ベトナムの京都 フエで観光客 第14回下 ベトナム・タイの巻 フエです 前半があります |
1月18日 今タイは危ないから行きたくない。サンプルが出来上がるまでフエに行こう。と、ハンちゃんが言うので 珍しくベトナム国内旅行に出る事になった。フエは日本の京都のような所で、静粛で厳粛な場所です。 「私、行ったことあるしガイドするし」とハンちゃん。ハンちゃんは不向きながら国内旅行ガイドの資格を持っている。 へー、そりゃいいね、楽しみ。と言っちゃあ楽しみですが、サンプルの出来の方が気になってどこか他人事。 この仕事をしてる間は、どこへ行ってもそんな感じなのだろう。 やっぱり・・・行きのフライトはディレイで、空港でしばらく足止めを食う。待ち時間もハンちゃんはウキウキ楽しそうだ。 やっぱり・・・搭乗すると私の席に小ちゃなおじいちゃんが座っている。ベトナム人は飛行機もバスのごとく好きな席に 座っちゃうのだ。さりとて通路側でも私にとっては何の問題もないので、にこやかにご挨拶して隣に座った。 おじいちゃんは、ベトナム戦争終結間際にアメリカへ渡り現在はロサンゼルスのリトルサイゴンに暮らしていると言う。 越僑だ。恐らくサイゴンに限ったことではないと思うが、ベトナム人が越僑の噂話をする時には眉をひそめる。 文化の違ってしまった何を考えているかわからない人々、うまく転がった人たち、と言った差別的というより むしろやっかみが感じられる口ぶりで話す。ネイティブの韓国人が語る在日の話に似ているように思う。 残った者、去った者それぞれの生き難さ、その事実とは別に物語が一人歩きしていると言おうか。 ネイティブベトナム人ハンちゃんは、当然同じ物語を越僑に持っているわけだが、彼女の頼もしい所は、 そういった事をいっさい切り離し、おくびにも出さずにきちんとお話の出来る所だ。国際派だね。 家族は皆アメリカにいるので今は誰もいない故郷へ。遠い親戚でも尋ねてか、小さなおじいちゃんは小さなリュック ひとつでひとりだ。「ベトナム人同士でしか話をしないから、英語は下手なのです」と言うおじいちゃんの英語は とてもきれいだ。私はラミネートパックのお水にストローをさしてやったり、パンの袋を開けてあげたりした。 おじいちゃんとお別れしフエ空港を出ると、パラパラとタクシーの客寄せが来ている。 どれも値段は同じようなものだがサイゴンに比べるとずいぶん交通費が高い。適当に交渉して乗車。 さっきまで元気で喋りまくっていたハンちゃんが、話の途中で突然「キモチワルイ!←日本語で」と叫び VietnamAirlineと書かれた袋にゲロした。いつの間に飛行機から持って来ていたか、ってーか、 5分も乗ってないのに吐いてんじゃねえよ。「あー、苦しかったです。飛行機の後は吐きます」 どういうつもりか知らんが、ハンちゃんは自分のゲロを運転手に渡そうとした。「やめなよ!」と私が言うと 同時に運転手も思い切り嫌な顔しながら「自分で持って帰れ」(推測)と言い、すごすごハンちゃんは 引き下がった。「ホテルのトイレで流して袋を捨てなさい」と私は言ったが、ホテルに到着するやいなや 受付の男の子にゲロを渡していた。その暖かい袋を所在無げに持った彼のかわいそうなこと・・・。 「金を払う側なら何してもいいみたいなとこは、あんたもベトナム人だねぇ・・・」と言うと「ナンデスカ?」と 急に何もかもわからないフリをする。 |
1月22日 朝からどんどんサンプルが届く。かたっぱしから着てみて、ハンちゃんにメモを取らせ、もう一度やり直しの指示。 預けておいた商品も届く。これも検品してダメ出しを返品。それからオーダーを受け取りにお店を回る。 フエで少し風邪を引いたらしく喉が痛かったので昼寝をし、目が覚めたら荷造りをして帰国の準備。 最後まで読まないで我慢していた小説を手提げの一番手前に入れて完了。またね、サイゴン。 日付が変わる頃、私はバンコクでの短いトランジットタイムを終え成田行きのタイ航空に搭乗した。 一人だと、隣の席の人がどんな人か気になるものだ。タイ語の練習にもなるしタイ人の女の子がいいな、と 思っていたら、私を待ち受けていたのはドンピシャ、中学生くらいのタイ人の女の子だった。 「サワディーカー」と挨拶すると、ぴょこんと会釈した。それから上目遣いに「タイ語喋れるんですか?」と 聞くので「ちょーっとだけ、ホントにちょっとね。あなたは英語喋れる?」「ちょーっとだけ」と小さく笑った。 上から下まで今タイで流行のポップな服を着てる。日本が寒いと聞いたのだろう、足には靴下。なのに 靴下には買ったばかりと思われるミュールをひっかけている。うーん、これじゃ寒そうだ。 お洋服には力が入っているものの、まだあどけない口の先っちょには柔らかそうな産毛が黒々と生えていた。 この辺、バンコク娘はけして抜かりないので、恐らくこの子はもうちょこっと田舎から出て来たに違いない。 何しろ考えてみたら一番難しい年頃なんである。下ろしたテーブルには「えんどうスナック」が置いてあるのである。 お菓子を機内で食べることに何の問題もない。しかしえんどうスナックは問題だ。日本から来てるお菓子は 日本人には珍しくもなんともない。それにどうみたって大人の女の人にスナック菓子を勧めるのは、かえって迷惑 なんじゃなかろうか。手も汚れるし・・・、って考えてるんじゃないかなぁと思ったのである。ちょっと勧めづらい だろうなあえんどうスナックは。・・・そもそもタイ人はそう言う面倒くさい人種ではないのに、勝手にいろいろ考えすぎて おばさんは静かに自爆し、気兼ねなくえんどうスナックを食べて貰うために寝ているフリをすることにした。 すると音を立てないように、えんどうスナックを開けてる音がする。そして小さくシャリシャリとかじってる音がする。 うふふふ。野生動物の餌付けに成功した気分←ちゃうちゃう! せっかくいい感じだったのに、飲み物を運んで来た スッチーが私を起こした。「あ」一人でえんどうスナック宴会していた彼女はばつが悪そうだ。 申し訳なさそうに「どうぞ」と袋の口をこちらに向ける。えんどうスナックの袋を2人で見つめつい同時に笑ってしまった。 「あはは、ありがとう」ひとつ戴く事にした。「日本には何しに行くの?」と聞くと「うーんと、お母さん、結婚、日本人」と タイ語の単語をゆっくりと言ってくれた。「あなたはこれから日本に住むの?」「3ヶ月」どうやら日本で中学を卒業する らしい。その後想像に易い不安な出来事を口に出来る程タイ語がうまい訳もなく、「お母さんの旦那さん、お父さんは いい人?」ひとつだけと聞いてみた。「すごくいい人!」と彼女が言った。迷わず言ったそのスピードに少し安心した。 入国審査の用紙や検疫の用紙を書き込む。プリクラでびっしりのスケジュール帳を出して、お母さんの住所を探すが 見つからない。「チバ、チバ」と言うがチバも広い。ビザを見せてもらうとどうやら銚子のようだ。 そんなに詳しく書く事はなかろう。「千葉銚子市って書いて。ここはすごく魚が美味しいんだ」と言うと、ピンと来ない感じ でふうんと言った。時々何か思いついて私に話し掛けようとしても、どう言って良いのか解らず苦笑いで諦めている。 おお、なんともハンパな空気だ。仲良くなりたくてもなれない感じ。やがて機内も消灯時間。 彼女の目は暗闇の中生き生きと何かを追っていて、眠る様子がない。トイレにも立たない。時々スチュワーデスから ジュースを貰ってゴクゴク飲んでいた。やはり緊張しているのだろうな。 成田に飛行機が到着。つかず離れず歩いていたが、英語も苦手だし、日本語も読めない彼女はさっそく迷っていた。 「ああ、もう鬱陶しがられてもいいや」と思って「一緒に行こう」と近づいた。 この子はゴクゴク飲んでた6時間トイレに一度も行っていない。「トイレに行きたくない?」通路側の彼女がトイレに 立たないので、私もすっかり行きそびれていた。「あ、行きたいです」と思い出したように恥ずかしそうに彼女は言った。 それにしても外国人に対する入国審査は長い。プーケットであれ程の被害があったにも関わらず、帰国便は満席。 当然日本人観光客のお帰り組みがほとんど。その大人数をどんどん消化していく日本人カウンターに対して 外国人用カウンターの列は全然動かない。「待っているね」とは言わなかったものの、ここから先に税関があり 空港を出てからお迎えが来ていなかった場合、電車にも乗らなくちゃいけないじゃないかと、いろいろ考えてしまい やはりおばさんは待ってしまいました。待っているのが見えるとハラハラするだろうから、隠れて待っていた。 40分くらいかかっただろうか。私が階下に立っていると彼女の顔がパッとほころんだ。そばへ駆け寄って来て、 合掌しながらひざを使って礼をし「コップンカ〜」とあま〜い声を出した。今までで一番嬉しそうだ。 あー、良かった鬱陶しがられてなくて←若い子にビビリすぎ 3ヶ月の滞在とは思えない小さなスーツケースを転がして税関へ。「お友達ですか?」今思えばハイと言えば 良かったのだが「うーんと機内でお友達になりました」と私は言ってしまった。すると私は追い出されるように通過。 彼女はがっちり捕まってしまった。「日本語は出来ますか?」何を聞かれているかも解らない彼女。 私が横からタイ語でそれを言うと、税関は眉間にしわを寄せながら私に向き直り「あなたはもう結構です。出口へ 向かってください」と言った。「英語は喋れますか?」また日本語で彼女に質問している。だから通じねえって・・・ 小さい声でそれをまた彼女に訳すと「ですから、結構です。あちらへ行ってください!」と大きな声で怒られた。 第三者が介入しては質問にならないと言うことは解る。が、そんな言い方ないだろう。 彼女はこの事態に顔を真っ赤にして泣きそうになりながら、手で私に行かないで、とゼスチャーしている。 たかだか税関なのに、なんだか子別れのシーンのようになってしまい私も必死。 税関はなにやら本を出しタイ語のページを開いていた。そこに必要な事はある程度書いてあるのだろう。 小さい声で読んでいるが通じず、ページを見せていた。それに彼女がタイ語で答えても税関は理解できない。 税関は彼女の持ってるパスポートをむんずと引っ張って見て、ビザのページを見て、何も言わず開放する。 なんだありゃ!何をあんなに偉そうにする必要があるのか。あほらし! 全てのミッションが終了。出口のゲートが開くと同時に声がした。声の主に「お母さん!」と彼女が手を振った。 その先には、私よりずーっと若いと思われるかわいい女性が大きく手を振り笑っていた。 そしてその横には大仏風ヘアに金ネックレス、かわいいキャラクター付きトレーナーを着た若い男が立っている。 ち、千葉チック。まさに千葉の男だ。でも彼女を見つけた時にチラッと見せたホッとしたような笑顔が、なんとも人が 良さそうで、まあ心配してもしかたないから安心することにした。頼むぜ千葉の荒海育ち!銚子男児! お母さんに私のことを一生懸命説明している彼女の背中越しに、私はお母さんへ軽く会釈し、そこを離れた。 かっこつけているのではない。タイ人の過剰なお礼攻撃に対応する力がもう残っていなかったのだ。 まー、よかよか!これで安心して帰れるわい。はーっはっはは ←いやらしい自己満足。 しかし安心しすぎたらしく、なけなしの小遣いで買った免税のクラランスをタクシーに忘れて来てしまった。 しかもそれに気付いたのは3日後。オレの海馬危険! 近い将来、私こそが誰かに手を引かれて税関を通過するのだ。その日は確実に近づいている。 その時はどなたかお世話になります。 |