韓国買い付け隊が再結成
バンコクを拠点に、ベトナム、ネパールへ3週間の長い旅



第11回 タイ・ベトナム・ネパールの巻
サムイのおまけ付き

 8月25日 バンコク

 今回は韓国での買い付けに同行してくれたあやちゃんが、この3週間という長い日程を荷物持ちに
捧げてくれると言う。日本の不況が生んだジョブレスの天使あやこ!
あやちゃんとは、この仕事を始める前から2人でよくアジアへ冒険に出た仲だ。
彼女がきちんとお勤めをして、私がこの仕事を始めてしまってからは、
大好きなタイへ一緒に出ることがなくなってしまっていた。幸か不幸かリストラされた今、
時間だけはたくさんあるので一緒に夏休み(彼女には終わらないかも知れない夏休み)をエンジョイする
事にしたのである。
その頃、やはり韓国買い付け隊の清水さんが似たような日程でスリランカ・ネパールと
廻っていたので、バンコクを1泊とカトマンズを1泊だけ合流する計画になっていた。
一応楽しみと言っておくが、荷物を一緒に持ち帰ってくれない人は私にとっては何の役にも立たないぞ!
そんな気の抜けたような始まりなのでそれにふさわしく、荷物が増える前に夏休みをとってしまう事にした。
目指すはコ・サムイ。秋冬物のことを考えたら、絶対に行くべきなのは北。そう北へ北へ・・・ヒユ〜
でも、どうしても心弾まない北という響き・・・夏休みは、海水浴と決まっているので、南へ行くことに決定。

 バカンスへジョブレスと一緒に動くと言うことは、バックパッカーリゾーターに戻ると言うことでもあり。
すっかりプチブルの私には信じられないが仕方ない。昔取った杵柄、いっちょ久しぶりに冒険を楽しんでやるか。
夜行列車でスラーターニへ下り、バスに揺られ、船に乗り込み全行程約15時間。
いえいえ、この位なんて事ありませんよ、はっはっは、と笑いながらその手には帰りのエアチケット。
行きだけバックパッカーで。
やはり行き帰りだけで相当な時間を消費してしまうからさー、と言っておこう。


 8月26日〜30日 コ・サムイ

 いまだかつて、こんなに良いバンガローに泊まったことがない。
もちろんシーズンオフのホテル経営バンガローやツアーパックの高級ホテルには泊まったことはあるけど、
そう言うんじゃなくていわゆる地物のバンガローでここまでがんばってるのを見るのは初めて。
このビーチへ偵察に来た時、ここの先客でサンタみたいに大きな白人のおじちゃんが「とっても良いよっ」てお勧めして
くれたのだ。実際彼は予算の低い私達の為に800バーツのアパルトメンタイプを紹介してくれたんだけど、
そのアパルトメントの眼下に広がるこのバンガローがとても素晴らしかったので、ついついもう500バーツ乗せて
こっちに部屋を取ってしまったのだ。言ってることとずいぶん違っててちょっとサンタに恥ずかしい・・・。
なんだあんた金持ってんじゃんジッサイって感じ。そうよ、実際持ってるんだもん!なによー
だって1300バーツって2人で3770円じゃない!(都合が悪くなるとすぐ日本円に換算)いーじゃない!わー
 そんな素敵な宿にふさわしいロケーション、そうそれは6万年ぶりに火星は地球に超大接近中。
お昼はちょっと泳いで浜で遊んで、夜はシーフードをお腹いっぱい。ああ、幸せ〜こんな夜はゆっくり星を観察しよう
ではないか〜ゆっくりと星を見るために私達はエントランスの電気を消して、チークのベッドに体を投げ出した。
ゆっくりリラックスするとやってくるもの、それはう○こたん。幸せの証、う○こたん。
そして、この時私が出会うのはう○こたんだけではなかった。う○こたんと共に大きな衝撃と向き合うことになるのだ。
 
 のんびりひっくり返っていたいのに、う○こたんは次第に出口へ近づいてきていて、私はふらりと立ち上がり、
わずか数メートル後方にあるバンガローの扉へ向かって歩き出した。何も考えず扉を思い切り開けると、
私の視界に飛び込んできたのは、広々としたベッド、そして今まさにタイ人の女の子にのしかからんとしている
白人青年の姿・・・とっさに「あ、アイムソーリー」と言って扉を閉めた。
 ・・・・あれ?     あ、
私は隣の部屋の扉を開けていたのだった。自分たちの扉は電気が消されていたので、虫のように明るい方へ行き、
な〜んにも考えず隣の扉を開けてしまったのである。あり得ない。けど、そんなあり得ないことをやってのけたのだ。
「間違えちゃったよ」と、あやさんに言い残して取りあえずう○こたんの為に自分の部屋へ入り直した。
「あ〜面倒な事にならなきゃいいが・・・」と思えば思うほど、なかなかトイレから出られない。
「ア、アイムソーリー、マイフレンド、ミステイク・・・」かわいそうに、戻ってみるとあやちゃんが対応に追われていた。
まさしくこれこそ自分の尻の始末もできない状態である。なんて言っている場合ではない。
「あ、すみません、間違えてしまって・・・」と私がその青年に謝ると「いやいやいいのさ、ハハハ」と言ってくれたが、
彼は自分の部屋の扉をドンドンドンドンっと叩き続けている。 ん?何が起こっているのだ。
あやちゃん曰く、私が現場から去った後、彼がすぐに出てきて「何で?何で開けたの?」と聞いてきたそうだ。
「すみません、友達が間違えちゃったみたいで・・・」と言うと「あ、そうなんだ、いいのいいのハハハ、いや彼女が
鍵をかけ忘れていたみたいで・・・」と彼が言ってるうちに、カチャンと中の彼女が鍵を掛けてしまったらしい。
彼は「おい、ふざけるなよ、開けて〜」と言っていたらしいが、彼女はなかなかしつこくて扉を開けてくれない。
そのうち「おい、このビッチ!開けやがれ!」なるセリフも飛び出し、あやちゃんは、わわわ大変な事になって
しまったと慌てて「だ、大丈夫ですか?!」と声をかけると「彼女ったらふざけてるんだ、ハハハ」と彼は笑って
応えたが笑顔と裏腹に発言がヒートアップしていき、合わせてあやさんが「すみません、すみません」と言っていた
ところへ私が帰ってきたというわけ。いうわけって人ごとですか?
 しばらくすると、彼女が鍵を開けて扉から顔を出し、私達に向かってニコっと笑った。
どうやら本気の籠城ではなかったようだ。あー良かった。彼はささっと扉に体を挟み「じゃ、おやすみ!」と消えた。
こぼれんばかりの星空の下、「信じられない」とあやちゃんに怒られていると、彼の部屋から怪しい物音が・・・
パンパンパンパン!!乾いた音、恐らくスリッパでお尻を叩いているものと思われる・・・。そして
バッタンコンバッタンコン!!据え付けのキャビネットを開けたり締めたりしていると思われる。
そしてウオー!!キャー!!ハハハハハッ な、な、な、な、何してるの〜〜〜!!!
「心配しなくても、楽しそうだよ・・・」どうやら他者の視線が加わったことで、変なエンジンかかっちゃたみたい。
バボーンバボーン、パタパタパタパタパタパタ(走ってる) ウオー!(彼)キャーッ!(彼女)
「あれ・・・助け、呼ばなくて良いかな」「もう一回開けてみるか」そんな勇気はない。
ここで聞いていると、ますます彼らが興奮するといけないので、退散することにした。
しばらくすると二人は部屋に鍵を掛け、繁華街へと出かけていった。(早いな←そう言う事じゃない)

「あのさあ、デビッド(勝手に付けた名前)はさあ、何で「何で開けたの?」って聞いたのかなあ」
そうだよね。何で開けるって間違った以外に何で開けるのだ?連れ込みの通報とか?
「あ、興味があったら参加する?って意味かな」

明日から「お前達はそこに座って見てろ!」とか調教されたらどうしよう。

 8月26日〜30日 コ・サムイ

 そんな心配もむなしく、デビッドに夜のお誘いを受けることはなかった。
しかし、ここサムイはこういったタイ人女子と白人男子というカップルが多い。
私調査の小さいマーケティングによると、島それぞれに滞在する人々の傾向があって、
例えば欧米人の家族連れが多いとか、極東アジア系の団体ばっかりとか、はたまた白人のおっさんとタイ人の
いたいけな男の子のカップルをあちこちで見かけるとか、愛人生活にも歴史を感じさせる白人のじいさんと
タイ人のばあさんカップルが多いとか、いろいろ。
サムイは、欧米人2人にタイ人の女の子1人とか、欧米人1人にタイ人の女の子2人とかって言う、
なんだかめくるめく想像をかき立てる組み合わせが多い。5人に1人とかも見た。ふーむいったい?

 なんと、やがてデビッドの部屋にも「彼女の友達」なる女の子がもう一人増え、翌朝には仲良く3人のパンツを並べて
干しやがった。例の事件の翌朝は私達もデビッドもなんとなく気まずく、「早く相手が出ていきますように」と思っていた
がそれもすぐに馴れてしまったようでこの始末だ。このバンガローに滞在する欧米人のご夫婦や、私達のような
友人同士のチームに気兼ねすることもなく、敷地内の芝生でおっぱいもんだりお知り叩いたりしてキャーキャー
やっている。何も見なかったように笑顔で挨拶するのが常だったが、あまりおおっぴらだとやはり不愉快だ。
「遊びもたいがいにしなさいよ、キャプテンサンタに叱って貰う!」と、我々が息巻いていると、ビーチからこちらへ
戻ってくる影。よくよく見るとキャプテンサンタ。なんと2人の少女を連れてバンガローへ戻ってきたのだ。
部屋に上がる前に水道で2人の体を洗ってやっている。・・・う〜ん、キャプテンサンタはデビッドの先輩だった。

 そんなカップルたちが、以前からの知り合いだったわけはなくもちろんそれは現地調達。
道で交渉している事もあるが、こんなに多くのカップルを作り出すのにその現場が道ばかりでは、きっと真っ直ぐ
歩けなくなる。やはりそれなりにやり方があるようだ。偶然私達が立ち寄った地元の人達も多く集まるレストラン
でのこと。美味しいエビや魚が安く食べられるそこは、家族連れも多く、明るい雰囲気に包まれている。
そこへ、ちょっと派手目の女の子がたった一人でやって来て、テレビ前の席に座ってスプライトを頼んだ。
少しストローに口を付けたくらいの間合いで、後ろから体の大きな白人が1人近づいてきて彼女の肩に触れると、
言葉を交わしたのかどうかさえ分からない位簡単に、彼女は彼の席へ移動した。その席には他にも男が2人。
しばらくしてまたテレビの前の席に女の子。コーラに手を付けたかどうだかって短い間合いで、誰かが彼女に触れ、
合流していった。のんびりご飯食べている間に3人くらい席を移しただろうか。

 私は倫理的にこういのがイケナイとかって思ってるわけでもなく、女の子達を汚いとか、かわいそうとか
思っているわけでもない。ま、現象としてちょっと面白いなと思って眺めている所はあるけれども、やっぱどうか
な〜と思うのは、自国で出来ない変態行為を、よそ様の国でやりたい放題、旅の恥は掻き捨てとばかりに
羽を伸ばすって。それはあまりにもいただけない。「俺達の社会はストレスフルでカウンセリングが必要なんだ〜」
なんて言ってたらその口にジャイアンパンチをお見舞いしてやる。
 女の子に生活がかかってる事や、または自ら選び取った職業だったりしてもそこへ至る様々な背景があるのは
言わずもがな。海が綺麗で、お酒も食べ物も美味しければ気分がほぐれるのも言わずもがな。
でも、ここでばかり暴れん坊の悪い子なのではなく、是非ご自分のお国でも良いパートナーを見つけて自分に
望ましい性生活をする努力をして頂きたい。勇気を持って変態生活を送れぬそのシワ寄せをここに持ってきて、
発散したあげく、病気を置いていったり、彼女たちを傷つけたりしないで欲しいと思う。


 8月30日〜31日 バンコク

 飛行機でバンコクへ到着。一気だね。必要だね飛行機。飛行機万歳。
 そして清水さんと合流。清水さんはコロンボで日本人の友達に会っていたにも関わらず、何か欲求不満だったのか
もの凄い勢いで喋って来るが、勢いが過ぎて何言ってるかさっぱり分からず。顔をじっと見てやるが、それでも自分の
異常に気付かない様子。危険なので睫毛パーマ、キューリパックなどさせ口を封じ、落ち着かせてから移動とする。
せっかく女の子が集まったんですもの。買付けなんか行かないわっ。
あのグランドハイヤットエラワンの中に、ネイルサロンがあるので行こうと思う。そこはエラワンなのに、なんで?なんか
ここ異空間?って言うくらいいたって庶民的なサロン。それが良いの、と言いそうだけど、普通なのにお値段も高いし、
トップコートしてくれる事と多少色が多いくらいで特に良いことはない。
ただエラワンに入るときが気持ちよい。ええ、これは本当に気持ちが良い。そうよ見栄よ。虚栄心と優越感よ。
車寄せを徒歩で上がってくる私達にもドアマンは優しい。しかし予約がいっぱいで飛び込みは無理だった。
何度も言うけど、いたってフツーのとこで、あんな素敵なエレベータで上がって入ると普通以下に見えちゃうくらいの
フツーだから、人気で予約がいっぱいってわけじゃないと思うんだけど、事実いっぱいだったのよ、がっかり。
よほどがっかりだったのか、サムイでの食べ過ぎがたたってか、あやちゃんの胃に異常が発生。
清水さんの挙動不審が治ったと思ったらあやこの異常。みなさん早くもお疲れですか。ちょっと動くのが辛そうなので、
2人をエラワンに残して、隣の元そごうまで薬を買いに行った。私の希望「薬を買うなら中華系の薬局で」の通り、
高架から繋がる入り口のすぐ側に、タイチャイニーズ経営のドラッグストアがあった。

 いよっ私のタイ語の試し時である(自分の症状を言うなら英語で慎重に言うつもり)。
アクション付きで「友達、食べた、いっぱーいいっぱーい、痛い痛い、胃」こんな感じだ。薬局家族にバカ受け。
「背中も痛い痛い」と言うと、次男坊とおぼしき賢そうな青年がタイ・日本語辞典を取り出しながらタイ語で
「うーんと、背中が痛いってのは食べ過ぎでなのか、他の原因で痛いのか、わからないから、そうすると薬が違うん
だけど、ホントに食べ過ぎ?」みたいな事を聞いてきている。そしてそこで辞書の単語を指さした。
そこには「下痢」と書いてある。そして彼はゆっくり「げーりー」とタイ人が外来語を言うときに多く使う
一声の発音で言った。私は「ううん、マイ(Noの意)ゲリ」と言った。青年は眼鏡を軽く抑えながら微笑んで
「マイゲリ」と反復した。マイゲリ、それはノーゲリ、ノーウォーみたいだ。

 帰りがけビルの出口でネイルショップのチラシを貰った。なんだここに綺麗なのがオープンしたんじゃん。
走ってエラワンに帰ると、「遅くて心配しちゃった」と2人。なんだか休んだら良くなったみたいで動けそう。
動けるうちにどこかゆっくり出来る所でお茶でも飲んで、それからチラシのネイルをしようと、バカのひとつ覚え
みたいにまた元そごうに入った。ここでゲリの彼に見つかってしまっては、友の為に薬を求めて走ってきたという
私の良いイメージが壊れてしまうので、見つからないようにコソコソ入る。
 しかしせっかくコソコソ入ったのにチラシは嘘だったのだ。
そのショップではネイルを取り扱っていないと言う。「なんで書いてあるのかわからない」と店員。
・・・おいおい、このネイル大国でどんなつまずき方しちゃってるわけ?我々は。
もういいか〜と、言いたい所なんだが、本当に爪がボロボロなのでこの大都会じゃ落ち着かないのよっ。
是が非でもなんとかしたい気持ちでいっぱい。何処へ行こうか〜とエスカレーターを降りている時、
フロアのはじっこ〜に床屋のクルクルを発見した。床屋にはたいがいネイルがあるもんなのだ。
近寄って行くとお店のガラスにプライスリストが書いてある。そのお店の飾らなさにも驚くが、その値段を見よ!だ。
過去最安、両手で100バーツ?!あまりの安さについ聞き正してしまった。「その通りですよ〜」の応えに、
えーっと驚いているとお店の子達が笑う。Youちゃんによく似たお姉さんはじめ、スタッフは皆明るくて気さく。
一人いる男の子はオカマちゃんでとてもかわいい。両手両足をお願いしてみたが、ケアも丁寧にしてくれるし、
乾くまで根気よく付き合ってくれるし、なかなか居心地が良い。
フェイシャルに来ていたおっちゃんもその居心地の良さに爆睡だ。
お勧めだけどあまりの地味さに日本人はひくかも。でも技術は値段じゃありませんよ。←エラワンへ行ってた人。
 綺麗になって良かったね。と、そのままマッサージへなだれ込み、タイ料理と観光客を満喫。

 翌朝、挙動不審の清水さんが消えていた。一足先にカトマンズへ飛んだのだ。
くたくたの所へ観光をし、深夜まで喋り続けたのでお別れを言えなかった。
私は寝ぼけた頭で、私のベッドサイドにあった白い革張りのソファーをずっと清水さんだと思っており
「ああ、清水さん、飛行機に乗り遅れちゃった、大変、大変」と何度も夢の中で言っていた。

 そう、次に意識がはっきりした時には、なんともうホーチミンだったのだ。←割愛するために嘘をついている。


 9月1日〜5日 ホーチミン

 相変わらず、ここホーチミンでは生地選び、サンプルの再製作に明け暮れる。
今回特筆すべきは、いつものバイク駐車場のお兄ちゃんに「あれ、キレイになったねえ」と言われた事かしら。ほほ。
ハンちゃんにそのお兄ちゃんが「◎△◆×※〜!」と言ってるので、何言ってんの?と聞いたら、もの凄くいぶかし
げに小首を傾げながら、かなり合点がいかなそうに、そう訳した。あんた社長に対して失礼ね。
なんと言うこともない。今回は同行者もいるし、行く先々で女の子と合流するので、いつもよりちょとだけ小綺麗にして
たのだ。それだけで誉めて貰えるならいつもそうしていれば良かった。と言うより、いつものあのスタイリングでは、
いったいどんな見え方していたのだろうと思うと、不安だ。いつもちゃんとしてよう。そんな事特筆してどうする。
 そうそう、今回ホントの特筆すべき事項は、思いっきりお洒落してお出掛けの巻なのだ!
駐在の女友達もいるし、あやちゃんもいるので、今回は奮発してサブフォーマルのお店で、ベトナムフレンチを戴くと
いう予定を立てた。これまたハンちゃん改造計画ではないけれど、女の子なんだから時には華やいだ格好で、
華やいだ気分で、いつもと違う「気持ちいい」って体験、ハンちゃんにして貰いたい。
私が来た時くらい、そんな非日常があったっていいではないか。何か買って上げたくても理由がないと受け取らない
ハンちゃん。なので、これを理由にボーナスのプラスαとして、オーダーメイドのドレスをプレゼントするつもり。
恥ずかしがりやのハンちゃんだから、絶対いらない!行かない!って言うに決まっているので、
「みんなもドレス作るからやってみようよ。それに、どうしても美味しい物食べたいんだもん」と言って、
"致し方なくその話に乗って貰う"ように話をした。乗り気じゃない顔をして、「はい、じゃ、わかりました」と言う
ハンちゃん。それを見ていた駐在の友人まりちゃんは「お、おー、この乗らない顔、かなり乗り気だねえ」と言っていた。
ハハ相変わらず天の邪鬼だねえ。ドレス着るなら、眉毛も整えなくちゃ・・・と、念願のハンちゃんのボサボサ眉毛剃り
も決行したのだった。ハンちゃん一人じゃ抵抗しそうなのであやちゃんにもやらす。サロンで二人並んで仲良く眉毛抜
き。それから観光客のように生地を選び、採寸してドレスを作って貰う。メイドバイままかでも良いんだけど、
うちのテーラーは私の製作スケジュールでぱんぱんなので、その辺のお店で作って貰った。
これまたみんなで作ると言ったのに、私は手持ちのワンピで充分だし、まりちゃんも別にいらないと言うので、
またしてもあやちゃんに自腹でスケープゴートとなって貰った。すぐやる気になる人って素敵だ。天使だ。
何しろ、普段男の子と見まがうマニッシュなハンちゃんがドレスアップするので、周りの私達の方がいささか興奮気味。
これは?あれは?と生地を物色する。スタイリスト3人ついてなかなか生地が決まらずも、ハンちゃんは相変わらず
どうでも良いような顔をして「あつこさんにお任せします」と。好みがないのも淋しいけど、好みを言わせたらいつもの
ハンちゃんから変身できないので、遠慮なく玉虫色のオレンジ生地で、マーメイドスタイルのドレスを作った。
 明けて翌日。朝早くからハンちゃんとあやちゃんはバイクでドレスを取りに出かけた。しかしサイズと縫製でもめて
やり直し。夕方もう一度取りに行ってみたけど、やっぱり縫製はハンちゃんの納得いくものじゃなかった。
うちの時もその位神経質にお願いしたいもんですがねえ・・・。とにかく、ハンちゃんは「このドレスじゃどうも落ち
つかない。友達の結婚式で作ったドレスがあるからそれじゃだめか?」と言う。「せっかくみんなで作ったドレスだから、
みんなに見せたくない?」と言っても「うーん、もう一回ままかテーラーに直して貰うから、このドレスは次回に使い
たい。ダメ?」と。一日お気に召さないドレスを着ている事くらい、女の子にとって心細いこともないし、「次回」という
底はかとなくやる気を覗かせる発言が可笑しかったので、「とにかくそれ持って来なさいよ」と言った。
 仕事が終わって各自シャワーを浴びに一度帰って、思い思いにドレスアップ。私とてこんな経験はないので、
どこかウキウキと楽しい。テンション高めでバカ笑いしながらお化粧していると、ノックの音。ハンちゃんだ。
どうぞ、とドアを開けて、私は言葉を失ってしまった。そこにはピンク色のマイケル・ジャクソンが・・・。
顔を隠しながら、「隣の部屋の子にお化粧してって頼んだら、もの凄く張り切ってやってくれたんだけど、どう?」
もし、ハンちゃんがそれを気に入っているなら、どういう言い方をしてアレンジさせて貰おうかと悩んだが、その表情は
明らかに「不安一色」だったので、ここははっきりと「もう少し、控えめの方が良いと思うよ。日本人風じゃいや?」と
言ってみた。「私は日本人の女の子はとってもお化粧が上手だと思う。ナチュラルなメイクがとても良いと思う」と
ヘルプの顔だ。よっしゃやりまっせ!それにしてもベトナムコスメはかなり強力着色で、落とすのが一苦労。
二人のメイクアップアーティストによるレディーハンちゃんは、なかなかの美人に仕上がった。
もともと目は大きく、鋭く強い光を放っていてとてもチャーミングな人なのだ。私はとても嬉しい。
 さて、ぼろぼろバックパッカー御用達のデタムストリートから姫が3人お出掛けでござい〜!!!
ホテルのレセプションに降りていったら、ママとスタッフが大騒ぎして出迎えてくれた。
「あららら、まあまあまあ!ちょっと見て!あらあ〜お姫様達よ、どちらへお出掛け?!」と盛り上がる。
隣はコンビニ(かなりベトナム風の)で、いつも入口にビニールベッドでおじいちゃんが寝かさせれているんだけど
去年は公衆の面前でう○こたんを漏らしてしまうほどの衰弱で、今年はもういないかと思っていたその彼が、
やにわに体を起こして、手を叩き、膝を叩いて「◎△◆×※〜!!!」大興奮。ほれご覧よ、うちのお嬢ちゃん達が
お出掛けだ、やややや〜こりゃキレイだ!(訳ボス)。いつもだらだらやる気なくホテルに張り付いているタクシーも、
半笑いのふざけマジ顔でドアを開け「どうぞ」と手を胸に当ててくれる。いやはや恥ずかしいったら可笑しいったら。
そそくさとタクシーに乗り込んだ。なんか・・・七五三思い出した。
この年で着飾ってこんなに人々に喜んでいただけるとは・・・。普段素っ気ないベトナム人だけど、こう言う時すごく
良い意味で「村」だ。女の子がキレイにするって事は、ある意味世界平和に繋がると思ってしまった。
やっぱり女の子はお花なのね(いくつになってもね)

 「ホントにここ?」何度聞いてもドライバーは「うーん、間違いなくここなんだけど・・・」と。
その店は、どっから見ても定食屋。ベトナム庶民がプレートを片手にうろうろしている。見ればメニューは確かに
フレンチだが・・・これってさぶふぉーまる?まりちゃんに電話すると「二階へ上がってきて」と言う。
普段着の庶民達から奇異な熱い視線を受けながら、二階へ。テーブルではすでにまりちゃんがスタンバっている。
「ハハハ、私も友達に評判聞いて予約したんだけど、全然気楽な店だったね」と笑っていた。
二階はサーブもあるし、レストランを気取ってるんだけど、ウェイターのお兄ちゃんは下階と同じユニフォームで
似合わないピザ屋みたいだ。どう見てもサブフォーマルではない。
浮くな〜と笑いながら、「でも誰にも見て貰えないのも淋しいよね」と言っていたら、ベトナム人の若い女の子を連れた
日本人のおっさん達が、短パンで・・・短パンで・・・入ってきて、ガラス張りの別室に入っていった。
一応、誰かに見て貰うことは出来た。どうだった?短パンのおっさん、女の子買ってるおっさん。感想聞かしてくれよ。
ここはフランスに修行に出たベトナム人シェフが、「ベトナムの庶民が食べられる価格の本格フレンチ」を
コンセプトにお店を構えているそうだ。なるほど、それは素晴らしい考え方だよね。
美味しいので、今度は下階のプレートランチに行こうっと。

 バーで飲んでから戻るとハンちゃんのバイクが盗まれかけてた。ダブルロックの1個が外されて。
出かける時にかなり目立っちゃったからな。なかなか戻らないことが盗人にもわかっちゃったのだろう。
やれやれ、とにかくハンちゃんの化粧かぶれもなく、バイクもセーフだったし、良しとしますか。
変な所に力が入ったり抜けたり疲れたけど、とっても可笑しい夜であった。

なんつったって、こういうのは「出かけるまでの過程」が、一番楽しいんだもんね。


 9月6日〜7日 バンコク

 バンコクで私が定宿にしてるとこは安宿街の中にあるミニホテルだ。小さなゲストハウスが並ぶ通りの中だから
比較的良い所に見えるが、言うほどのこともない。なにがホテルだよ、ゲストハウスに毛が生えた程度じゃねえかって
感じなのに、スタッフはお高くとまっちゃって、なんだか勘違い。
何度私がここに泊まり来ていても、いつでも初めて会ったような顔で対応する。あんな事も、こんな事もあって、
私を覚えていないはずがないのに、てーんで知らん顔。当方はホテルですので、いろんなお客様が来られますのよ、
スタンダードルームのお客の顔なんぞ覚えてらんないんでございますって対応だ。
それが近代的な応対で、干渉しないように努めているとしてもギスギスしちゃっててへたくそ。
タイ人はおせっかいじゃなきゃ。タイ人なら会って2度目にはオレんち来いって言って私を困らせろ。淋しいじゃないか。
しかも結構高い。宿代なんて安いに越したことない。ゲストハウスだって、セキュリティーさえしっかりしてくれてれば
それで充分。いつも大金持ち歩いているので宿の梯子なんて恐いんだけど、今回はあやこたんがいるので、前から
気になっていたゲストハウスにチェックインしてみた。SARSやテロの影響で、この通りも人が少ない。いつもだったら
学生で混み合って何処へ行っても部屋の空きはなかなか見つからないのだけれど、今は人気の宿も人影まばらだ。
サンルーフに日が射し込んでいるような、小さいけれど気持ちの良いロビー。手続きを済ませて、部屋の鍵を貰う。
レセプションにいたのは中華系のお父さんと犬が2匹。家族で経営しているようだ。階段を上がっていくと、なんだか
懐かしい匂いがした。そう昔四畳半一間共同トイレ外風呂18000円のアパートに暮らしていた時、毎日嗅いでいた
あの匂い。別室から女の子の笑い声が聞こえてくる。これは日本人の女の子の笑い声だ←笑い声でもわかる。
 小さな扉を開けて、しばらく閉口。せ、せまー。扉を開ける、トイレの前を通る、ダブルベッド、以上。
ベッドの隙間にバックパックをなんとか置く。何処に腰を落ち着けようったって居場所はベッドの上しかない。
「これ、シャワーとか浴びちゃったら、すごい湿気が充満して居られないんじゃない?」シャワーからはちゃんとお湯が
出て、まるで部屋全部がお風呂のごとくいっぱいに湯気が広がった。今日は抱き合って寝ようねあやたん!っと
押し倒した私の頭上に付けられたエアコンはなんとSHARP。バスタオルにせっけん、枕元に無理矢理置いた電話。
こんなに狭いのに、何もかも全部揃っているのだ。「ある意味すごい」と私達は感心した。
なんか痒いところに手は届いてるけど、根本的に治らない、みたいな。
どうにもじっとしていられないので、取りあえず仕事に出かけた。
 疲れて帰ってきてエアコンをつけてみた。あっという間に快適、さすがSHARP。そう思いきやあっという間に寒すぎ。
このエアコンに対して部屋が狭すぎるのだ。どんなに温度を上げても基本的に寒いし、どう羽根の向きを変えても、
風が壁に当たって跳ね返って来ちゃうから風から逃げられない。
かといってバンコクでエアコンを止めるなんて絶対出来ない!隣の室外機にやられて死んでしまうぅ。
しかし、シャワーを浴びてみたらとたんに快適。心配していたシャワーの湯気は、かえって心地良いくらいで
「あ、あったかい」なんて言ってしまった。なるほど小さな世界はそれなりのバランスが出来ているのだなあ。

 翌日の朝、私達は例のいけ好かないホテルのカフェで朝御飯を食べていた。
ごめんゲストハウス・・・カオサンあたりの安宿に比べれば、がぜん清潔だし、笑えるくらい何もかもが揃っているし
安全。揃いすぎてて沈没感が無いのも良い。貧乏旅行を楽しむんだったらお勧め。だけど、、、
お年頃の私達、疲れが全然とれない。そう、痒いところに手は届くけど、根本的には治らないみたいな←しつこい。
そんな風に人は大人になっていくのだろうか・・・(ちゃうちゃう)



9月8日 カトマンドゥ

 トリブヴァン空港に到着。カートを引きながらゲートを出ると、ガラス戸の向こうで清水さんが手を振っていた。
一足先にバンコクからカトマンドゥ入りした清水さんは、明日の朝日本へ帰る。避けているんですか?我々を。
清水さんは学生時代、ネパールでホームステイしていたことがあるので、ネパール語はばっちし。
へらへら〜ナマステ〜と、まるで清水さんの彼氏のように一緒に待っていた運転手くんに、てきぱきと指示を
飛ばしながら、清水さん一番のお気に入りスポット「ボダナート」へ連れていってくれた。
 チベット仏教の聖地。大きな仏塔を囲むように並んだ土産物屋。夕方のお参りの時間なのか、たくさんのチベット人が
ストゥーパを廻っている。そのストゥーバの最下層、手の届くところにはたくさんのマニ車が備え付けられていて、
皆真剣にお祈りしながらこのマニ車を手で回しつつ、ひたすら歩く。絶対に右回りと決まっている。
マニ車とは、インスタント経文器と言おうか、一度回すと経文を1回読んだのと同じ御利益があるというもの。
ストゥーバにもくっついているけど、ハンディタイプも一般的で、仏教徒はみんなこれを持っている。
ぐるぐると回り続ける輪の中に、私達も入ってみた。
馴れない手つきでマニ車を回していると、後ろから追いついてきたおばあちゃん達が、うんうん頷いて笑いかけてくる。
「あれあれ、感心感心、えらいねえ」と言ったところだろうか。チベット人種の笑顔は日本のおばあちゃんやおじいちゃん
と同じ。とても懐かしい感じと同時に、見慣れない衣装をまとった同じ顔の人々の群に独特の異国感も感じる。
ストゥーパに登ってみた。遠くで凧が揚がっている。乾いた心地よい風に吹かれて、仁王立ちしていると、まるで人々が
私にひれ伏しているかのように頭を垂れている。苦しゅうないぞ、と言いつつなんだか申し訳ない気分。
あやちゃんは念願だったハンディマニ車を本場のここで購入。1回しで経文1回分で良いのだが、欲張ってぐるんぐるん
やって壊さないように。ま、回して壊したなら本望だけど、汚い部屋でどっかへやっちゃいませんように。

 タメルへ戻ると、宿に荷物を置き、晩御飯がてら街をぶらぶら。相変わらず日本語が飛び交うタメル地区。
うかうかでかい声で喋ってると通じてしまうのが恐ろしい。
そんな風に外国人スレしているこのタメル。さぞいろんな美味しいモノがありそうなもんだけどいかんせん。
特にネパール料理。ネパールにいるのにうまいネパール料理を食うのは至難の業。そもそも東南アジアのように
「晩御飯はお外で」というお国柄ではなく、日本同様ごはんはおうちで食べるのが一般的なので、外食に対しての意識
が薄いこともあるけれど、だからって、それにしても、っていう「なんちゃって」を観光客に食わせる。
でも、ここで商売している人は当然、ここで何かを食べているので、出来ればそれを一緒に食べるのがベスト。
地元の人達が出入りする食堂はメイン通りにはなく、小さな小道をくねくね入ったまたその奥の、暗闇にあったりする。
「どっか美味しいダルバート屋知らない?」と店番の青年に聞いてみると、「うん、近くにあるよ、こう行ってああ行って、
えー、こっちこっち連れてってあげる」とやはり暗闇の獣道へ入っていった。案内してくれるなんて、良い奴だ。
良い奴だが、その事をすぐに後悔した。だって・・・そこはちょいと、すごすぎるレストランだったから。
せっかく案内してくれた彼の前で、イヤだ〜なんて言えない!どしどしと決意の乙女3人は店内に入っていった。
今にも折れそうな柱、狭くて薄暗い部屋いっぱいに置かれた斜めのテーブル。いつから引きっぱなしなのか、
いっそ引かなきゃいいじゃん灰色のテーブルクロス。そしてなんと言っても、部屋に充満するヤバイ匂い。
ネパールは乾燥しているんだけど、こういう裏路街は水はけが悪くて、雨が降るとその湿度が残ってしまうらしい。
その匂いだ。なかなかオーダーを取りに来ない。代わりにいろんな人が思いっきり覗きに来る。
至近距離の暖簾の影から大きな目でじーっと見てる。やっとオーダー取りに来た女の子も、じーっとこっちを見てる。
外国人が多いこの地区でも、外国人がけして来ない店がある。ここはそれなのだと悟る。
「お、お腹・・・大丈夫だろうか」一番精通している清水さんが弱音を吐いた。君が判断できないとは困ったことだ!
もう逃げられないのなら、大丈夫って言え!
かなり待って運ばれてきたダルバートは、いい匂いがして、美味しそう。うん、全然平気じゃん。と言いながら・・・、
恐る恐る手を付けようとすると、清水さんが「ちょっと待って!」と急に恐い顔でストップポーズリアクション。
なに!なにか問題?!「ご飯、ちょっと多いから減らして貰うから、ちょっと待って」
ダルバートはワンプレート定食で、ご飯を共用のお皿に盛っているわけではない。自分だけ減らしゃいいじゃん、
なんで私達にストップか?解せない私とあやちゃんは、え?え?と何度も聞いてみるが、
「全部つながってるから、減らせなくなるから」との応え。え?つ、つながってる・・・?
清水さんの国籍は日本で、外国人のための日本語教師をもやってはいるが、実はとても日本語が下手なのだ。
うまく説明が出来ない、その「つながっている・・・」というセリフ。なんか宇宙な、どこか神がかり的な。
私の頭の中でマニ車が廻る。
ネパールの習慣だそうで。誰かがご飯を減らしたい時は、減らし終わるまで同席者全員が自分の皿に
手を付けてはいけないのだそうだ。どこから来た理屈でどんな意味合いがあるのかは、清水さんの日本語力
では説明できないのか、そう言うものだと言われた。合点がいかない。誰か教えて下さい。
 肝心のお味の方は・・・むっちゃ旨いワケではないけど、それ以上のダルバートを、以降食べる事はなかった。
いくら高いお金を払って、外国人向けのダルバートを食べても、見かけが立派なだけで美味しくなかった。
お腹の方もぜーんぜんなんともない。疑って悪かったよ。
それでも、あんまり珍しがられて気詰まりなもんだから、もう行かなかったけどね。

どこに行って、誰に聞いても一番の美味しいネパール料理はオレのかあちゃんのだ!と言う。
誰かのおうちにご招待されるのがやはり一番美味しいんだな。憧れる・・・うまいネパール家庭料理。


9月9日 カトマンドゥ

 
清水さんは走馬燈の様に巡る程の思い出も残さず、見てるだけで口の中がパサパサになるマクビティビスケット
だけ残して日本へ帰った。本当に私達を避けているとしか思えない。さようなら清水さん。日本では避けないでね。
さて、すっかり清水さんなんか忘れて午前中は仕事に没頭。午後は早めに切り上げ、リコンファームに出かけた。
ロイヤルネパールは電話でリコンファームをさせてくれないのだ。わざわざ出向かなくちゃいけない。
地図の通り真っ直ぐ歩いていけばいいだけなんだが、このなんというか真っ直ぐってこれか?っていう斜め道が多くて
いつの間にか少しずれ、ハヌマンドカに到着してしまった。ハヌマンは猿の神様。行き交う人がどっと増えて色とりどり
の花をハヌマンの像に捧げている。そう、今ネパールはクマリのお祭りの真っ最中なのだ。

 クマリとは女の子の生き神様。初潮前の汚れを知らぬ、怪我の跡も欠損もない少女をあるカーストの家系から選び、
クマリとするのだ。クマリとなった少女は初潮が訪れるまでの間、親からも世間からも引き離され、クマリの館で女神
としての生活を送る。ヒンドゥーのドゥルガー女神やクレジュ女神が宿ると言われ、仏教のヴァジラ・ティーウィー
も宿ると言われる。2つの宗教の神様が宿っちゃうのよ。ルーツは同じだからとは言えクマリも忙しいよね。
ここカトマンドゥのクマリはまた特別な存在で、なにしろ国政に関わる予言も行う。王様の相談相手と言うわけだ。
今日はそのそのクマリとなる少女を選び出す大事なお祭りの日だから、人々も大勢出歩いているのだ。
クマリは山車に乗って、3日間街中を練り歩く。人々はクマリとの巡り会いに酔い、追いかけて過ごす。

ハヌマンの像を見ながら更に進んでいくと、突然大きな広場に出た。
それと同時にばーっと開けた目の前の世界に息を飲んだ。色の山があった。サリーを着た大勢の女性達が
寺院の階段に座っていた。広場を挟んで向こう側の寺院には、大きな中継カメラを構えた外国人のカメラマン達が
同じように階段に座っている。階段は1段が大きく、高くまで積まれているのでそれは2つのピラミッドが並んでいる
ようだ。ただリコンファームをしようと思ってそこへさしかかっただけの私とあやたんは、あっという間に巻き込まれ、
観光客らと共に座って待機せよとの指令を受けてしまった。「来る!クマリが来るんだ!」それは狙わずに訪れる
チャンスではない。むしろこちとら仕事にならないから各国のお祭りを避けてるくらいなんだから。
こんなに近くにクマリの館があるにも関わらず、タメルはまるで外国人で汚れてる土地だと言わんばかりにまったく
無視されてる。だからこ私はそこの時期でも買い付けに来る事が出来た。
そんな私がクマリに会っちゃって良いんでしょうか〜。それにしても・・・リコンファームに間に合うだろうか。
だいたい、ネパール人がそんなにエンターテイメントよろしく盛り上がるがままに祭りを進められるとは思えない。
きっとこの状態で夜までとか平気で待たせるに決まってる。クマリに会えるのはかなりラッキーと分かってるが、、、
私の貧しい魂は、何か仕事が片づかないと浮かれてくれない。強い日射しに渇く喉、何時に来るって言わないクマリ。
あーあー、早くリコンファームしてジュースごくごく飲みたいなあぁぁ。そんな罰当たりなことを言う人はここにいるわけ
がない。あやたんとて、もうすっかり興奮してリコンファームの「リ」の字も言わない。その喜々きたる目には長期待ち
の覚悟が伺われる。はぁぁぁだるいなあ。合図と共に軍隊が行進してきた。なかなかの行進だったが、止まる位置を
指揮者が間違えてしまい、だらだらと所定の位置へ横歩きで移動した。それ以降何も指示が出ないので、軍隊も
それを見ている私達も飽き始めた。誰ともなしに少しず崩れるキヲツケ。指示もないのにやや休めの姿勢になってい
く。目玉だけキョロキョロさせてこっちを見てる人がいた。あ、こっち見てんな〜と思ったので、にっこり笑って見ると
彼の目も笑った。う〜ん、面白いけど、それでいいのかネパールの軍隊。
 そうこうしているうちに各国の来賓が車で来場し、用意された席を埋めていく。日本は来てないけど、かなり多くの
国がこの祭りを意識してるようだ。少しずつ役者が揃っていく様子と言ったところだろうか。
その時、宮殿のてっぺんに1匹の大きな猿がいた。ハヌマンだ!
その来賓や軍の列やピラミッドや野次馬をバカバカしそうに見下し、ポリポリ体を掻いている。
思わず「見た?!」とキョロキョロ目玉の兵隊にアイコンタクトを送ると向こうも「見た?見て見て!」と目をグルグル
させていた。うーん、いいのかなネパールの軍隊。私達がそんな風に、アホウのごとく猿ばかりを見上げていたら、
広場で犬がうんこしてた。片付けられるまでにかなり時間がかかって、ひやひやしてしまった。
外国から来賓を迎えている行事の、会場ど真ん中にうんこがあるなんて日本ではあり得ない。
 2時間ほど待ったろうか、、、やがて音楽と共に、何かがやってくる気配。ああ!やっとクマリから解放される!
じゃない、クマリに会える!人々が立ち上がり、声を上げる。あれか?!と見れば真っ赤な髪の男が踊り暴れている。
それに掛け合うように男の子が踊る。クマリ登場には物語があるらしく、クマリまでにはまだまだその経緯を辿らねば
ならぬようだ。この男かなりの良い男。仮面の下でも見逃しませんぞ。広場はやんやの歓声に包まれ、興奮して踊る
男と子供はトランス状態・・・となるところなんだけど、この〜ネパールだからさあ、段取りがなってなくて、
「もっとこっち来て踊れ」だの「もっと向こう向いて踊れ」だの実行委員会とおぼしき人らが男や子供を始終構うので、
トランスに落ちる暇がない。一応踊り狂ってるフリはしてるけど、さめざめとした気分が伝わってくるよ・・。
それからどっどどどっっどっっどどどど、と、なんか来た!白い象さんだ、ガネーシャだ!
どどっどどっどどっどどど、と走る走るガネーシャ。このガネーシャは張りぼてで、誰が人が中に入ってるワケ。
2人の男の足が見える。どっどどっどど走る走る。所がまたまた打ち合わせがなっちゃないので、
外野があっちへ行けのこっちへ来いの言ってる間に張りぼてが壊れてしまった。
オーノー、来賓が来てるのに、うんこはあるしリハーサルはやってねえしで、はー心配。
 楽団の音楽が突然雰囲気を変えた。いよいよ・・・クマリがやってくる。私達が座れと指示された所から遠目に山車
が見える。あれ、あの少女か。目鼻立ちまでは見て取れないが、あどけなさだけはわかった。かなり小さい。
こりゃ初潮を迎えるまでは7年くらいあるんじゃないか?かわいそうになあ。あっという間にクマリは館に消えた。
それを追う人々、報道陣、うちに帰る人、全部がわーっと動き始めた。「り、リコンファーム・・・!」使命を忘れるな。

なんとか通りに出たものの、もう小さな通りいっぱいに人人人、ぎゅーぎゅーで死にそう!あちこちで悲鳴が上がる。
ただ悲鳴を上げながらも、気分は祭りらしくて誰もがニヤニヤしている。もー勘弁してよー。
その時、小さな手が私の腰元から現れた。「子供だ、危ない」とその子の安全を思ったが、その子は恐らくスリなのだ。
人混みの中で一仕事と思ったに違いない。しかしここまでぎゅぎゅうじゃ、手先さえ自由に動かない。
押されて飛び出た小さな坊主頭はもみくちゃになりながらこちらに向き直ったと思ったら、私に手をさしのべた
ままの格好でおばさんのお尻に潰され顔がぎょっとなった。そしてポロポロと泣いた。
「バカだねえ、危ないから早くここを出なさいよー」と思った自分も何処へ行って良いかわからない。
しばらくは流れに身を委ねてるしかなさそう。カバンを抱きしめてニヤニヤしてるネパール人と密着していた。

ここも祭り気分なのか毎日こうなのか、ロイヤルネパールの職員はみんなでPCゲームに興じていて、
まだオフィスの扉を閉めていなかった。ぎりぎり閉店5分前くらいだったと思うけど、閉める気配もない。
と、言うことで問題なくリコンファームも出来た。クマリ様の御利益?・・・うーん
ま、かなりラッキーな事だったようだ。


9月10日 カトマンドゥ

 
「昨日、偶然にもクマリに会いましたよ!」と宿のご主人に話すと、「おーそれはラッキーでしたね」と笑顔。
私達の宿のご主人は日本語が話せる。良い宿がないかネットで探していたら、タメルの真ん中でホットシャワー完備、
まだ新しくて清潔、そして安い!と自称してるゲストハウスのオフィシャルサイトがあった。
そこにこのご主人がにっこり笑っている写真があり、それがまあいい男!!すぐここに決めてメールを送っておいた。
良くあることだが返事はなく、前乗りしていた清水さんが予約のやり直しに行ってくれていた。
乗り込み前に「旦那さんはHPの写真よりちょっとよれよれです」と、清水さんからメール・・・。
うむ、確かに、HPが俳優のポスターとしたら、本人はくちゃくちゃにされたチラシと言った感じか。ポスターもチラシも
確かに本人なんだけどなあ・・・んーって感じ。まあチラシでもいい男はいい男だ。
 「今日も広場ではお祭りがありますよ。いろんなお店が出たり、踊りをやったりします」と言うことで、仕事が終わって
から昨日の現場へ向かってみた。ちょっと時間が遅くなってしまったので、行けるところまでタクシーで行ってみようと
したが、やはり目的地まで後3分の1くらいって所で、人混みに阻まれ動けなくなった。あまりの喧噪に降りない方が
安全に思われたが、それじゃ何をしに来たかわからんちん。仕方ない、降りて歩くか!私達が降りると言ったら運転手
もほっとした顔していた。なに、歩いてみたら流れもあるので、それ程苦しくはない。
人が集中している場所では、中央で何者かが踊っている。道の辻つじに鎮座している神様達には溢れんばかりの花を
たむけ、商店街の真ん中には屋台が並んでいる。かなりいけてない髪留めとか、バンダナに三つ編みがついてる
カチューシャとかを冷やかしながらぶらぶらとしていると、突然人々の気配が変わる。
「クマリだ!クマリが来る!」なに〜?またまたお会いできちゃうわけ〜?
見ると確かに二台の山車がゆっくりと腰を降ろそうとしている。クマリを乗せている山車が今日の仕事を終え、
車庫入りしている所のようだ。あっという間に人だかりが出来る。あやちゃんが、カメラを手に人混みに飛び込んだ。
アイドルのおっかけくらいの迫力があったか。とにかくしっかり見ていないとはぐれてしまいそうだ。
まだあどけない顔のクマリは、2人いた。ずっと神様は一人なのかと思っていたらそれぞれ役割が違うのか・・・、
もしかしたら後一人くらいいるかもしれない。
ラッキーなことに滞在中2回もクマリに出会えたというその偶然に、すっかりいい気分の私達はまた人混みに揉まれ
ながらタメルの方向へ歩き出した。ポツポツと雨が降ってきている。細い路地には地震が来たら木っ端みじんに違い
ない煉瓦作りの家が両側に高くそびえ立っていて、家々の窓からは混雑する小道を面白そうに見下ろす人達の頭が
見える。「うわっなんじゃ!」とあやちゃんが叫んだ。「うわーやだよう〜なんか落ちてきた、冷たい、液体だ〜」
「雨じゃないの?」「雨じゃ無いことだけはわかる、うー想像したくない」ふざけて誰かが唾でも落としたのか・・・。
意地悪く私が笑っているうちに雨雲はどんどん迫り濃くなり、あっという間の土砂降りになった。
わずか50cmばかりのひさしに緊急避難。同時に何人かもひさしの下で足を止めた。バイクに乗っていたカップルも
バイクを置き去りにして飛び込んできた。シーンとしながら、雨が行き過ぎるのをみんなで待った。
みるみるうちに路地は川と化す。
30分ほど立っていただろうか、滝のような雨はどうやら止む気配がないので、どうにかタクシーを捕まえようと
言うことになった。しかし行き過ぎる車にはすでにしっかりと人が乗り込んでいる。
どの車も川となった雨の中をたぷたぷと泳ぐような有様で、車は大丈夫なのか?と余計なお世話も焼きたくなる。
私達の挙手に気付いてやっと1台タクシーが止まった。なんちゅうか、まったく不器用というか気が利かないと言うか
こっちに車を付けろ、と合図したらもじょもじょ動いて、更に遠いところのしかも一番川の深いところで止めやがった。
致し方なくそこまでダッシュでざぶざぶ道を渡り、やっと乗り込んだ頃には、雨宿りの意味が・・・車を止めた意味が・・
と言うほどしっかりと濡れてしまった。こんにゃろー、どうしてくれよう。「タメルまでいくらで行く?」と聞くと、
来たときの3倍に近い値段を言った。「レイン、レイン」と言っている。「だまれ、その半分だって相当な金額だぞ、
はよ行け」歩いたってなんてことない距離。タメルは目と鼻の先なのだ。川のようではあれ、ちょっと走ったら
やっぱしすぐタメルに着いた。「はいはい、これね」と彼の言い値の半分を渡すと「ノー、ノー」と濃い眉毛をハの字
にしてお願いリアクション。ネパール人はこう言う時喧嘩ふっかけるような威圧感がない。だから恐くない。
でも実はそのお願いリアクションの方が気持ち揺さぶられてしまうんだよね。
ただ確かに彼の言い値は異常だったので、「うるさい!ごめんね!ご苦労さん」と車を降りて雨の中走った。
「ノ〜〜!」後ろから彼の声が聞こえたが振り返っちゃいけない。しかし振り返ったあやちゃん曰く
「すぐに白人があの車に乗り込んだから、私達にごねるより良い仕事になったんじゃん」とのこと。ああ良かった。
つーか、全然こっちが正しいのに、なんか悪い事したような気分にさせられて腹立つ。
腹が立って、腹が減った。この雨じゃ、食事に出るのも難儀だなあ。
ホテルのテーブルには赤い箱。2人の目に飛び込んできたのは、そう、清水さんが残していったマクビティビスケット。
口の中がパサパサになる憎いこいつ。昨日まで厄介者だったこいつを2人で奪い合う。きー
はらへった〜と叫びながらシャワーを浴びて、一息ついたら雨もすっかり上がった。
あんなにすごかった川もどこかへ行ってしまった。ふえー、そんなのなんだか嘘みたいだ。



9月11日 カトマンドゥ

 
明日は早朝に起たなくてはならないので、いよいよ今日がネパール最終の日だ。
早めに仕事を切り上げてインド仕込みのアーユルベーダマッサージにでも、行こうではないか!
ところがここはネパール。本来なら昨日終わらせるはずの仕事が今日に押してきている。そりゃどうしても今日中に
終わらせなくちゃならない。何、難しい事じゃない。重たいから預けて置いた荷物を回収するだけだ。なのに・・・
「荷物取りに来たんだけど」と言うと、「今、解る人いないから午後来て」と。で、午後に行くと「うーん、ちょっとわかんな
いからまた後で」と。だいたい、ちっせー店に人が多すぎるんだよ。そんで交替で休みすぎ。だから引き継ぎしきれなく
なっちゃうんでしょ?「・・・あのね、何回往復させるの?私はもう時間がないから。今、何とかしなさい」と怒りのポーズ
をとると、平気な顔しつつちょっと慌ててボスに電話した。ボスは車で飛んできて「ごめんよ!申し訳ない!」と私の手
を取り両手で握手をした。「間に合って良かったです。明日帰るので」と私は笑顔で応える。
「このばかったれ!早く荷物をお持ちしろ!」と言ったか言わずかボスは口早に叱咤し、鍵を放り投げた。
スタッフ達はマジ顔でわらわらと二階へ上がって金庫から荷物を担ぎだす。
私の荷物が置きっぱなしだったからって、ホントのとこボスにとってはそんな事件じゃないのだ。
いわば息のあった芝居というか・・・。ボスは従業員を手早く動かす為、そして私を良い気持ちにさせる為に、
さも特別事件が起きたような、大事なお客様への失礼を悔いているかのようなリアクションをみせる。
私も、さっきまで怒っていたのにボスが来たらとろけるような笑顔で応対する。けしてボスを罵ったり叱ったりしない。
互いをリスペクトしているように振る舞う。そのリズムにスタッフを巻き込んでいくのは、仕事をスムーズに行う上で
実に重要なことだ。彼らはけっこう素直に「ボススゲー」と思う。突然私のために椅子なんかも出てくる。
だいいち、私の荷物の鍵はボスが持ってたんじゃん。そりゃスタッフに荷物がどこにあるのかわかるわけないよな。
それを誤魔化すためにも、ボスは「急げ!たわけ!」と言わずにはおれまいて。
こう息のあった芝居なぞしていると、このボスと私はとても仲良しのようだけど別にそうじゃない。
2年前初めて会った時なんか、カトマンズはまだまだ景気も良くて売り手市場。うちはたくさん買えないから、
ボスの方が全然強い立場でえばりんぼうだった。再会した今年だって、彼はたくさんいるお客の中の一人だった私の
ことなど当然覚えていない。交渉の時「うちは一昨年、お世話になってます。その時これは○○ルピーでしたよ」と
言うと、「失礼しました。そのお値段でやらせてもらいます」と態度がすごく柔らかくなっていた。他のお店もそうだった。
みんなSARSやテロがあって以降、気弱になっている、というかリピーターの重要性に気付いたというか、
接客の仕方が素晴らしく良くなっていた。やっと少し、ゆっくり付き合えるようになったかなと思う。
他のお店でもとんちきなやりとりをして荷物をまとめて、カーゴ屋へ持ち込み、なんとか夕方には仕事が終了した。

 「マッサージ」と一口に言ったって、キレイな看板が出てるわけじゃないし、口コミが回ってくるわけでもない。
清水さん無き後、私達の強い見方は結局「地球の歩き方」だ。鮒に始まって鮒に終わるみたいな。
地球の歩き方のコラムを読んで、そのままそこへ行くことにした。思いっきり地球の歩き方持っててくてく歩いていくと
そこはすでに潰れていた。謎の組織になってた。もう頼る物は何もなかった。
「どうするう〜〜」と言いながら歩いていると、「MASSAGE」の看板。でも入口が見つからない。
その看板を下げているゲストハウスに入って、あのMASSAGEはどこ?と聞くと、「ここだよ」と言う。
どうやらこのゲストハウスの1室を使ってやってるらしい。「そうなの、じゃあね」って帰るのは感じ悪いだろう。
仕方ない値段表でも見て帰るかと思って(すでに帰ることしか考えてないくらい汚い)階段を上がっていった。
机がぽつんとひとつある部屋で、女達がたむろっていた。「マッサージしたいけど、いくら?」と聞くと
プライスリストを指さす。な、なんと全身のノーマルなコースで2000ルピーだ。日本円にして約3200円くらい。
チャーが5ルピーくらいの国ですぜ旦那。つまりすごく高いのだ。半ばほっとしながら「おーこりゃ高い、ダメだ」と
話していると「いくらだったらいいの?」と言う。「1000しか出せないよ」と半値で言ってみたら「じゃそれで」と。
えー、いいよ無理しないで〜ほんとにいいの〜?いいのに〜、と引っ込みが付かなくなった私達は、
ベッドルームへ連行された。汚いカーテンが一枚入口にぶら下がっていたが、ドアは開けっぱなしだった。
窓にはカーテンもなく、暮れゆく街の様子が良くわかったし、子供達の声がすぐ側に響いていた。
「タオル・・・代えましたか?」と言いたくなるようなベッドの上で私達は・・・パンツ一丁。
時々廊下からこの部屋に用事があると思われし男の声がして、それを誰かが追い返している。
気持ちの良い天国と恥辱の地獄はカーテン一枚なのだ。気が気じゃない。
あやちゃんにはベテランのお母さんが付いた。こっちから見てても気持ち良さそうだ。私の方は娘達が2人がかり
で張り切っているが、ちゃんと出来るのは姉さんの方だけで、妹は私の脂肪をふにゃふにゃと遊んでいるばかり。
「そう言うときは、こうやって、ここを押すのよ」などと、時々姉ちゃんが指導している。
「おいおい、練習すんな人の体で」と思った瞬間、あやちゃんの肉をかき回してるお母さんがぱっとこっちに向き直り
「2人でやると気持ち良いでしょう!」と言った。すげえ、テレパシーだよ。っつーか、練習されてるのに料金が
倍だったらいやだなあ。アーユルベーダの流れを引くマッサージは、足の浮腫をリンパに流したり、セルライトを
揉んだりする動きが多い。指圧と言うよりエステのマッサージに似ているように思う(やったことないけど)。
毎日やったらキレイになっちゃいそうだ。セクシーポイント攻撃にホルモンも分泌しそう。
パンツの中に手を突っ込んでお尻をもみもみしたり、あお向けにされておっぱいの周りをぐりんぐりんされたりする。
そう言う意味じゃないのよ〜と思いながら「あ〜あ〜あ〜〜〜れ〜」と言ってしまう。
そしてもみしだいたら、最後に手の甲でさっと施術部分を払う。これは魔除けなんだそうだ。
髪の毛も鷲掴みにされ地肌までオイルでもみもみぶるぶる。薄いタオルに隠されていた私の貧乳もこんにちは。
ああ〜見ないで〜「わーどうなってんだこれ?栄養失調?かわいそうに〜っ」て思ってるんだろうな〜。
はーいフィニッシュ〜!と言われた時には、しまっていた疲れが丁度散らかりだしたような状態で、ぼーっと天井を
見てしまった。扇風機のゆっくり回る汚いその天井は僻地の病院みたいだった。ここはどこ?私はだれ?
よだれ拭き拭き、ゆっくり乳を隠していると、お母ちゃん達がぐずぐずしてる。チップが欲しいのだろう。
しかし1000ルピーでもかなり高いのだ。この際必要とは思えないんだけど・・・。こっちもぐずぐずしてると
「チップー」とストレートに娘が言った。うう、はっきり言われちゃたらしょうがないのでちょっと払う。
ま、危険な目にも遭わなかったし、良かったんじゃない?と言うことにした。
近所のジュース屋で、生ジュースを作って貰ってホテルへ持って帰る。な、なんとザクロ100%がコップ一杯で
60円くらいだ。アーユルベーダの後にザクロジュースで女性ホルモン大爆発。だが使うとこなし。
料理すっかり食う物なしみたいな。


9月12日 バンコク

 
秋物に使う急ぎの荷物を約40kgを抱えて、バンコクの空港を出ようとした私達を阻んだのは税関。
ちょっとちょっと、これは日本で使う荷物だから、ここで税金を払う義務はないんだけどな。
その旨を英語で言うが、私達を通せんぼしてるサモハンキンポーは、それを今ひとつ理解していないご様子。
「だめだめ、待ちなさい」と身振り手振りで。やがて少し偉そうなおじさんが話を聞きに来た。
「もう明後日には日本へ帰るからこれは空港へ預けて行くつもりなんだけど」と言うと、笑顔ながら強い調子で
「とにかく、あっちへ行きなさい」と税金を扱う小さなデスクを指した。「だからさあ、これは持って帰るから」と
言い続けていると「ノープロブレム、ノープロブレム、オッケー」と。何が無問題なのさ。
どうしても通して貰えないので、致し方なくそのデスクへ移動し、誰かがやってくるのを待つ。
大きな荷物を台車に積んで、いろんな国の人が税関を通過していく。何故だ。何故我々は通れない。
私達以外にも、もう一人ビジネスマン風の東洋人がデスクで待たされていた。奥さんは無事に通過している
のに彼だけ引っかかっちゃったのだ。ずいぶんと時間が経ってから、小太りのおじちゃんが書類を抱えてやって
来た。ビジネスマンは荷物を開けて見せていた。プライバシーもへったくれもないこのタイでは、見ようとする
までもなく中が見えちゃう。問題の荷物は、パンツとか、歯ブラシとかそんなもんだ。なのに、彼はお財布から
お金を出して支払いをしている。ぬぬぬー?
彼と私達の共通点、それはロイヤルネパールを利用してここへ来たと言うこと。
確かにインド系の人らはここで売りさばくための荷を担いで来ている。だけどよりによって私達とはこれいかに。
数日滞在でインド顔になったとでも言うの?やがて私達がアゴで呼ばれた。「荷物の重さを量って、申告しなさい」
アゴが指した向こうにでかい体重計があった。そこに荷物を乗せまた台車へ乗せ、おっちゃんの所へ持って帰る。
18kgと17kgだ、と適当に言うと「ドットポイントは?」と、18.5とか18.8とか、かなり細かい数字まで求める。
だったら自分で見に来ればいいじゃねえか。言い替えるのも変だし「間違いありません」と言うと、
書類に汚い字で18kg17kgと書いた。
「あのう、すみません。私達は申告が必要な物は持っていません。何が問題なのですか?」と聞くと
「じゃ、聞いてくる」と、さっき私達を制止したサモハンキンポーの所へ行ってしまった。
またしても長い時間が過ぎていく。時は金ナリと言うではないか。もう何でも良いから早くして。
今度はちょいと若い小太りがやって来た。おっちゃんから詳細は聞いているのかと思いきや、手が空いてるから
来ただけというご様子。私は英語でゆっくり「何故私達を止めるのですか?他にも多い荷物の人はたくさんいます」
と言った。兄ちゃんはうんうんと聞きながら、荷物の中を見て、書類に「ウェア」と書き、
「じゃ、聞いてくる」と去っていった。オー、、、オーマイゴー・・・・。もう待てねえ、待てねえよ、逃げても追うなよ!
こちらの心知らず、楽しそうな小走りで小太りのおっちゃんが帰ってきた。
また「ノープロブレム!」を連呼している。そのノープロブレムはノーミーンでノーリーズンだよな、ホントに。
帰してこれなきゃ意味無いっつーんだよ。埒が明かないので、私は壁に書かれた税関の注意を読んでいた。
そこには荷物預けた際の、料金が載っている。1泊40バーツ。空港の荷物預かりは1泊60バーツなので、
あれ、ちょっとお得だ。なんて考えてるうちに保管庫の鍵を持ったおじさんがやって来た。
結局、荷物は持って出られないけど、税金は払わないで済みそうだった。
でも、何でひっかかって、何で払わないで済んで、何で置いていくのかは誰も説明してくれない。・・・もういいや。
どうせ預かって貰うなら、フットワーク軽くしたいからいらない物全部預けたいな・・・
「ねえ、ちょっと荷物を作り直したいんだけど、いい?」と聞くと、元気に「いいよ」と。
助かるけどさ、さっき重さ計った意味はどうなるのよ。あやちゃんと2人でリュックからタイではもう着ない暖かい服や、
お土産やなんかを出し放り込んだ。恐らく20kg超えただろう。でもそんなこと、保管庫のおじさんには関係ないのね。
「はい、行きますよ〜」と荷物を担がされてそこへ行った。広い倉庫の中は、旅行者から取り上げた荷物でいっぱい。
「はい、ここに置きなさい」なんと、荷物を預かるのに荷物番号もないし、日付け棚でもないのだ。
何の個性もない買い付けバッグは、誰が間違えて持ち出しても不思議ではない。私はリュックから南京錠を取り出し
荷物のファスナーに付けた。そして2個のバッグを自転車用のロープキーでバラバラにならないようにくっつけた。
泥棒には無意味だけど、間違え防止にはなるだろう。おじさんはまとまった荷物を一瞥しただけだ。

身軽になって気軽になって元気いっぱいアンパンマン。
タクシーを拾って市内へ。
しかし、なんだったんだよ。荷物心配だなあ。絶対責任取ったりしないもん奴ら。

大雨の中、取引先に荷物を取りに行くと、発送を終わらせて置いてくれるはずがまだ荷物がそこに・・・。
仲の良い友達なのだが、仕事は仕事。強い態度でビビらせる。でもビビってなかったかも。
空港で重さを量ったお陰で、かなり詳しく自分たちの手荷物の重さが分かっていた私達は、取りあえずタクシーに
荷物をつっこみ、明日朝早く郵便局から自力で発送することにした。



9月13〜14日 バンコク

 
荷物の発送なんかしないで、今日はエステしたり、マッサージやったり、美味しい物を食べるだけの日と
決めていたのに!!たまたま引き受けてしまった仕事もこの日まで押せ押せになってしまっていて、
朝から仕事せざるを得ず。ああ、早くしないと自由時間がなくなっちゃう!急いで帰ってきて、ランチはフカヒレ。
と決めていたのに、フカヒレ屋が移転したらしくない!仕方がない、時間がない、超普通に麺を食べた。
また駆け足で予約していたハナコトーキョーにてフェイシャル、行き当たりばったり中華系のお店でネイルと、
まるで何かのノルマのように「満喫」をガツガツ。心なしか疲れで突然睡魔が襲ってきたりするが気にするな!
この調子で、夜はいざベンジャロンでディナー!
それにしても何にしても、今ひとつなのは、ドレスなのに電車で移動。ドレスなのに山男サンダル。
なんだ、その辺はマイペンライじゃないのかタイ人。視線を感じてしまうのは自意識過剰だからか?
山男サンダルでドゥシタニホテル内ベンジャロンに到着。聞きしに勝るキレイな高級レストラン。
そして山男サンダルにも優しい。しっかし参ってしまったのは冷房だ〜。
おもてなしの心は冷房がいかに低いかによると言われているタイだが、かつてこれほどまでに辛かったことは
あっただろうか。あ、あった国内線のロビーだ。それくらい(っておどれくらい?)寒い。あやちゃん唇むらさきよ。
味がどうだったかも定かではないくらい半冷凍人間。
冷たくなったあやちゃんの肉をさすりながら、また急いでタクシーに乗ってホテル近くのマッサージ店へ。
「寒いのだけは嫌いよ」と口を酸っぱくして言うと、「オッケーオッケー」と冷房を切ってくれた。
施術する人は暑いのに、悪いなあと思ったとたん、30分もしないうちに暑がりのおっさんが登場し冷房作動。

ああ、くつろぐってどうやったら良かったんだっけ・・・・。これじゃいかん。永遠の課題だよ。


もう、UAには乗るまいと心に決める深夜、いや早朝?まあ、毎回思うんだけど乗っちゃうんだけど。
だってこの冷凍人間になった夜と朝がくっついちゃってるんだもの。朝の4時にはホテルを出なくちゃなんない。
深夜のタクシーはさすがに不安なので、ホテルで用意して貰うし1泊分のチャージは払わなくちゃなんないし、
その分でTGにすりゃ良かったと思うんだけどねえ。今回は特典チケットだったから文句も言えないか。
空港はこんな時間にも関わらず、それなりに人も多い。UAのカウンターは厳しく荷物チェックを行っていたので
行列が出来ていた。それもそのはず2001年の今頃はUAが世界貿易センタービルに突っ込んでいるのだ。
日本人には日本語で審問をしてくれるのだけど、何度も言い過ぎたせいか間違ったまま覚えちゃっていて
所々が○×◆☆。笑っちゃ悪いが。これまたノーミーンだ。でもノープロブレムなのか。
そう言えば、例の荷物はいつ何処へ運ばれるんだろう。
一度自分の目で確かめておきたいので、チェックインの際に「機内で着るカーディガンを取り出したいので、
荷物は自分で取りに行きたいんだけど」と言ってみた。「じゃ、この人に付いていって下さい」と案内される。
空港の裏をどんどん歩いていく。いわば舞台裏だ。いろんな人が働いている。地下組織みたいで面白い。
長い廊下を歩いて、エレベーターのって、いくつも扉を開けて、ぽっと出たら、そこは見覚えのあるあの保管庫。
お兄ちゃんは鍵を開けると、手振りで「どうぞ」と中へ入れてくれた。自分たちで荷物を選べと言うのだ。
うう、とうとう荷物に番号なんてないのが確定したぞ。「これです!」と言うと、何の確認もせず運び出してくれた。
預けたときと同じように、「荷物入れても良い?」と聞くと「オッケーオッケー」と言う。
これまた最初に重さ計った行為が意味不明。お陰様で助かりますが。
紛失物の確認をしながら、カーディガンを取り出し、いらない荷物をまた中に放り込んで再度施錠。
UAのお兄ちゃんは、軽々と2個の荷物を持って笑顔で消えていった。
立ち会いのもとX線すら通すことなく。 いいのか!  いいらしい・・・。


気楽なタイが好きだけど、気楽がストレスになってしまう辺り、つくづく自分は日本人だと思ってしまう。
と、思った矢先に成田で予約していたタクシーの時間を間違えて怒られた。大人なのに怒られた!
時間で怒られるなんて日本人としてやばい。タイ人にもなりきれないのにやばいやばい。
日本人の良いところとタイ人の良いところがない人、という人に一歩近づいた秋の夕暮れであった。






もうけっこう
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