◆過去小事
2001.07

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「裏小事(占い付き)」


8月30日
株価は下がる一方。ついに一万一千円台を割りました。みなさんお久しぶりで。
外務省が税金を詐欺しているそうです。国民の怒り、国民の血税になんてことを!とマスコミは言っていますが、実際、ピンと来ている人は少ないんじゃないでしょうか。サラリーマン大国日本って国は、政府にとってものすごーく都合良くできているように思います。サラリーマンの方々は「源泉徴収」というかたちで、毎月お給料から税金を先払いしてます。住民税や厚生年金なんかも引かれていますよね。それはそれでもう仕方のないものとして、いつの間にか引かれていることには麻痺して、手取りの部分だけを見るようになってしまう。年間にして考えてみてください。ものすごーい額じゃないですか?まさに血税。私は派遣を辞めてからは、見た目サラリーマンのようでも実はフリーランサーだったので、毎年自分で確定申告をしていたんです。もちろん今は見た目も完全な自営業ですので自分でやっています。そうすると、税金に対して敏感にならざるを得ない。正直言えばなるべく払いたくない。源泉徴収される事はないから、その分を貯めて置いて翌年の支払い月にいっぺんに払います。これは痛い!お給料から毎月少しずつ払っていると言うことは、その時々の痛みも分散されますし、まず国にとって取りあぐねはなくなります。システムとしてはすごく良くできていますよね。でも、痛みが少ないと言うことは「怒り」を導きませんから、手元に来ないお金に対して執着が薄れてしまいます。中には取られているものが財形なのか税金なのかすら解ってないのもいる(某友人)。怒らない国民を作る、と言うところまで良くできているシステムのような気がしてなりません。それってなんとも腹立たしいです。相続税とか、贈与税にしたって、自分が譲り受けた財産を結局国に収めることになっていると言うのはどういう理屈なんでしょうか。主婦の方は旦那さんの扶養範囲内で働くために、年間一定額を越えないように気を付けて働いたりしてますよね。これは女のパワーを弱められているようにも思います。そもそも妻を扶養するって考え方が私は好きじゃない。働きすぎると、働かないより損するから抑制して働くようにするんでしょう?もっと働きたい妻はもったいないですよね、残念でしょうね。20才を越えた学生の子供を持つご家庭では、何人分もの国民年金を支払って、その年頃の子のいる家はお父さんが40才を越えているだろうから福祉税も支払って、それとは別に所得税、住民税、固定資産税なんかも払っているわけです。よく生活できていると思います。この豊かな国で、自由にのびのびと働くこと、好きなことをして食べること、と言うのが非常に難しいと言うことですね。日本はけして豊ではない、とよくお役人は言ってますが、本当ですね〜。こと、最近では失業者が増加してアルバイトさえ探すのが難しいと言います。そしたら結局国に税金が入らないことになる。国は税金に対してますます目を光らせるでしょう。ホントは結構あまってんじゃないの?お金。毎年、来年の予算枠を確保するためにする年末の無駄な工事とかやってんじゃん。まあ、日本にいると怒り方を忘れてしまうと言うか、私もとってもフラットな気持ちで生きていられるので楽なんですけど、それって鬱の症状にも似ているような気がします。好奇心とか、やる気とか、そういうのって気分ですからね。気分から生まれる事ってたくさんある気がして、でも気分があることすらあまり感じられない。国を保持するために税金が必要なら、もっと良くわかるかたちで支払う方法ってないもんでしょうか。理想論で言うなら、「必ず役にいたっている」と言う確信を持って支払うことが出来るようなね。とにかく、今は騙され取りされている感じがしてならない。子供の時お年玉を親にだまし取られて、それは結局花嫁資金に貯めてくれていた、なんて話を聞くこともありますけど、私たちは政府の子供じゃないので、大人らしく意識的に税金を払っていくようにしたいものです。投票率もあがるでしょうよ。
夏休み、とうとう終わっちゃいますね。宿題の終わらないちびっこはまさに青天の霹靂、世界の終わりのごとく泣いているでしょう。毎年泣くのに、毎年何かが残っている・・・学習能力とも言うのだけれど、大人になってもそう言う奴はそう言う奴だったりする。三つ子の魂百まで?でも、そんな君が好きだ。がんばれー。
8月23日
みなさん無事でっかー。のろのろ台風は2度も千葉に上陸したんですが、なんちゅうこともなく。ホントに拍子抜けとはこのことか、という程度のものでした。被害と言えばダーが現場待機で昨日から帰ってきていません。昨日は土嚢を積んで、今日は土嚢を降ろしているんでしょうか。現在深夜1時を回りましたよ〜。この調子じゃあ、今日も帰ってこないなあ。土嚢ほったらかして飲んでんな、こりゃ。
台風の夜に一人で、この町は海に近いしいろいろ心配じゃない?って思うとわくわくしますね。意味もなくカップラーメンとか買って置いた方が良いんではないか、とか、ろうそくや懐中電灯なんてどこだったかなーなんて考えたりして。自然の猛威を知らない人は愚かですねえ。英語もタイ語もお休み。小学校以来の連絡網なんか回ってきて盛り上がってたんですが、雨風ちょろんで終わってしまいました。でも全国的には年間降水量の半分くらい降ったんですよね。すごいすごい。
子供の頃、嵐の時は酷くなる前に授業中止、防災ずきんを被って集団下校をしたものです。うちの小学校は一年生からバラバラ下校だったのでそれはそれは楽しかった。弟が病気で入院にしていたので母さちこも付き添いで家には居らず、停電した家中にばあちゃんとじいちゃんと仕事をあがって来た父よしおが待っています。雨は床上浸水しそうな程上がってきますが、うちは少し玄関までが高くなっているので、よくそれをじーっと見ていたものです。一度よしおが「カップラーメン買ってきて」と言った事があって、近くのコンビニまで傘をさして行ったら、停電の店内は凄い行列。カップラーメンと大好きなポテチをなんとか買って家に帰る途中、頭上を大きな看板がボーンと飛んでいって、あちこちの家のなんだか良くわからないものが飛んできて怖かった。傘なんて役に立たないからびちゃびちゃ。タオルで良く拭いて、ラジオを聴きながらゴロゴロしてるとプールの後みたいなだるい気分。ラジオからは梅図かずおの歌「M・A・KOTO、まこと、まこと、まこと、まことちゃん」がかかっていたのを思い出します。後日母親にその日の買い物風景を興奮気味(喜びをもって)に報告するとよしおは怒られてました。そうだ、考えてみればひどい。別に家に食べるものがなかったわけじゃないのにさ。その時刷り込まれたのか、台風が来ると「カップラーメン」と思ってしまいます。普段食べないものなので、非日常とセットになりやすかったんでしょうかね。
8月20日
18.19日と前置き無くお休みを頂いて、仲良しのお友達と海に行ってきました。お盆も終わりで内房総はとてもすいていて快適。台風が近くて海も荒れ気味、ますます面白かったです。でも、もう1日遅いと海は終わりだったんですって。夏って短いわ〜。この辺りは何と言っても魚が美味しい。近くには小さな漁港がたくさんありますし、保田港というちょっと大きめの漁港もあります。まぐろなんて言うのはこのへんでとれる物ではないので、当然出てきません。今の季節ならイサキやサザエ、金目鯛などが旬なんです。あまり知られてはいませんが、千葉はこしひかりもとれます。我々が泊まった民宿ではそのこしひかりの高グレードを出してくれていて、お米も美味しかった!海で大暴れして痩せるどころか、太って帰ってきたように思います。ほとんど人のいないビーチで海水浴しながらビールをしこたま飲み(私はウーロン茶を)、温泉に入ってからビールをしこたま飲み(私はウーロン茶を)、晩ご飯でビールをしこたま飲み(私はウーロン茶を)、夜は花火をしてワインを飲み(私は一口のみ)、予算を大幅に上回って買い込んだつまみと各種酒類で宴会、大人の7並べで夜が更けるまで大騒ぎをしたのでした。翌日は重たい体を引きずって、新潟ロシア村に続き千葉なのに東京ドイツ村というところへ調査へ出向き、入場料を払ったにもかかわらず、飯食って、芝生で寝て、歩いて、飲んでだらだらだらだらしたのでした。(調査の結果あまりドイツとは関係ないことが発覚)広々とした芝生はもともとゴルフ場の様で、大きなパターコースもあったのですが、大人達は前日までの酒に金を使い果たし、参加できない貧乏人が続出・・・見てるだけという始末。ここにいろいろ書きたい出来事はたくさんあったのですが、とにかく今は思い出すのも面倒くさい、大変疲れています。喋りすぎてのどか枯れているため、帰りの車内では西条秀樹のものまねを披露できるほどでした。ああ、それなのに、また今日も昨日のメンバーの一人とタイ料理のランチに出かけて2時間も喋ってしまったのでした。疲れたーと言いながらも、今日出勤したみなさん許して欲しい。と、一応言ってみたがこういう時こそ幸せを感じずにはいられないネットショップオーナー、自由の証でガッツポーズ。
8月12日
お盆ですね。ご近所さんもみんないないや。
みんないないので、すいているかな〜と思って、昨日美容院へ行ったらば凄く混んでました。昨日はただの土曜日だったのか?そこでショックなことがありました。私に渡された雑誌は「VERY」・・・これって奥さん向けの雑誌じゃん。実用的上品でハイセンスな奥さん向きの雑誌。およー・・・もうどこから見てもそう言うお年頃に見えるのでしょうか。ショック〜。会話も、「今日は旦那様はお休みじゃないんですか?」とか、そりゃあ、君たち童子から見れば立派な年上女だが・・・。今まではさー、渡されてもまだ「Supur」とか「フラウ」どまりだったのよ〜。もうnon・noもSpringも読ませて貰えないのね〜終わったわ〜。爆発スパイラルパーマをかけにいったんだけど、そんな自分が恥ずかしくなっちゃった、とほほ。「おばちゃん、若作りしてる」って思われていやしないか、意に反してエレガントなスパイラルにされやしないか、ひやひや。もう絶対「VERY」は拒否しないと、と訳のわからん怒りが湧き、二度目に持ってこられた雑誌からは「GINZA」を選んでやったわ!でも、二度目に持ってこられたラインナップだって「GINZA」「ELLE」「VERY」だわよ。私ブランド興味ないんだってば。世間ではブランドが買えるお年頃ですけどね・・・つまりそう言うことなんだな。くそお。
8月6日
今日は56年前、広島に原爆が投下された日ですね。最近ではめっきり特集番組なども減って、敗戦の夏というイメージが薄れています。私が子供の頃は、この時期になるとテレビもさる事ながら、新聞はもちろん、写真展や映画も戦争をテーマにした物が増え、あちこちでこのテーマを目にしたものです。課題図書なども戦争を扱った物は多かったですね。夏休みの感想文はそれを読んで書いたりしました。その時に出会って今でも好きな作家がいます。松谷みよ子作「ふたりのイーダ」。今でも大好きな作品で大事に持っています。しばらくはこの人の作品に夢中で、ずいぶん読みあさりました。「東京が燃えた日」「猫は生きている」「パパママバイバイ」などを書いている早乙女勝元は、戦争についての著作が多く、軍備に対して筆で戦う人です。この人の書いた「ベトナムのダーちゃん」で子供の私は「ベトナム」と言う国を知ったし、ベトナム戦争をニュースではなく物語として認識しました。本当の怖さや、その怖さの意味は大人になって解ることの方が多いかも知れません。私自身、小学校5年、6年と連続して夏休みの自由課題を「東京大空襲」と「広島・長崎」で膨大な資料を作りましたが結果は「銀賞」で、何故かというと明確な感想がみられなかったからだそうです。自分でもうまく自分から言葉を引き出せていないことは解っていたのですが、何も言葉が浮かんでこない。でも、感じていることはたくさんあったように思います。写真を見すぎて原爆症を追体験してしまい、具合が悪くなってしまったこともありました。今なら「言葉も見つかりません(絶句)」とでも言えたのでしょうが、その頃は何も言えませんでしたね。何も言えない、何の感想もない、と言うことをしばらく後ろめたく感じていたのですが、今思えばどうっちゅう事もなかったんですよね。感じると言うことは大事だったんじゃないかな?と思います。きっと感受性は子供の方が鋭いでしょうから、大人の大好きなしつけ、「良いこと」「悪いこと」を教えるというのであれば、このテーマも是非その中に入れて欲しいと思います。今年、広島の小学生からアンケートをとったところ、原爆投下の認知度が5割という驚くべき現実があったそうです。これが悲劇でなくて何でしょう。日本人がきちんとこの戦争を総括できていない、大人の意気地なしが顕著になったとしかいいようがない。そろそろ戦争体験者も高齢になり、年々亡くなってしまいます。聞いていない話もまだまだあるでしょうし、日本からの視線ではなく、アジアからの視線、アメリカからの視線でも語ればつきないものがあるのではないでしょうか。56年前はあまりにも最近ではないですか?私たちの世代で勝手に終わらせてしまうような事になったら、それこそとても怖い気がします。
8月5日
あちこちで、花火大会など賑やかですね。夏だー。
そうそう、ご報告。やっと千葉でも蝉が鳴き出しましたよ。なんですか、蝉には暑すぎたんですって。
そして、更にご報告。昨日やっとベトナムから荷物が届きました。これから再入荷商品が続々続きます!
ああ、あれのあのサイズが無くて買えなかった!と言う方、今季最後の入荷ですので今度こそお買い逃しのないようがんばってくださいね。何故か、サイズの統一がいつも出来ないベトナム・・・。今回もまた入荷された物のサイズが若干違います。かえって自分にぴったりになった、というあってはならないラッキーな方もいらっしゃると思いますので、チェックお願いします。
ほとほと憎いベトナム・・・。憎いと言えば!先日ハノイからホーチミンに移動中のでかい荷物が1個無くなる事件がありました。なーんの補償もありません。くっそー!なんだかうちで仕事できて良いですね、なんて言われることもありますが結構これでも苦労してるんでっせ。私自身、始める前は時間が自由で良いなあ、と思っていたんですが、やってみればほれ、一日中PCに貼り付いているか、段ボールと格闘しているかで、花火すら見られない有様です。世の中ベトナムブームが続いているようですが、別にこっちには大して良い影響はないので、早く終わって貰いたいです。買い付けのチケットもとれやしない。・・・愚痴でした。
今日は、近くの小学校で自治会が盆踊りをしていたので見に行きました。ドンドンドンコロコッコドドンがドン、と言われると体がうずく祭り好き。ちょっと見て帰るつもりが、ダーと一緒に踊ってしまいました。ああ、踊るのは20年ぶりくらいでしたわ。丁度そんなこんなでくさくさしてましたから、気持ちよかったです。ちょっと遠慮してへたくそに踊ってしまいましたが、私日本舞踊をやっておりましたので、うまいんですのよ、ほーっほっほっほ。お見せしたいわあ。
すっかり調子づいたところで仕事しま〜す。はー
8月1日
先日、母さちこと恒例のお芝居を見に行きました。これは市民グループでやっている鑑賞会なので、どうもおばちゃんが多い。そして、テーマは「介護」やら「ボケ」やらが多い。「黄昏の」とか「夕暮れ」とかタイトルにあると、あ、またボケか・・・と思うのだった。いえ、どれもテーマは身につまされるものだから、ついつい一生懸命見ちゃううんだけどね、おばちゃんたちも「たまには夢のある物見たいわねえ」なんて言ってますわねえ。その日のタイトルは「黄金色の夕暮れ」あら、また夕暮れよ、と思ったんですが、作が山田太一です。山田太一と言えばみなさんご存じ「ふぞろいの林檎たち」。これは青春ドラマですが、実は山田太一の作品にはうらびれたサラリーマン、中流より上の家庭と言う設定の物が多いのです。で、これもそうでした。私は山田太一は昔から好きだったので、よく本も読むし、ドラマも見るのですが、このタイトルの物は知らなかったのです。おばちゃん達手作りのパンフレットを読むと、俳優座の為に書き下ろした本だと言うことが解りました。これは楽しみ。俳優さん達も昔この人テレビによーく出てたわ〜って言う懐かしくもしっかりした演技の方たちばかりで危なげなく小気味よく充実していました。セリフもかなり笑えるので、たーっと見てしまったのですが、よくよくテーマ的には結構重いんですね。銀行の支店長までいったお父さんが、平日のお昼に家へ帰ってくるところからドラマは始まります。娘も息子もおばあちゃんも「何で帰ってきたの?」となかなか聞いてくれない。妻も忙しそうなんです。お父さんは上司に言われて総会屋に1億円の不正融資をします。それは銀行という社会だし、サラリーマンだし断れない。結局問題は表面化し、検察が社内に入ることになる。会社からは君が弱みを握られて、個人的に融資したという事にしろと言われる。で、お父さんはまさか銀行はこのまま自分を見捨てやしないだろうと、会社のために必死で秘密のフロッピーを隠します。それを隠すために家に戻ってきたんだけど、すぐ家宅捜索されちゃって、あっさりフロッピーは押収。後は天の声を待つばかりです。そこへ検察の男がやってきて、フロッピーを見なかったことにしても良い、と言ってきます。検察の男は、自分の娘と、このうちの息子が仲良く並んで写っている写真を家宅捜索の時に見つけてしまったのです。検察の男にも家庭の事情がいろいろあって、娘にはこれ以上嫌われたくない、もしふたりが恋仲ならロミオとジュリエット状態になってしまうので、検察の使命を裏切ってさえもなかった事にしたい、と言うことなんです。天から降ったは蜘蛛の糸、家族はにわかに総毛立ちます。普段は金平糖のようにとんがって、かりかりして潤いのない娘は社会の不条理を語り、父を守ろう、法から逃げ切ろうと家族を説得します。駄目を絵に描いたような息子は、始めて父のために一肌脱ぎます。普段のけ者にされているおばあちゃんは、名演技で家族のピンチを救います。妻は持ち前の明るさで全て受け入れていこうと腹を決めます。そして、「正義」とは何か、という問いに立ち向かっていくわけです。法律なんておおざっぱな物で、ぴったり来る人なんてそうはいない、正義を貫くことは本当に正義なのか、正義より大事な物はないんだろうか、そもそも正義とはなんぞや?と。家族として初めて立ち向かわなくてはならなくなった試練なのです。お父さんは結局捕まる腹づもりを決めるのですが、決断は「正義」を守るために決められた事ではないように思われます。「ふたつの家族」にとって、この非日常は必死になればなるほど、面白い出来事になっていきました。一緒に暮らす人たちの意外な一面、それがその人のほんとうの姿だったりして驚き、感じ入り、それが実はすごく面白くて充実した時間だったりするんです。流れに任せて面白がりながら越えてみようか?という感じになっていきます。おばあちゃんは「嫌なことには必ず良いことがいっぱいくっついてくる」と、お父さんを肯定します。さてその後はどうなりましたものやらでお芝居は終わり。
最近、似たような話が身近にありました。ある人が捕まったのです。真実は一つですが、報道側のストーリーと、その人のストーリーにはたいそうギャップがありました。例えば自分の友達が捕まったとき、まずどう思うでしょうか。出来ることなら「法律を犯したから悪い奴」と思う前に、マスコミと肩を並べて罵倒する前に、「友達」である事実を忘れずにいたいです。それは、そう思えるそれまでの関係があってこそなんですけどね。「正義」が秩序の為に関係を引き裂いたり、関係を見えなくさせたりする社会はきついです。そして、「正義」とはなんぞや。切り取られた一面だけを正義で裁けるものなのかと問いたくなります。小さな関係の中での小さな「正義」それは「約束」って事かも知れませんけど、それだけを大事にやっていきたいもんです。



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