうちの一組は年配の男性と青年。「先生」「うむ」と呼び合う仲だ。書生ですか?
話を聞いていると考古学だろうか、どこかの大学の先生と生徒のようだ。「ぼかあねえ、思い立ったら旅に出るんだよ。
計画もなしにねぇ」「プッ、て言うか、何ヶ月か前にはチケット取ったりするんだから衝動的ではないですよね。ツー」と
書生失笑←失礼な。先生、私は解りますよ。急にチケットを取ってしまうことから旅は始っているんですよね。
しかし、先生は書生の減らず口をまったく聞いていない様子。まるでそこにいないかのよう。
二人の「独り言」対「口答え」。これを毎朝聞く。
日本人観光客のほとんどがそうであるように、私達もナポリへ来たら青の洞窟へ行くのだ。
ホテルの掲示板にあったツアーに申し込むと「OK」と言ったきり、いつ集合とかも言われず、バウチャーもくれず。
朝食の度にそれを伝えるのだが「冗談よせよ。今日はこんな雨で洞窟なんか行けないよ」とか「今日は曇ってるから
シケだよ」とか。毎日ぐずつき模様なので、このままではカプリ島にすら行けない。「今日、自力で行きます」と宣言し
たら、今までの経緯を知らないかのように「いってらっしゃいませ」とニッコリ笑った。オレは知らないよ〜てなとこか。
水中翼船に乗ってカプリ島へ。あれ、タオルミーナに戻っちゃったのかしら・・・と思わずにはいられない、どどーっと
並んだブランド店。ちょっと腰を下ろせば千円なくなる。そして青の洞窟はシケでお休み。「・・・」「・・・」
まあ、それでも気持ちの良い島の空気をたくさん吸ってお散歩をしてお茶を飲んで。
ナポリは例のごとくホームレスがたくさんいるのでお店はトイレに鍵を掛け、お客さんにその鍵を渡してトイレに
行かせている。駅のマックすら施錠している。ここカプリ島も同様の常識らしく、カフェでトイレ何処ですか〜と
聞くと、「あそのこ道見える?あれを左に行って最初の角をねえ・・」とえっらい遠いし、でっかい鍵を持たされた。
行ってみるとトイレの前で立ちすくんでいる大きな白人のお父さんがいた。「トイレですか?」と聞くと「うん」と
うなずく。「じゃあこれで」と鍵を開けてあげる。慌てて入ったお父さんを待っているのだが、遅い。なにやら様子
がおかしい。そのうち「開かな〜い」と声がした。「開けますよ!」と声をかけて一緒にドアノブを引くとゴンっと
開いた。「あーあー、どうしようかと思った!アハハハハ!」と笑いながら出てきた。続いて私もよく鍵を確認して
から入った。なるほど一部が硬くなってくせをもってるんだ。問題なく出てこられてほっと一息。
席に戻ったら隣のテーブルに例のお父さんのがいた。奥さんに興奮しながら鍵の説明をしているらしい。
私が手を振ると気付いて「彼女が僕を救ってくれたんだ!」ぐらいの勢いで奥さんに紹介された。
奥さんと苦笑いを交えてご挨拶。袖振り合うも他生の縁とはこのことね。
それから「ウソの青の洞窟ツアー」に参加。所謂、例の青の洞窟ではないけれど同じ自然条件で青く見える
入り江がたくさんあるのだという。慰めにそれでも見るかとボートに乗った。本物の青の洞窟も洞窟状になっている
岩場の下には潜れなかったものの一応拝見して、後は偽ものを5.6箇所見て周る。いやあ、すごいすごい。
何しろ海全体が凄い青。一度ここで潜ってみたい。いったい水の中はどんなだろう。
今はぎっくり腰で船に乗るのも、カフェに座るのさえ大仕事ですからまた今度。

ナポリもあっという間に終わっていく。最終日は遠くまで歩いて博物館を見て周る。
はぁ〜、言っちゃなんだけど、全部同じに見えてくる。
ブルータスだろうがアグリッパだろうがアリアスだろうが、高校生の時に石膏デッサンとして見つめてきたので
すっかり飽きてんだ。←あんまりやってないくせに。
とにかく、腰が痛い。
出口のところで「安い!ピザ割引券!」と言うのを貰ったのでそこへ行ってみると、大混雑の中に先生と書生がいた。
だからさあ、ナポリだって広いんだっつーのに。経済レベルが同じと言うことか、宿からランチまで一緒とは。



 10月30日〜31日 ローマ

ぐるっと南イタリア一周。戻って来ましたローマです。
宿を取るのも上手になって、イタリア人気質もわかったつもりで、二度目のローマはスタート時と打って変わって
キラキラしていた!二週間前は大嫌いだったローマ・・・体調悪かったせいでしょうかすみません。
リターンして目覚めた。ローマで楽しいのはお買い物。よくそう言われいてるが、アジア帰りの私達は物欲が薄く、
どうもピンと来てなかった。けどやっぱ買い物は楽しいんだよ。イタリアを見て、やっと欲しい物が見えてきた感じ。
まずバチカンの近くにあるアウトレットショップでお買い物をしてみよう。
「怖いよお」と言いながら電車で移動する。旅馴れた誰もが「電車には気をつけて」「バチカンでは自分以外は全部
泥棒」と聞かされていた。駅のホームで電車を待っていると、私の前に様子のおかしな南アジア系の男の子がいた。
そわそわしていて落ち着きがない。彼の手元に注意しながら一緒に乗車。その時、彼が自分のカバンを前に
きゅーっと抱えて小さくなった。ああ、そっか、悪かったなあ・・・彼もスリを恐れてそわそわしていたのだ。
パレルモでも同じような事をした。夜のバスに緊張しながら乗車すると、そこは黒人ばかりの車両で(バスは二連結)
なんとなく、イタリア人ばかりの車両へ少しずつ移動した。南イタリアにはアフリカからの出稼ぎ者がたくさんいるのだ。
バスを降りてバイバーイと笑顔で友達に手を振る黒人の男の子を見て「あ、悪いことしちゃったな」と思った。
頭の中は理性的で差別のない人でいようとするが、危険を感じるとかそう言う瞬間最大の感覚って頭で理屈を考えて
ない。差別ってのは構造的に言うと上が作られれば下が出来、下は更に下を作って自分を棚上げしようとする事だ。
ヨーロッパと言う白人の近代国(イメージだけで実際は白人だけでないし近代的でもない)へ来て萎縮した
黄色い私が、自分を保つためによりも更に劣る人種を求めているとも言える。
つまりは自分で自分を差別しているって事でもあるのだ。こういう感覚って日本はもとより、アジアで旅してると
あまり感じない。こちらへ来てから無自覚な自分に驚かされてばかりだ。肌の色が違うから疑う、と言うよりも、
社会全体が距離をとっている人々を敏感に察知しているのだと思う。それを能力と言うなら、もしかしたら日本人は
それに結構たけているような気がする。瞬間ごとに小さな罪悪感を感じてしまう。
だいいち、本場のスリを私ごときが見破れるわけがない。
イタリアのスリはまったく見かけが普通らしい。スリが普通に見えるんじゃなくて、普通の人がスリだから。
そこいらにいる普通のお父さんやお母さんだから傍目じゃ識別できないのだ。車両まるごと泥棒ってこともある。
もちろんイタリア人同士なら勘も働くのでしょうが。よくおばあちゃんが中年男の手をひっぱたいて叱ってるなんて
光景が見られるそうよ。本当の悪は善の中にありだな。
さて、アウトレットショップが並ぶオッタビアーノ通り。ブランド品を自分に買おうと思うと相変わらず食指が動かない
のだが、母さちこにいっちょ張り込んだ土産でも買ってやるかと思ったら、急にいろんな物が目に入ってきて
にわかに興奮。値の張る買い物はスリルに満ち、楽しい←とは言え相場の半額以下だがな。
それからその近くのデパ地下で、料理好きの友人へのお土産。チーズやドライトマト、生ハムなどを購入。
わんさか買った。帰るのに苦労したのは言うまでもない。
それから楽しかったのはワイン。ダーちゃんがお土産と称してワインを非課税分のワインを買い込むため、
ローマの町をあちこちとうろついた。見つけたのはこじんまりとしているけれど、ワインの豊富なバー。
初めて顔を出した時は閉店間近だったのでゆっくり物色できず、話だけしてホテルへ帰った。
翌日、今度こそ買うつもりでホテルを出たのに、色々買い物していたらまたも閉店直前。
「遅くなってごめんなさい!」と飛び込むと「待っていたよ。どうぞゆっくり見て」と笑顔のマスター。
好みと予算を伝えてマスターに6本選んでもらった。明日帰る事や、新婚旅行で来たこと等を話すと、おもむろに
ワインを一本空けてくれ「お祝いだよ」とグラスに注いでくれた。飲めない私とてそれを受け取らないわけにいかない。
「私飲めないので、ちょっとだけ」と、ほんの少しだけどお気持ちを戴いた。とても美味しい。
「これはスペシャルなんだ」とマスターも美味しそうに飲む。飛行機に積んでも問題ないように箱詰めしてくれて
「またね」とお別れのハグ+キスをした。
路上で豚の丸焼きを冷やかしたら、一口だけ食べさせてくれた。豚とおじさんと一緒にふざけて写真を撮る。
スタートに見たローマとはホントに明らかに違っている。懐に飛び込めば、どこまでも付き合いがいいイタリア人。
こちらが構えたり、気取っているとイタリアの「お洒落な感じ」しか伝わらず、やたら不愉快なだけなのだ。
どんなにいろんな国を旅をしてみても、出すぎず引きすぎないその国ならではのバランス良い交わり方が
見えてくるのには、それなりの時間が必要だ。
しみじみと、良い旅だったねと最後の晩餐。
私達が見たものは・・・ナポリの先生! どうも書生とはお別れした様子。一人エコノミーホテル通りへ消えて行った。
だからさあ、いくらイタリアが小さいからって・・・・ローマはけっこう広いはずなんだが。



 11月1日 ローマ→日本

空港のチェックインは長蛇の列。何にまごついているのか、なかなか前に進んでいかない。
厳重なセキュリティーチェック、長い質問。だから仕方ないのかと思いきや、時分の順番が近づくにつれあながちそれ
だけでない事が分かってきた。職員がだらだらしておる。私達にようやっと順番が回って来てスタッフの前に立っても
ずーっと何か別の作業をしたり、空を見たりして、航空券を受け取らない。ちなみにとてもいい男だ。
イタリア人は予想外にかなりのせっかちだと言う印象があった。レストランではお皿が空くとすごい勢いで下げて行く。
まだ小量乗っていても何も言わずにさっさと下げちゃう。笑えるくらい早い。早く食べてって目でこっちを見てる。
早くお皿を下げて、サッカーを観たい時なんか「まだ?」って聞いてくる。
困っている人には肝要だし、大方のことに対して適当なのに、何かして欲しい時はすごく相手を急がせるのだ。
それでいて、駅のカウンターや観光局など、要請される側は「わざとか?」と思わせるほど遅い。けして焦らない。
要請する側はせっかち、要請される側はのんびり。人に厳しく、自分に甘い。
いい男がやっと搭乗券を発行した。後ろで待っている人は「早く早く!」状態なので、さっとカウンターを入れ替わる。
その時、座席が隣同士でないことに気付いた。仕方ないからその場で待って、後ろの人達の話が終わるのを待つ。
いい男は、我々を目の端にも入れないようにしてのんびり仕事している。次の人も「早く早く!」オーラを出していて
質問のある私達を入れないように競り合って来る。「ごめんなさい、ちょとだけ、すみません」と言いながら「ちょっと、
座席が離れてるんだけど!」と、やっと用件を伝えると「フフン、知ってたよ、ごめんね」と言った。・・・意味不明。
タイ航空の搭乗口へ行くと、たくさんのイタリア人が楽しそうに出発を待っていた。コロンとしたたくさんの体が、もぐもぐ
口を動かし続けている。待合席は食べ物だらけだ。全員が喋るのでとてもうるさい。
ふと気付くと、搭乗時間はずいぶん過ぎている。やがて、機内点検が長引き、搭乗時間が遅れるとの連絡。
その時驚きの現象が・・・。イタリア人は椅子から立ちあり、搭乗口に向かって行ったのだ。
手に手に搭乗券を持ち、うんさうんさ搭乗口の前に固まり始めた。日本人だったら、いや他の国の人もそうじゃない
かな、ちぇーっと思って、椅子を確保するとかトイレに行くとか、時間をつぶす体勢に入るだろう。
「乗れない」と聞いたら「乗りたい」イタリア人。「飛ばない」と聞いたら「飛ばしたい」。そもそも、そんなに急いで
なかったくせに、乗れないとなったら「早く早く!」オーラがシュプレヒコールを起こしている。
眉間にしわを寄せ「今日の会議行けないかもしれない!」「違う飛行機を用意してくれ、すぐ乗れないか!」など、
大きな声で電話をし始める人達も出て来た。それに対してタイ航空側は、もぅなーんにも感じていないって顔。
うぷぷ、まさにイタリア人対イタリア人。
散々騒いで「ほれ見たことか」くらいしか待たずに搭乗開始。乗れるとなったらまるで何もなかったかのような態度。
すごいせかしていた人が一番ビリで搭乗して来た。小さく二度驚く。
さ、ところがこっからがもっと大変。
私達の席は、避難扉のところ。前が広々とあいていて足が楽ちんでよい。しかし、有事の際こいつらを避難させる
手伝いをしなくてはならない。大変・・・自信がない。言葉の壁以上に、絶対「避難」に向かないよ、この国民。
隣は韓国人の女の子が一人。どうも彼氏と離れ離れになってしまったらしく、すぐに彼の横のイタリア人に相談して
席を替わってもらっていた。改めて隣へ来たイタリア人の男の子は、とーってもでかく、「うおーここ楽ちん」と
顔が喜んでいた。さっそく指さしイタリア語を駆使して「何処へ旅行ですか?」などコミュニケーションをとる。
彼フェルナンド(仮名)は立ち上がり後ろの席へ向かって「おーい、おれ日本人と話してる!」と報告した。
振り返ると、どーっと後ろ10列弱が「ウワハハハハ!お前日本人と話してるのか!」と爆笑している。
つい、私も調子に乗って立ち上がり、後方席に手を上げてご挨拶すると「うおー!」っとその10列が拍手したり、
手を振ったりして大盛り上がりだ。「あれって全部ファミリー?」「そう!」と嬉しそうなフェルナンド。
社交的な日本人を演じてしまったのが良かったのか悪かったのか、ファミリーは酔っ払うと次々に私達のところへ
やってきては挨拶をしたり、自分の名前だけ言って(こっちのは聞かない)握手したりと寝ている暇もない。
他の乗客も同じ様なもんで、そんな騒がしさは一向に気に障らないらしく、みんなそれぞれ楽しそうに席を飛び
回って話をしていた。相変わらず顔を近づけて情熱的に話しているが、その相手は相変わらず知人じゃない。
もちろん知人とも喋るが、話し相手が知人以外にも広がるならもう収集はつきません。
さて、慌てん坊というか、せっかちというか、おっちょこちょいと言うか、ほとんどの人がトイレの扉の開け方が
分からない。流し方も分からずに扉をあけっぱなしでしっこして友達呼んで大騒ぎしている。
書いてあるのに、読まないのだ。読めないの?かもしれない。意外に英語弱いから。でも半分以上は面倒臭くて
ちゃんと読んでいないんだと思う。叩いたり引っ張ったり、声を上げたり、誰かが奮闘するたびに、トイレに近い
フェルナンドが飽きることなく説明してやっている。感心するけど、こう言う事には物凄く気が長くて親切なんだよなぁ。
かといってフェルナンドも歩き回るのに忙しいので、常にトイレ番をしてるわけじゃなく、やがて一人の男が
トイレの扉に付いていた灰皿を引き抜いた。自ら大爆笑。スチュワートが飛んできて注意していた。
注意された直後、ついにひとつのトイレは扉が完全崩壊。まったく開閉不能に。
避難扉側の席は離陸の際、向かい合わせにスチュワーデスが座るようになっている。
今度はその席を勝手に引っ張り出してトイレ待ちをしたり、フェルナンドと喋ったり。またスチュワートが飛んで来る。
その席に座ったら怒られるとなると、避難扉の救助袋に腰掛けだした。それには「DON'T TOUCH」と大きく書いて
あるのだが、もちろん気にしていない。またスチュワートが飛んできた。こんなに忙しそうな乗務員、見た事ない。
やがて機内は暗転し映画が始ると、長座に疲れた年寄りが徘徊しはじめた。一人、二人と席を立ち、暗闇の中を
歩行訓練している。二人の老夫婦が手を取りながら歩いて来て、広々スペースの私達の席の前へ来て立ったまま
休憩した。スクリーンのまん前、それもこっち向き休憩。「おい!」と思ったがこう言う事には気の長いイタリア人に
習って、しばらく我慢をしていると、やがて去っていった。そしてまた一人、おじいちゃんが歩いてきて同じ所に
立ったまま休憩。その時・・・パンパンパンパンとけたたましく手を叩く音がした。「ちょっと!映画観えないじゃない!」
と声を上げたのは、驚くなかれさっき同じ場所で休憩していた老夫婦だ。どほほ〜!お前らさっき同じことしてた
やんけ!と心ハリセンで突っ込んだ。が、注意されたおじいちゃんはクレームが全然聞こえてない。ああ年寄り同士。
すると老夫婦はフェルナンドに目で「ちょっと言って」と合図した。「じいちゃん、映画観えねえってよ」とフェルが言うと、
ゆーっくりじいちゃんは振り返り、後ろの席のオーディエンスに向かってびーっくりした目で両手を合わせ
「ごめんね〜気付かなかったんだよ〜」とリアクションした。そうすると老夫婦も含め全ての人々が「いいの、いいの〜
お互い様よ〜」的な反応でじいちゃんを笑顔で受け入れていた。なんだ、急にいい人風味になって!
映画が終わると暗転のまま仮眠時間に。今度はヤングたちが動き始める。避難扉の前は駅前のコンビニ状態。
夜が深まっても、フェルナンドとむちむちガールズは、スペースにごろごろしながらケラケラケラケラいつまでも
話し込んでいた。うーん、うーん、「うるせえな!」と思わず日本語で毒づくと、ダーちゃんがぱっと身を起こして
フェルナンドに向かって「ごめんね、もうちょっと静かにお話ししてくれないかな」と日本語で静かに言った。えらい。
そうするとフェルナンドが「お前達、もう少し静かに話せ」とむちむちガールズに注意をしたのだった。
彼女達もいつ怒られるか気にしていたはず。こちらの顔色を伺っている事はびんびん伝わってきていたから。
いやあ、学ぶ事が多いなあと思う。「言わなくては通じないのだよ」と言うこと。
注意されそうだな〜と思ったら、「言わずもがな」でその行為を止める日本人。でも注意されそうでも、注意して
来ないと言うことは「言うほどの事もないのだな」と受け取るイタリア人。彼女達はそれからもうずーっと静かに
していた。映画の時も「ちょっとどいて!」って言ってよかったのだ。
ついこちらは、言われた方がどんな気持ちになるかとか、面倒な事が起きないようにと耐えてしまうが、
イタリア式ではそれって間違い。思ったらすぐ言っていい。で、相手が気付いたり、謝ったりしたら、後を引かずに
ハイおしまい。「映画観えない!」って注意した老夫婦も事を荒立てる気などなく、注意されたおじいちゃんも
それで深く傷ついてしまったわけでもないのだ。声を出して貰えたから「恨まれない」し気付いてくれたから
「映画が観えた」お互いにありがとね、って事だ。
いつでもどこでも楽しそうに話すこの人達。ただおしゃべりを楽しんでいるだけじゃなくて、言葉を持つ喜びや、
他人に対する信頼感を、そうしながら温め続けているのかもしれない。
「思ったことは言って良い」とても難しいことだけど、相互理解のうえではとても気持の良い事だと思う。
きっと彼らが日本に来たら、言わなくてもしてくれたり、不快な事を言う前にやめてくれたりする事に対して
新鮮な気持ちよさを感じてくれるんじゃないだろうか。それぞれ違って気持ち良く、どちらが上でも下でもない。
人々が作るその世界の「おおよその気持の持って行き方の流れ」みたいのを見ると、目からうろこが落ちる。
その落ちる瞬間が気持ちいい。その気持ち良さが旅の全てなんだな。と、キレイに思ったのはうそじゃないが
最後の最後にイッターリア〜を体験し続けた10時間。
バンコクに着いたらほっとした〜。



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