何を思って行こうと思ったのかスタン系
買い付け中キルギス人の女の子と会って、あっち側にすごく興味を持ったんですね



第8回 ウズベキスタン・ソウルの巻


8月30日(金) タシケント 戦いの火蓋は

成田を13:30に飛び立った飛行機はソウルの仁川空港を経由して、日本時間にして深夜1:00頃にタシケントへ到着する。切符を手配してくれた友人は、ソウルから5時間くらいと言ったが、馬鹿たれそれは時差を抜かしているやないけ!およそソウルから8時間だ。
私はこの日より2.3日前から扁桃腺が腫れていて、発熱はしていないもののびくびく状態で風邪薬を飲み続けていた。だからいつでも眠い。用意していた体力は5時間分。8時間と知った時は一瞬気絶した。
ソウルからタシケントまで、お隣の席はサマルカンドへ日本経済と日本語を教えるためにやってきた初老の紳士だ。
そもそも別の席だったのだが、「イポンスキーはイポンスキーの隣へ行け」とウズベクのカップルにあれよあれよと交代させられたのである。結果的にはその方が気楽でよござんした。
彼曰く「つい最近までスリランカで教えていたんだよね。ちょっと日本でのんびりしてたらまたお呼びがかかったんだけど、ずっとスリランカにいて日本経済の現況も何もないわな」ハハハハ確かにそうですね。
初めのうちは話にも花が咲いたが、だんだん衰弱していく私。
機体から降りて、わたし史上1.2位を争う怖さと汚さを兼ね備えたイミグレへようやっと到着し、並べぬ国民と無言で戦っているあたりから背筋がゾクゾクしはじめる。
なにしろ、並ばない。
扇形はイミグレを要方向に人が固まっている。誰も白線の後ろなんかで待たないで、違う人が審査中なのにカウンターにパスポートやら手やらを差し出している。ちなみに機内はガラガラで、順調に並んでいればさほど時間はかからないはずなのだ。しかし、浅はかなのは私なのか、さすがウズベク人。このイミグレが異常にしつこく長いことを知っているのであろう。実際信じられない時間立たされることになるので、つまり誰よりも早く審査を終わらせたいと言うことらしい。それにしたってだが・・・。
前に並んでいる韓国人風のグループは偉く強気で、交代でタバコを吸いに行ったりしていた。それがまた出たり入ったりして鬱陶しい。むーっとしていると、一人が振り返ってロシア語らしい言葉で何かを聞いてきている。
どうせナニ人か聞いてるんだろうと思って韓国語で「日本人」と言うと、韓国語でボアーっとまくし立てられた。「あーアイキャンノットスピークコリアン、イングリッシュプリーズ」と言うと今度は英語になったらしいのだが、このハングル英語が全然聞き取れない。サマルカンド先生(お名前を聞きそびれまして失礼)も、「うーん、なんだか全然わかんない」と笑っている。端から見れば我々、無反応にうすら笑う日本人の親子。
すると韓国人の彼は肩をすくめて両手を軽く上げフンッと冷笑。くっそー「アイキャンノットアンダースタンドユアイングリッシュ!」と言い返してやりたかったが、子供なので勘弁してやった。はっはっは、君は運がいいな。
その隣にいた金髪のロシア人ぽい女の子がハングルでサマルカンド先生の鼻を指さして
「何故あんたの鼻は赤いのか」と聞いてる。先生は飲んでなくても鼻が常に赤くなっちゃってる飲み助鼻なのである。
はてさて韓国人は「なんでそんなに太っているのか」などのストレートな質問をするが、悪気はないので驚かないようにと地球の歩き方に書いてあったけど、こんなに早く体験できてびっくりだ。先生は「へっへっへ、なんで鼻が赤いのかって聞いてんだな」と言って笑っていた。実際彼はすでにほろ酔い。
ハングルもロシア語も喋るウズベク人と韓国人グループ・・・、日本の知らないところでまた世界が縮んでいるぜ。
サマルカンド先生はお世辞にも健脚の若者ではなく、しかも若干酔っぱらっているので、大荷物と共にどこかふらつき気味。そこへウズベクの男二人が割って入ろうとタックルしてくる。負けるな私たち!手を出したり、足を出したりして自分の位置を確保する。やがて二人は諦めて別の列へ移っていったので、勝った!と先生と喜び合うが、もはや私たちの後ろには誰も並んでいなかった。弱い。
電話ボックスみたいなちっちゃくてへんちくりんな箱にいる審査官からたっぷりパスポートを見て貰った後、税関に行って所持金の審査を受け、X線に荷物を通す。本当に信じられないくらい時間がかかる。もうふらふら。
やっと解放され、先生にちゃんとお迎えが来ているかを確認してお別れをし、空港を出ると、私にもお迎えが来ていた。予想外に3人も来ている。
「松本さん、はじめまして。こちらは所長のニックさんです。私はガイドのビクトリアと申します。ようこそいらっしゃいました」まったく素晴らしい日本語の発音で話しかけられた。Mr.ニックは切符を手配してくれた友人の会社で紹介してくれた現地代理店の所長さん。宿やインビテーションの手配などをお願いしたのだが、偉い人なので会うことはないだろうと思っていた。それが心配してわざわざ来て下さったのに、2時間近く空港前に立たせてしまっていた事になる。すみません。挨拶して握手をした。
「いえ、ウズベクではいつもこうですから」と彼は笑ったが、ガイドのビクトリアちゃんは綺麗な日本語で
「本当に遅くてびっくりしました」と言った。
 さて一行はホテルへ。うひゃーっと驚いた。わたし史上(今後私史上初とかもっともとか爆裂するけど)最高に綺麗なホテルだ。レセプションとニックとビクトリア3人が、ロシア語x英語x日本語で私にいろいろ説明をする。
もう背中のゾクゾクは通り越して頭痛がしてきていたのだが、一生懸命耐える。このまま眠るのは辛すぎたので、英語でレセプションの女性に「紅茶を部屋に持ってきて貰えますか?」とお願いすると、彼女が心配そうに「風邪ならレモンとはちみつを付けたら良いと思うけど、好き?」と言ってくれた。それが同時通訳されて英語と日本語の二カ国語サラウンドで耳に入ってくる。
こ、こんふゅーじょん・・・私は「あう、あ・・・ウィ」とフランス語のような返事をした。

 ようやく部屋へ送って貰ったと思いきや、部屋で打ち合わせだそうで、私的にはすでに深夜3:00くらいなわけですが、こちらじゃまだ11時くらいなもんで、ニックのながーくて早ーい英語の拷問を受け(ビクトリアは英語部分に関しては訳しません)ロシア語で打ち合わせする二人を眺め、実はほとんど頭に入っていないのである。ただ薄ら笑いを浮かべる土気色の日本人。せっかくの紅茶がポットごとテーブルで冷めていきます。二人が撤収したのはいつだったのかもうる覚えで、冷たくなった体をお湯で温めてからすぐ電気もつけっぱなしで眠ってしまったのでした。

8月31日(土) タシケント 療養中

 もうろうと朝がやってきた。タシケントの朝は那須高原のように爽やかだ。湿気が全然ない。
昨日話したことをゆっくりと回想する。今日と明日は私はお休みをとること。明日の夕方は独立記念日のお祭りなので、もし元気になったら出かけましょう、と言うこと。差し当たり生活に必要なツムをニックが今日持って来てくれる事、それから・・・。あれ?そもそも私は一人で買い付けをするつもりだったのに、なんでいつの間にか二人と打ち合わせしてたんだろう。インビテーションの手配をお願いするときに、友人が心配してニックに私の仕事のことを話してくれていたので、ニックは私の事を初めからずいぶんと理解してくれていた。昨日の打ち合わせを思い出せ・・・。
ニックは、英語での買い付けは不可能だし、買い物くらいは出来てもきっと騙されるし、そうそう値段を下げることが出来ないだろうと言っていた。そこでビクトリア通称ビカちゃんがお供します、という事になったのだが。なったの?
昨晩彼女は言っていた「サマルカンドにも一緒に行って良いですか?」 私はハッとする。
ガイド料はいくらなんだろう・・・。
このホテルもとにかく2泊押さえているけど、1週間の長居は少々きついし・・・。
それにサマルカンドへの出張も同行?!明日の夜お祭りに一緒に行きましょうってのはプライベートで?
んな訳きゃないわ。ちょっと汗ばむ・・・。ま、とにかく病気の時に金のことを考えるのはよそう。
今や自分で外には出られないし、彼らに頼るしかないんだから。さ、今日は必死に療養だ。寝まくろう。
目覚めた今のうちに何か食べて、薬を飲まなくちゃ。
ルームサービスで昨日のはちみつとレモンがたっぷり付いてくる紅茶のポットとパンに玉子をオーダーする。
昨晩10ドルだけニックにツムを両替して貰ったので、高くても2食くらいは食べられるだろう。
ウズベクのホテルが全てこんな制度なのかはわからないが、ホテル内のレストランなのにサインでチェックを済ましておくことが出来ない。1回毎、ツムで支払っていく。そして宿泊費はドルでホテルが請求をしてくるのだ。
昨日の紅茶は1600ツムだったから、今回はいくらかな?と思っていたら早々に朝食が届いた。
いくらですか?と尋ねると、「タダです」と言って帰っていった。あれー昨日朝食は含まれていないと聞いたんだけど・・・。なに?全然わからん、もう寝る。
 うとうとするとビカから電話。うとうとするとニックから電話。うとうとするとルームメイキングのノック。おまけに間違い電話。2時間毎に起こされてなんじゃー!と怒り心頭の頃に、ニックがツムを持ってやってきた。
お願いしておいたお水と、お見舞いに、とほかほかの肉入りナンを持ってきてくれた。
「他に何か欲しい物はない?薬はある?」心配してくれている。「欲しい物・・・ないな。薬もあるよ。ありがとう」
私はうちの隣の薬局で買った170円のTシャツとすごい水色のマジックパンツ(履くだけで痩せる)という、
裸の方がましなような恥ずかしい格好なので落ち着かない。
マジックパンツはパンツ同様に直履きする物なので、よーく見るとモザイクが必要。
そこでハンドタオルを何気なく股に当てて喋っていたのだが、今思うとそれはやはり正気ではない。
それでかどうかわからんが、思っていたより重傷と察したニックがドクターである奥さんに電話をしてくれて、抗生物質とアスピリンの処方を聞いてくれた。「お祭りが始まったら、何も買えなくなるから」と、早々に彼は出て行き、いつ戻ってくるかわからないので小1時間あまり私は股にタオルを当ててベッドに座っていた。
また意識が遠のいた頃ニックが戻る。
「飲み方を自分で書き込んで」と大量の薬を差し出した。ロシア語で書かれた迫力のあるその薬達は、
食後1日3回のものと、食後1日4回のものがある。うーんと、って事は一日4回ご飯を食べて、1日3回の方のを1回飲まないようにするのけ?そんな難しい事はちっともわかりません。相変わらず早くて長い英語の拷問にすごく適当な返事をして時間が過ぎ、やれやれやっと帰ってくれた。
ニックはドイツ人で、太っちょで、背が高くて、いつも忙しそうに汗をかいている。
にこにこしていて、見るからに良い人だ。この時は、寝たい一心でやれやれなんて思ってしまったが、本当にとても良い人だと心底思うのに、そう時間はかからなかった。
深夜に到着してからこの部屋にしかいないので、ホテルのレストランがどの程度の規模の物で何が置いてあるのかもわからずオーダーしにくいし、何よりボーイさんにも部屋に来て貰いたくない。
結局この日と翌日、何度にも分けてニックの持ってきてくれた、このでっかい肉入りナンを食べ、水を飲み、抗生物質を飲んでやり過ごした。これがなければ、えらく苦労していただろう。
この薬はお祭りのために交通規制が引かれて車が使えない中、ニックが1時間かけて歩いて買いに行ってくれていたのです。

9月1日(日) タシケント

昨晩は遅くまで花火や人々の歓声が続いた。
この独立記念日に合わせて、何年か前大きなテロがあったので、最初のどどーんという爆音にはひや〜っとした。
窓を開けて、音のする方向を見ると、夜空が赤々と燃えるように光っている。
花火ならもっと高い位置で見えるはずなのに、空は光っているだけで低い音がずずーんと響いてくる。
よく耳を澄ますと、その音に続いて大勢の人々の歓喜の声や歌声が聞こえてきた。
どうやらテロではないようだ・・・と少し安心した。
一応テレビをつけて再確認。民族衣装に身をまとった人々が舞台で歌ったり踊ったりしてる。
舞台には「11th」の文字飾りが。盛り上がっちゃってるようなので、安心してベッドに横になった。
しかしお祭り好きの我が魂はなかなか静まらない。見、見たい・・・まつり・・・。

 もうろうとした朝2日目。まだ体の節々は痛いし、熱が下がりきっていないし、喉が見事に腫れている。懇々と眠る。
11時頃ビカから電話が入る。「今日のお祭り、見に行きますか?」という電話だ。ああ・・・祭り魂が・・・でもまったく自信が無く、「4時頃にもう一回電話ちょうだい。それまでにがんばって治してみるから」と無茶を言った。
それからまた懇々と眠る。4時にビカの電話で目を覚ます。
「ちょっとだけ、外出してみます」と6時にロビーで待ち合わせをした。 まだ、ぞくぞくする体で外気が怖い。

しかし、この国に着いてから3日目なのに、私はまだホテルの室内と窓から見える隣の家の駐車場しか見ていないのだ。そりゃ出てみたくもなるわいな。ロビーでビカを待つ。5分遅れてビカが来た。
「まつもとさん、こんばんは。ウズベキスタンはどうですか?お気に召しましたか?」って、
「ええ、ホテルと隣の駐車場は」あ〜まだ全然外出されていないですか〜とキャッキャと笑う。

し、しかし・・初日出会ったとき、もうろうとしながらも「綺麗な姉ちゃんやー」と思ったが、うーん、改めて見て驚く。
なんという美人だ!たぶん、今まで会ったレアな人間の中で一番綺麗。そのまま「綺麗だ」と言う。
「ありがとうございます」とにっこり。あんまり美人なので、謙遜しなくてもいやじゃない。
嘘の否定なんてそんなもの必要じゃないくらい美人。
その美人が、である。くるくるとカールされた綺麗な黒髪をさらっと寄せるて、ばっくり開いているトップスの背中を見せるのだ。真っ白い背中に大きなほくろがちらり。ああ・・・
「黒は仕事着です。でもちょっと今日は肌寒くて背中が心配ですね」と・・・。すかさず触るわたし。
いやがる姿もキャッキャとかわいい。ビカちゃんは背が172cmもあるが、ウエストは私の太股くらい。
一緒に歩くのがイヤになりそうなくらい美しいのだが、イヤになるというのは同じ土俵にあがったって話なわけで、
もうすでに同じ動物ではない、というくらいの違いがそれすら思わせなかった。
お祭りに行く道すがら、ビカと「ビカの美人度」について話をする。
おじいちゃんがロシア人で、ご両親がウズベク人だからロシア人のクウォーターなのだ。そうするとどうなるかっつうと、
髪は少しグレーのような軽い色の黒髪で、瞳はグレーっぽいブルー。肌は真っ白。
「何人か分からない、とよく言われます」
そう、それはまさにシルクロードの産んだオリエンタルビューティーなのである。
彼女の通っていた東洋大学のウズベク校は、最終学年で日本へ1ヶ月留学させる制度がある。日本の文部省が修学支援として行っている。「ねえ、ビカ、留学中にナンパされたこと、なかったでしょう」と私が言うと
「そうですね。日本の男の人は優しいけど無口で、声を掛けてきたりはしませんね」と言った。
やっぱりね。日本の男ってのは、あんまり美人だとびびるのよ。征服できそうな山しか登らなんのじゃ。
「あーそうかも。よく道で「美人だすごい美人だ」って指はさされたけど、誰もお茶飲みましょうとか、言わなかったです」と、ほらほら。ふんどし締め直せ!日本男児!

 「こちらがアミルティムール像です」と突然声色が変わるビカちゃん。そうそう、彼女の仕事はガイドでした。
しばし、彼女のガイドに付き合うが、相変わらず観光に興味のないわたし。
この像は旧ソ連時代はマルクスだったりレーニンだったりしたのが、独立後このおっさんになった。
ウズベクの政情がとても反映されている像だ、と、それぐらいはガイドブックににも書いてある。
しかし、私の行くところが市場や商店と言ったところばかりなので、最終日までビカちゃんはここを通る度にこの像の説明をする事になる。ガイドとしての能力をティムール広場にだけ注ぎ続けるのであった。
 さて、広場は人々でいっぱい。「ウズベクは、人が少ないですから、いっぺんにこんなにたくさんの人を見るのは本当に珍しい事です」と、人自体が見所となってしまっている。タシケントでは「ブロードウェイ」と呼ばれている「サイールゴフ通り」は短いながらも原宿竹下通りかと見まがうばかりの人混み。
この「ブロードウェイ」って呼び名には、ビカもちょっと恥ずかしそう。「本当のブロードウェイは、もっと違います。もっと、大きなビルとかあります」って分かってるわい。
ブロードウェイの両側にはきちんとした建物のお店があるわけではなく、ほとんどが小屋のような出店だ。
しばらく行くと、タシケントのヤングが大好きなお店ミールバーガーが見えてくる。一番お洒落で、新しい!という事だそうだ。大きなビルの1階はファーストフードとスイート。下階はプールバーとカフェテリア形式の食堂になっている。
っつったって、地方の映画館の上とか下にある死んだレストラン程度のあか抜け度なのだけど。「素敵な喫茶店に行きましょう」とビカは案の定、私をミールバーガーへ連れていってくれた。
「喫茶店」という言葉も最近は使わなくなりましたなあ。ビカの先生がちょっとご年輩だったらしく、これから懐かしい言葉の数々に遭遇する事になる。それがとても彼女に似つかわしくなく笑える。そしてつい、せっかく教育を受けてきたのに、またスラングばかりを教えてしまった。それこそ似つかわしくはないが・・・美人はちょいと汚れてこそまた味が出るというもの。先生ごめん。
 ミールバーガーのカフェテリアで豆のトマト煮とポテトといんげんの煮物を食べた。
私は夕食として食べたので、ちょっと調理時間から時間が経ちすぎていたのか、豆がちょっと逝っちゃってた。
黙ってよけよけ食べる。
1人前で多いときは、全ての物をハーフで注文できるが、ハーフ同士が同じお皿に入れられる。つゆ物でも半分ずつが同じお皿に。ポテトの方に豆の汁が侵攻してくるのをガードしつつ、ポテトは非常に美味でござんした。
 ティムール広場からブロードウェイまではほんとに短い距離なのに、私はもうめまいを感じ始めて、
今日はこれで勘弁して貰うことに。別れ際、彼女が思い出したように
「まつもとさん、明日か明後日、バレエを見ませんか?ナヴォイ劇場に知り合いがいるので、無料で見られます」えーーーー!ナヴォイ劇場のバレエが無料?!(このタダって言わず無料って言のも新鮮)ウズベクのバレエは国際的にも水準がものすごく高くて有名だ。ちょっと元気になっちゃうネタじゃんか。

9月2日(月) タシケント 楕円のメロンと憂いのロシア

昨晩の逝ってた豆の部分だけが下痢。その50ミリリットルくらいの部分だけ下痢で(豆確認)、前後は普通のなのだ。私の腸、すごい、分別がんばってんな!

 もんのすごく迷いながら買い付けに出かける事に決める。まったくもって自信がない。
昨日の夜も帰ってから一通り辛い思いをして眠り、ベッド際にいろんな人が居る夢を見た。誰かに手首も捕まれた。
今ではもう話すこともない友達や、死んだ婆ちゃんも出てきた。
 それでもビカは、ちゃんと5分遅れでやってくる。
「松本さん、昨日お母さんが言っていました。市場は法外な税金に怒ってもしかしたらストライキをしています。どうしましょうか」どうしましょうかって言ったって、行ってみるしかないじゃない。
地下鉄に乗って市場へ向かう。地下鉄はリーズナブルな一律料金。エスカレーターが日本の5倍くらい速い!
「日本ではイライラしました」とビカちゃん。
駅名などの表示は全部ウズベク語で、これは一人だったら相当困っていたはずだ。一度乗り換えて、目的の駅を降りると、もうすでに市場の空気が立ちこめている。しかし・・・空気だけ。
すでに11時を過ぎているというのに、開いているテントはまばら。建物自体にも入っていけない。
美味しそうなメロンや、スイカの山が悲しい。がーん。市場の向かいには大きなおもちゃ屋さんがある。
「子供の世界」という名前だそうだ。面白そうなので一応行ってみる。
いやはや、面白いと言えば、いろんな意味で面白い。真っ暗なビルの中に、異常に頭の大きな赤ちゃんの人形が泣いており、ほこりをかぶったブランコが揺れている。子供の世界はシーンとしている。
ガラガラや小さな車のおもちゃなんかの安めの物は、お母さんが買ってくれるので数人の子供がワゴンに集まっている。おもちゃ全体の雰囲気が、日本の70年代くらいの懐かしさだ。
ビカは「これ、子供の時にとても欲しかった。ああ、かわいいでしょう!」と赤ちゃんの人形を手に取った。
ビカはこんなに見た目が大人ですが20歳です。子供の時なんてつい昨日のこと。いえいえ、いくらなんだって20年も同じ人形は日本じゃ売ってないわい。バービーでもリカちゃんでもなんでもないやつでっせ。
「ああ、お人形、私の心の痛みです」とビカが言った。ビカはお人形フェチだそうだ。
ふっと、「心の痛み」と言う表現は面白いな、と思って聞いてみた。「それはロシア語の直訳?」
「そうです。とても好きということ。なんて言うのが正しいですか?」日本でも確かに「好き」には「痛み」が伴うけど、
 対象が生き物でない場合は、表現に一線が引かれるように思う。
「うーんとね、もし対象が好きな人、これが恋愛だったら「胸が痛い」と表現したりするね。あと「せつない」とかね。
これらは「心の痛み」と同じだよね。でも、例えばお人形が相手だったら「痛み」は伴わない表現をするかな。
「いとおしい」とかって言うね」
ふうん、とビカは「胸が痛い」「いとおしい」と練習していた。
それにしても「○○は私の心の痛みです」って言うのはとても憂愁漂うロシア文学らしい表現ではないか。
英語で「あなたは私の○○」って言うときは、マイナス方向の表現や、屈折した常套句は来ないように思う。
愛は素晴らしい!という前提が感じられる言葉じゃないかな。ハニー!とかスウィートハート!とかね。
ロシアと同じく、日本もうきうきしちゃう様な表現は来ないでしょうね。切なさや、切実さを入れていこうとするんじゃないかな。黄昏や木枯らし、不条理や無情の表現が愛に似合うロシアと日本。
日本の純文学はロシア文学の影響が大きいもんね。根っこの思想が近いのかもしれません。
 なんて、言っている場合ではなく・・・・

 結局、ほとんど何も買えずにお昼を食べてお別れする。毎日ビカとのデートに金を使っている場合ではない。
一応、まだ仕事をする気があるので、ビジネスライクにニックに聞いてみることにした。ここもアジアだな、
と思うのは「言いようにするから、けっして高いお金なんか必要ないから心配しないで」と言いながら、
具体的な数字が全然出てこないところ。毎日ニックからそればかり聞かされている。
あの長くて速い英語を電話で聞くので、ちょっと緊張するが・・・。薬や心遣へのお礼をとうとうと述べて、
楽しく笑って、バイザウェイ・・・はっきり言って頂戴ビカちゃんハウマッチ。
驚いたのはニックで、日本から聞いてきていないのか?と。
ハラハラしなくても金額は出発前から決まっていたらしい。
そりゃ、ニックだって来る早々数字の話なんかしないよなあ。エレガントじゃないじゃん。
しかしなんで私はそれを知らないわけ?
何点かアレンジをして貰ってニックにお任せをした。ふう、それで「悪いようにはしない」って言葉を使っていたのね。
いつもいぶかしそうな私に対して、ニックも違和感があったでしょうから、お互いの間の霧が晴れたような心持ちだ。
よかった。やれやれどうやら、この調子で毎日ビカとはデートになりそう。


9月4日(水) タシケント 春の小川

 昨日今日と、日に日に市場は活気を取り戻しつつあるが、大量の買い物には至らず・・・。
何しに来たんだあたし!状態が続く。
体調も少しずつ良くなってきているが、やはり一日中歩いて疲れた寝しなには、まだ気分が悪くなってうなる。
ぐったり、帰り着くと晩御飯も食べる気がしない。
それでも、何か食べないと薬が飲めないので軽く何か食べたいのだけれど、東南アジアと違って「屋台」なるものがなく、
パンやドネルの売店は閉まるのがものすごく早い。だるい腰をあげる頃にはもう開いちゃいない。
ああ、今日もどうしょうかな〜と、悩む。仕方なく、ホテルのレストランへ行ってみる。
すると、いつもはシーンとしているレストランのフロアに素敵な音楽が・・・。
さすがロシアだな(ロシアじゃないけど)と、しみじみ思うのは、こう何気なく芸術が側にあることだ。
だってレストランのホテルのBGMとは思えないくらい、そのレベルはすごく高い。
ピアノとバイオリンとセロのトリオが演奏している。一人だし、かぶりつきで見るのはちょっと恥ずかしかったので、
演奏者にはほど近いけれど柱の陰で、彼らと目が合わないところに案内してもらった。
さて、とにかく何か食べないと・・・
お昼には置いてあるラグマンなどの現地ライトミールはこの時間帯では見あたらない。
なんとからステーキとか、フライドなんとからとか重たそ〜な物がメニューに並んでいる。
困ってしまって、ウェイター君に、何かサンドイッチのようなものでも作れないか相談してみると、快諾してくれ、
具のリクエストまで丁寧にメモ書きして厨房へオーダーしに行ってくれた。
後ろのテーブルではイタリア人のおっさんご一行が盛り上がっている。おっさんらうるせえぞ。
小説に目を通しながらも、神経は音楽に向いている。なんて和やかな良い演奏だろうか。
心身共に疲れていたわたしにはじーんと染みてくる。
柱の陰からちょろちょろ覗いていると、セロ弾きのの叔父様に見つかってしまった。
彼は演奏しながらにっこりと微笑んだ。私もにっこり。
2曲続けての演奏が終わった後、トリオはなにやら相談をし、始まった曲はなんと「春の小川」。
〜春の小川はさらさら行くよ。岸のすみれやレンゲの花に〜。
私が日本人なので、予定の曲順にこれをすべりこませてくれたのだ。
ピアノはきらきら光る水面を表現し、牧歌的なセロの音色と伸びやかなバイオリンが優しい川岸の風景と重なる。
なんだかとても遠くに来てしまった気持ちになって、えーんと泣きたくなった。
具合が悪いからサンドイッチって言ったのに、バターをたっぷり両面に付けてカリカリに仕上げたトーストは
ビッグマックを超える高さで、とても痛んだお口に優しい物ではなっかたが、泣きそうなのを隠すために慌てて元気良くほおばってしまった(ちなみにとても美味しいのだよ)。
演奏が終わると、3人が揃って私に会釈をしてくれた。口の周りにパン粉をつけながら、小さく拍手でお礼をする。
どうもありがとう。
後ろでイタリア人のおっさんらがまたイエーッと無関係な雄叫びをあげた。うっせえぞおっさん!グーで殴りたい。
帰りしなにとても嬉しかったことを言いたかったのだが、私が紅茶を飲み終えるより先に彼らの方が撤収してしまった。
それ以降夕食をホテルで摂ることはなかったので、とうとう彼らとは会えずじまい。
でも、とっても素敵だった演奏は今でもちゃんと覚えてる。


 9月5日(木) タシケント ブラヴォーウズベク!

 なんつったって無料だから、ナヴォイ劇場に滑り込める日定は大幅に狂って今日か明日ということになった。
本来は残りの2日間でサマルカンドへ移動するつもりだったけど、ガイドでもへろへろになるというサマルカンド行きは
体調的にもムリと思われ、まーまたとない機会だし、残りの2日間はナヴォイ劇場でのバレエ鑑賞とタシケント市内観光に決めた。

世界的に有名なロシアバレエの流れをくむウズベキスタンには、超有名なプリマや指揮者が揃っている。
だからといって、入場料は700円くらい。「無料です!」と言われて有頂天になってたけど、
ビカのガイド料の方が高いよというお値段。だからと言ってウズベク人にとっては、けして安い入場料じゃないのだよね。でも誰でも好きなときにここへ訪れれば入場でき、ジーパンやへそ出しでもOK。
全然芸術という物に気負いが無く庶民的だ。

劇場は、第二次世界大戦当時捕虜だった日本人が建てたロココ調の素晴らしい建物。
ウズベク人は2度の震災でも壊れなかったことから、「さすが日本人」と誰もが言う、らしい。
中に入ってみると東京ドームなんかに馴れてしまった日本人はカクッとするくらい小さな舞台だ。
街の公民館くらいかな。500人で満員になる。しかし、それがまた良くて、演者があまりに近い事を想像させ大興奮。
中世英国でシェイクスピアが新作を発表したのもこんなエレガントで観客に近い劇場だったんじゃないかな、と思う。
今日はビカが「お友達」と呼ぶ彼氏のイザト君がやってきた。
ウズベキスタンでは、一応結婚するまでは良いお友達でいなくてはいけない建前故。
イザトはとてもチャーミングな男の子。
ビカの前で日本語を話すのが初めてだそうで、早口の挨拶は緊張の余りいきなり噛んでいた。
代々ウズベク人というルーツの彼なので、ちょっと日本人にも似ている。濃いーい日本人。
二人の美女は彼にエスコートされつつお席へ。
ビカがお知り合いの名前を出すと、案内のおばちゃんがその辺に座れとアバウトに指をさす。かなり適当。
舞台から一段下がってオーケストラの頭がちらほら見える。ああ、わくわく。
わくわくしているのは私だけではなくて、隣の席のへそ出しお姉ちゃんも、後ろの席のおせんべ食べ続けてるおばちゃん達も興奮してずーっとしゃべり続けている。そのうち、あれっという間に開幕。

ジャンジャジャジャンジャンジャジャジャジャジャーン。
音楽と共にでっぷり気味の男女大勢が舞台両脇から、同じ体の角度で同じ笑顔で同じ歩数で中央へ歩いてくる。
ジャンジャジャジャンジャンジャジャジャジャジャーン。今度は向きを変えて袖へ帰っちゃった。
ジャンジャジャジャンジャンジャジャジャジャジャーン。また出てきた。
「紅白かよ!」と突っ込みたくなる。

ところでこの人たち、プ、プリマ?じゃないよねえ〜。
このでっぷり男女が舞台中央に落ち着くと、出てきました!かわいらしいプリマドンナ。
これも両脇からジャーラジャーラツッタカタッタッター。その次は真ん中を割って、一人おばさんが登場。
「お知り合いです」とビカが耳元でささやく。劇場長じゃんか。すげーなビカ。
「今日は、日本でいっぱい賞を貰ったお祝いで、オペラとバレエのサビのとこだけ目白押しでやりま〜す」と挨拶。
それからは、司会こそいないがまさに紅白。メドレーで次々にスターがサビだけ歌いに出てくる。
ウズベク系、ロシア系、朝鮮系、様々な顔のスターが夢の競演、まさにウズベキスタンシルクロード!
東映まんが祭り的でもあり!
お目当てのスターが出ると、「キャー」と拍手し、歌が終わると「ブラッボー!」と言って立ち上がる。
メドレーだから忙しい。隣の知らないお姉ちゃんも私につかみかからんばかりに、体を揺さぶり「キャーさぶちゃんよー最高」(和訳ボス)と大騒ぎ。歌の内容に合わせて観客は揺れる。コメディタッチの歌の時には大爆笑。シーンとまじな歌の時は、みんな眉間にしわを寄せ聞き入る。静かな展開から突如「オーーーーー」と歌手が爆音で声を上げると、ぶっ飛ぶように後ろへのけぞる。お客が一番面白い。
宴もたけなわの時、イザトが驚き発言。「あ、この人隣のおじさんだ」
舞台に出ているはげちゃびんのおじさんは、いつも挨拶している隣のおじさん。
隣のおじさんが今スポットライトを浴びて「オーーーー」って歌ってます。
「し、知らなかった」おじちゃんの正体は、なんとナヴォイのスターだった!
ツボにはまってしまって、しばらく笑いが止まらなかった。
歌も出尽くすと、今度はメドレーでバレエが始まる。「ジゼル」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」等々、どんどんやる。
ドリフ並の早さで舞台の道具も変わる。それにしても近い。汗が飛んできそうだ。
なのに、ビカ達は嬉しそうにオペラグラスをのぞき込む「毛穴まで見えます」。
ものすごい展開の早さであっという間に全幕終了。
日本だったら、もんのすごうく高いお金を払わなくては見られないバレエをせっかく間近で見られるチャンスなのに、
1本の演目を全幕通して見られなかった事は非常に残念だったような・・・
しかし、それ以上の面白い物を見てしまったような。

伝統芸術がとても生活に近くて、おばあちゃんからへそ出し娘まで一緒に喜べるなんてとても素敵だ。
ウズベクだって世界のヒットチャートは来てますから、他に娯楽がないってワケじゃない。
「ポップスやロックも大好きだけど、オペラやバレエも大好きで、お給料が入ると見に行くの・・・」って、とてもいい。
 面白かったね〜とナヴォイ劇場を後にし、三人でオペラ歌手の真似をしながら「素敵な喫茶店」に向かうのであった。

 9月5日(木) タシケント いいかげんにさらせ!

このバレエの間も(デートの間も)ガイド代を払っているオーナーとしては、二人を奢ってやらないといけないな〜と
思っていたのに、カフェテリアで私が晩御飯を選んでいる間に、何気なくイザト君はデザートコーナーへ回って
自分たちの飲み物を買い、私にケーキまで買ってきてくれた。
私が昨日、「ケーキ食べたいなあ」と言ったのをビカが覚えてくれていたのだ。
ここぞとばかりに普段行けないようなバーへ行ったり、美味しい物を食べたり、そんなチャンスでもあるのに、
二人はそういう事をしないんだって事にちょっと感動した。
私の方はその気だったんで甘えて貰っても良かったんだけど。
でも二人は私にお金をなるべくかけさせずに、しかも自分達が出来る範囲でおもてなししようとしてくれ、
それがまた実にさり気なくスマートだった。とても嬉しかった。

 さて、私の前に並んで座った二人は、けして繋いだ手を離そうとはせず寄り添いあい、肩まで噛み噛みし、囁きあい、
それはもう目を覆うばかりである。ビカの家はロシア聖教、イザトの家はイスラム教、本来二人は結婚できない関係だ。
「二人はロミオとジュリエットね。」と言うと、その表現に酔い「おお、私たち・・・まるでロミオアンドジュリエット・・・
なのですね」と、眉を八の字にしていちゃこらいちゃこら。一応、ビカはお父さんにイザトを紹介した。
でも、まだ結婚させてくれ、という勇気がイザトにはない。「お父さん、怖い」としびれている。
二人とも20歳で、まだまだ若い。でも、ウズベクでは18歳の女の子と言えば所帯持ちで学生だったりするので、
全然若すぎる結婚ではないわけだ。
「私たちの結婚は大変な問題です。でも、僕は結婚したい。絶対結婚します。松本さん、僕は便所に行って来ます」
とイザトは勢いよく席を立った。「「便所」ってあんまり日本人は使わないぞ」って言うと、「お便所」と言いなおして去っていった。それはもっと言わないぞ。
「松本さん、私は初めて結婚するという意志を聞きました。結婚の話を彼はいつも怖がります。嬉しい〜松本さんがいると話が進みます」嬉しそうなビカ。イザトは席に戻ると「将来の話はやめましょう。僕はつらい」と頭を抱えた。
笑う女共。その時ビカが突然顔色を変え「侮辱です」と、言った。
な、なになに?「私のケーキよりも、イザトさんのケーキの方が美味です。失敗しました。侮辱です」
・・・「残念です、ぐらいでいいいんじゃない?」
「うーん、そうですね。でも彼は私にその事を教えませんでしたので、屈辱です!」
侮辱だの屈辱だのケーキに対してすごい単語が並んだもんだ。
「でも、ビカが自分で選んだでしょ」と、イザトが言うと、「ああ、悔しい」とケーキを奪って食べた。
 いやはや、二人とも高校生の国語試験問題レベルの論文を読むし、自分自身でも大学院で日本語論文提出してるくらい日本語が出来るんだが、先生が少々ご年輩なようで、日常会話的にはかなり固い・・・と言うかちょいズレというかそんな言葉が出てきて非常に可笑しい。ビカまで綺麗な顔して「便所に行きます」と言う。
「明日は何時に団結しますか?」・・・しゅ集合にしようよ。団結までは良いだろう。タダ!ていうライトな感覚の時もいちいち「無料です!」と言う。「カメラ持ってますか?」ではなく「写真機は持っていますか?」「今日は不愉快です!」「気候はどうですか?」ニックにちょっと聞いておいてよ、と言うと「ニックを説得します」って、いやいや聞いとく位でいいって。と、こんな感じで勢いがある。
私はビカのそんな日本語が毎日とても楽しみだった。
「ねえ、イザト、彼女がこんなに綺麗だと嬉しい反面疲れない?男としては釣り合うために努力しなくてはならない!と思うほど綺麗だよね。私もアジアはあちこち行ったけど、私が見た中では一番の美人よ」と言うと、彼は彼女の手をひしと握り、「ああ、やはりそうですか。世界で一番綺麗ではないですか?間違いなく」彼女の手を握った彼の腕には大きな時計が見えた。
そのディスプレイには「VICA I LOVE YOU!」という文字がエンドレスで流れている。「いや!イザトさん、これはいつからですか?」とビカがキャッキャと喜んだ。
そんな二人のいちゃこらぶりを写真に収めましたので、良かったら横の画像をクリックして下さい。は〜


9月6日(金) タシケント さようなら綺麗で可笑しな国

 今晩いよいよソウルへ行きます。何をしていたかよくわからなかったウズベキスタン。
市場のストライキはきつかった・・・。そんなタシケントで出発までの時間仕事をするのもなんなので、今日はビカ得意の観光へ連れていって貰うことにした。
コースはガイドブックにも載っているお決まりのコース。朝から地下鉄やタクシーを駆使して一気に廻る。
途中、私が疲れていると、うちの優秀なガイドは街路に立ち、ナンパの車を止めて私を乗せてくれた。
ビカ狙いで止まったドライバーさんは、ちんちくりんの私が後ろから出てきたものだから、驚きを通り越して笑っていた。
「ウズベキスタンでは、知らない人の車に乗って大丈夫なのですか」と聞くと
「うん、そうですね。時々タクシーが通らないところも多いですから、ちょっと乗せて貰いますね。ウズベキスタン人は親切です」いや、これもお前が美人だからやでー。
「そうですね。仕方ありませんねえ」
これ嫌みではなく、「美人」が理由としか思えない出来事がよく起きる。
すでにそれは二人の間でギャグになりつつあった。よく「いけ、ビカ!美人作戦だ!」と言うと、ビカはおっぱいを両手で真ん中に寄せて揺すって「こうですね」とふざけていた。

ビカにガイドして貰った特典は、美人なだけじゃなくて、普通は観光で廻らないビカの母校に連れていってくれたり、
ウズベクの若者連中と話が出来たことだろう。この日観光の最初はまず大学だった。
「一番大事な人に挨拶します。とても私は大好きな人です。大変尊敬しています。きちんとしてください」
なんで観光でそんな思いしなくちゃなんないんだよ。と思いつつ、通されたのは学科長の部屋。
静かに日の射した部屋に大きなデスク、PCモニタの向こうに誰かいる。
「金先生、こんにちは。ビクトリアです。この方は観光客です」その言い方が可笑しかったが、
ゆっくり立ち上がった金先生の表情を見て自然に背筋が伸びた。
金先生はゆっくり手をさしのべ、たおやかな笑顔で握手をしてくれた。優しさと厳しさがオーラになっていた。
「金先生」つまり、この日本語学科を支えているトップ教授は朝鮮人だ。
もしや、と思った。日本の植民地教育で日本語を覚えさせられた人かも知れない。
でも、それにしては少し若すぎるような気がして、その考えを払拭した。
「私は日本の外語大学にもいたことがあります。日本は美しい、良いところですね」
イントネーションも非常に自然な日本語だ。通りすがりの観光客として訪れた私は、月並みな話と、
ビカの優秀なガイドぶりを報告し、先生に少し笑って貰った。
すぐにその場を退出したのだが、日本に帰ってきてから偶然金先生を紹介するHPを発見してしまい、
その壮絶な人生を知ってしまった。まいった。
「日本語がお上手ですね」なんて恐ろしいことを、のほほんと聞いちゃいないだろうな?!と自分が怖くなった。
金先生、あまりに若々しいです、と言い訳が今も頭をよぎる・・・。

学科長室を出て、職員室にも挨拶をし(ここで古い日本語を教えるバーコードな先生を発見。先生ナイスです)、
図書館で学生と少し話し、カフェを覗いたりした。その後、美術館、博物館などを廻った。もう乾燥がすごくて、
すぐにのどが渇く。ビカは全然平気なので、やはり体質が全然違うのだとつくづく思った。
ダイジェストで観光をとっとと終え、ホテルへ戻る。
部屋はデイユースにして貰った。ビカはこの国の有名な難関、「入国」に次ぐ「出国」に備えて一度家に戻り、
時間前に迎えに来るから、と言って帰っていった。
荷物をまとめて、ハナクソをほじっているとあっという間に時間が過ぎる。
何しに来たんだろうな〜とまた思ってはいけない事を思いつつ。

 ビカは約束から今日も5分遅れて到着。
「目を覚ましたら、間に合いません!驚愕です!でも、急いだらぴったりに着きましたね!神様に感謝です!」
その、ぴったりと言う自信たっぷりのニュアンスから、私はビカの腕時計が5分遅れなことを悟った。
どうりで毎日5分遅れで堂々としてたわい・・・。
送迎の車の中でビカがまた衝撃的な事を言った。
「松本さ〜ん。私パスポートを学校に預けたままでした。忘れていました。非常に残念ですが、空港には入れません。
お元気で」きえー!何言ってる!
「なんとか美人作戦で入れんかね」「うーん、そうですね。やってみます」
ドライバーは丁寧に荷物を降ろしてくれ、私の持ってきたカートに乗せてくれる。
振り返るとビカが警備員に話しかけていた。媚びるでもなく、とても自然に。すると「松本さん、OKです」まじ〜
ここの警備や審査は異常に厳しいんだぞ〜うそ〜やった〜
「美人に産んでくれたご両親に、これほど感謝したことはありません。ありがとうビカのご両親」と言うと、
「そうですね。私も感謝です」安堵で腹から笑って空港に入った。しかし、本当にご両親に感謝するのはここからだった。
税金の審査を終え、チェックインし、荷物を預けると、手荷物検査場から私を呼び出す声がする。
荷物倉庫へ入ると「何か金属を関知した」と言うのだ。
思い当たる物は何もなく、安心してバックを開けると入っていたのは電池式の蚊取り器。
なんだなんだの大騒ぎで、ビカに訳させながらも英語で「モスキート デーッド」と言うと、「おおー!」の声と共に
「あなたの名誉のためにごめんなさいでした」(ビカ訳)と言われその場を退散。
その時荷物検査に置きっぱなしだった私の荷物は、おっさんの横に置かれ「問題あり」と指を指された。
出国審査官も私を手招きしている。「ちょっと待ってて」と手荷物のおっさんに手で合図し、出国審査を受けに行く。
横にウズベク人のビカがしっかり並んでいる様が異様だ。審査官は「宿泊証明書の日付が違う」と言う。
ウズベキスタンでは自由旅行にもいろいろな制限があって、この宿泊証明をきちんと宿から貰っていないと、
どこで何をしていたのかが大変な問題になる。
友人宅に泊まる場合などは、役所に行って外国人登録をしなくてはならないくらいだ。
事前にこの事を知っていたので、代理店に詳しく聞こうとしたら「今は廃止になっています。ご心配なく」と言われたのだ。
それですっかり気が抜けていて、日付の確認を怠ってしまった。
「他に証明する物はあるか、ホテルの領収書はあるか」これも「日本に帰国してから支払いして」とニックに言われて
いたので持っていない。「もし、問題があるならここへ電話してわたしがずっと宿泊していたか、聞いてください」と
ホテルのカードを差し出すと「なんでこっちがそこまでするんだ!」と審査官は机をボンっと叩いた。
ビカがいろいろ説明をするが、話の方向はどんどん悪くなる一方だった。
賄賂が目的ではなさそうで、恐らく怒ってしまったプライドから丁寧な謝罪を求めていると思った。
「松本さん、これはちょっと大変なことですね。問題です」とビカも困っている。
「ビカ、確認を怠ってすみませんでした、ごめんなさいって言っちゃって」と私が言ったとき、
その小さな審査箱(部屋とは言い難い)に審査官の上司と思われる男が入ってきた。
彼は「おっ日本人がまた何かやらかしたか?しぼれしぼれ!」と言った。ビカが不安げにそれを私に訳している時、
上司は笑いながら何故かその私と対峙する審査官の脳天にチョップを食らわしたのだ。
そのテーン!っというタイミングが可笑しくて、つい周りのみんなが失笑してしまうと、
今まで威厳を保っていた審査官の耳は見る見るうちに真っ赤になった。
立場を無くして彼は、大きく息を吸いながら一度立ち上がると、息を吐き出しながら座って目を閉じた。
ビカがすかさず私からの謝罪を伝えると、彼は無言で出国スタンプを押した。かわいそうな若い審査官。
彼はその若さから張り切りすぎて、からかわれてしまったのだろう。しかしろくでなし上司のお陰で助かりました。
うなだれる彼の後ろでろくでなしは「良かったな〜おしん、おしん!」と笑っている。
ビカも勝手にろくでなしと「おしん」で盛り上がっている。ふあ〜汗かいた・・・。
と、後ろでは手荷物検査のおっさんが、「どうすんの〜これ、なんか入ってるぞ〜」と私を呼んでいる。
ほっとしたついでに腹の据わった私は「フォトフォト、カメラカメラ」と言って、写真を撮るポーズをした。
「ああ、カメラー」と、そしておっさんまで「おしん、おしん」で、もう私は構わず荷物を受け取ってゲートへ向かった。
 「こんなところまで送ってくれて前代未聞です。今この瞬間に一番あなたのロシア語が役立ちました。感謝です」と
私が言うと「ああ、松本さん、明日から寂しいです。私はこれからどうしますか?仕事じゃないみたいで楽しかったです
。明日はご夫婦の観光客です。つまらないでしょう」とすごく近い未来の心配を挨拶にしていた変なビカ。
その握手を交わし、なかなか離れない私たちの後ろでは、さっきのろくでなしと警備員が「おしん、おしん」と歌っている。
「おしんの別れのシーンと同じと言ってます」んなくだらん事まで通訳ありがとう。
 最後に世界で一番美しい後ろ姿を堪能させて貰って、私は誰もいない出国ゲートへ向かった。


9月7日(土) ソウル 遊ばれて捨てられて

 タシケントから8時間。ソウル仁川空港に到着。
ウズベキスタンから持ち込んだ荷物を送って、バスで金浦空港へ、そこから地下鉄に乗り換える。
ソウルには休みのOL2人を焼き肉で釣り上げて、荷物持ちに来て貰っている。
2人は昨日の夜すでに到着しているはず。今朝は初体験のオンドル部屋で目覚めたことだろう。
無事に待ち合わせの駅に着いたが、まだ2人の姿が見えないので、宿に迎えに行ってみる。
駅からほど近い宿は噂通りの迫力。
中にはいると中廊下の両側に小さな引き戸がいくつも並び、昔一番貧乏だった頃住んでた四畳半18000円風呂トイレ共同のアパートを思い出させる。出迎えてくれたのは何故か白人のおっちゃん。
用意していた韓国語で「日本人の友達に会いたい」というと、白人のおっちゃんも韓国語で何か言った。何だ。
奥からここのご主人が現れ白人と話をすると、手招きして部屋に通してくれた。しかし、部屋には誰もおらず。
ご主人はニコニコ・・・この部屋で良いか?っちゅうことらしい。つまり全然通じていなかった模様。
もう一回覚えたて韓国語を言うと、おう!っと向かいの部屋をノックし、返事より先にガラリ。
確かに中には日本人のお嬢さんが・・・しかし、この方ではない。「ごめんなさい。友達探してて」「いえいえ」と、
言うことで奴らはどこに〜?こ〜んなでっかい女と、こ〜んなちっちゃい女の日本人、とゼスチャーすると
「おう!ウオークウオーク」と散歩に言っているような事を言った。
しかし横にいた白人のおっちゃんが「あれ?チェックアウトしてたんじゃないかなあ」と英語でつぶやいたのを
しっかり聞いてしまった。たぶん、出て行ってるな、こりゃ、と予感。
偶然見てしまった噂のオンドル部屋は、床にビニールシートを貼っただけのもので、狭い部屋にテレビ、冷蔵庫、
洗面台、無理矢理お風呂とトイレもついている。
後で二人に聞いた話だと、歯磨き粉やらタオルやら何もかも付いているんだけど、それが使いかけだったり、
なんだかだったりしたそうで・・・。その上、いくらなんでも付いているったって、サービスしすぎだろう
エロビデオが無料でずらりと並んでいたそうだ。いや私だったら見るよ、はい喜んで。見るけど、それが目的の旅じゃないからなあ。たぶん、奴らは一晩でお腹いっぱいだっただろう。
きっとチェックアウトしたに違いない。
もう一度待ち合わせの場所へ行くと、アイスとポテト片手に日本人の女が二人立っている。でっかーい女とちっさーい女だ。でっかいのが新潟オフで遅刻してきた清水さんで、ちっさいのはタイ語仲間の亜矢ちゃん。やっぱり荷物を担いでいる。「どれ、オンドル体験はどうだった?」に盛り上がり報告する二人。

お昼を食べて、改めて宿を決め直し、南大門、明洞、夜ご飯を食べて、東大門と現調する。
と、一行で書いたが、も〜う無理だ、こんなに歩いてどうすんだってくらい無理に歩いたのだった(余計なお茶も多かったけど。)無理な事すると、すぐご褒美をあげたくなり、東大門からの渋滞もいとわずそのままタクシーで汗蒸幕へ。
時間はすでに深夜1時を廻っていた。
これでいいのかあ?汗蒸幕って・・・。
一応汗蒸幕って言われる釜に入って体を温め、その後私と亜矢ちゃんは、よもぎ蒸しコース。
お股によもぎの湯気をあてて子宮を元気にするやつだ。清水さんは全身マッサージ。
すっぱだかにさせられ、美容院のケープみたいのでてるてる坊主みたいな格好になり、妖しく穴の開いた椅子に背もたれを前にして座らされ、顔にもよもぎの湯気をあてる。じーっとしてると、ものすごうく馬鹿みたいな気分になってくる。
30すぎて、こんな格好していていいのかね!亜矢さんよ!といいつつじっとしているしかない。
最初熱々だった湯気はあっという間にぬるくなってきて、係りのお姉さんが飽きちゃって居なくなった頃にはもう寒々!
さむさむ言いながら、今度は垢擦りだ。適当に体を洗っていると、「ふんふん」と指さされ呼ばれ、マットに横たわる。
あーれーやーめーてーいーやーってくらい霰もない姿。股をがあっと開けられ内股まで垢すられる。
隣のマットの亜矢ちゃんと目が合うが、こんな姿を見られているところを見られるなんて、悔しいから私も見てやった。
「上!」「横!」「万歳!」と、叱れるような指示の後、泡を体にくるりと塗られ、上からお湯をばばーんとかけられ、
はい終わり!。今度は「こっち!」と別のマットへ移動させられマッサージだ。
もう触らないで!ってくらいパンパン体を叩かれ、体がこわばるような激しいオイルマッサージをうける。
ぬるぬるになった体を、お姉さんがやーっと押すと、体がちゅーっと滑って頭がカクンとマットから落ちた。
頭が落ちたところで洗髪。なんてオートマチックな!
すご過ぎて笑いそうだ。あまりにもリズム良く体をもてあそばれ、もうそれはただの肉の固まり。
俺らはベルトコンベアーの上のブロイラーかっちゅうくらいの扱いだ。「はい、終わり。今度は砂風呂行って!」
と言われたが、砂風呂の中はほのかにあったかいだけで、どうも・・・電気切れてない?
しかも砂風呂って、砂に埋めてくれる人がいないとどうにもならないじゃん。
砂風呂はガラス張りになっているので、そこでしばらく立ちすくむ姿は、まるで標本・・・砂の惑星に立つブロイラー。
一足遅れて亜矢ちゃんも来るが、互いにどうすることも出来ず、すごすごお風呂に入り直すことにした。
だってまた寒くなってきちゃったもの。せめて風呂で温まって〜と、思ったら、さっきの垢擦り姉ちゃん軍団が引き上げる前のひとっ風呂らしく、シャワーを浴び始めた。ムードは「もう終わりですよ〜」と言う感じだ。
そう言うムードに弱い我々、またすごすごとロッカー室へ。清水さんが帰ってこない。

そのうちロッカー室にもいられなくなり、ロビーへ移動。ぽっつーん。もうお客さんも従業員も帰っちゃったのか?
その時、残りの客さんが出てきて「送ってくださーい」と車を出させていた。あー送ってもらえるんだ。
良かったな、と思ったその時、受付の姉ちゃんが「帰り大丈夫?」と我々に聞いてきた。
「これで最後の車だから、もう送れないです。大丈夫?」
大丈夫じゃなくても清水さんを置いて行くわけにいかないじゃーん!私たちには車の手配もなかった。
これでいいのか?!やがて清水さんがホカホカで出てきて、なかなか良かったような事を言いやがった。
くそう・・・仕切直したい・・・たぶんよその店じゃこんなんじゃないはずだ!
文句言いながら、とぼとぼ歩いて帰ると、すでに時間は午前四時。

9月8日(日) ソウル 駆け足で最終回

お昼を食べながら、ふと気づく・・・。どこで何を食べても3人で40000ウォン。
なんか、いつもお会計の時に40000ウォンなんだよなー。これは、ぼられているにしちゃ微妙な感じ。
きっと日本人が同じ物ばっか食べるんだよ。
それも、日本人用のメニューでおとなしく頼むと、いい具合にそうなるんだろうな。
そして喫茶店はどこも薄い珈琲が4000ウォン。約400円の珈琲って高くない?!それも薄いんだよ〜なんだかなあ。
ロッテなんて全然行く事ないだろうと思っていたのに、結局観光客に便利な物は何でも揃っているので、
なんとなく心もとなくなるとロッテに行ってしまう。美味しい珈琲も飲みたくなったら間違いなくやっぱりロッテ。
そりゃ旨い。安心して旨いんだが、8000ウォンだ!うわ〜ホテル並(ホテルだけど)。

どこをうろついても、決め手になる物はなくて、手元にはちょこっと小物があるだけだった。危機感である。
ウズベクで失敗。ここでもか?
決戦は深夜に持ち越された。2人の荷物持ちは、持つべき荷物もなくただ必死に歩き回る私に必死で付いてくる。
文句は言うが、仕事の邪魔にならないように一生懸命歩くその姿が痛々しい。

大手のファッションビルに進出することを夢見るデザイナーが集まっている所があるという。
そこへたっぷり時間をつぶしてから出かける。
そのビルでは、野麦峠で大竹しのぶが兄ちゃんに背負って貰っている、薪を乗せるみたいなアレを背負ったおっちゃん達がものすごい勢いで階段を駆け上がっていく。降りてくる人もいる。みんな大きなオーダーが入ったときに上下へ運ぶ仕事をしているのだ。
新進デザイナーとはいえ、規模の大きさを感じさせる。わくわくしながら、駆け上がるおっさんの邪魔にならないようにフロアへ出る。しか〜し。なにが新進デザイナーやねん的おばちゃん達が相変わらずの風景にとけ込んでいる。
ああ、ここもこれまでか・・・と思った時、これよくなーい?と亜矢ちゃんが黒いスカートを腰にあてた。
もう色んな物を見過ぎてすぐに触覚が働かない。う〜ん、う〜ん、ん?いいねえ。
早速他の物もざざっと見て交渉。綺麗なお嬢さん達がみんなで切り盛りするなかなか良いショップだ。
しかし、やっぱりロットは全然及ばず、値が下がらない。がんばってある程度の数を提示する。
もうお姉ちゃん達がこっちに飽きてしまう前に、どんどん話を進めなくちゃならない。
数十枚のスカートを約10分で決める。
その後、清水さんの念願だった皮市場へ行き、ジャケット類を物色。もちろん、私が卸で買える値段じゃない。
でも、個人的に買うならものすごくお買い得だ。ついつい買うつもりのない亜矢ちゃんまで買っちゃった。
私もちょっと欲しかったけど、まだまだ何か買えるかも知れないから、お金は取っておかないと・・・。
その思いもむなしく、スカート以来、決め手の神様は降りてこなかった。
腹ごなしに屋台で、血の詰まった腸詰めと、チャプチェ、海苔巻きなんかを食べる。もう・・・疲れたなあ。
でも、昨日のベルトコンベアー汗蒸幕へ行くのだけはダメだ。
今日は足ツボに!と思ったらもう信じられないくらい深夜。日付変わりそうだ!
急いで荷物を担いで地下鉄に乗り、取り急ぎホテルへ。もう今夜しかない、焦る焦る焦っても何もできない深夜すぎ。
マッサージもだめ、足ツボもダメ、じゃ、最後にもう一回何か旨いモン食おう!
実際ちょこっと屋台で食べただけで、もうお腹はすいちゃってるんだ。明洞の街を腹を空かして徘徊するも、
どーーーーっこもあいとらん!コンビニで悲しくなる。だってカップラーメンのお湯すら終わりだもん。
ちょっと先に揚鳥屋があったろう、という話になる。深夜にフライドチキンかい。
それでもあまりの心寒さにおそるおそる入ってみた。おやじは、得意の英語でメニューを全部説明してくれ、
お陰でチゲなんかがあるのがわかった。チゲとビール(私はコーラ)とフライドチキン。
ああ、ちょっと幸せになったところでものすごい眠気が・・・。満腹になると簡単に幸せになる一行。
ホテルへ帰って荷造りすると、な〜んと眠る時間もないではないか!と、言うことでソウルは終わった。

 ホント言うと、もっと微に要り細に要りいろいろ盛りだくさんのエピソード、本が書けそうなくらい面白かったソウル。
だけどあまりにリアルタイム的おもしろさでそれを書くにはものすごいボリュームが必要じゃ。
と言うことで、小事でちょっとずつエピソードは書いていこうっと、言うことじゃ。す、すみません。



もうけっこう
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