◆過去小事
2003.4

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「裏小事(占い付き)」


5月31日
 すげー雨だー。
 今日は友達の披露宴。私の友達は10年に一度くらいしか結婚しない(呼ばれてないだけでみんなしてるのか?いやいや)。だからか、だからって!こんな大雨じゃあ、お衣装も着ていけないなあ。向こうで着替えるか・・・。
 彼女は私の高校時代の友達で、今は陶芸家だ。きっぷがよくて明るくて涙もろくて男運が悪くてイノシシみたいな女だ。格好も構わず伸び放題の髪の毛をその辺のゴムで縛って、毎日土と格闘している。土は油を摂るから、手はいつもガサガサ。この女の良さが分かる男はそれだけで合格!と思っていた。それくらい一目で分からぬ良さがある。ずーっと付き合っていた男はいたが、彼にはもう彼女の良さがもう分からなくなっていたのか、女として見ていなかったのか分からないけどただ惰性な感じでダラダラ時間だけ過ぎていったようで、そんなある日彼女から突然決別した。彼と付き合っている時は、彼氏がいるのにかえって色恋沙汰には無関係な土塊女だったのだが、別れてからは「恋がしたい」などど恥ずかしい事を言っていた。でもその方が人としてずっと良い。やる気になればなんとかなる、と言うべきか、たぶんガツガツしてなかったから良かったんだろうけど、人生とは不思議で素敵なもので電撃結婚。お相手は年下の大工さんで、見た目は大工と言うより建築アーティストな感じの無口で素敵な彼だ。
 と、これからって時にそろそろ支度しないと。雨なので早めに出ます。

 続きは月曜日に(今日は暴れます)

5月28日
 天災と日本人にとっての普通の生活って話を前にしたら、メール貰いました。
ご承諾を頂けたので、抜粋掲載ね。
「スリランカの友達からここんとこ連絡がないと思ったら、一週間前くらいに、住んでる地域が洪水に見舞われ、肩くらいまで使ったらしく、やっと復興できたようで連絡がありました。スリランカでは排泄物はくみ取りらしく(ただ日本のそれとは違い、その地区地区にある大きなコンクリートの容器に流れるため、くさくないらしい。たまったらバキューム車がきて持っていくんだって)、そこに水が流れ込んだため溢れちゃって道がくさいって言ってた。」だって!
載っけていいですか?って聞いたら追記も送ってくれました。
「コロンボのような大都市はどうかわかりませんが、友達が滞在してるのはスリランカの地方都市というのかな。人間が外国へ行って一番興味を持つ話題のトイレ事情について友達に聞いたんだけど、スリランカのトイレは日本で言うとぼっとん便所。私が「えっ。くさいでしょ?」と質問したらくさくないとの解答。日本のように直接下に肥溜めがあるわけじゃないのでくさくないんだって。
下水と呼べるものかは判らないけど、人々の排泄や汚水などは下水管を流れ、地区地区にあるコンクリでできたものに貯められるそうです。友人はスリランカ人のお宅の2階を借りていて台所で魚などを処理して、それを中途半端に流すと管の曲がるところで詰まるからきちんと流さないとならないといってた。以前に中途半端にながしたら大家にくさいと注意されたそうです。なので今回の洪水でそこの汚水が流れ、町のところどころがくさいということでした。洪水で、ライフラインが切断されていたらしく、シャワーは近くの井戸までボートで行き、ご飯は近所の人がボートで持ってきてくれるそう。ちょっとひどかった地区に住んでるようです。」だって!

 日本にもあるよねえ、大きな建物用のぼっとん汚水層。地方の学校とか直下型ぼっとんじゃないでしょ?2階にもトイレあるんだから。汚水升に集合させて、バキュームするんだよね?スリランカはその先にもまだまだ汚水配管があって、もっとずーっと多くの家々のうんこを集めるのかな。それはもうすでに下水処理だね。いっそホントの下水道にした方が良いのではないかと言うほど、その工事は大変そうだが・・・。大好きなうんこネタのうえに「道がくさい」なんて言うから、笑ってしまった。ごめんスリランカ!シャワーは近くの井戸までボートで行き、ご飯は近所の人がボートで持ってきてくれる」なんて、すごい。でも想像するとあのーリゾートホテルのコテージタイプでさ、ボートに朝食乗せて持ってくるのとかあるじゃん?(いや未経験よ。パンフレットの世界よ)あれ、思い出しちゃうな。ごめんねスリランカ!スリランカの田舎も早くいつも通りになると良いね。ほんと、笑ってられないよ。 ベトナムもタイもよく母なる川が氾濫するから押し流されて人は死ぬし、もちろん汚水もろとも溢れちゃってるから、その後の日照りで病気も心配だよね。しかしいろんな事があるな。


 5月26日
 びびびびっくりしましたね。地震。こちら関東ですが、結構揺れましたよ。東北の方々大丈夫でしょうか。疲れてちょっとゴロンとしたら、静か〜に揺れ始めて、ずんずんずんずん広がるように大きくなったので、あーいつもと感じが違うなあ・・・といささか焦りました。今日は電車が停まっておうちに帰れない人とかいるらしいですね。仙台では火事が起きてるとか?!関東のテレビはまったくいつもの通り、何事もなかったかのように名探偵コナン君なので、情報が入ってきませんが、酷いことになってないといいんですけど。

 95年の大震災の日、私はとある建築現場のプレハブにいてこのニュースを見てました。副所長はじめ社員や職人さんにも関西に実家がある人は多くて、みんな泡を食って電話しましたけどどうにも不通で。同じ国内で、ほんのちょっと離れてしまうだけで変わってしまう運命をテレビで見てるのは不思議な気持ちでした。真剣に地元の家族や友達を心配している仲間をどうしてやることも出来ないし、どこか後ろめたく感じながらお昼の時間にいつも通りにご飯を食べて。やがて事務所に情報が入り始めます。携帯電話から工場の人達が連絡を送ってきているのです。「××さん?あー良かった、よくぞご無事で!他のみなさんは大丈夫?!」と言うと「あー、そうやった。なんや納期の事で頭いっぱいで、まだ全員の無事確認してへんわ」と。「○○さん、大丈夫ですか?△△さんからさっき電話あったよ」「やーあいつ無事やったか〜、東京に教えて貰うなんて変な感じやなあ、こっちじゃ連絡とれんのですわ〜」と。東京ってのは、いや日本ってのは恐ろしいと思いましたね。あっちもこっちも何を心配してるかというと、明日の材料は間に合うのか?って事なんですよ。被災してる方も、あんたが悪いんじゃないのに謝りっぱなし。悲観にくれたり、感傷に浸るのは後々!っていう勢いで、関西と連携で暢達に回ります。2.3日後、配管関係の若い子達が何人か応援に現地へ向かいました。人の生活には水道や電気、ガスなどが必要です。それの入っていないビルはありませんもんね。1週間ほどして野郎どもは帰ってきましたが、「なんかもう、すごくって言葉を失うよ」とぐったり疲れ切ってました。その様子を見て、現地とこっちの温度差の違いがはなはだしいのを感じたくらい、ぐったりしてました。日本の一部それも大都市圏にこれほど大きな災害が起きて、東京で建ててるビルの行程が遅れないという事実。それって素晴らしいよねとは言い切れないくらい奇妙で、それくらい我々が経済活動を最重視してるっていう事なのかと思うと、いやはやそりゃエコノミックアニマルなんて言われちゃうぜと思う一方で、それと「同じ力」がこの驚くような早さでの復興もこなしているのですよね・・・。システムの下々で生きてる私達が「経済」なんて言葉を描いて何かをしていたとはとうてい思えなくて、目の前の仕事に使命感を感じて焦ってただけ。その後も早くいつも通りに仕事をしたいと焦ってました。だから関西には早く元気になって貰わなくちゃならなかったんです。そして関西はもっと強く「いつも通りの生活」を送りたい、と思って「力」を出してましたよね。きっとそれが結果的に経済的な活動を最重視した、という形で現れたんだなあ。「冷たいおにぎりばっかり食べられない」と泣いた子。「お下がりの下着は付けられない」と嘆いた人。それって当たり前だよね。さっきまでの生活から数時間で被災者になんかなれませんもん。ひたすら便利で豊かな生活を「いつも通り」とする、我々日本に住む人々が願う「普通」。将来、私達が酷く被災することがあっても、そのグレードを下げて普通を求めることはないのでしょう。豊かさが人をだめにしてると言われている日本、今の時代ですが、私達はそこに向かって立ち上がって行くんだと思えば、一度目にしたこの豊かさも力になるというものです。なんて、地震が大きいとあの日のことを思い出したりします。
 お、また地震だ・・・・・。大丈夫か〜東北〜!


 5月22日
 昨日の夜は、前の職場の野郎どもと久々に飲み会だった。たまたまテーブルの向こうが既婚者列、こっちが未婚者列になった。真ん中に並んだお皿達は深くて長い川のように我々を隔てている。ねぎとろ巻とか乗せながら・・・。向こうの列の人々は、マンション買ったり、子供が産まれて、それに立ち会ったり立ち会わなかったり、以来セックスレスだったり、嫁と姑の間に挟まれたり、小遣いが少なかったり、コレステロールが増えたりしてる。まるで30代の悩み的大人人生だ!一方、こっちの未婚列の人々は10年前とまったく変わらない生活をしてる。私が仕事を辞めたり、1人移動があったくらい。身長も視力も財布の中身も肩書きも変わってない。すでに30代も半ばになれば、それちょっと考えた方が良いよと言われる側になってしまった。ふん、お前達なんかちっともうらやましくないぞ!と誰も何も言ってないのに言ってしまったとかしまわないとか。変だと思われているとかはまあ良いとしても、回転数の早そうな人生をやってみたいような、でも、やっぱりこのままも居心地が良い。この10年で見かけも人生模様もだいぶ個人差が出てくるのだろう30代。
  ああ、30代なんて思いつつ、満員電車で家路を辿る。ぎゅうぎゅう、私の隣のおじさんは一生懸命吊革に掴まっていたが、突然思い切り諦めた。ぱっと手が放れていったので、あれ?と見ると、彼は死者の様に両手をクロスして胸に乗せ、そのままゆっくりと人々の群へ・・・あお向けで倒れ込んでいった。おじちゃんが倒れ込んできた群の人々はシーンとしたまま必死で彼を支え、無言の怒りがおじちゃんの体を波立たせていた。するとおじちゃんは、優しい笑顔で
 「ひいらん、そうまで、ないた〜」
 「ゆぅぅぅぅぅぅぅ〜うぅぅぅぅ〜」
 「うふっ」
と安らかな寝顔で・・・・歌った。意味は彼のみぞ知る。
その時、私の体が突然重くなり、反対側を見ると背の高いフレッシュマン君が、やはり自力で立つことを諦めて思い切り両手を広げて隣の女性に覆い被さっていた。支えきれずずるずると将棋倒しのごとく斜める人々。誰かのキャーって小さい声が聞こえたのか、一度ムクっと起きあがると今度はあお向けで倒れていき、彼に背中向けて立っていた後ろのおじさんの肩に頭を乗せてグーグー眠り始めた。あー字で書くのって難しい。つまりおじさんから見ると、肩に上を向いた顔が乗ってる感じよ。わーよだれたれそう〜。ちっとも退屈しない日常のサスペンス。でももういや。

 さて、今日アップしたうず巻チョーカーのモデルはとみちゃんです。とみちゃんはパーマ屋さんの練習用頭台です。私のパーマ屋さんに貰いました。綺麗な娘でしょう?!なんて名前にしようか考えながら作業してたら、あやまってごろんと転がしてしまい、その時・・・台座の裏になにやら文字が
           「とみ」。  あ、もう、、名前あったのね。

                     

 5月20日
 昨日、ダーが終電の無くなった子犬を連れて帰ってきた。「しーましぇん、お邪魔します!」とかわいい子犬よ。子犬のカトちゃんはまだまだわか〜いんだけど、先週末同棲している彼女と式場を決めに行ったんだって。彼女のたっての希望でディズニーウエディングの出来るア○バサダーホテルでするらしい。せっかくここでするんだから、当然ミッキーに来て貰いたいらしく、しかしミッキーに披露宴参加をお願いするとなると拘束時間15分で5万円、だとかでため息をついていた。他キャラならもうちょっと安いのか?と思いきやミニーとかドナルドでも同じく1人工15分5万円。よくディズニーランドに各キャラは1人しか居ないと言われているけれど、ミッキーからプーさんまで同ギャラだとしたら、圧倒的にミッキーが忙しいはず。結婚式に毎日出てたらTDLをうろうろしている時間がないのではあるまいか。と、言うことはホテルに居るミッキーはホテルミッキーなのではないか?疑惑。ア○バサダーにはチャペルがあってそこで式を挙げる。で、そこで宣誓書にサインをする時、ミッキーにも保証人?見届け人?としてサインをして貰うとこれまた十数万だったか二十数万だったかするらしい。デジカムなどの持ち込みも禁止。撮影はホテル側にもち有料で依頼しなくちゃならない。招待状、席次表、式次第なんかのペーパー類もしかり。ドレスはレンタル料20万(お色直し別)。ちょっと調べてみたらア○バサダーもすごいけど、ミ○コスタもすごいね。さすが無形の夢を売るディズニー。ミ○コスタだとさ、ゴンドラに乗れるんだよ。ディズニーシーの中をさあ、ゴンドラでクルーズだよ。シーの観光客もこっち見るのかな。私だったら隅田川の屋形船でテンプラの方が良いけどな。「なんかどうしても人形が必要だったらアコムかなんかでなんか借りてきて、誰かにかぶって貰えばいいだろう」、とか「二人とミッキーは何か関係があるのかい?出会いが浦安とか、なんかゆかりがあるのかい?」とか、ついつい言ってしまうのだが、しかし、言ったところで仕方がないかも、と思ったのは、どうやらそれらをやりたいのは彼女ではなく、カトちゃんなんじゃないか?と思えてきたからだ。だって、私が「えーなんだそりゃ!?」とか「へーどういうこった!」とか言う度に、彼の目が泳ぐんだもの。やがて小さな声で「まー言いだしっぺは俺なんすけどね」とゲロった。ほらやっぱり。(やっぱりって別に悪い事じゃないぞ) そうさ、カトちゃん何でよりによってその話を最初にうちへ持ち込んじゃったんだい。きっと「そんな事ないよ〜やりなよ〜お金の問題じゃないよ〜ああ、いいよね〜夢だよね〜いいよな〜あこがれる〜」って言う人に話を聞いて貰いたかったに違いない。ごめんな、カトちゃん。私は意地悪なうえにディズニーとか、ちょっと苦手なのだ。行くとしたらネバーランドのがいい。(だめさ!きれいな心の人しか入れないよ!byマイケル)
 やがて野郎どもは夢の中へ旅立ったが、カトちゃんは夢の中でも「ちっともわかっちゃいねえなあ〜」と思ってたに違いない。まあ、その通りなんだけどさあ、ただ確かにお金の問題とかじゃなくて、そうそうある事じゃないからさ、楽しく好きにやった方がいいよって事はわかってるよ。その好きなことっつーのがミッキーっつーのがわかんないだけでさ。だって・・・仮に想像するとさあ、式の時、私の隣に縁もゆかりもないミッキーが、無言でいるわけでしょ?白い手袋して口の所に手をあててウフフフ!なんて芝居しちゃって。「なに?!なんで?なんなの?!誰?意味わかんねえ!」って言うコワー、まるで悪い夢みたいだよ。違うかなあ。

 あー、またミッキーの悪口言った。ままかの人気下がるんだよ。

 5月15日
 なんだかお話が迷走している?一昨日の続きね。つまり何が言いたいかというと、「縁がある」って話で。ままかを始めてからと言うもの、偶然もすごすぎって言うくらい初めてあった人と縁の深さを感じることが多いんです。「あじゃきん」で紹介してるはんこやもそのひとり。私ははんこやと誰かの紹介で出会ったと言うわけじゃなく、他のお客さん達と同様に道ばたで出会ったんです。話しているうちにわかったのですが、彼女が最も親しく共にアート活動をしている人というのが私の大学時代の友人でした。ちなみにその友人ははちんどんや。はんこやのお陰で10年ぶりくらいにイベント会場で会いましたっけ。また、ままかで知り合った清水さんが昔ネパールに留学してて、その時ルームメートだったのがなんと私と同じ高校の同級生でご近所のトミーだったり、バンコクで一緒に飲んでたネパール人がたまたま友達の友達だったりとか。豆田の友達の新しい彼氏が私の弟の友達だったりとか(それは違うか。ちなみに猪木の試合見に行って発覚)。全て出会った当初にはわかってなくて、付き合って何かの話をしてるうちに「あれ?その人○○って人?」って話になるんです。今私に英語を教えてくれている先生との出会いは電話。2年ほど前に私がタイ料理教室の申し込みを電話でして、それを受けたのが先生でした。電話で意気投合・・・ってあんまりないよなあ。それ以来のお付き合いなんだけど、実はすでに3年前日比谷公園のイベントで、私は先生にベトナム珈琲を売っていたらしいのです。先生の家のキッチンでままかの珈琲を発見して驚愕(珈琲は未開封でそれもショック)。「お店の人がとってもいい人で感激して買っちゃったの〜」「・・・それわたし」「えー!」「コピバリの話してたお客覚えてない?モン族のジャケット着た」「あー覚えてる」「それわたし!」「えー!」てなもんです。別に今出会わなくてもやがて出会っていただろう人や、今出会ったのだが過去に出会っていてもおかしくなかった人とか、そんな人達がたくさんいます。
 まあ、考えてみれば、好きなことだけを身の回りに集めて暮らしているので、自然に同じ嗜好の人達が集まってくるというのは不思議なことではないのかも知れません。でも、自分の立ち位置を暫定的にも決めてそれなりに動いてないとご縁って生まれないじゃん。喰うために始めた事だから現状は続けてた結果なだけだけど、すっかり「ままか」は私にとってのよりどころにして表現。電波になってたんですね。山下さんとの出会いも、山下さんから繋がったコージズキンとの出会いも、「ままか」から発生する微弱な電波を同じ周波数の人達がそれをキャッチしてくれたって事です。ホントに微弱な電波だけどさ。悶々としてた学生時代や、多忙な社会人時代には、やりたいことをやりたいって言うことすら出来なかったのに、「ままか」という舞台の上では自分が「素敵!」って思う物を並べて、思ってる事を書いて、サイトのデザインをして、それがわりとすんなりと素直に出来るのです。これを売って、食べなくちゃならないという抑圧で、かえって芸術だの技術だの恥ずかしいだのって考えないですんだからかもしれません。そして目に見える即物的な「物」と「お金」を交換するという原始的な行為の中で、お客さんと「感性」を「共鳴」させあってるんです。自分の選択が「売れる」ってことは「認められている」という意味でやりがいになります。そりゃいっぱい売れるって事は良いことです。でも、ままかは「こりゃ絶対に売れる」とか、「不特定多数の人達が好きなはず」って言う物を置いているわけじゃないから(そう言う能力が欠如しているからさ)残念ながらいっぱいは売れない。でも、逆にその狭いスペースでは「共鳴」の深度が深くなる。「ままか」が我が儘な間はビッグなショップにならないだろうけど、「おもろい出会い」や「へんてこりんな出来事」をもたらしてくれることは驚くほどに真実です。何かにぶつかってはね返ってくるものがあると、「ままか」は私のゲロかもしれないが私の一部で出来ていて、なんだか電波を出せてるのだなあ、と感じる事が出来るのです。それ、とっても楽しい。振り返りもしなかった過去まで連れてくると、それはもうホントに私の恥ずかしい電波だと痛く感じます。
 さて、前置きが長くなりましたが(まじ長い)、コージズキンとトムズボックスで再会です。絵本を買うとレジのおじちゃんが「作家来てんだからサインして貰いな〜」って教えてくれ、そんな事考えてもいなかったので、嬉しいやら恥ずかしいやらでしたが、コージさんの側へ行ってみました。昨日会ったこと覚えてるかなあと思ったので「レイオーベイビーのCD、今日持ってくるの忘れちゃったので、山下さんに後日送ります」とアピール。そしたらわかった風に「あーそうーテープは持ってるんだけどねー、CDはないんだーありがとー」と言いました。そして本を受け取ってシャカシャカとサインを・・・その時、私は近くにあったコップを倒し、ワインをしとどに床へぶちまけたのです。オーマイゴッド。20万、25万と値札の付いた作品が所狭しと並んでいる空間で、ワインをしかも赤!こぼすなんて私のバカバカ!。「大丈夫、大丈夫」と優しいズキン。しかしどういった意味で大丈夫?見かねた編集さんが「すみませーん、またティッシュ下さい!」またって、前にももう誰かやってんのかい。拭くだけ拭いたら耳赤くしてその場を逃げました。わー!ダーにその事を報告してると、すぐに桜井も耳赤くして戻ってきて「わたしもワインこぼしたゲヒヒ」。そんな私達にダーは冷や汗で応えていました。まじで1作品軽く十数万単位ですからね。でも絵本だったらその絵を片手で持って帰れるのに千円ちょっと。贅沢なもんだなあ、なんて思ってしまいます。
 その本屋さんトムズボックスの下階で飲み会。だーっと並んだ人達はいわゆるA面の人々。絵本作家のみなさん、編集の方々、ミュージシャンさん。長いテーブルをぐるっと、山下さんからの紹介が回ってきた時、私達も私達をどう説明したら良いか悩みましたが、山下さんも悩んだらしく導き出された言葉が「ネットで知り合った人達」・・・あー・・・それってなんかやばくなあい?ダーにいたってはそこでもどこでも私達のオマメって感じで誰にも紹介もされず(私達もそれどころじゃなく)、よく泣いて帰ったりしなかったと感心します。こうやって周りが本物だらけになると、もう自分の小ささををどう誤魔化したってしようがありませんし、果ては相手の記憶にすら残らないかもしれないので、緊張したってしようがないです。それに宴会が始まってしまえばどんな有名な人達もただのアホウと化すので心配いりません。最終的には紹介されなかったダーものりのりで燦々手拍子足拍子。コージズキンもレイオーベイビーのごとく嘘っこギターをジミヘンばりに弾きまくってヘッドバッキング。私もズキンと一緒に「レイオーベイビーの歌」を即興で作り大いに歌いました。そしてついに「十数年前から大ファンでした・・・・」とはっきり告白した桜井。その言葉に照れっ照れのかわいいコージズキンを見てしまった桜井は音を立てて壊れ、もうコージさんが隣に座って歌ったり、喋ったり、息をしたり、飲んだり、吸ったりしてるだけで「きゃー殺して〜今殺して〜メロメロ〜」と叫んでいました。こんなですが、いつもより弱めの宴会だったとのこと。陽気なエキセントリックさでみんなを振り回し、気ままに席を移動しているように見えるコージさんなのですが、実は来てくれたみんなに気を使っているみたいで、まんべんなく匂い付けして歩いているようでした。匂い付けと言えば、歌う度に着てる服を脱いでいったコージズキンは最終的には上半身裸になり、桜井の顔に脇の下をペッタリくっ付けていました。「におえ〜におえ〜」って。十数年来の恋を打ち明けた桜井が拒否するわけがありません。それに桜井は匂いフェチ。くんくんしてました。目撃しました。告白します。
 3時間過ぎた頃3人電池切れ。みなさんより一足お先に帰宅です。だって、私達明日もサンシャイン60でコージズキンのライブペインティングを見るんだもの。明日は新しい絵なんだもの。前作の完成したのも見るんだもの。いい気分になったダーがお花屋さんでミニ薔薇のブーケを買ってくれました。本当に晴れ晴れと気分の良い夜です。電池が切れたはずなのに、電車に乗ったら充電されて、ホームグラウンドに帰ってからもういっぱい飲み直し茶漬けを食い、語り合い、最後には肩を組み組カラオケで、したたかに「秀樹・ジュリーショー」を開催したのでありました。(なんだよそりゃズキンと関係ないじゃん)
 「秀樹・ジュリーショー」で、すっかり声がハウスバーモントカレーになりましたがちゃんと翌日もきっちりサンシャインに急行。あんなに飲んでいたのに、コージさんはちゃんとキャンパスの向かってました。か、感服です。完成された前作は筆舌にがたく素晴らしい・・・。は〜これでしばらくすっかり満足。駆け抜けた2日間。明日から私達は普通の生活に戻りますが、こうやって時々好きな絵を見に来る楽しみが出来ました。宴会にもまた呼んでねA面の人達。送ると言っていたベイビーのCDを持ってきたので、帰りがけに
コージさんに手渡すと、また気を使ってくれたのか絵の具だらけの手ですぐにCDをかけようかけようと言ってくれてあたふたた。助手の方が駆けつけCDを受け取ります。そして・・・〜てれれてれれん、てれれれん・・・カッフェカリエンテカフェカリエンテカフェカリエンテ、ズンジャズンジャズンジャーン♪ サンシャイン60に響きわたるチューニングの合ってないギター、タイトルばっかり歌ってる歌。哀愁漂う声がメキシコから飛んできて東京に流れ出してます。お〜いベイビーなんか奇跡が起こっているぜ〜。
 
REY−OH−BEYVE、自らを王様と名付けた男。それは無学なメキシコの物乞い。「70ペソでこれを買っても、日本でコピーして売ればすぐに元が取れるぜ」と著作権を放棄した懐の広いミュージシャン。スズキコージの絵の前で聴いてみるとなんだかすごくいいもんに聴こえてくるではないか。ウハハ。いやいや、気のせいではないのです。スズキコージが愛し、私が喜び、桜井が酔ったその歌声は私達を同じ場所へ引き寄せた魔法、奇跡をくれたのはむしろベイビーなのです!70ペソの奇跡。やっぱりあんた天才なんだな。


 5月13日
 いやはや、大変お久しぶりになってしまいました。
 先週末は祭りでして、そう、それは人生においてそうはない大祭り。
 
 みなさんスズキコージという絵描きさんをご存じか。通称コージズキンと呼ばれるこの絵描きさんは、数多くの絵本を手がけておられるので、絵本画家を志す方や、お子さんのいらっしゃる方、ラテン魂持った方はご存じかと思います。とにかく、ダイナミックでわがままで自由で汚くて綺麗で強くて優しい、そんな絵を描く人です。ひょんな事からこのズキンさんとご縁が出来まして、週末はズキン展をはしごしてたんです。私は昨年の10月から11月「死者の日」に合わせてメキシコへ買い付けに行ってました。「死者の日」はメキシコのお盆です。どうしようもなく力の抜けたガイコツグッズがたくさん売り出されまして、私もそこでたくさん腑抜けなガイコツを買いました。中でもお気に入りだったのはガイコツのお皿。ある日、あるお客さんがネットサーフィンしていてうちのお皿を見つけ、いたく感激して下さいました。その方は毎年ガイコツ祭りに行っているのに、こんなの見たのは初めてで!思い切りツボにはまった!と喜んで購入してくれました。きっと来年もメキシコに行くんだろうにうちで買ちゃっていいのかな、なんか悪いな〜って思いましたが、晩のおかずを一品増やしたかったのでそれは言わずに売りました。お皿が到着した頃、彼女から「買い付け日記のメキシコ編読んでます!」といささか興奮したメールが来ました。それもそのはず、彼女もオアハカに滞在した時に同じギターの流し哀愁の物乞いレイオーベイビーに魅せられ、また我々と同じように彼からテープを買ってしまったお馬鹿さんだと言うではありませんか。爆笑と共に凄いご縁を感じたのは言うまでもありません。すぐさま私をメキシコへ誘った女桜井にその事をメールしました。桜井ももちろん爆笑。だってオアハカに流しがどれだけいるか・・・それでも同じ流しに目を付をつけたなんてもう「心の友」以外の何者でもありません。そんなある日私がネットサーフィンしていると、どこかで見覚えのあるドメイン・・・。あれ?これ彼女の会社?そのサイトはある画家さんの事務所サイトのように見えました。モニターを通すと塗られた素材の質感なんかはやっぱり解りづらいのですが、それでもそのキッチュで残酷で愉快な画風は私を立ち止まらせるに充分でした。しばらくそのサイトの中で遊んでいると、その画家さんが私の大先輩元夫婦と縁のある方だと言うことが解りました。なんじゃあそりゃあでしょ。えーっとねえ、私が大学生の時、女の大先輩が渡米することになって、荷物をそのままにして良いならという条件で当時の私のボーイフレンドに部屋を貸してくれたんです。その先輩はすでにバツイチで旦那はやはり同大学の先輩。で、その旦那の荷物も少々残っていました。私は会ったことがないのだけれど、その元旦那はちょっとした有名人でアンダーグラウンドフォーク界の旗手「休みの国」のボーカル・海賊さんという男なのです。この人とこの画家さんが高校時代からの友達(美術部仲間)で彼のレコードジャケットなども手がけているとサイトには載っていました。あの部屋は荷物が置きっぱなしだったから、アンダーグラウンドの資料満載で「浅川マキ」や「ジャックス」なんかもそこで聴いてました。私は画学生だったし、偶然にもアングラ好きだったのでいろいろ引っぱり出しては観たり聴いたりしてたわけです、壊れた夫婦の残骸を・・・。いえいえ、そのレコードやなんかをね。うちの大学自体がアングラだからか、20歳くらい年の離れたその先輩達の音楽を聴いているのも私だけじゃなかった。ホントにまだまだ仲間内では有名なバンドだったんですよね。あの部屋を介して先輩達にとっての青春の断片は、同時に私の青春の一部にもなった、そんな感じだったんです。初めて訪れたサイトに懐かしい名前を見つけていきなりなんだか穿り出されたような気分になって、すぐに彼女にメールしてみました。「これって山下(仮)さんとこのHPですか?」と。すると「私が直接やっているものではないのですが」と、やはり彼女関係のサイトでした。「ところで本題!」と彼女は買い付け日記を読んだ感想の続きを話してくれました。そして共にレイオーベイビーを知る数少ない日本人であるスズキコージさんにも、私の日記を読ませてくれると言うではないですか。ガイコツのお皿→レイオーベイビー→休みの国→スズキコージ。好きなものを辿っていたら自然にその人に近づいたのか・・・わかりませんがこのお皿とお皿を買ってくれた山下さんはすごいな、と思わずにいられません。今まで出会っていない事が不思議なくらいいつもニアミスを繰り返していた人達とやっと出会える・・・コージさんの絵もしかり、そんな感じです。しかりではあるんだけど、縁があってもなくてもそれとはまた別にコージさんの絵はもっと側で観たくなってしまって、「イベントのお知らせを下さい」と山下さんにお願いしました。あ、そうだ、桜井は痩せても枯れてもイラストレーターなので、「スズキコージって知ってるう?一緒に行かない?」とメールしてみました。すると「・・・十数年来の大ファン・・・泣」だったのだそうです。やっぱり濃い。この縁は濃いよ。その週末、ダーとサンシャイン60のライブペインティングへ。ライブだからコージさんがいます。しかも描いてる。うー緊張します。やがて山下さんともお会いすることが出来ました。初めて会った気がしないとはこのことかと。コージさんが雄大な仕事を成し遂げているその横で意気投合してしゃべりまくってしまってごめんなさい。その時に私達がオアハカに居たのはまったく同じ日だったことも発覚。街で桜井と私がちょっと言葉を交わした女性は山下さんのグループの方だったのです。「女の子2人なのにバスでここまで来たって言う人達がいたの!バスで来られるの?」と私達のことを山下さんに話していたらしい。「ぎゃーすごーえーこわー」とお前らは女子高生かの様子。山下さんがコージさんを呼んで紹介してくれました。いやー緊張しちゃうな。「こんにちは。はじめまして」と言うと「ブブブブブエノスタルデス」とコージさんは言いました。聞きしにまさる人付き合いの下手なヒッピー(桜井談)です。
 そんな初対面から翌週、今度は桜井も伴って吉祥寺のトムズボックスへ。スズキコージが拡声器を使って、中庭から意味不明のスペイン語もどきを発しています。そんなこんな日、私達は夜の宴にもお呼ばれされていたのです。
 つづく・・・
 5月8日
 珍しく宣伝しちゃうよ〜。だって見ていただけましたか?桐の下駄。はー、もうかわいいんです。かわいいだけじゃなくて、もう本当に良い仕事。改めて日本人の細やかな気質と真摯な仕事ぶりに打たれました。ひょんな所で、これを製作されているご夫婦にお会いしたんですが、ま〜職人さんって言うのは商売っ気がないっていうかなんというか。技術の説明や下駄への思いは話してくれるんですけど、いざ具体的に交渉となると何故か逃げ腰・・・。「ええっとー、取りあえず静岡へFAX下さい」って、今会ってて物もここにあるのに何故わざわざ帰ってから交渉する?!なんとか説き伏せてうちの分を作って貰うことが出来たのですが、届いてみたら数が足らない。もっと欲しかったのになあ。電話で聞いてみると「数とか柄とか、それがどうしてもって言うんだったら、オーダーの時にそのことをFAXに書いて下さい」って私が最初に言った数がどうしてもって事じゃないって誰が決めた!こら!FAXじゃなくちゃダメなのか!と、まあ、そんな感じで人としてすれ違うのですが、こんなことアジアで慣れっこさ。このクオリティーの前にはひれ伏すしかありません。何が良いって、ここは日本ですからお金さえ出せばそれなりのお品物が手に入るのは言うまでもないと思うんだけど、これはさあ、値段も楽しいんだよね。口べたなご夫婦が、若い人達にどんどん良い物を履いて貰いたいっていう気が伝わってきます。ご本人が語らずとも下駄が語っております。アジアンなお洋服との相性はばっちりだから、どうぞお手に取ってみて下さいな。

 5月6日
 終わっちゃいましたね〜ゴールデンウィーク・・・。私には無いも同然なんだけど、浮き足だった世間の空気が収まるとどこか淋しいもんです。なんちて、GW中は売れなさすぎ超ヒマヒマで、自分も必然的に休んじゃってるからじゃないか。好きな仕事しているのに、たとえ売れなくてもお休みが好きってのは、ダメ人間か?人の性なのか〜?一昨日豆田カップルが遊びに来たので、焼き肉の後カラオケっちゅうそれこそゴールデンな金食いお遊びコースにふけって参りましたが、全員が新着ページを開ける必要がないくらい流行りに疎い。30分もすりゃあ、聞く人の事を全く無視したマイワールドのオンパレード。最終的に俺達がたどり着いたのは尾崎豊さ・・・まずはシェリーでひと泣き(ちなみに、ここに尾崎ファンは皆無)。「行儀よくまじめなんてクソくらえと思った〜夜の校舎 窓ガラス壊してまわった〜」中学生の時17歳の地図が出たから尾崎と私は同年代。しかし当時は全然、そりゃもうまったくと言っていいほど尾崎にシンパシーは感じなかった。俺は〜学校が楽しくて楽しくてそれどころじゃなかったのさ〜悪は中学で卒業したのさ〜ペッ!(尾崎風に。ペッは別途)そう、なのに歌ってみると何故か乗るんである。今の方が尾崎なんである。いったい何に支配されているのか私!何から卒業したいんだ私!あと何度自分自身 卒業すれば〜〜〜オーオーオーオーここでは全員手をフリフリ。総勢4人の尾崎豊はビブラートのええ声で大熱唱。私だけでなく、大人になってからの方がみんな世の中に不満があるというのか〜(尾崎風に)。先生!あなたは かよわき大人の代弁者なのかー!のところなんか豆田立ち上がって指立てて額に筋たててました。目撃しました。報告します。豆田は先月リストラされ「先生!」のところを「部長!」に心で変えていたのかも知れません。負けるな〜生きろ〜豆田〜!うわ〜号泣!
 ま、歌が終われば悪酔いだったような、そんなかよわき大人達。反省しました。大人げなかったです。もうしません。と言うことで、大阪で生まれた女アコースティックバージョン(大阪出身者はいない)酔いどれ風に大熱唱。総勢4人のBOROは家路に向かいました。帰り道、悲しい色やねん再確認とか言って、深夜霧に煙る南行徳駅前をチュッパチャップス(スイカ味)マイクで熱唱。出会い頭にあたしのハスキー秀樹ボイスに襲われたカップルさん、ごめんなさいでした。
 やばいよこのままじゃ、とにかく新曲だよ。

 5月3日
 ゴールデンウィークだというのに、ここを読んでるみなさん、こんにちは。ようこそ、私も何処にも行かずここにいますとな。
 
 あのねー、ままかのドラゴンプリントスカートが映画に出演させてもらえるそうです。なはは〜。キャパ40という小劇場での上映だそうなので、焦ってチケットを購入しました。我が子の晴れ姿を観てきます。上映についてはこちら。エンドロールに「南国よろず屋ままか」って出ちゃうんだって。ありがたいです・・・


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