◆過去小事
2005.10

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「裏小事(占い付き)」


11月28日

ツルツルピカピカどころか、ずたずたボロボロになって帰って来た。
なーぜー、こんなに疲れているのだろう〜

10数年ぶりに会う人も居て、さぞかしハゲ・デブが増えているだろうと思っていたが、若干のハゲ以外は
誰もたいして変わることなく、最も変わらないのはそのパワフル度。いや〜パワフル。
学生時代の様に、相手を批判し叩きのめすようなリアルタイムのテーマはなく、終始笑顔で話す事が
出来たのが救いだった。今の私の人間性がバレなくて本当に良かった。
相変わらずタバコの煙もうもう、酒瓶転がして朝まで生討論。
昔は子供の入る余地のない、大人の聖域だと思っていたが、今回は子供を連れて来ている奴も多く
やってみりゃなんて事なく子供も馴染んでいて、「大人の聖域」だと思っていたこと事態が子供で、
子供のままだから子供も全然オッケーなのだと分かり、ひとつ大人になった。
見た目はヤクザの親分か、現場の親方に見える我らが「教授」もこの日69才の誕生日を迎え、またひとつ
大人になった。子供達が運んだロウソク付きのお誕生ケーキに目を細めて、まずそんなかわいらしい事を
する場ではなかったし、そんなかわいらしいサプライズに嬉しそうにしちゃってさ、ヤキが回ったんじゃねえかと
心配になったが、受け取ったケーキをフォーク待たずに素早くがぶりつくところを見て「変わりなし」と一安心。
翌日の朝食では、「このマヨネーズはかけてもかけても一向に味がしない」と言っており
その容器を確認するとマーガリン。「これマーガリンだよ」と私が言うと「そうか」と言ったきり、周りの爆笑に
対して一笑することもなく、意に介さずなのか不愉快なのか無言。その無言が意味不明の大迫力。
やはり「変わりなし」と一安心。こわい。

「労働とは何か」とか「社会と折り合いをつける」なんて、働きもせず社会も知らずに机上の空論を
展開し続けていた社会性のない私達が、人の親になる年齢になってフタを開けてみれば、
生活に関わる役割を固着せず父も母も一丸となって糧を得、家事をし、伸び伸びと子育てをしている。
お父さんだけで子供を連れてきたのが二組もいた。その逆で子供を置いてきて飲んだくれていたお母さんが
一人。夫婦で連れて来た組は、うまく入れ替わり立ち代りしながら場を楽しんでいた。
どれも母親一人で子育てをしておらず、父親が子供に日常から親しんでいる事がわかる。
各家庭によって父母の関わる子育て比重は異なるし、父さんは「絶対」と言う父権重視の家庭もあれば、
「お父さん」「お母さん」とは呼ばせず名前で子供と付き合うレッテル放棄の家庭もあり、そのやり口は
それぞれだけれど、どの家庭の両親も自分の子供がどんな子か夫婦が相互に理解をしている。
それが家族で完結してしまうのではなく、子供が生きていけるだけの環境や地域社会を夫婦共通の
ビジョンを持って求め、関わっていこうと努力もしている。
ある女友達は、よその悪ガキと取っ組み合いの喧嘩をすると言う。「大人をなめるな!」と近所の子供を
叱り飛ばし「鬼」と恐れられている。それは私が将来なりたいものベストワン、憧れの「近所の頑固親父」
じゃなかろうか!それもこれも「自分の子供が地域で生きる為に必要だからやっているだけ」と言うが、
彼女はそんなキャラじゃなかったはず。むしろ揉め事を好まない静かな人じゃなかったか。
私もコンビニでスーパーカップの空容器を散らかしながら、うんこ座りする中学生を常に叱り飛ばしたいが
小さく「チッ」としか言えない。もちっと見た目に迫力が出たら臆せずやろうと思ってはいたものの、同じ年で
清楚な姿の彼女がやると言うのだから言い訳できない。もし自分に子供があれば出来るのだろうか。
いや、多くの親が子供への仕返しを恐れて余計に縮こまるのは想像に易い。大いに叱るのも、萎縮するのも、
子供はその大人の後姿を見ているのではないかと思う。彼女が日々「正しいこと」を諭していけるのは、
共通の理解を持っている夫の存在があればこそだろう。このお父さんになった彼だって、トラブルを避け
見なかった事に収めるグズグズしいではなかったか。まあ痛快で素敵な大人になったもんだ。
子供は未知の世界へ大人を連れて行く。得意不得意ジャンルに関わらず、それは修行の様だが
知らずに終わったはずの喜びももたらしてくれるだろう。「あんな奴」や「こんな奴」が子供に辛抱強く優しく
接しているのを見ると、隠れていた資質や人としての成長を見る思いだ。
それも私達が早くに出世したり出来ないダメな子供だったから、ゆっくり大人にさせてもらえているのかもね。
将来そんな一風変わった親達に居心地の悪さを覚えたり、戸惑ったりする事もあるかも知れない。
やがては家庭内暴力を起こしたり、引き篭もったり、警察のご厄介になったりすることもあるかも知れない。
けれど、どんな事もそれは過程に過ぎなくて、一生懸命楽しく向き合った長い時間は、きっと子供達を面白い
大人にしてくれるんじゃないかと、密かに期待している。
と、よそのおばさんの感想。

そして、おばさんはこれからコンビニへ行ってきます。
武勇伝はまた。

11月24日

だいぶアップに時間が開いてしまった!すみません!
今日は、昨年大人気だったアイテムをどーんとアップしました。
実は今年ちょっと卸値が上がっているのですがお値段据え置きです。
そして、なんだかんだ今年のネパールニットのアップはおおむね終わりました。早いなあ!
後一点で終わりかな。こちらはかなりの防寒品なのでもうちょっと猶予があるかと・・・。
作業が壮大なスケールなので、来週ゆっくりアップしようかと思っています。
か、買い付け日記もアップしないと・・・

今週の土曜日、学生時代の友人達と箱根の温泉に行ってきます。
なので、発送、メール連絡はお休みです。
ツルツルピカピカになる!温泉に対するこの意気込み、今から鼻息が荒いのであります!

11月17日

昨日、一昨日とお休みを頂きました。
母の姉、私にとっての叔母が亡くなって、通夜・葬儀だったのです。
母とは一歳しか違わず、まだまだ若い64歳。
恐らく相当具合が悪かっただろうけれど、心配かけまいと黙っていたのでしょう。
我慢強さがたたって、分かった時にはもう末期の癌でした。

叔父はもう退職していたので、夫婦二人の静かで激しい闘病生活。
40年と言う長い夫婦生活は、いつも円満だったわけではなく、行き違いも愛憎もあったに違いないのだが
今までの事はどうであれ、元来マメな叔父は完璧なまでの看病をした。
寝具の周りはきれいに整えられ、叔母はいつも清潔に横になっていられた。
2分しか立っていられない叔母と、肘の故障の為2分しか叔母を抱いていられない叔父。
だからシャンプーやせっけんを付けてから叔母を抱き、わーっと洗うシャワータイムは2分。
便秘すると足がむくみだすのを知って、便秘の日数を数えリミットを感じると
トイレにパッドや洗面器やタオルやいろんな物を揃えてから、叔母をトイレに連れて行く。
叔母は立つことよりも座る事が辛いので、立たせて抱いたまま浣腸をするのだ。
立ったままだから薬液が流れしまう。肛門を手でしっかり押さえて、頃合をみて便座に座らせていた。
短いながらも、毎日、毎日、そうやって過ごし、叔父は「楽しかったよ」と言う。

母にとっては姉、いとこ達にとっては母、叔父にとっては妻。
人は関わるだけ、誰かの大切な人になる。
大切な人には出来るだけの事をしたいと誰もが望んでいるだろう。
しかし望んでも、時間も体力も付いていかないのが現実だ。
母とひとつしか違わない叔母の死は、介護の美しい物語としてではなく私の胸を打つ。
叔父と同じ様に親を看取る自信が私にはない。本当に子供などあてにならないと思う。
私には子供がない。もし子供がいても、自分の介護に人生を大幅に費やすなどと言う事をしてもらいたく
ないと思う。ありがたいことに健在な4人の親達もきっとそう思っているだろう。
しかし、現実にはこの4人の親にはお金で自分達を支える資金もなく、元気にハッタリかましてるだけだ。
カエルの子はカエル。とんびが鷹を産むわけもなく、私達の生活ぶりも似たり寄ったり。
つまり素敵な有料老人ホームに入れる道は、すでに閉ざされている。
考える事を先送りにしていた親の老い。自分と相方の老後。
どうしていいか解らないが、実はあまり考えている時間もないのだ。
とりあえず、五億円をキャリーオーバーしているロト6を買った。ちょっと祈った。
本当に子供などあてにならない。

小さい時にはずいぶんとかわいがって貰った。
お泊りに行った夜、布団の中で足の関節が痛くなってしまい眠れずにいると、そっと叔母が来て
眠りにつくまでずっと足をさすってくれた。
師走の時期には寒い寒い魚屋を手伝いに、毎年かかさず来てくれた。
ふっくらとして、とても優しい人だった。
その彼女が骨と皮だけになって、80のおばあさんみたいになった。
叔父が退職して、これから二人でやっとゆっくり旅行にでも行こう、そんな年頃なのに。

叔父は亡骸に、何度も「ありがとう、ありがとう」と言っていた。
素直に言えた叔父の淋しそうな後姿を、幸せだと思った。
この叔父が倒れたらどうなるんだろう。
「あんた達がしっかり看なよ」と、簡単にいとこ達に言えない。
同じ年のいとこに差し向ける言葉は、自分に差し向ける言葉だ。
頑張って生きてきた人に、敬意を表するような、誇り高い最期を迎えさせてやりたい。
そう願っていないわけはないのだから。

11月8日

鍋の季節になりましたな。助かっちゃうのよ鍋。
うちでは昆布を放り込んでおいた鍋を沸騰させて、なんでもかんでも入れて食べる水炊き。
罪悪感があるので言いたくないが、近所のスーパーに4人家族分くらいの鍋用野菜セットがあるので
最近ではそれを買ってきてしまう。ちょっと割高だけど。後はお魚やお肉をその時の気分で買い足す。
いつダーちゃんが飲みニケーションに行っちゃうかも分からない。いつままかが忙しくなって晩御飯を
作れなくなるかもわからない。切りっぱ野菜を買うなんて台所の担い手としてはお恥ずかしい限りだが、
たくさん野菜を買っちゃって、それに追いかけられるよりはずっと無駄がないと考えている。
野菜セットがあれば、もう切るという作業すらやらないのでまるでインスタント食品のように簡単。
バランスはばっちり。何もしていないのに手作り感があり、最後にぞうすいでも作ればご馳走気分に
すらなれる。ビバ鍋だ。いや切りっぱ野菜? 気が付くと、もう毎日のように鍋。これが不思議と飽きない。
水炊きに飽きたら、味噌味にしてもグー。豆乳もいける。ブラボー鍋。
そんな素敵な鍋だけど、子供の時は嫌だったなー。湯豆腐なんて、がっかりだった。
大勢で囲んで食べる鍋は格別だね、なんて今は言うけれど、子供にはそのワビサビが分かっちゃ
いなかったねえ。うちは魚屋だったからタラとかあんこうとか、今思うとご馳走鍋だけど、子供心には地味で
冴えない料理に見えたんだよね。それでなくても食が細く、何も食べないので大いに母さちこの手を煩わせ
た私。「は〜あ〜鍋か〜」となったら一応「取るぞ〜」の姿勢になるが、全然箸を動かさない。
鍋よりキライだったのは焼きそば。全国の子供にえー!って言われそうだけど、焼きそばだよ。
色が茶色いのがもうゲンナリだった。でもカレーは好きだったから茶色の食べ物がキライなわけじゃ
なかったのかも。焼きそばの時は寝たフリして、おふとんまで連れて行ってもらうよう仕向けていた。
焼きそばだったら食べない方がましだったし、お姫様抱っこで運んで貰う方がよっぽど楽しかったのだ。
そんな私も、ちゃんとしてないけど一応大人になり、今は鍋も焼きそばも好きです。
その時に食べなかったせいでリバウンドが起きているのか、インシュリン値がどうかしちゃったのかどうか
知れないが、今はよく食べ更に食べた以上に大きくなっていくと思われ。お姫様抱っこから転げ落ちても
食べ物に向かって行く気合充分です。
そんな話をしているうちに、ダーちゃんから「Mさんのお誕生日会をする事になったので遅くなります」と
メールが入った。40過ぎのおっさんがお誕生日会でもなかろう。飲む理由はなんだって良いのだな。
すみませんMさん、人身御供にしちゃって。

今夜も冷蔵庫には鍋セットが用意してあるが、これはまた明日。


11月2日

明日って祝日だったんだ。全然わかってない。慌ててちょこっとアップ。

今月のどっかで大学時代の友人と温泉旅行に行く事になっている。
温泉旅行なのに、つい「合宿」と言ってしまう。いったい何歳のつもりなんでしょう。
行方不明の友人を幹事が探していたので、ちょっと検索してみると程なくヒット。2人見つけてしまった。
珍しい名前の人はそれだけで。彼といえばコレ、とやってる事に特徴のある人はそれと姓だけで。
例えば「イラスト」「桜井」みたいに。2人とも写真つきで出てきてしまった。
やややや、恐ろしい、いやいや便利な?ネット社会だ。悪いことは出来ねえな。
無事にこの2人とは連絡が取れ、一緒に合宿に行く事にあいなりました。

ところで、皆さん自分の名前を検索してみたことってありますか?
自分ではない、自分と同じ名前の人が何をしているか・・・姓名判断なんて信じていないけれど
私の旧姓と同じ人は絵を描いている人が多いみたい。社長もいました。←社長だぞ!へぼままかだって
ダーちゃんと同じ名前の人はエンジニアの偉い人とか。
なんか、やってる事が似てるような気がするんだよね。
名は体を現すってこのことかしら。
引退モデルの豆田さんと同じ名前の人は空手家、柔道家でした。
体つきはきっと似ている事と思われ。しかしその精神は・・・見習ってほしいぞ豆田!


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