第17回 ネパール・タイ・ベトナム 出会いに偶然はないと江原さんは言った編 |
2006年 9月3日 8月10日のテロ未遂事件を受けて、成田空港はかなりの混雑。 私が乗り込むのはユナイテッド航空なので、チェックインの列はことさら長蛇だ。 こんな時こそ、自動チェックイン機。前々からやってみたかったのだ。 機械はすぐ側にかなりの数で設置されているものの、なぜか誰も並んでいない。 誘導係りの方に聞いてみると使って良いとのこと。なんでみんなやらないの? やっぱり出来れば預ける荷物も細かくチェックを入れたいのだろう。 UA側も自動チェックインへの誘導にはどうも積極的でないような雰囲気だ。 画面にE−チケットのナンバーを打ち込み、パスポートの写真ページを読み込ませる。 途中、席のグレードアップをするか?とか、フライトを早めますか?などの画面も出る。 なるほど、そんなことも簡単に出来てしまうのね。 で、数分で終了。自動チェックインした人用のカウンターへ行って荷物を預ける。 私の前には女の子3人組が、たくさんのお土産のお菓子を持って並んでいた。 交わされている会話を聞くでもなく聞いていると←聞いてるんじゃん なんとそのおまんじゅう様のお菓子の中身がクリームなので、機内に持ち込めない、と言う話だった。 うーむ、確かにジェル状、クリーム状、液体は絶対に持ち込み不可、と言うお達しは頂いている。 まんじゅうの中のクリームまでもダメですか。 「お預けになるお荷物に入れて頂けば問題ありませんが、その際は形が崩れてしまう可能性も ございますので、予めご了承ください」だそうだ。それに対し「困ります」と彼女達。 そうね、確かに形は崩れちゃうかもしれないけど、それは本当にまんじゅうが崩れてしまう事実を 強調してる訳ではなく、その「責任」の所在をはっきりさせておくと言う企業としての合言葉のような ものなんだろう。おおかた、まんじゅうは無事だと思われるんだがね。 しばらく睨み合いが続き一人がシクシクし始めた頃、やっと彼女らが折れた。 しかしなぜだかわからんが、彼女達の預け荷物はすでに機内へ運ばれてしまっているらしい。 そのまんじゅうをスーツケースへ入れる為、搭乗前に係員と待ち合わせする約束をしていた。 へー・・・・たいへんだなあー。まんじゅう。 で、やっと私の番。 「鍵を全部開けたまま、荷物を預けてください」 まじですか?大丈夫なんですか?中身盗みませんか?とは聞けず、言うなりだ。 マダム余裕の笑顔でチェックイン終了。 長蛇の列を尻目に新しくなった南ウィングへ。 いやー、鍵を掛けられないのはいささか不安だが、自動チェックインは早い。良いね。 おまけに500マイルのオマケをもらえるのだ。 |
9月4日 バンコク-カトマンズ カトマンズ行きのTGはそれ程テロ対策もなく、ああ、これなら免税店で何か買えたのに・・・ なんて思いつつ、ボーディング。 若干空席の目立つ機内。並び3席の私の隣は空席、その隣が日本の新聞を持ったネパール人。 あら、と思って「日本語話せるんですか?」と聞いてみると「いえいえ、ちょっとだけ」と流暢な発音。 何を仰る、新聞が読めるってのは相当の日本語力だよ。 「今日は何処にお泊りですか?」 「◎◎ゲストハウスですよ」 「えーーーー!それは私のお義兄さんのホテルです」 えっ!わ〜・・・来た来た、ネパールの運命力だ。・・・よくあるんですよ。 ネパールに関してはほんとに、偶然と言うのにはあまりにも必然な、出会う人が知ってる人のお友達とか、 家族だって事が。いくら小せえ国だっつったって、そんなに狭くないんだけどね。 まあ、それだけなら、素敵な偶然で済んだのかもしれないけど、それだけじゃなかった。 彼の名はラジェシュ。彼の経営するレストランは私の母校のすぐ近くでよく知ってるんだそうだ。 その学校でお友達が講師もされてるとか。またラジェシュが日本の大学へ留学したその頃、 うちの実家そばの大学にお友達が通っていて、そのお友達は前回一緒に買い付けに来てくれた 清水さんのお友達。私もちらりとお会いしたことがある。そんなことすら、まだ瑣末なとこで・・・ 去年の帰りの飛行機で遭遇した出稼ぎご一行←トラックバック 彼も同じ飛行機に乗り合わせていて、涙ながらにマレーシアラインへご一行を誘導した。 彼も私達同様に、ご一行の乗り継ぎに協力したんだそうだ・・・ そう、そんな話の中で、始まった彼の「どうするの?今後のネパール」論は、 私が常日頃あたためていた考え方と非常に近いものだったのだ。 事実の重なりよりも、考え方が重なったことが何よりも私を驚かせた。 気付けば手を取り合うように夢中で話し続ける私達。 例えば、出稼ぎご一行の現実について。 彼らは家族の代表として出稼ぎオーディションに合格し、一財を成しに海外へ出た、と言うなら お金持ちになる第一歩として、ある意味それもありなのだろうと思う。しかしやはりそうはいかない。 ラジェシュ曰く「彼らは田畑や家屋を売り払ってエージェントに支度金を払ってるんだよ」と。 彼らが聞かされている月給が500ドルだったとしても実際には300ドルも支払われず、その売り払った 田畑の元なんて取れるわけがないそうだ。そもそも500ドル支払われても無理なんだから。 お金なんかなくても、暖かい食事が出来て、呑気な昼寝の出来る生活。 それしか知らない彼らがどんなに心細く身を縮めていても、受け入れ側には関係のないこと。 「かわいそう」と言ってしまえばそれまでだ。ラジェシュは同国人として、そんな彼らに怒りも持っている。 田畑を売り払って金を作る気構えがあるなら、なんで自分で事業を起こさないのか。 人の下で働くことにしか考えられなくなっている事、それ事態が問題だ、と彼は言った。 カースト制度が根強く残るネパールで、新たに商売をすることは容易ではないだろう。 しかし同様にその根強いカースト制度の中で、自立することを忘れてしまっていることも事実だろう。 「僕は学校を作りたいと思っている」と彼は言う。 国語や算数はともかく、物事の考え方や社会性を育てる必要を強く感じているそうだ。 そして「あつこ、僕はタダの学校はダメだと思ってるんだけどね」 貧民国ネパールで、そしてボランティア島国日本で、この意見は結構勇気がいるのだが 実はわたしもまったく同じ考えでいた。 「1円でもいい、大事なお金を払って学校に行くことで、きっとその時間を本当に大切にするよね」と 私が言うと、ラジェシュもとても嬉しそうに、「わかってくれる人は多くないよ」と笑っていた。 実際、ネパールで学校を作るのなんか結構簡単なのだ。 つまり学校と言う箱はいくらだって日本のボランティアが用意できるだろう。 タダで通える学校が出来ても、子供達が通えないのは子供達が大事な「働き手」だからだ。 まずは親達に仕事がないとどうにもならない。 親達が技術を取得し手工芸品を製作、エージェントを通すことなく直接購買者(例えばままか)に 商品を渡すことが出来れば、マージンを取られずに満額手に入れられる生産者と マージンが乗らないから安く買える購買者、と言う双方ありがたいねシステムが出来上がる。 これが世に言うフェアトレードだ。そのお金を1円でも10円でも持って学校においで、と思う。 お父さんやお母さんが毎日一生懸命に働いたお金だ。 例えば病院についても、国民のほとんどが良い病院などの情報を持ち得ない。 些細なことで命を落とすことも少なくない。学校とフェアトレードが繋がると、情報もきちんとリンク されるようになるだろう。 さ、明日からこれで行きましょう!ってことじゃないのよ。 教育改革をしようとか、技術訓練をしようとかってのは、ひとつのことだけでは済まなくって 必ず繋がりが必要になってくるし、そうしないと広がらないし続かないと言うイメージの話。 まぁ〜〜〜いっこやろうとすると全部繋がってきて大変だな〜〜って話。 少しずつでもすでに取り掛かっている団体もたくさんある。それに繋がりを持たせたいものだ。 そして無償でないことね。これは本当に大事なことだと思う。 私の話は青写真に過ぎないが、ラジェシュはすごい。 彼の留学先であった某大学に、彼の学校の学生を留学させる制度を導入させてきた。 これからネパールの某大臣と更なる具体化に向けて打ち合わせだそうだ。 彼の構想では、小さい子ではなく、まずある程度年齢の高い生徒を募集し学校を作ると。 現在のネパールに勤勉とインテリジェンスをフィードバックさせるためだ。 だから試験もあって、独学の努力が出来る学生を入れるとのこと。もちろん有料だ。 「こんな話ばっかりしてると、まじめで偉い人みたいだけど、ぜんぜんそんなことないんだけどなあ。」 はっはっは。わかりますよ。 そもそも「有料」ってのは商人の発想だしね。 でも組織がお金持ってないと、目的が半ばで頓挫する、継続力なくなるのも事実。 経営がきちんと成り立っていなければ。 骨身を削って人様に献身する姿勢は取れないのだが、商人が合理的に流通を変えて行く様になら、 きっと何かを変えていけるだろう。 何よりお酒が大好きで、食べるのも大好きで、ユーモアたっぷり茶目っ気たっぷりのラジェシュが マザーテレサではないってことが、とても素敵なのだ。と私は思う。 ゲストハウスに到着して、席がラジェシュと隣だったよ〜と言うと、なんかもう知ってるっぽかった。 恐るべしネパール。 |
9月9日 カトマンズ−バンコク 11時までに空港へ、なのにカーゴの荷造りは9時から。ああ〜〜、不安だ。 思わず早起きをし、そわそわしながら朝ごはんへ。 ベーカリーの厨房へ顔を突っ込むと、みんなが口々に「あちこあちこ」「あちこあちこ」と私を呼ぶ。 恥ずかしいからよしてくれ!! いつものクロワッサンサンドにカプチーノ。相変わらずうまいのである。 「今日でおしまい。これからバンコクへ戻るよ」と、ホールスタッフにお別れをした。 「あちこ〜!」と、みんなが笑顔で手を振ってくれる。 ちょっと早いけど、そわそわが止まらないのでカーゴ屋へ向かうことにした。 今日は生憎の土砂降り。人通りもまばらだ。降り始めにやたら張り切るリキシャもいない。 それでも軒下から時々声がかかる。膝を抱えて寒そうに男同士がが寄り添いながら店番しているのだ。 途中、アミルのお店も覗いたがまだ開いていない。 まぁ「雨だからお休み」ってのもおかしくないはないのだ。ここはネパール・・・。 8:45、カーゴ屋もまだ開いていない。隣のホテルのソファに座らせてもらい、待機だ。 9:00ぴったりに社長がやってきた。「ナマステ〜。9時の約束でしょう?あつこさん」 両手には熱々のチャイ。熱!熱!って目をくるくるさせてるのでわかる。まったく屈託のないお顔だぜ。 9:00にお客さんと待ち合わせなのに9:00に来るってどうなのよ、あんた。 まぁ、遅れなかっただけで100点なんですけどね、ここはネパールですから。 エラーがあったり、間に合わなかったりして梱包出来ない荷物の重量は予め調べてある。 それをこれからパッキングする荷物とあわせて料金を払えば良い。 熱々のチャイを飲んだら、さあはじめようか。 「いや、あつこ、いいのいいの。やっておくから」聞けば、カーゴ屋に取りに行かせた分も出来上がって いないのだそうだ。つまり・・・今日、梱包できる荷物はない。「・・・・。」 だから9時で良かったのか。「重さは調べてあるの?」「もちろんさ、書類も作っておくから心配しないで」 「・・・・。」サービスいいね、って言われたい顔するな。ここで済ませる仕事が曖昧な分、絶対後でする 仕事が増えるんだぞ。だからって今どうこう言っても仕方がないのだ。私の飛行機はもう数時間後に 出発するんだから。大人しくお金を払い、出荷作業完了(泣)。 来年はもっと長くいるようにします。 そしてバンコク。 のんびりナチュラルライフを満喫していた私には、何もかもが早い。 人の歩き方すら早く感じる。東京はこの何十倍も早いのだから、そりゃ疲れるわなぁ。 ホテルにチェックインする時も少しおどおどする。 ウエムラさんで予約されていて←日本のエージェントならではのミス、なかなか確認が取れなかったのだが、 適当に漢字について説明すると「ああ、そうですか。じゃあ」と納得してくれた。だいたい、目の前のことが 片付けば本質などどうでも良いのがタイである。ああ、タイに来たなと実感。 疲れた。今日はゆっくり寝て、明日からタイモードになろう。 |
9月10〜12日 バンコク ずっと前から気になっていたホテルに滞在している。 全室、無料でワイヤレス通信。駅が目の前でオープンカフェが併設。 大好きなマッサージ屋が近く、屋台も多い。 でも、朝ご飯がABFだったか。これは長期だと飽きるのだ。 ウィークエンドマーケットへ行き、秋物衣類やサンダルを購入。 最近では、秋物のトレンドも根付いたバンコク。みんなくそ暑いこの国の恐ろしく寒いエアコンを がんがんに効かせたクラブやディスコ、デパートや電車などで着るのだ。 駅と繋がってるデパートや地下道を通って行く職場の場合、下手すると一度も外気に触れずに 職場へ行けそう。なので、ちゃんと秋物もあるのです。まあ、ちゃんとあるけど、ちゃんとしてはいない。 なにしろ本当の寒さは知らないのだから、てんでなっちゃない物がほとんどだ。 選んでるこちらも暑いとこにいるので、見誤らないようにせねば。 はっと空を見ればもう夕方、と言うようなマーケット日。ご褒美はマッサージで。 そして翌朝、目が覚めると体が動かない。 我ながらここまでろくな休みもなく良く頑張った、と気が付いた・・・。 この日は何軒かマーケットで仲良くなったお店の本店へお伺いし、改めて商品を見つつ、オーナーと 親交を深めるつもりでいたのだが・・・・誰とも具体的な約束をしていなかったのが幸いだった。 体が働きたくないと言っている。もう15分、眠る事にする。 朝ごはんを食べたら少し元気になった。リハビリがてら自分の買い物をしにシーロムへ。 そこで歯のブリーチングの広告を読む。にわかに興味が湧く。 その後、伊勢丹でダーちゃんのバッグを買い、パラゴンを冷やかし、行く先々で歯のブリーチングの 広告を読み、興味を募らせる。結果、最初に見たシーロムのセントラルデパートにある歯医者さん が一番コスパが良いのではと思い至り、もう一度シーロムへ戻った。 気付いたけどわたし、とても元気だわ。 仕事じゃないと動けるってどういうことかしら?ほほほほ 人と言うのは、不思議なものだ。新庄の歯やペの歯が不自然と思っていても、自分がいざやろうと思うと、 やはりピッカピカの真っ白白にしたくなる。誰もが「うわーっ眩しいーっ!」と目を覆うほど白くしたい。 「便器より白くしろ」新庄と同じ台詞が喉元まで来るが、「便器」のタイ語が解らず断念。 この病院にしたのは、値段だけでなく、たまたまお見かけした先生がとてもステキだったからだ。 いい加減じゃなさそうな感じだったので。待合室では親子がご飯を食べていた。 まさか、患者ではなかろう・・・と思っていたら、名前を呼ばれて子供が中に入っていった。 診察の直前に屋台飯をデパートの中で、しかも歯医者さんで食べてるなんて・・なんてタイなんでしょう。 子供は散々泣いた後、たくさんの看護婦に伴われ待合室へ戻ってきた。そしてまた食べていた。 あたしなんか、ブリーチングに興味を抱いた瞬間からご飯食べてない。汚れた歯で治療なんて絶対ダメ の100か条があるなら、かなり上位にランキングに違いないのに。まったく憎らしい程あんた達は自由だよ。 私の名前が呼ばれ、診察椅子に座ってにわかに怖くなる。あーこわい。 それに実際に施術するのは女の子先生で、ステキな先生は奥でのんびりしているではないか。 のんびりなんかしちゃってる先生を改めて見ると、なんだかさっきよりちょっと安っぽかった。 あー、ほんとにここで良いの?って以前にタイで良いの? と思った時には、目を塞がれ、がーっと口を開けさせられゴムの防護シートを突っ込まれた。 ぱっぱと漂白剤のペーストを歯に塗り、レーザーを当てていく。 下の歯の一部に激痛あり。「いがい!(痛い)」と飛び上がり、慌ててその歯を指で触って知らせようとすると、 女の子先生は歯の方でなく、その指を慌てて拭いた。「危険だから触らないで」と言われて間もなく、指から 煙が出てるんじゃないか?ってな痛みを感じた。歯の痛みは漂白剤を拭いただけでコロリと治ったのだが 指の皮膚はなかなかそうはいかない。もう神経は指に集中してしまってその後口の中は何をされていた のやら。約50分程で終了。「指が痛い」と言うと「もうすぐ痛いのはどっかいっちゃうから」と笑われた。 肝心の歯は・・・「えー本当にやったの〜?」位の白さ。それでもやる前に確認した歯の色チャート表 に照らし合わせてみると、なんと2トーンも白さがアップしているのだ。なるほど真っ白!便器さながら! にはならなかったものの、今までどんな黒い歯だったのよ・・・と思うとやって良かったような。 だいたい日本の三分の一から半額程度のお値段。 ・・・遊んでしまった。ああ、罪悪感。 そして翌日は移動日なので、空き時間に買い物やエステをしようと思っていたのだが、それも予定通り やろうと思っているらしい、わたし。 |
9月12〜15日 ホーチミン 今回は、初心に返って街をもう一度さらおうと思って、馴染みの宿には内緒で繁華街に陣取った。 ネットで適当に予約。二人まで同料金なので、ハンちゃんにもパンツ持っておいでと言う。 が、バンコクの空港でメールの最終チェックをした時「あつこさん、どこに行ったら良いの?」と言う メッセージを発見。もちろんだいぶ前に宿の詳細は送っておいたのだけれど、なぜだか届いていないらしい。 ネパールの郵便物じゃあるまいし、なぜだか届かないなんてわけないので、恐らくスパムメールの中に 入っているのでしょうが、それを教えている時間はない。私は2時間後にはサイゴン市内にいるのだ。 この二時間の間に読んでくれ!と祈りながらホテルの住所を送る。 しかし、と言うか案の定、約束したはずのロビーにハンちゃんの姿はない。 そして、私としたことがどういうわけかいつも持ってるハンちゃんの電話番号も忘れてきちゃった・・・あらら。 友人のバーへ行って電話番号を教えてもらおう。私はいつもハンちゃんとバイクで行動している&超方向音痴 なので、繁華街がよくわかっていないのである。初めてのお使い気分でホテルを出る決心をしたのだ。 「連れが来たら渡してください。ベトナム人です」と日本語のメモをフロントに手渡す。 ?なぜか、とてもいぶかしい顔をされた。 なんだかんだバーに辿り着き、ハンちゃんとも合流。いやはや、やれやれ! 二人一緒に改めてチェックインである。ん?この時も、とてもフロントは不機嫌だった。 それはフロントの彼のパーソナリティーではなく、優しそうなお姉さんもなんとなく我々に節目勝ちなのだ。 ハンちゃんはその後も、鍵を取りに行っては名前を尋ねられ、廊下で入らないよう注意をされ、つまり・・・ 日本人とベトナム人が同じ部屋に泊まっていることに対して、彼らは不機嫌だったのだ。 彼ら的、いや一般のベトナム人的には「その二人が友達なわけがない」のだ。 恐らくレズビアン仲間か、商売かそんなところと思われていたのだろう。 う〜ん、すごくそう言うピンクな関係が似合わない二人なのである。あ、だから不機嫌になられているのか? 嫌な態度を取られることは、まぁまぁ良くあることではあるのだが。どんな差別もいただけないが。 同国籍、民族同士の差別と言うのはまた格別に腹立たしい。私に直接向けられている非難は、大きな声で 成敗してくれようとも思うのだが、これはハンちゃんに向けられたものだ。私一人の時は笑顔すら見せる。 ちょっと窮屈な思いをさせたか、とも思ったが、ハンちゃんはその辺やはり蛇の道は蛇、強い。 非日常の人間観察としてそれ自体をどこか楽しんでる様子も見受けられた。心強いのう。 ボスとしてはよほど失礼なことでもあれば、いつだって掴みかかる気構えだが、これまた微妙に敵は緩い。 ハンちゃんは笑う。「二度とここに泊まらなければいいのです」ごもっとも。 それでなくてもたった三日しかないので忙しい。そして私達はそんなことが気にならないほど上機嫌。 朝から布探し、雑貨探し、デザイン描き、サンプル製作、そしてご飯!! 最大の目玉だったのはカラベルホテルのレストラン。 「オーストラリアの和牛」と言う不思議なメニューがあったものの、味はス・テ・キ!!量もグー 最後のリゾットまで辿り着けず、持ち帰り用にドギーバッグにしてくれるようお願いした。 友人へのお土産だ。それを友人が開けてびっくり「ちょっとあつこさん、これ見て!」 なんとそのドギーバッグ。リゾットが入っていたのは100円均一によくあるような、垢抜けないキャラクターの 付いた普通のタッパー。「あらら〜これ厨房で何かに使ってたんじゃないの?」 そもそも持ち帰り用の容器がなかったのだろうね。それでも断ることなく全力を尽くしてくれてありがとう。 「こういう所がベトナムのいい所なんだよねぇ、かっこつけてなくてステキ〜」と日本人一同歓声を 上げたのであった。そんな時のハンちゃんはやっぱりちょっと嬉しそう。 また行きますよ、カラベル。しかし高けえのよ。 |