何を思って行こうと思ったのかスタン系 買い付け中キルギス人の女の子と会って、あっち側にすごく興味を持ったんですね 第8回 ウズベキスタン・ソウルの巻 |
9月2日(月) タシケント 楕円のメロンと憂いのロシア 昨晩の逝ってた豆の部分だけが下痢。その50ミリリットルくらいの部分だけ下痢で(豆確認)、前後は普通のなのだ。私の腸、すごい、分別がんばってんな! もんのすごく迷いながら買い付けに出かける事に決める。まったくもって自信がない。 昨日の夜も帰ってから一通り辛い思いをして眠り、ベッド際にいろんな人が居る夢を見た。誰かに手首も捕まれた。 今ではもう話すこともない友達や、死んだ婆ちゃんも出てきた。 それでもビカは、ちゃんと5分遅れでやってくる。 「松本さん、昨日お母さんが言っていました。市場は法外な税金に怒ってもしかしたらストライキをしています。どうしましょうか」どうしましょうかって言ったって、行ってみるしかないじゃない。 地下鉄に乗って市場へ向かう。地下鉄はリーズナブルな一律料金。エスカレーターが日本の5倍くらい速い! 「日本ではイライラしました」とビカちゃん。 駅名などの表示は全部ウズベク語で、これは一人だったら相当困っていたはずだ。一度乗り換えて、目的の駅を降りると、もうすでに市場の空気が立ちこめている。しかし・・・空気だけ。 すでに11時を過ぎているというのに、開いているテントはまばら。建物自体にも入っていけない。 美味しそうなメロンや、スイカの山が悲しい。がーん。市場の向かいには大きなおもちゃ屋さんがある。 「子供の世界」という名前だそうだ。面白そうなので一応行ってみる。 いやはや、面白いと言えば、いろんな意味で面白い。真っ暗なビルの中に、異常に頭の大きな赤ちゃんの人形が泣いており、ほこりをかぶったブランコが揺れている。子供の世界はシーンとしている。 ガラガラや小さな車のおもちゃなんかの安めの物は、お母さんが買ってくれるので数人の子供がワゴンに集まっている。おもちゃ全体の雰囲気が、日本の70年代くらいの懐かしさだ。 ビカは「これ、子供の時にとても欲しかった。ああ、かわいいでしょう!」と赤ちゃんの人形を手に取った。 ビカはこんなに見た目が大人ですが20歳です。子供の時なんてつい昨日のこと。いえいえ、いくらなんだって20年も同じ人形は日本じゃ売ってないわい。バービーでもリカちゃんでもなんでもないやつでっせ。 「ああ、お人形、私の心の痛みです」とビカが言った。ビカはお人形フェチだそうだ。 ふっと、「心の痛み」と言う表現は面白いな、と思って聞いてみた。「それはロシア語の直訳?」 「そうです。とても好きということ。なんて言うのが正しいですか?」日本でも確かに「好き」には「痛み」が伴うけど、 対象が生き物でない場合は、表現に一線が引かれるように思う。 「うーんとね、もし対象が好きな人、これが恋愛だったら「胸が痛い」と表現したりするね。あと「せつない」とかね。 これらは「心の痛み」と同じだよね。でも、例えばお人形が相手だったら「痛み」は伴わない表現をするかな。 「いとおしい」とかって言うね」 ふうん、とビカは「胸が痛い」「いとおしい」と練習していた。 それにしても「○○は私の心の痛みです」って言うのはとても憂愁漂うロシア文学らしい表現ではないか。 英語で「あなたは私の○○」って言うときは、マイナス方向の表現や、屈折した常套句は来ないように思う。 愛は素晴らしい!という前提が感じられる言葉じゃないかな。ハニー!とかスウィートハート!とかね。 ロシアと同じく、日本もうきうきしちゃう様な表現は来ないでしょうね。切なさや、切実さを入れていこうとするんじゃないかな。黄昏や木枯らし、不条理や無情の表現が愛に似合うロシアと日本。 日本の純文学はロシア文学の影響が大きいもんね。根っこの思想が近いのかもしれません。 なんて、言っている場合ではなく・・・・ 結局、ほとんど何も買えずにお昼を食べてお別れする。毎日ビカとのデートに金を使っている場合ではない。 一応、まだ仕事をする気があるので、ビジネスライクにニックに聞いてみることにした。ここもアジアだな、 と思うのは「言いようにするから、けっして高いお金なんか必要ないから心配しないで」と言いながら、 具体的な数字が全然出てこないところ。毎日ニックからそればかり聞かされている。 あの長くて速い英語を電話で聞くので、ちょっと緊張するが・・・。薬や心遣へのお礼をとうとうと述べて、 楽しく笑って、バイザウェイ・・・はっきり言って頂戴ビカちゃんハウマッチ。 驚いたのはニックで、日本から聞いてきていないのか?と。ハラハラしなくても金額は出発前から決まっていたらしい。 そりゃ、ニックだって来る早々数字の話なんかしないよなあ。エレガントじゃないじゃん。 しかしなんで私はそれを知らないわけ? 何点かアレンジをして貰ってニックにお任せをした。ふう、それで「悪いようにはしない」って言葉を使っていたのね。 いつもいぶかしそうな私に対して、ニックも違和感があったでしょうから、お互いの間の霧が晴れたような心持ちだ。 よかった。やれやれどうやら、この調子で毎日ビカとはデートになりそう。 |
9月4日(水) タシケント 春の小川 昨日今日と、日に日に市場は活気を取り戻しつつあるが、大量の買い物には至らず・・・。 何しに来たんだあたし!状態が続く。 体調も少しずつ良くなってきているが、やはり一日中歩いて疲れた寝しなには、まだ気分が悪くなってうなる。 ぐったり、帰り着くと晩御飯も食べる気がしない。 それでも、何か食べないと薬が飲めないので軽く何か食べたいのだけれど、東南アジアと違って「屋台」なるものがなく、 パンやドネルの売店は閉まるのがものすごく早い。だるい腰をあげる頃にはもう開いちゃいない。 ああ、今日もどうしょうかな〜と、悩む。仕方なく、ホテルのレストランへ行ってみる。 すると、いつもはシーンとしているレストランのフロアに素敵な音楽が・・・。 さすがロシアだな(ロシアじゃないけど)と、しみじみ思うのは、こう何気なく芸術が側にあることだ。 だってレストランのホテルのBGMとは思えないくらい、そのレベルはすごく高い。 ピアノとバイオリンとセロのトリオが演奏している。一人だし、かぶりつきで見るのはちょっと恥ずかしかったので、 演奏者にはほど近いけれど柱の陰で、彼らと目が合わないところに案内してもらった。 さて、とにかく何か食べないと・・・ お昼には置いてあるラグマンなどの現地ライトミールはこの時間帯では見あたらない。 なんとからステーキとか、フライドなんとからとか重たそ〜な物がメニューに並んでいる。 困ってしまって、ウェイター君に、何かサンドイッチのようなものでも作れないか相談してみると、快諾してくれ、 具のリクエストまで丁寧にメモ書きして厨房へオーダーしに行ってくれた。 後ろのテーブルではイタリア人のおっさんご一行が盛り上がっている。おっさんらうるせえぞ。 小説に目を通しながらも、神経は音楽に向いている。なんて和やかな良い演奏だろうか。 心身共に疲れていたわたしにはじーんと染みてくる。 柱の陰からちょろちょろ覗いていると、セロ弾きのの叔父様に見つかってしまった。 彼は演奏しながらにっこりと微笑んだ。私もにっこり。 2曲続けての演奏が終わった後、トリオはなにやら相談をし、始まった曲はなんと「春の小川」。 〜春の小川はさらさら行くよ。岸のすみれやレンゲの花に〜。 私が日本人なので、予定の曲順にこれをすべりこませてくれたのだ。 ピアノはきらきら光る水面を表現し、牧歌的なセロの音色と伸びやかなバイオリンが優しい川岸の風景と重なる。 なんだかとても遠くに来てしまった気持ちになって、えーんと泣きたくなった。 具合が悪いからサンドイッチって言ったのに、バターをたっぷり両面に付けてカリカリに仕上げたトーストは ビッグマックを超える高さで、とても痛んだお口に優しい物ではなっかたが、泣きそうなのを隠すために慌てて元気良くほおばってしまった(ちなみにとても美味しいのだよ)。 演奏が終わると、3人が揃って私に会釈をしてくれた。口の周りにパン粉をつけながら、小さく拍手でお礼をする。 どうもありがとう。 後ろでイタリア人のおっさんらがまたイエーッと無関係な雄叫びをあげた。うっせえぞおっさん!グーで殴りたい。 帰りしなにとても嬉しかったことを言いたかったのだが、私が紅茶を飲み終えるより先に彼らの方が撤収してしまった。 それ以降夕食をホテルで摂ることはなかったので、とうとう彼らとは会えずじまい。 でも、とっても素敵だった演奏は今でもちゃんと覚えてる。 |
9月6日(金) タシケント さようなら綺麗で可笑しな国 今晩いよいよソウルへ行きます。何をしていたかよくわからなかったウズベキスタン。 市場のストライキはきつかった・・・。そんなタシケントで出発までの時間仕事をするのもなんなので、今日はビカ得意の観光へ連れていって貰うことにした。 コースはガイドブックにも載っているお決まりのコース。朝から地下鉄やタクシーを駆使して一気に廻る。 途中、私が疲れていると、うちの優秀なガイドは街路に立ち、ナンパの車を止めて私を乗せてくれた。 ビカ狙いで止まったドライバーさんは、ちんちくりんの私が後ろから出てきたものだから、驚きを通り越して笑っていた。 「ウズベキスタンでは、知らない人の車に乗って大丈夫なのですか」と聞くと 「うん、そうですね。時々タクシーが通らないところも多いですから、ちょっと乗せて貰いますね。ウズベキスタン人は親切です」いや、これもお前が美人だからやでー。 「そうですね。仕方ありませんねえ」 これ嫌みではなく、「美人」が理由としか思えない出来事がよく起きる。 すでにそれは二人の間でギャグになりつつあった。よく「いけ、ビカ!美人作戦だ!」と言うと、ビカはおっぱいを両手で真ん中に寄せて揺すって「こうですね」とふざけていた。 ビカにガイドして貰った特典は、美人なだけじゃなくて、普通は観光で廻らないビカの母校に連れていってくれたり、 ウズベクの若者連中と話が出来たことだろう。この日観光の最初はまず大学だった。 「一番大事な人に挨拶します。とても私は大好きな人です。大変尊敬しています。きちんとしてください」 なんで観光でそんな思いしなくちゃなんないんだよ。と思いつつ、通されたのは学科長の部屋。 静かに日の射した部屋に大きなデスク、PCモニタの向こうに誰かいる。 「金先生、こんにちは。ビクトリアです。この方は観光客です」その言い方が可笑しかったが、 ゆっくり立ち上がった金先生の表情を見て自然に背筋が伸びた。 金先生はゆっくり手をさしのべ、たおやかな笑顔で握手をしてくれた。優しさと厳しさがオーラになっていた。 「金先生」つまり、この日本語学科を支えているトップ教授は朝鮮人だ。 もしや、と思った。日本の植民地教育で日本語を覚えさせられた人かも知れない。 でも、それにしては少し若すぎるような気がして、その考えを払拭した。 「私は日本の外語大学にもいたことがあります。日本は美しい、良いところですね」 イントネーションも非常に自然な日本語だ。通りすがりの観光客として訪れた私は、月並みな話と、 ビカの優秀なガイドぶりを報告し、先生に少し笑って貰った。 すぐにその場を退出したのだが、日本に帰ってきてから偶然金先生を紹介するHPを発見してしまい、 その壮絶な人生を知ってしまった。まいった。 「日本語がお上手ですね」なんて恐ろしいことを、のほほんと聞いちゃいないだろうな?!と自分が怖くなった。 金先生、あまりに若々しいです、と言い訳が今も頭をよぎる・・・。 学科長室を出て、職員室にも挨拶をし(ここで古い日本語を教えるバーコードな先生を発見。先生ナイスです)、 図書館で学生と少し話し、カフェを覗いたりした。その後、美術館、博物館などを廻った。もう乾燥がすごくて、 すぐにのどが渇く。ビカは全然平気なので、やはり体質が全然違うのだとつくづく思った。 ダイジェストで観光をとっとと終え、ホテルへ戻る。 部屋はデイユースにして貰った。ビカはこの国の有名な難関、「入国」に次ぐ「出国」に備えて一度家に戻り、 時間前に迎えに来るから、と言って帰っていった。 荷物をまとめて、ハナクソをほじっているとあっという間に時間が過ぎる。 何しに来たんだろうな〜とまた思ってはいけない事を思いつつ。 ビカは約束から今日も5分遅れて到着。 「目を覚ましたら、間に合いません!驚愕です!でも、急いだらぴったりに着きましたね!神様に感謝です!」 その、ぴったりと言う自信たっぷりのニュアンスから、私はビカの腕時計が5分遅れなことを悟った。 どうりで毎日5分遅れで堂々としてたわい・・・。 送迎の車の中でビカがまた衝撃的な事を言った。 「松本さ〜ん。私パスポートを学校に預けたままでした。忘れていました。非常に残念ですが、空港には入れません。 お元気で」きえー!何言ってる! 「なんとか美人作戦で入れんかね」「うーん、そうですね。やってみます」 ドライバーは丁寧に荷物を降ろしてくれ、私の持ってきたカートに乗せてくれる。 振り返るとビカが警備員に話しかけていた。媚びるでもなく、とても自然に。すると「松本さん、OKです」まじ〜 ここの警備や審査は異常に厳しいんだぞ〜うそ〜やった〜 「美人に産んでくれたご両親に、これほど感謝したことはありません。ありがとうビカのご両親」と言うと、 「そうですね。私も感謝です」安堵で腹から笑って空港に入った。しかし、本当にご両親に感謝するのはここからだった。 税金の審査を終え、チェックインし、荷物を預けると、手荷物検査場から私を呼び出す声がする。 荷物倉庫へ入ると「何か金属を関知した」と言うのだ。 思い当たる物は何もなく、安心してバックを開けると入っていたのは電池式の蚊取り器。 なんだなんだの大騒ぎで、ビカに訳させながらも英語で「モスキート デーッド」と言うと、「おおー!」の声と共に 「あなたの名誉のためにごめんなさいでした」(ビカ訳)と言われその場を退散。 その時荷物検査に置きっぱなしだった私の荷物は、おっさんの横に置かれ「問題あり」と指を指された。 出国審査官も私を手招きしている。「ちょっと待ってて」と手荷物のおっさんに手で合図し、出国審査を受けに行く。 横にウズベク人のビカがしっかり並んでいる様が異様だ。審査官は「宿泊証明書の日付が違う」と言う。 ウズベキスタンでは自由旅行にもいろいろな制限があって、この宿泊証明をきちんと宿から貰っていないと、 どこで何をしていたのかが大変な問題になる。 友人宅に泊まる場合などは、役所に行って外国人登録をしなくてはならないくらいだ。 事前にこの事を知っていたので、代理店に詳しく聞こうとしたら「今は廃止になっています。ご心配なく」と言われたのだ。 それですっかり気が抜けていて、日付の確認を怠ってしまった。 「他に証明する物はあるか、ホテルの領収書はあるか」これも「日本に帰国してから支払いして」とニックに言われて いたので持っていない。「もし、問題があるならここへ電話してわたしがずっと宿泊していたか、聞いてください」と ホテルのカードを差し出すと「なんでこっちがそこまでするんだ!」と審査官は机をボンっと叩いた。 ビカがいろいろ説明をするが、話の方向はどんどん悪くなる一方だった。 賄賂が目的ではなさそうで、恐らく怒ってしまったプライドから丁寧な謝罪を求めていると思った。 「松本さん、これはちょっと大変なことですね。問題です」とビカも困っている。 「ビカ、確認を怠ってすみませんでした、ごめんなさいって言っちゃって」と私が言ったとき、 その小さな審査箱(部屋とは言い難い)に審査官の上司と思われる男が入ってきた。 彼は「おっ日本人がまた何かやらかしたか?しぼれしぼれ!」と言った。ビカが不安げにそれを私に訳している時、 上司は笑いながら何故かその私と対峙する審査官の脳天にチョップを食らわしたのだ。 そのテーン!っというタイミングが可笑しくて、つい周りのみんなが失笑してしまうと、 今まで威厳を保っていた審査官の耳は見る見るうちに真っ赤になった。 立場を無くして彼は、大きく息を吸いながら一度立ち上がると、息を吐き出しながら座って目を閉じた。 ビカがすかさず私からの謝罪を伝えると、彼は無言で出国スタンプを押した。かわいそうな若い審査官。 彼はその若さから張り切りすぎて、からかわれてしまったのだろう。しかしろくでなし上司のお陰で助かりました。 うなだれる彼の後ろでろくでなしは「良かったな〜おしん、おしん!」と笑っている。 ビカも勝手にろくでなしと「おしん」で盛り上がっている。ふあ〜汗かいた・・・。 と、後ろでは手荷物検査のおっさんが、「どうすんの〜これ、なんか入ってるぞ〜」と私を呼んでいる。 ほっとしたついでに腹の据わった私は「フォトフォト、カメラカメラ」と言って、写真を撮るポーズをした。 「ああ、カメラー」と、そしておっさんまで「おしん、おしん」で、もう私は構わず荷物を受け取ってゲートへ向かった。 「こんなところまで送ってくれて前代未聞です。今この瞬間に一番あなたのロシア語が役立ちました。感謝です」と 私が言うと「ああ、松本さん、明日から寂しいです。私はこれからどうしますか?仕事じゃないみたいで楽しかったです 。明日はご夫婦の観光客です。つまらないでしょう」とすごく近い未来の心配を挨拶にしていた変なビカ。 その握手を交わし、なかなか離れない私たちの後ろでは、さっきのろくでなしと警備員が「おしん、おしん」と歌っている。 「おしんの別れのシーンと同じと言ってます」んなくだらん事まで通訳ありがとう。 最後に世界で一番美しい後ろ姿を堪能させて貰って、私は誰もいない出国ゲートへ向かった。 |
9月7日(土) ソウル 遊ばれて捨てられて タシケントから8時間。ソウル仁川空港に到着。 ウズベキスタンから持ち込んだ荷物を送って、バスで金浦空港へ、そこから地下鉄に乗り換える。 ソウルには休みのOL2人を焼き肉で釣り上げて、荷物持ちに来て貰っている。 2人は昨日の夜すでに到着しているはず。今朝は初体験のオンドル部屋で目覚めたことだろう。 無事に待ち合わせの駅に着いたが、まだ2人の姿が見えないので、宿に迎えに行ってみる。 駅からほど近い宿は噂通りの迫力。 中にはいると中廊下の両側に小さな引き戸がいくつも並び、昔一番貧乏だった頃住んでた四畳半18000円風呂トイレ共同のアパートを思い出させる。出迎えてくれたのは何故か白人のおっちゃん。 用意していた韓国語で「日本人の友達に会いたい」というと、白人のおっちゃんも韓国語で何か言った。何だ。 奥からここのご主人が現れ白人と話をすると、手招きして部屋に通してくれた。しかし、部屋には誰もおらず。 ご主人はニコニコ・・・この部屋で良いか?っちゅうことらしい。つまり全然通じていなかった模様。 もう一回覚えたて韓国語を言うと、おう!っと向かいの部屋をノックし、返事より先にガラリ。 確かに中には日本人のお嬢さんが・・・しかし、この方ではない。「ごめんなさい。友達探してて」「いえいえ」と、 言うことで奴らはどこに〜?こ〜んなでっかい女と、こ〜んなちっちゃい女の日本人、とゼスチャーすると 「おう!ウオークウオーク」と散歩に言っているような事を言った。 しかし横にいた白人のおっちゃんが「あれ?チェックアウトしてたんじゃないかなあ」と英語でつぶやいたのを しっかり聞いてしまった。たぶん、出て行ってるな、こりゃ、と予感。 偶然見てしまった噂のオンドル部屋は、床にビニールシートを貼っただけのもので、狭い部屋にテレビ、冷蔵庫、 洗面台、無理矢理お風呂とトイレもついている。 後で二人に聞いた話だと、歯磨き粉やらタオルやら何もかも付いているんだけど、それが使いかけだったり、 なんだかだったりしたそうで・・・。その上、いくらなんでも付いているったって、サービスしすぎだろう エロビデオが無料でずらりと並んでいたそうだ。いや私だったら見るよ、はい喜んで。見るけど、それが目的の旅じゃないからなあ。たぶん、奴らは一晩でお腹いっぱいだっただろう。 きっとチェックアウトしたに違いない。 もう一度待ち合わせの場所へ行くと、アイスとポテト片手に日本人の女が二人立っている。でっかーい女とちっさーい女だ。でっかいのが新潟オフで遅刻してきた清水さんで、ちっさいのはタイ語仲間の亜矢ちゃん。やっぱり荷物を担いでいる。「どれ、オンドル体験はどうだった?」に盛り上がり報告する二人。 お昼を食べて、改めて宿を決め直し、南大門、明洞、夜ご飯を食べて、東大門と現調する。 と、一行で書いたが、も〜う無理だ、こんなに歩いてどうすんだってくらい無理に歩いたのだった(余計なお茶も多かったけど。)無理な事すると、すぐご褒美をあげたくなり、東大門からの渋滞もいとわずそのままタクシーで汗蒸幕へ。 時間はすでに深夜1時を廻っていた。 これでいいのかあ?汗蒸幕って・・・。 一応汗蒸幕って言われる釜に入って体を温め、その後私と亜矢ちゃんは、よもぎ蒸しコース。 お股によもぎの湯気をあてて子宮を元気にするやつだ。清水さんは全身マッサージ。 すっぱだかにさせられ、美容院のケープみたいのでてるてる坊主みたいな格好になり、妖しく穴の開いた椅子に背もたれを前にして座らされ、顔にもよもぎの湯気をあてる。じーっとしてると、ものすごうく馬鹿みたいな気分になってくる。 30すぎて、こんな格好していていいのかね!亜矢さんよ!といいつつじっとしているしかない。 最初熱々だった湯気はあっという間にぬるくなってきて、係りのお姉さんが飽きちゃって居なくなった頃にはもう寒々! さむさむ言いながら、今度は垢擦りだ。適当に体を洗っていると、「ふんふん」と指さされ呼ばれ、マットに横たわる。 あーれーやーめーてーいーやーってくらい霰もない姿。股をがあっと開けられ内股まで垢すられる。 隣のマットの亜矢ちゃんと目が合うが、こんな姿を見られているところを見られるなんて、悔しいから私も見てやった。 「上!」「横!」「万歳!」と、叱れるような指示の後、泡を体にくるりと塗られ、上からお湯をばばーんとかけられ、 はい終わり!。今度は「こっち!」と別のマットへ移動させられマッサージだ。 もう触らないで!ってくらいパンパン体を叩かれ、体がこわばるような激しいオイルマッサージをうける。 ぬるぬるになった体を、お姉さんがやーっと押すと、体がちゅーっと滑って頭がカクンとマットから落ちた。 頭が落ちたところで洗髪。なんてオートマチックな! すご過ぎて笑いそうだ。あまりにもリズム良く体をもてあそばれ、もうそれはただの肉の固まり。 俺らはベルトコンベアーの上のブロイラーかっちゅうくらいの扱いだ。「はい、終わり。今度は砂風呂行って!」 と言われたが、砂風呂の中はほのかにあったかいだけで、どうも・・・電気切れてない? しかも砂風呂って、砂に埋めてくれる人がいないとどうにもならないじゃん。 砂風呂はガラス張りになっているので、そこでしばらく立ちすくむ姿は、まるで標本・・・砂の惑星に立つブロイラー。 一足遅れて亜矢ちゃんも来るが、互いにどうすることも出来ず、すごすごお風呂に入り直すことにした。 だってまた寒くなってきちゃったもの。せめて風呂で温まって〜と、思ったら、さっきの垢擦り姉ちゃん軍団が引き上げる前のひとっ風呂らしく、シャワーを浴び始めた。ムードは「もう終わりですよ〜」と言う感じだ。 そう言うムードに弱い我々、またすごすごとロッカー室へ。清水さんが帰ってこない。 そのうちロッカー室にもいられなくなり、ロビーへ移動。ぽっつーん。もうお客さんも従業員も帰っちゃったのか? その時、残りの客さんが出てきて「送ってくださーい」と車を出させていた。あー送ってもらえるんだ。 良かったな、と思ったその時、受付の姉ちゃんが「帰り大丈夫?」と我々に聞いてきた。 「これで最後の車だから、もう送れないです。大丈夫?」 大丈夫じゃなくても清水さんを置いて行くわけにいかないじゃーん!私たちには車の手配もなかった。 これでいいのか?!やがて清水さんがホカホカで出てきて、なかなか良かったような事を言いやがった。 くそう・・・仕切直したい・・・たぶんよその店じゃこんなんじゃないはずだ! 文句言いながら、とぼとぼ歩いて帰ると、すでに時間は午前四時。 |
9月8日(日) ソウル 駆け足で最終回 お昼を食べながら、ふと気づく・・・。どこで何を食べても3人で40000ウォン。 なんか、いつもお会計の時に40000ウォンなんだよなー。これは、ぼられているにしちゃ微妙な感じ。 きっと日本人が同じ物ばっか食べるんだよ。 それも、日本人用のメニューでおとなしく頼むと、いい具合にそうなるんだろうな。 そして喫茶店はどこも薄い珈琲が4000ウォン。約400円の珈琲って高くない?!それも薄いんだよ〜なんだかなあ。 ロッテなんて全然行く事ないだろうと思っていたのに、結局観光客に便利な物は何でも揃っているので、 なんとなく心もとなくなるとロッテに行ってしまう。美味しい珈琲も飲みたくなったら間違いなくやっぱりロッテ。 そりゃ旨い。安心して旨いんだが、8000ウォンだ!うわ〜ホテル並(ホテルだけど)。 どこをうろついても、決め手になる物はなくて、手元にはちょこっと小物があるだけだった。危機感である。 ウズベクで失敗。ここでもか? 決戦は深夜に持ち越された。2人の荷物持ちは、持つべき荷物もなくただ必死に歩き回る私に必死で付いてくる。 文句は言うが、仕事の邪魔にならないように一生懸命歩くその姿が痛々しい。 大手のファッションビルに進出することを夢見るデザイナーが集まっている所があるという。 そこへたっぷり時間をつぶしてから出かける。 そのビルでは、野麦峠で大竹しのぶが兄ちゃんに背負って貰っている、薪を乗せるみたいなアレを背負ったおっちゃん達がものすごい勢いで階段を駆け上がっていく。降りてくる人もいる。みんな大きなオーダーが入ったときに上下へ運ぶ仕事をしているのだ。 新進デザイナーとはいえ、規模の大きさを感じさせる。わくわくしながら、駆け上がるおっさんの邪魔にならないようにフロアへ出る。しか〜し。なにが新進デザイナーやねん的おばちゃん達が相変わらずの風景にとけ込んでいる。 ああ、ここもこれまでか・・・と思った時、これよくなーい?と亜矢ちゃんが黒いスカートを腰にあてた。 もう色んな物を見過ぎてすぐに触覚が働かない。う〜ん、う〜ん、ん?いいねえ。 早速他の物もざざっと見て交渉。綺麗なお嬢さん達がみんなで切り盛りするなかなか良いショップだ。 しかし、やっぱりロットは全然及ばず、値が下がらない。がんばってある程度の数を提示する。 もうお姉ちゃん達がこっちに飽きてしまう前に、どんどん話を進めなくちゃならない。 数十枚のスカートを約10分で決める。 その後、清水さんの念願だった皮市場へ行き、ジャケット類を物色。もちろん、私が卸で買える値段じゃない。 でも、個人的に買うならものすごくお買い得だ。ついつい買うつもりのない亜矢ちゃんまで買っちゃった。 私もちょっと欲しかったけど、まだまだ何か買えるかも知れないから、お金は取っておかないと・・・。 その思いもむなしく、スカート以来、決め手の神様は降りてこなかった。 腹ごなしに屋台で、血の詰まった腸詰めと、チャプチェ、海苔巻きなんかを食べる。もう・・・疲れたなあ。 でも、昨日のベルトコンベアー汗蒸幕へ行くのだけはダメだ。 今日は足ツボに!と思ったらもう信じられないくらい深夜。日付変わりそうだ! 急いで荷物を担いで地下鉄に乗り、取り急ぎホテルへ。もう今夜しかない、焦る焦る焦っても何もできない深夜すぎ。 マッサージもだめ、足ツボもダメ、じゃ、最後にもう一回何か旨いモン食おう! 実際ちょこっと屋台で食べただけで、もうお腹はすいちゃってるんだ。明洞の街を腹を空かして徘徊するも、 どーーーーっこもあいとらん!コンビニで悲しくなる。だってカップラーメンのお湯すら終わりだもん。 ちょっと先に揚鳥屋があったろう、という話になる。深夜にフライドチキンかい。 それでもあまりの心寒さにおそるおそる入ってみた。おやじは、得意の英語でメニューを全部説明してくれ、 お陰でチゲなんかがあるのがわかった。チゲとビール(私はコーラ)とフライドチキン。 ああ、ちょっと幸せになったところでものすごい眠気が・・・。満腹になると簡単に幸せになる一行。 ホテルへ帰って荷造りすると、な〜んと眠る時間もないではないか!と、言うことでソウルは終わった。 ホント言うと、もっと微に要り細に要りいろいろ盛りだくさんのエピソード、本が書けそうなくらい面白かったソウル。 だけどあまりにリアルタイム的おもしろさでそれを書くにはものすごいボリュームが必要じゃ。 と言うことで、小事でちょっとずつエピソードは書いていこうっと、言うことじゃ。す、すみません。 |