◆過去小事
2001.06

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「裏小事(占い付き)」


7月30日
小事です。お久しぶりです。
さて、選挙が終わりましたね。しかしどうなんでしょう、この選挙制度。相変わらず解りづらいですね!
選挙の番組一色だった昨日の夜。あちこち回しながら私も見ていました。どこの選挙区にどんな人が出て、その人がどうなるか、自分の投票できない選挙区であってもなんとなく人とナリが解ると気になって魅入ってしまうものです。しかし、それもどうなんでしょう。その人とナリがわかったところですでに投票は終わっているのです。なんでこれを選挙前に出来ないのですか?これだけメディアが出揃っている昨今、選挙前の報道が各党の動きしか追わないと言うのは納得できません。選挙カーで手を振られて、名前を教られてもその人が何を訴えているのかはさっぱりわからない。すぐ忘れちゃうし。結局、当日投票所の前のポスターを見て誰が自分の地区から出ているかを知る始末です。だいたい、選挙カーや駅前の演説はうるさい。私には迷惑先晩みなさんはどうですか?うちでゆっくりご飯を食べながら、自分の選挙区の人の姿を見たい、声を聞きたいです。NHKでは昔から、テレビ演説をやってますが、ああいう形ではなく(いえ、あれもかなり面白いので残してください)、その人の動きがドキュメンタリーで解るようなものが見たい。5分でも良い。確かにドキュメンタリーとはいえ、人の作る物には作り手の主観が入り込んでしまったり、新手の収賄事件なども起きるかも知れませんが、全民放で様々な方向からその人を追ってくれないもんか。恐らく今よりかはマシなはず。他の選挙区の人も見ましょうよ、全国で全員見ましょう。受動的にはテレビやラジオで、能動的にはネットを繋げばいつでもその人の公約や出馬動機、派閥など細かいことも知ることが出来る、それも本人が宣伝で作るんじゃなくて第三者が作る。候補者は死ぬほど来るメールに返事を書く。そんなふうにならないものでしょうか。こんなに情報の少ない選挙前では、誰のための選挙だか、わかったもんじゃない。少しでも小泉氏の後押しになるならと、自民党に入れた人がたくさんいるようですけど、その人達の期待どおりの人がうかったんでしょうか。疑問です。
真紀子の客いじり、「候補者は誰ですか?何を訴えているかも知らない」の応援演説も不愉快。
巨泉の髪型も不愉快。

まず「靖国参拝」が最初のテーマになるだろうと言われています。
なにもかも小泉さんのやりたいようにやるのが「改革」なんでしょうかね。靖国参拝も「改革」だとするなら(全然繋がらないと思うけど)、もっとも後手に回していい問題のように思います。少なくとも今やる必要はまったくない。中国・韓国共に国民感情と政府の動きにはそれなりのギャップはあると思いますが、加害者と被害者では時間の流れ方も違います。こっちの国民にとって「どっちでもいいから、小泉さんに任せる」という気分が、あっちにとってその程度の問題なのか疑問です。それをこちらで考慮しないで向き合っていること自体が不安です。
「例えA級戦犯が祀られているとはいえ、今は仏です。仏を打つ様なことを私は出来ない」と小泉さんは言ってました。「あそこは仏を祀るところではなく、神を祀るところだから問題なんですよ」と有田さんが言ってました。いすれにしても「死人」です。「死人」の為に誰かを不愉快な目に遭わせることもないではないの。嫌われる必要もないではないの。それが新しい関係を築いていく突破口にでもなるというの?ようは、小泉さんの気が収まらない、という感情的な問題なんでしょ。そんなのに付き合いたくない。仏を敬うのであれば心の中で手を合わせてくれ。
7月20日
まいってます。かなりこの夏・・・本当に体力なくなっちゃったなあ!なんだか暑さの中で朦朧と眠い・・・眠さを我慢していると頭が痛くなる!もともと頭痛持ちなので、すぐ頭に来ちゃうんですね。電磁波防御のエプロンすらつけたくない・・・ああ、だるい・・・。こんな時には口の皮が破れるほど辛い、タイ料理が一番です。昨日、タイ語教室の帰りにもお友達とダーと、軽く食べて帰ったにもかかわらず、今日の晩ご飯もタイご飯。ダーが六本木で野郎どもと飲んで帰るというので(とはいえ、一本50円の焼鳥屋らしいが)私はひとり。ご飯を作るのも面倒くさいし、頭が痛くてPCの前にも居られないので、近所のタイ料理屋さんにふらふら行ってきました。ここはいつもお世話になっている気の置けないお店だから、私でも大丈夫。そうそう、以前勤めに出ていたとき、何故か一人でランチを食べられなくなってしまったことがあるんです。あまりに参っちゃうほどくだらない現場にあたってしまって、なんだかいろんな事がうまくいかなかった時なんですけどね。一人で食べていると自意識過剰になっちゃって、どうしても食べ物が喉を通らないんですよ。自分では周りのことなんか気にしていないつもりなんだけど、つまりはそう言う事みたいです。いやらしいわよね、あたしの事なんか誰も見ちゃいないって。なるべく人が来ないような所へ行ったりしても、誰かがドンって座ったりしたらもうだめ。のんびり出来そうな所って都内にはなかなかないし、回転の良いところの方が返っていいのかな?と思って人気のパスタ屋さんとかにわざわざ行ってみたりしたけど、私だけが営業妨害みたいに回転できない(^^ゞそれがなんと、そのくだらない現場で食べるのは大丈夫なのだ!あれ以来、外で一人ランチを食べていないから今はどうか解らないけど、今でもやっぱり一人で食べるなら食べないかな。食べられるとは思うけど。買い付けに行ってても向こうの友達とか、取引先とか、ハンちゃんとか、行きずりの人とか、なんだかんだ誰かと食べる事は多くて、自分だけだと宿に持って帰ったりすることが多いです。そりゃ、そんな弱い人ぶっている訳にもいかないので、明日のために必ず食べるようにはしてます。だから別に病名を付けてやるほどの事じゃないけど、「今日は一人でご飯だ」って気が付いた時はいつもちょっと慌てます。まあ、そんなんだから、晩ご飯を一人で外食した事なんてないんです。面倒だな〜誰かご飯作ってくれないかな〜って思ったとき、ぱっと思いついて、そしてそれは一人で食べるという気分じゃなかったので余り考える前に出かけたというわけ。案の定、お店のママや、お兄ちゃん、他に一人で来ていたお客さんなんかとお話ししたりして、楽しい晩ご飯でした。それにしても、今日のはママのまかないと同じだったんだよね。カラカッター!カタカナーで言ってしまいたいくらい、カラカッター!
汗もいっぱいかいて、さっきは通り雨が降って少し涼しくなって、ちっくら復活です。ああ、明日の朝の友達が怖いなあ。二度辛い。
7月18日
さっきから、どうもかゆい、かゆすぎる。蚊に刺されている。ダーは蚊に刺されるのが大嫌いで、地震だって悲鳴だって起きないのに、蚊ではぱっと起きる。凄い勢いで探して始末する。一方私は夏の風物詩として、割とその辺は緩慢。それは体温が低いせいかあまり喰われないからとも言える。飲み過ぎで二酸化炭素を出しまくっているダーが喰われてくれているせいか、とにかくあんまり刺されないし、アトピーだから痒くても何でかゆいかあまり考えない。老人力か?しかし・・・さっきから異様にかゆくて、見るともう10ヶ所以上も蚊に喰われている。だけど蚊の姿が見えないので、どうしようもなく足をあっちへやったりこっちへやったりしながらどうにかアップを終えた。えーい、と思って生協のペパーミントで出来た虫除けスプレー(本来ダニ用)をPCの下へシューしてみた。するとどーでしょー!これ、って、蚊?と見まがうばかりのでっかい蚊が、ころんころんの真っ赤なお腹をだしてもんどりうって出たではないか!きえー気持ち悪い〜!蚊なんかペチンっとぶっつぶしてやる私ですが、ちょっとさ、ささ触れないくらいグロい。落っこちていた洗濯ばさみで足を挟んで持ち上げると、きえー!返せ!私の血!重いような気がするくらいでっかい腹!あああ、今生命の樹を厳粛な気持ちでアップしてたのに!わたしはやっぱりエゴ爆発の人間だわ!分かち合えないよ、あんたとは!シネ〜
思い出しても気持ち悪い。ちなみに私は虫系、動物系、強いです。芋虫だってかわいがっちゃう。でも、ありゃあ、ないよな〜写真撮っておけば良かった!今ゴミ袋に死体が入っているけど、見に行く気にもならん。はーゲロゲロ〜
7月15日
BBS、カブトムシから亀へ・・・異常な盛り上がり。夏ですなあ、いやはや暑い〜裏小事でも書いたけど、ほんとにセミ鳴いてませんよ!どうなんですか、各地の皆さん。千葉の未来が心配です。これだけ暑いならどうかうるさいくらいに鳴いてくれ!セミ〜
体力がなくなっていくのは、SOHO関係者全ての悩みと思いますが、加えて歳をとったせいか、非常に日中が辛い。今日はとうとう隣の薬局オリジナルの栄養ドリンク「リッチミンD」を飲んでしまいました。うまかった。じゃなくて、この「リッチミンD」、店内ではずーっと宣伝テープが回っています。このテープ、「リッチミンDは肉体疲労時の栄養補給に・・・・」ってそれこそ夏のセミのごとくドントストップ、キャントストップなんですわ。薬局の上はマンションになっているんだけど、リッチミンD売り場の裏側に部屋を借りているおうちでは、「子供の最初に喋る言葉がリッチミンDになるんではないか」と心配していた。いやはや、そればっかりは非常に楽しみだ。ぷぷぷ、ちっちゃい口から「ママ」とか「パパ」じゃなくて「リッチミンD」ぷぷぷ。
7月13日
 スーパーでかぶとむしが売ってました。どうしよう。ちょっと悩んでいます。
7月10日
 昨日はアップもせずに映画を見に行きました。隣の隣の駅へダーとデートです。
その妙典と言う駅は、東西線の中でももっとも新しくて綺麗な駅なのですが、電車からの眺めと違ってなーんも無いところです。ワーナーの映画館が駅続きのSATYに入っているので、そこへ行ってみました。映画館も綺麗です。全席指定だって。私たちの回が始まるまでまだ間があったので、お茶しました。その飲食店はジャングルがモチーフなのか造花や偽観葉植物に覆われていて、巨大な象やゴリラがいます。何故か恐竜もいます。時々がーがーって動くので、子供は大喜びです。豊かに茂った嘘緑の中にTVがあって、イチローが試合をしています。それを見ながら、ピザやパフェを食べ、ドリンクバーへ行ったりし、ティラノザウルスはがーがーって動いたりし、千葉チックヤンキーは長椅子にごろごろしてたりし、なんだか口数が少なくなってしまうような不思議ゾーンです。そこで1時間ばかり時間を潰し、やっと映画館へ。チケットを切って貰って中にはいるといろんな映画への扉があります。なーんだ、急に見る映画変えちゃっても良いんじゃないの?ってなゆるい感じです。席についてみると、各肘置きにはドリンクホルダーが付いています。しかしこれ、両側の人が自分の左右のホルダー使っちゃったらどうすんの?不安です。でももちろん便利です。イスの斜行がめちゃくちゃとってあるので、前の人の頭が気になるという事もありません。私の後ろに座ったおっさんは暴れん坊だったので、丁度頭の後ろをちょくちょく蹴り飛ばしてくれてむかつきましたが、あのおっさんが毎回いるとも思えないので、大方気持ちよく見られるのではないかと思います。さて、映画の方ですが話題の「A.I」を見ました。ハンニバルを見たかったんですけど、そりゃ遅すぎたようです。細かく書くと原稿用紙にして10枚くらいにはなりそうなので、簡単に。★10個中、3っつといったとこでしょうか。スピルバーグよ、君はエンターテイメントの営業マンか?わかりやすーいヒューマニズム目白押しにして、テーマがばらけ、裏付けが甘すぎてリアリティもなし。涙を誘う映画の必需品、子供(動物)爆弾に負けるな!泣いたらアカン!っちゅう映画でした。キューブリックが見たら絶対に怒るぞ。セックス用ロボット、ジゴロのジョーと言うのが出てくるんですが、この人がとても素敵。世界中の女が好きになるであろうジョーに★2つ。そしてスーパーぬいぐるみテディに★1つ。これで3つだ。映画の大きな問題はこれらキャラクターが素敵だからこそでもあるんですけどね。「愛」を埋め込まれているのは、主人公のデイビッドだけなはずなのに、全てのロボットに「生きる喜び」「死への恐怖」「愛」が見えてくるのです。それぞれが自我を持っている。だから人による酷い仕打ちは心が痛みます。そりゃ泣けます。もう、ひどい。デイビッドは埋め込まれた「愛」のプログラムによって、アイデンティティ、存在の唯一性を模索し、主張するのですが、その行動のどこが他のロボットと違うのでしょうか。それは「ママ」にインプリンティングされているに過ぎない、のでは?セックスをするために作られたに過ぎない、労働をするために作られたに過ぎないという他のロボット達も、怖くて逃げて、気遣い合い、理解し合う能力を持っている。同じじゃん。深読みすれば、かなり好意的に受け取れる映画かも知れないですが、エンターテイメントなんだから深読みさせるな。感性でぶつかって来いっちゅうんじゃ。へんな啓蒙のにおいがする映画でした。その後、友達に教えて貰ったお寿司やさんへ行きました。そこは何でも1個120円で、回転寿司じゃないのです。カウンターでね、板さんがちゃんと握ってくれるの。いつも並んでいると聞いていたんだけど、それ程でもなかったから並んでみて、食べてみた。まずまず美味しかった。ネタも綺麗だったし。それから電波少年を見ようと思って慌てて帰ってきてデート終わり。
なんだか外は熱くてくらくらして、中は寒くてぞくぞくしてだるーい感じの不思議な一日だった。
ジャングルの中でイチローの試合を見てると恐竜が横切って、うっとうしいなあと思いながらもお寿司を食べると、顔がぐんにゃり曲がっちゃって、お腹の中のメモリーにものりがいっぱいくっついちゃって、自分を修理に出さなくちゃいけないから、SATYのバーゲンなんか見てられない、早く帰ろう・・・そんな夢を見そうな一日でした。
7月5日
いやはや、ここのところ紫外線はマックスですね!皆さん対策をしっかりと!うちのお客層様(お百姓様?)お客様層としては、もう油断ならないはらはらどきどきの事とお察しします。お勧めはシャーリングシャツです。長袖で隠すにしても汗がくっついてくるから、やっぱり肌触りが良くないとつらいですもんね。まさにぴったりだわ。今日自分のシャーリングシャツを洗って干していたんです。そしたら洗剤のコマーシャルみたいでした。夏だな〜。で、これって海水浴の時、ビーチで着るのにぴったりだわ!って思いついたら、もー海に行きたくてたまりません。歩いて10分くらいで行けないもんでしょうか。(東京湾、浦安港ならすぐですけど)せっかくネットショップなんだから何処に住んだって良いはずなのに!ダーがリタイヤしたら海の側でネットショップをやろうと思います。

チューブの前田さんがポリープでコンサート中止だそうです。どうするんでしょうこのかき入れ時に!
まさにアジア雑貨屋もかき入れ時、まさにチューブです。私はポリープになっても歌いますよ!
7月3日
昨日のジョー山名シリーズ(いつシリーズ化したのでしょう)がまだ続きます。
「人間の証明」でジョニーが死ぬときに持っていたのは西条八十の詩集でした。
「唄を忘れた金糸雀(カナリヤ)」は知っている方も多いかと思います。私自身、小さい時に母が良く歌ってくれた歌の中で一番好きなものです。

     
唄を忘れた金糸雀

       唄を忘れたカナリヤは
       後ろの山に棄てましょか
       いえ いえ それはなりません

       唄を忘れたカナリヤは
       背戸の小藪に埋けましょか
       いえ いえ それはなりません

       唄を忘れたカナリヤは
       柳の鞭でぶちましょか
       いえ いえ それはかわいそう

       唄を忘れたカナリヤは
       象牙の船に銀の櫂
       月夜の海に浮かべれば
       忘れた唄を思い出す


子供だった私は、「象牙の船」をうまく想像できずに、カナリヤを笹舟に乗せてしまったり、「月夜の海」を葦や水草の生えた池のようなものにしてしまっていましたが、それでもカナリヤが酷い仕打ちを受けるのを免れて、水に流され小さくなっていく情景を鮮やかに思い描いていました。ほっとするような、でも何処へ行くのか解らないカナリヤを淋しく感じては、その先の歌詞はもうないのにも関わらず、想像の手だてを求めて何度も歌って貰ったものでした。西条は、啓蒙的な童謡はどうも好きでなく、例え子供の歌であっても「書かなくてはならない強い感興が沸き立たねばならない」と言っていたそうです。子供向きの明るい歌詞とリズムのあるメロディーも悪くありませんが、私の幼少を振り返っても、このカナリヤのように愁いを含んだ美しい言葉とメロディーに嗜好が動いていて、ソウルを掴むのに大人も子供も関係ないな、と思うわけです。子供向き、大人向き、女向き、男向き、と言うような思考性は誰に遠慮して出てくるんでしょうか。人を掴むのは、誰向きでもない真の言葉だけではないかと思います。それがもし美しい音と出会うことが出来たら・・・なんて贅沢なのでしょうね。音楽とはそう言うものではないでしょうか。最近、母と一緒にお芝居を見に行ったのですが、それは「東京行進曲」を歌った佐藤千夜子の一生を綴ったものでした。この「東京行進曲」を作ったのも西条八十。昔恋しい銀座の柳〜というやつです。解らない人はお近くの大先輩に唄って貰ってください。音楽は芸術と言うより、教育の手だてという考えが強かった時代、西条八十や野口雨情、北原白秋などが斬新でどこか残酷でもある、いえ正直で美しい言葉を童謡にする動きを見せます。歌謡曲などもたくさん書きます。何かを脱皮して行く時代を思うとわくわくします。今私たちには何もかもが揃って、何かを新しく作り出す必要も無くなってしまいましたが、だからこそ最後に私たちを救うのは本物を探す、と言う事ではないでしょうかね。さて、「帽子」それからその横はジョー山中が英訳した「人間の証明」です。
帽子

母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、
渓谷へ落としたあの麦わら帽子ですよ

母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから、

母さん、あのとき向こうから若い薬売りが来ましたつけね。
紺の脚絆の手甲をした。
そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたつけね。
だけどたうたうだめだつた。
なにしろ深い渓で、
それに草が背丈ぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなつたでせう?
そのとき傍で咲いていた車百合の花は、
もうとうに枯れやつたでせうね。
そして、秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが
啼いてたかも知れませんよ。

母さん、そしてきっと今頃は
今夜あたりは、あの渓間に、
静かに雪がふりつもつているのでせう。
昔、つやつや光つた、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いたY.Sといふ
頭文字を埋めるやうに、静かに寂しく
THE PROOF OF THE MAN

Mama do you remember the old straw hat you gave to me
I lost the hat long ago, flew to the foggy canyon


Mama I wonder what happened to that old straw hat
Falling down the mountain side,
out of my reach like your heart


Suddenly the wind came up
Stealing my hat from me
Swirling whirling gusts of wind
Blowing it higher away

Mama that old straw hat was the only one I really loved
But we lost it no one could bring it back
Like the life you gave me

 英訳した物は、原詩に忠実ではありません。かといって忠実に、直訳をすることが良いことだとも思えません。これに、メロディーを乗せます。すると英語で表現しきれない原詩「帽子」の世界を新たに表現することが出来ます。そして心を言葉と音に換え、多くの人にイメージとして伝えていくことが出来ます。英語なんか分からない人にも、原詩なんか知らない人にも、音は滑り込んでく事が出来る。音楽というのはまったく素敵です。
       

7月2日
先週は忙しかったです。実家へ預けていたベトナムからの荷物を取りに行ったり、ライブを見に行ったり。

ジョー山中のライブに行ったんです。ジョー山中と聞いて、ああ、と思う方は結構年いっちゃってる音楽好きな方と思います。「人間の証明」で混血の青年ジョニーの役をやっていて、主題歌も歌っていた、と聞いてああ、と思う方は映画好きの方でしょう。ジョニーはその出生故にやっと会えた母親に殺されてしまうという、悲しい役でした。本人とシンクロするのは戦争の落とし子であり、黒人とのハーフである、というところです。私にとってもこの映画の役者、そして「Mama Do Remenber〜」という歌い出しで大ヒットした名曲のパワフルシンガーであるという印象が一番強いです。彼は昔「フラワー・トラベリンバンド」というバンドを組んでいて、その頃のアルバムを聞きかじっていた事もあります。New year Rock Festival でもジョーの出るところを待ちに待って見ていたりはしていましたが、激愛状態でライブに行ったのでは無いことを先に告白しておきます。それは友人が「どうしても行きたいんだけど、誰も一緒に行ってくれないと思うの〜」との訴えに、かねてからの好奇心から二つ返事が口をついて出て、行くことになったのです。

彼の歌は「圧倒的」でした。
3オクターブの声、音の流れをつかむ耳、リズム感、シャウト、そう言った技術的なことが圧倒的なのはもちろん、なにより圧倒的なのは情感、ソウルです(いつにない熱い語りですいません)。最初の一声で私の涙腺を緩めてしまったことも告白しておきます。それは「ちんどん博覧」以来の事(怒らないでじょー!)。CDやレコードを媒介にした音と、生であることの違いをこれほど感じさせる人はいないのではないでしょうか。使い古された言葉で言うなら「世界に通用する人」に違いありません。楽曲もすごいけど、まずはその「声」だけですでに彼独自の深い世界を作り出してしまう。「幸せ」とか「喜び」とか「ひたむき」そして「悲しみ」をまるで手にとって見せてくれるかのような。そしてそれは爆発するのです。しかし、このジョーがそんな風に幻想をかきたてる人であっても、素の彼をかいま見すぎてしまう恐るべき会場でした。信じられないことですが、お客のほとんどが彼の友達。ほとんどが、って言うか、知人でないのは私たちだけだったように思います。どこか業界の匂いのする一癖ある人たち、そして皆さんかなり大人(私たちがお嬢ちゃんに見えるほどに)。だから、客席にはいつもジョーやバンドのメンバーがいて談笑しているんです。そしてジョーは私たちの隣のテーブルにしょっちゅうやって来ては腰を掛けてお喋りしています。大のファンである友人は、そっちが見られないのでカチコチになって真っ直ぐ前を見ていました。私はじーっと見てました。ジョーったら私の視線を、ささっと外したりします。シャイなのね。ここにいるっちゅう事は自分のファンに違いないんだからにっこりくらいすればいいのに、と思ったら少し笑ったわ。今日のライブはお友達ばかりでなく、彼の美しい子供達も来ていました。私は彼を見ながら「凡人」という言葉を思いついてしまいました。彼の「凡人」である所以は、この子供達へいかんなく発揮されます。どこか愚鈍な愛情表現です。やる気のなさそうな彼らを舞台にあげ、いろいろやらせてみるのですがぱっとしません。そういうのっていかにも内田裕也ファミリー的でどうかと思います。ライブ前に隣のテーブルで「タバスコで10円玉を磨くとぴかぴかになるんだよ、やってみな」と息子に言い、うまくぴかぴかしない様子を見て「もっと漬けとかなきゃ駄目だ」とか言って「こんなモン喰ってて体に悪くないんですかねえ」と大人達に振り、「そうだよね〜、なんかあるよ〜」って受けの方の人も変な相づちうっちゃって、この人達ったら・・・。タバスコと10円玉が化学反応起こして面白い実験ですねってなだけだろよ、別に人の胃袋は大丈夫なんじゃねえの、って心で突っ込み入れてしまいました。そんな普通のおとうさん、である彼。しかし、もの凄く知的であるとか、上品であるとか、逆に神経質でいかにも芸術家らしくあるべき必要があるのでしょうか。むしろ、彼の研ぎ澄まされた才能の中に見え隠れする「凡人」で「俗」な部分がとても美質に思えてなりません。それは私が「凡人」だからそういった部分に共感出来る、というのとは違います。彼の母が彼に与えた肉体や状況、彼の作り上げてきた「普通」である部分、それらで出来た彼という「個」はすべてを引っくるめて「圧倒的な才能」だと思うから。友人はサインをして貰おうと、彼の著書を持ってきていたのですが、話している内容が聞こえるほど側に居すぎて、声をかけることが出来ません。一幕目が終わった休憩時間(何故か一幕と二幕に分かれていた)やっとチャンスが到来して、お願いをすると「もちろん、喜んで」と言ってサインをし握手をしてくれました。「あの、本を買ってきたら私にもサインをして貰えますか?」(今考えるとかなり失礼)と私が言うと「もちろん」と彼は言い、私は財布をぶちまけながら慌てて走って受付へ行きました。受付のおばあが100円玉の束を崩していなかったので、思わぬ時間が掛かってしまいましたが、ジョーは周りと歓談しながら私を待っていてくれました。かくして私は
「ジョーを待たせた女」
。これからはそう呼んでください。本には「アツコさんへ」と書かれています。(弟には酷くダッサーと言われましたが。確かに)彼が去った後、私の灰皿には見慣れぬたばこが一本煙を立てています。それはまさしくジョーの男一本セブンスター。「やくみつるに売るか」と言ったら「お金の事ばかり言うな」と友人に怒られ、その間に灰皿は交換されてしまいました。そんなこんなで二幕目はかなりぼーっと灰になった状態。でもジョーはそれを許してはくれませんでした。客席に飛び込み誰彼捕まえてマイクを向け「スタンドバイミー」を強要し始め、それを見た私たちは無言で覚悟しました。だって他人のお客は私たちだなんだから、彼は気を遣って必ずやって来ると思ったのです。かくして私は
「ジョーと歌った女」。のりのりジョーは11時頃まで歌い続け、東西線は無くなってしまいました。「ジョーに終電が無くなるまで引き留められた女」」(もういいっつうの)ついでに言うと「ミッキー吉野にトイレを教えて貰った女」でもあります。きーきー浮かれながら、晩ご飯も食べずに大急ぎで駅へ向かう30女二人。ちなみに私は誰かの熱烈なファンになったりしない方で、追っかけとかしたこともありませんし、これもまたニュートラルに書いているつもりです。冷静に考えてますって。だってあんなに引き締まった素敵な体をしているジョーなのに、ジーパンの股上はいささか深すぎるのではとちゃんと思ってますもん。ベルトがへその上ってのはどうかな、ジョー。

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