新鮮味のなくなったベトナム
エステ三昧、下し放題のバンコク
せつないネパール


第15回 タイ・ベトナム・ネパールの巻



8月27日 成田→バンコク

私はマイラーだ。無駄に飛行機に乗ってるわけじゃないぜ。
今回はコツコツ貯めたマイルで搭乗。それもビジネスクラスだ。
UAの便は帰りが大変。早朝6:30の飛行機に乗るためには、空港へ4:30に着いてなくちゃいけない。
寝るのも半端だし、空港で遊ぶにも半端。かなりだるい状態で日本へ到着するのが本当に嫌だった。
だから私はTG派なのだが、TGのマイルは有効期限があるのでうかうかしてると大損する。
そこでTGのマイルもUAに貯め、UAのビジネスに乗ろう、と。ビジネスなら足を伸ばして眠れる。
ついにその日が来たのであった。やったー、ビジネス!
成田空港、ファースト・ビジネスのラウンジはタダ券でびくびくしてる私も大事に受け入れてくれた。
広い。こんなに奥行きあったのね、と感心。
ドリンクと軽食のカウンターにはたくさんのお酒やクラッカー、チーズ、果物などが並んでいる。
小腹が空いていたので、何か食べよう・・と思っていたら、丁度バナナが出てきた。それぐらいがいいな、と
思いながら、すぐに駆け寄るのが躊躇われ、取り合えずラウンジの全てを見てやろうと一周する。ふうん。
ネット回線が繋がるデスクや、フリーの電話などが設置されている。ふうん。
じゃ、バナナ食べよう〜と思って戻ったのはおよそ2分後。
・・・ない!ないない!バナナ!
バナナ出たとたんに争奪戦だったのか?まじ?
見ればテーブルの上にバナナの皮を乗せている人多数。それも一人で何本も。まだモグモグしてる人も。
金持ちはケチだ。ちょっとラウンジを出ればお寿司屋さんもあるし、売店もあるじゃないか。
あたしはねえ、金持ちでここに来てるんじゃないのよ!マイル貯めてやっと来たの!
それもこのラウンジじゃファーストがいる以上ビジネスは最下層!タダ券の最下層にバナナ譲れ!
あまりに腹立たしかったので、豆田にその事をメールする。豆田はダイエット中だというのにじゃかりこを
食べながら24時間テレビのマラソン中継を観ていた。じゃかりこでもいい!と苛立つ。
暇だ・・・暇なのでいろんな人に暇だとメールする。メールの文末にはみな「気を付けて行ってらっしゃい」と
ありがたいメッセージ。と、言うかそれを書かれてしまうともう話が続かないじゃないか。暇なんだって。

ビジネスに乗り込むところをエコノミーの奴らに見せびらかしてやろうと思っていた。
だららら〜〜んと長蛇の列を作るエコノミーを尻目に、颯爽とビジネスラインからご搭乗。
なのにくだらないメールを書いていたら、エコノミーの奴らがいない。もう乗り込んじゃってた。しまった!
座席へ着くと、隣の席はお金持ちそうなタイ人夫婦。おっきなお団子頭の奥さんが、椅子に内蔵されている
テレビの出し方を教えてくれた。一目で使い方は解ったのだが、奥さん、チャンネルの替え方まで丁寧に
ゼスチャーで指導、最後には「これを観ろ」とばかりにチャンネルまでを決定してくれレクチャーが終わった。
あまりの迫力に得意のタイ語が一言も出なかった・・・。
椅子はフカフカ。映画は選び放題。スッチーは優しい。晩御飯のタンドリーチキンは馬鹿でかい。
     す・て・き・・・・・・
うとうと夢を見ながらあっという間にバンコク到着。ああ、もっと乗せさせて。
イミグレへ行く途中、カメラ数台と慇懃な青年達が私を取り囲んだ。
ビジネスに乗ってるうちに偉くなったのか??と思って困っていたら、私の横をすり抜け後方へ。
見ればあのおっきいお団子の奥さん夫婦が写真を撮られ、バッグを預け、VIP抜け道へ消えていった。
とても気さくな感じだったが、えらい人だった模様。
ああ、私のとぼけたタイ語でも披露していれば「こいつ面白いな、よし、ひとつわしの館に来なさい」とか言って
「小遣いだ、車も使いなさい」なんて事になったかも知れないのに!
ビジネスに乗る時は、自分が偉そうなだけでなく、周りも偉い人なので一生懸命仲良くなる努力を
しなくてはいけないな、と学んだ。

そして安宿へ到着・・・・ひゅ〜



8月28日〜30日 ホーチミン

ベトナム航空の手違いで私の席はオーバーブッキング。で、ビジネスに乗せてもう。
今旅中、まだエコノミーに乗っておりません。

えー、そして二泊三日のホーチミン。事件が起きる間もなく終了。
えー、まあ事件といえば日本帰国後に発覚。市場で生地を選びサンプルを作製するのだが、サンプルの上がりが
遅すぎて、発注掛ける頃には全ての生地が販売終了。あんなにあった生地が完売。どのサンプルの生地もない。
つまり、ここ2.3日暑さの中でやってきた事、ここへ来た意味、全てパーです。パア〜 アハハハハハ(泣



8月31日 ホーチミン→バンコク

バンコクのホテルで清水さんと合流の予定。清水さんはネパール通なので夏休みとひっかけて来てもらったのだ。
心強いことしきりだ。翌日の朝には再度空港へ向かうため、空港からさほど遠くない、しかし夜ちょっと遊べる
ラチャダビセーク周辺で宿をとった。この辺りは何もないが、地下鉄が通ったのでアソークなんかがとても近く
なったのだ。何しろ、今回バンコクでは暇さえあればエステをしよう、死ぬほどしよう、と言う目論見がある。
アソークにはエステやマッサージがいっぱい。到着日の夜、くたくただって1回はしよう!と心に決めていた。
待ち合わせ場所はホテルのロビー。やや渋滞はあったものの約束の時間前には到着。
しばらくロビーで本を読んでいたが、スーツケースを持ってチェックインもしない私はちょっと不審。
なのでフロントに「実は友人とここで待ち合わせをしてるんだけど、チェックインはしてるかしら?」と尋ねてみた。
フロントは「はい。チェックインされてますね。鍵を持ってお出掛けされているようです」と言う。
おい、部屋をシェアするのに鍵を持って出るなよ・・・。またロビーの椅子に戻る。
40分程待っても清水さんが来ない。フロントが気にしてベッドメイキングの女性を呼んでくれ、部屋へ通してくれた。
部屋に荷物を置きトイレを済ますが、待ち合わせはロビーなのだ。今着いたかも、今着いたかも、と思うと
ゴロゴロしてもいられない。意を決してもう一度ロビーへ戻る。オートロックなので一度出たらまたベッドメイキング
の人に来て貰わなければ部屋は開けられないのだ。
このホテルは安くて綺麗で夜何もなさすぎで安心だからだろう「はじめてのタイ旅行」にはうってつけ。
ツアーが押してるらしく、初々しいヤングなジャパニーズがたくさんいる。みんなガイドブック片手に、恐る恐る
街へ繰り出していく。もう夕闇も迫ってきてそんなに遠くへ行けないのか、誰もが2.30分で一度戻ってくるのだが。
だから何度も同じ人と出くわしてしまう。すでにロビーで1時間半座っている私を誰もが心配そうに見ている。
そうだろう、私も不安です。どこへ行ったか清水さん。
すると走るでもなく、焦るでもなく、揺れる巨体がホテルに向かって来るではないか。アー良かった!清水!
姿が見えた瞬間に70%くらいほっとした気持ちが強くて怒っていなかったのだ。
しかし「ごめんねー」と聞こえるはずと準備していた耳に聞こえてきたのは「あ、違うの違うの」
「なんかねー、時間通りに終わるって言ってたんだけどねー、全然終わらなくてー」コラ!謝れ!
しかも、なんと一人でエステ行ってたのか!プリプリしながら「何時に行ったの?」「4時」待ち合わせは6時30分。
お前なめてるのかタイを。どんな仕事も2時間なんかじゃで出来ない国民性を!バンコク慢性渋滞を!
「何で電話して来ないの?」「なーんか私、電話通じないんですよね、昨日もダメで〜」
私、電話通じないって・・・?
どう言う訳であなたをタイの電話局が拒否しているのか解らないが、日本人経営のエステにいたのだから
そこから掛けてもらえば良いだろう。なんの為に私は携帯持ってるんだ!「あ、そうだね」
言い訳ばかりして謝らない。ついブツブツ言い続けていると「あー、もう言わないで!はいはい、もうお終い!」と
言い放った。この野郎・・・エステ後のツルツルプルン顔しやがって!あたしの行く時間がもうないじゃんか!
私だっていつまでも怒っていたくはない。謝りはしないのだが、申し訳なく参っているのは分かった。よし解った!
じゃー、ばんこくガイドで見つけたスクンビッドの高〜いご飯を奢って貰おうじゃないか。それで終わりだ。
終わりだ、と言ったのに、まだここに書いている。そしてこのネタで10年は引っ張る。むしろ良いネタを拾って
一生上に立った気分。悔しかったら私に落ち度は見せるな。

高いレストランにはお客がいなくて、私たち2人に全従業員がかかりっきり。お姫様状態。
タイ舞踏のライブもついて、味もなかなかのものだった。しかし高い。日本の居酒屋くらいする。
日本に到着して間もない頃に行くことをオススメします。現地価格に馴れると「高い」を連呼しそう。
男の人でも大丈夫なくらいボリュームあり。朝から何も食べずにお腹が空き過ぎていた清水さんと、
怒りのアドレナリンで胃を満たしていた私には、コース中程から罰ゲームみたいになった。




9月1日 カトマンズ

到着早々、清水さんのお友達に会いにパタンへ。
清水さんは、若い頃ネパールにホームステイしていた事がある。苗字でカーストや出身地がわかってしまう
ネパールは、小さい国である事も手伝って知り合った人は必ずと言っていいほどお友達のお友達。
ネパールに滞在していた清水さんには当然たくさんのお友達がいるのだが、これから知り合う新しいお友達も
もれなくお友達のお友達。「○○って知ってる?」「えー知ってるよ。ベストフレンドよー」←(誰もがベストフレンド
なんだよ、なぜか)と、口を開けばお友達の輪が広がっていく。家族や友人との繋がりをことの他重んじるネパール人
を相手に、義理人情に厚い江戸っ子清水さんが絡めばお土産の山と約束の連絡網が動く。
今夜お呼ばれしてくれたのは、清水さんが学生時代、日本で一緒に青春を送ったアルニのお家。
アルニには妹がいて2人は同じ日に合同結婚式をあげ(姉妹一緒って多いらしい)ほぼ同時期に出産。
その赤ちゃんが初めて食べ物を口にするパーティーが今夜開かれるのだそうだ。
日本で言うところの「お食い初め」だね。
約束の時間は特にない。夕方にでも来なさい、と言われタクシー飛ばしてパタンのゴールデンテンプルへ。
たくさんの神様と暮らす街。ネワリー族のアルニの家は神様に囲まれるようにそこにあった。
頭をぶつけそうな木戸をくぐると、ひんやりと懐かしい匂いがする。坪数の少ないこの家は上へ上へと建て増され、
細く長〜いお家になっている。アルニ家が特にお金持ちだと言うわけではない。一般的な家庭だけれど、ご両親が
とても教育を重んじていて、子供達のほとんどを日本へ留学させた。だから家族みんなが日本語を話せる。
初めてお会いする私としては大変心強い。「へっへっへ、ム〜ギ〜チャッ」と言いながらお母さんが麦茶を運んで
来てくれた。お母さんは日本にご縁のある環境の中で少しずつ日本語を覚えてしまったらしい。話題が冷えると
「オナカスイタ」とか頃合を見計らったように「イク?」とか、時々会話の中で日本語単語の合いの手が入るのだが、
それがまたなんとも言い得て妙なので、勘とヒアリング能力はすごいと思われる。
颯爽とタクシー乗り付けて来たものの、何がこれから始るのか、どうしたら良いのかまるで分からない。
ネパール人はおうちに人をご招待するのが大好きだ。思えば渡航する度に誰かのお宅へお邪魔している。
共通して言える事は、「えーっと何で呼ばれたんだっけ?」となること。とにかく時間がたくさんあるので
目的を見失いそうになる。と、言うか呼ぶほうがそもそも何の目的もなく呼んでいる事が多いのだ。
今回は目的がはっきりしていてそれを待っているわけだが、でも待てよ?自分の勘違いでもしかしたらこのまま
今日は何もないのかもしれないなーっと思うくらい、その待ち時間が長い。
日本人は時間をタイトに使うし、家へ招待する時にはその明確な目的を遂行する。日本人には人と会う為に
何か「理由」が必要なのかも知れない。でも、きっとネパール人は会う事自体が目的なのだ。待ってる時間も
それはあなたと会っている素敵な時間と言うわけだ。どうにも日本人、せっかちでいけません。
しばらく赤ん坊をいじくり回していたが、パーティーはまだ先の気配なので、主役の赤ん坊にプレゼントする
おもちゃを買いにもう一度街へ出た。ピンと来るものもなく15分程で帰宅。更に持て余し気味でいると、
いよいよ家族が着替えに入った。いやはやのんびりしてます。
ネワリー形式のそのパーティーは、一晩中と言って良いほどの時間を用意し、知人と言う知人が思い思いの
時間に好き勝手な様相でやって来る。今日は公共の場所を借りて、そこに料理をケータリングしているのだそうだ。
会場に着くと清水さんの懐かしい友人達が顔を揃えていて、清水さんは電池が切れる限界まで興奮している。
一度、針が振り切って脳が空白になっているのを確認した。そんな人が私を構えるわけがなく、ほったらかしに
された私はさてどうして良いかわからないが、日本人がそうそう立ち入れる場所じゃないのでいろいろ観察していた。
見兼ねたアルニやアルニのお兄さんに嫁いでいる日本人の佐紀さんが話しかけてくれた。
好きなだけ歓談してお腹が空いた人は、ケータリングの部屋へ行き料理を取って食べる。
なかなか美味しいので、もうちょっと食べようかなと席を立つと、清水さんが「お皿を替えてください」と言う。
一度使ったお皿は使い回しせず、椅子の下へ置いておく。もっと食べたい時は新しいお皿でまた料理を選ぶの
だそうだ。清水さんのつたない説明では理解しきれないが、つまりここにも「穢れ-ケガレ-」の精神が働いている
のだろう。ケータリングに支払う代金はこの皿数だと言うからこれにも驚いた。
そうか、ご家族のお支払いを考えたら、なるたけ一皿にたくさん盛って食べた方がいいんだな。なんて
そんな事を考えていたら、周りの人達がどんどんお皿を使い回しているではないか。
どういう事だ!と清水さんがアルニに聞いてみると、清水さんのやり方はオールドスタイルで、今は結構これが
一般的なのだそうだ。かつてのしきたりを教え込まれている清水さんが今ではネワリーよりもネワリーらしい、
一番のコンサバとなった。進化する伝統に大いに不服であるがしかし、清水さんはネワリーでもネパール人でも
ないので文句のぶつけようもない。はがゆいのう。
まあ、そんな風に日本人には分からないいろんなしきたりがあるので、「何かしちゃいけない事があったら
ズバッと言ってね」とアルニに言うと「うーん、家の中ではいろいろあるけどね、外じゃ大丈夫よ」と言う。
しまったお家の中で相当リラックスしてたけど私、大丈夫だったかな?
すっかり夜も深まってしまったので、興奮している清水さんの尻を叩いてホテルへ帰る。
興奮しているのに、すぐに寝息を立てていた。会って依頼、興奮のし通しでほとんど寝てないからな、この人。
あんたの陣地だから、落ち着いてください。



9月 2.3日 カトマンズ

早朝、ふと目を覚ますと清水さんが隣のベッドに座りこんでガサガサしている。うるさい。
「どちらへ?」と聞くと「友達のお店へ顔出さないといけないから、出かけます」と言う。
「朝の5時にお約束で?」と言うと「え?!」・・・・もう日本を離れてだいぶ経ったはずなのだが、
まだ日本の体内時計のまま興奮し続けている女。彼女の中では今8時だ。

今日も夕方から、アルニの家へ。ネパール人が大事にしている行事のひとつ「父の日」なのでお呼ばれだ。
それまでにある程度仕事をしておかないと。朝ご飯は大好きな山羊のチーズと玉子のサンドイッチ。
パンパニカルベーカリーは珈琲も美味しくて、サンドイッチのボリュームは最高に素敵だ。
清水さんは巨漢なので印象的。「マスタード貸して」と言った事をお店の人は忘れておらず、初日にマスタードを
使って以来、頼まなくてもトレーに乗せてくれる。このお店はお値段も高いし雰囲気や料理もモデルは外国のカフェ
だと思うんだけど、トイレに困るドライバー達にトイレを使わせてやったり、厨房でクスクス楽しそうに話していたり
ネパールらしさを無理やり打ち消してしまわない所が何よりも好きだ。マスタードを忘れない事にしても、それが
スマートだからそうしているのではなく、そもそもネパール人はそう言うサービスが出来る人たちなのだと思う。
今日はいつものテラス席がいっぱいで、店内にトレーを持って入った。そこへひとりのじいちゃんがやって来る。
あ、と思った。私が初めてタメルへ来た時に、レストランの客引きをしていたおじいちゃんだ。話し相手のいない私の
席にやって来てはよく声をかけてくれた。その時「日本へ帰ったら手紙を頂戴」と彼の若い時の照明写真をくれたのだ。
手紙を書く間もなく、私はそれ以来毎年タメルへ来るようになったので、見かけたら写真を返そうと思ってずっと
持って歩いていたら、やっと一昨年、街角でばったり会って写真を返す事が出来た。たくさんの観光客が訪れるタメル
だから、おじいちゃんが私のことを覚えているわけもなかったし、私が彼の写真を持ってる事に驚いていたけれど、
笑顔で頭を下げお礼を言ってくれた。そのおじいちゃんだ。また覚えていないかも知れないから、そっと視線をそらして
いたら、おじいちゃんが声を掛けてきた。「あなた、私に写真をくれた人だよね」と。「あれ、覚えてた?」
「もちろん!やあやあ、ここに座っても良いかな」
さて、ここのカフェで「ここに座っても良いかな」と言われることはよくある。トイレに出入りするタクシードライバー達は
そこで客引きをしたりはしないが、狭いタメルなのでその中で知ってる顔を見てしまう事は良くあることだ。
昨日そのタクシーに乗ってたとか、別の場所で声を掛けられた事があったりとか。そんな輩と目が合うと敵は嬉しそう
に寄ってくる。顔見知りと話してるだけ、それを客引きとは言えますまい?とばかりに。「ここ座ってもいい?」とゆっくり
今日の予定を聞き出しながら、自分のツアーを売り込んだりする。まあ、おじいちゃんもそんなとこかな。
私は特にそれをうっとうしく感じてはいない。ついでにこちらも聞きたい事を聞いたらいいし、結構面白いのだ。
パンを頬張りながら話しを聞く。今はよそのお店の客引きは止めて、息子の旅行代理店を手伝ってると言う。
「ごめん、私達仕事で来てるから観光はしないの」と言うと「そうなの?それじゃあウチに遊びにおいで!」
今日は姪っ子の結婚式があるので、それをこれからちょっと見に来たらいいよ、と言うのだ。
お、それは面白そう。「でも仕事があるから午前中で帰るけどいい?」「いいよいいよ!」おじいちゃんは
嬉しそうに席を立ち、私達をいざなった。清水さんが歩きながらぼやいている。「ネパール人は歩いていける所を全部
近いと言い、タクシーでしか行けない所を遠いと言うの。そこがタクシーで行けばちょっとしか変わらない所でも」と。
なるほど、歩いているぞ〜。タメルを抜け、橋を渡り、砂埃にまみれ、ここはどこ〜?おじいちゃんはカクシャクと進む。
突然、ばーっと目の前に開けたのは「洗濯場」だ。ここいらの洗濯を一気に引き受け洗っているところ。
たくさんのシーツが風に吹かれてまぶしい。昔、インドで見た洗濯場は暗くて、カーストの低さを突きつけるような
迫力に満ちていたが、ここはポカポカのお日様と気持ちの良い風が通り、時間すらゆっくりと動いている様だった。
洗濯場で汗を流している人に「写真撮ってもいい?」と聞くと笑顔で応え、仕事しているフリをしてくれた。
程なく小さなアパートの一室に到着。おじいちゃんのかわいい子供達がお出迎えしてくれる。一番上の代理店を
営んでいる息子とずいぶん年の離れた兄弟達だ。もしかしておじいちゃんはおじいちゃんじゃないかも。
おじいちゃんは嬉しそうに「オレの日本人の友達だ!」とか「大事にしてやれ!」などと言ってる模様。
ネパールの儀式に則ってダルバートが振舞われた。さっきボリューミーなサンドイッチを食べたとは言えこれは
断れない。お客様が食事する間、家族はその部屋を離れるのが礼儀だそうだ。この間みんな何処で待ってるのか
と思うと気が気じゃないので、腹いっぱいでも一生懸命早く食べた。しばらく子供達と遊んでいると午前と言う時間は
すっかり終了。「じゃ、帰ります」と言うと強く引き止める事もなく握手をし、何かあったら息子の店使ってね、と。
そして息子がタクシーに乗るまで送ってくれた。何かあったら僕の事務所へ来てね!と。
庶民生活に触れ楽しかったのだが、結婚式は?つまり、ネパール人のご招待と言うのは、こういうことだ。
彼らには時間がたくさんあるので、同じ位時間を用意しないと目的は達成できない。一緒に過ごしたことには
カケラの後悔もない。でも、なんかいつもこうなるのが可笑しくて仕方ない。
夕方、アルニの家でお父さんにおめでとうございます、を言い、お台所でダルバートをご馳走になった。
その間もなんで呼ばれたのかな〜とかつい考えてしまう位、なーんにもしない時間が長い。
で、最後の最後に目的なんて意味がないのだと分かる。
相変わらず首尾一貫、一緒の時間を過ごすこと、それでいいのだ。



9月4、5日 カトマンズ

毎日、どこかにお呼ばれされていて、仕事は押せ押せになってきた。仲良しの毛糸屋や製作中のオリジナルを
チェックしに走り回る。清水さんはその間も友人宅を回っているのだからお友達がたくさんいるのだなあ。
ネパール人は家族を何よりも大切にする。そして友達はその家族と同様だ。
どんなに仕事が押せ押せで昼間が忙しくても、夜に仕事は出来ない。カトマンズの中で一番明るいタメルだって
検品出来る程明るくはないからだ。で、気は焦っていても夜は時間がある。
仕事が終わってからは、よく下階のマッサージ屋に行っていた。若くてハンサムなマネージャーは開店に向け
タイでマッサージの勉強をしてきたと言う。アーユルベーダと言う歴史上最も古い技術を持っていながらなぜタイへ?
そのお店、なかなか良いお値段で、思いっきり観光客向き。「アーユルベーダ」「Thai Style」「Japanese Traditional」
「Foot」など見境のないメニューが並ぶ。おまえらが考える日本式ってやつを見せてもらおうじゃないか、と言うことで
初めての来店時にはJapanese Traditionalをチョイス。それは、もうむぅわぁ〜なぁんともいぃがたぁい〜きもち良い
ような悪いような〜とにかく日本式でないのは確かだ。日本式とはツボと言われる場所を縦方向にプッシュする、
んだと私は思っちょるんですが、彼女達がやっているのはタイマッサージもどきの筋肉つぶし、日本のつもりな骨叩き。
ついに私は立ち上がり「ほれ、ちょっと腕を出しなさい」とJapanese Traditionalをかましてやった。ひーえー!イターイ!
と叫ぶマッサージお嬢。「良いか?ポイントは骨の横、筋肉が交差する所ね」マッサージ教えて金を払ってちゃーしよう
がないね。ここはビューティーサロンも併設しているから、カットもパーマもしてもらえる。恐ろしい。一度、くたくたに疲れ
ていたので部屋のちょろりシャワーで髪を洗うのが面倒になって、洗髪だけお願いしに降りていった事がある。
いつもそうなのだが、私達のニーズとはかけ離れたマッサージばかりをお勧めしてきて、なかなかご注文を受け入れて
くれない。この日は格別しつこかった。「今日だったらアーユルベーダー半額にしてあげる」「じゃー日本式はどう?20%
オフにするよ」じゃなくて髪洗って!余裕綽々の顔してマネージャーはサンドイッチを食べている。「まあまあ、そう言わ
ずに。お茶のおかわりはいかが?」カウンターにかじりついている私達はお預けをくらった犬みたいだ。その時清水さん
が「すごい食べるの遅い」とつぶやいた。ハンサムな顔してジュースちゅうちゅうしながらサンドイッチを食べている。
いつまでもいつまでも・・・。ホントだよ!まるでなくならない魔法のサンドイッチだ!私が爆笑していると「なになに?」と
聞いてくるので説明すると、いつもすましているマネージャーは急に恥ずかしくなったらしく耳まで真っ赤になった。
その様子が可笑しくて従業員やお客さんまでもが大爆笑。かわいそうな事言っちゃった。彼はきっと口が小さいのだ。
急にピッチを上げてパンを頬張ってる。そしてその時嫌な予感がしたのだ。私達はてっきり昨日のマッサージ嬢が
洗髪の為に呼び出されていてそれを待っているのだと思っていた。でももしかして、マネージャー自ら髪を洗うつもり?
食べ終わり待ちだった??ネパールで男の人が女の髪を洗うなんて、有り得ない事だ。それにこの生意気マネージャ
ーは普段何もしない。修行はしたけど施術はしないのだ。そしてこのシャンプーとて彼はやりたくないからこそ、
ここまで引っ張っていたに違いないのだ。「まさか、あんたがやるつもり?!」お願いしてからおよそ1時間後
やっとシャンプー室に入れた。そしてハンサムは笑顔で「さ、こちらへマダム」ハンサムの顔が近づく、吐息が漏れる。
もしゃもしゃ髪をかき回す。シャワーは部屋のよりもっとちょろり。水のない分を取り戻すかのように、パリと書かれた
トリートメントのボトルからシャンプーをじゃぶじゃぶ出し、ひっつけまわす。かえってとても面倒な事になったのは
言うまでもない。次の日、ホテルの男の子にシャワーを直してもらった。もう二度と下でシャンプーしないと誓った。
マッサージも下手。シャンプーも問題あり。彼は窓越しにウィンクしてくれるが、もう何もする事がない・・・。
とても挨拶しづらい。足ぐらいなら・・・ときっとまた無意味なお金を落とすことだろう。

後はだいたい、いつも同じメンバーで飲んでいた。このマッサージ屋の待合いで出会ったアミルとその仲間達。
アミルは仏具屋のオーナーで日本語ぺらぺら。日本人の奥さんと子供が京都にいる。
日本とネパールを行ったり来たりしているんだそうだ。まあ、私たちと同じ値段ではないだろうけれど、それでも
マッサージにお金を使えるなんて結構お金持ちなわけだ。そして暇。はじめて一緒に飲んだのは、ほんの20分程
だったと思う。またね!と別れたその翌日。仕事から戻って部屋のカーテンを開けるとびっくり。隣のビルの屋上、
私達の部屋の真向かいにあるほんの数メーター先のテラスで、見覚えのある笑顔が手を振っているのだ。
ストーカー?ええ、確かにストーキングまがいの熱烈追跡されてるよ。ネパールのショップオーナーなんて店にいる
必要もなく、もうチョー暇なのだね。珈琲飲みながら一日中誰かを待ってるなんて、いつもやってる事に
意味が加わっただけ楽しいってなもんだ。それ以来、毎日こんな感じでテラスにいる。ただ居る。
待ってるんだろうが、「待ってるよ!」とか「帰らないで」とか、言わないので気軽に考える事にした。
「待ってないよー、いつもこうしてんねん、気にせんといて〜」って感じ。目が合うと手を振る。
夜が来たら、彼の友達も交えて日本語と英語とネパール語で飲み会をする。清水さんがウォッカのストレートを
飲み干せば、男共も負けじと飲み干しベロンベロン。飲みながら眠っちゃったりして。
もう我々もおばちゃん域に入っていて、体を奪われる心配は激減してるし、お金は向こうの方が持ってるのでお金
取られる心配もない。疎んじるのもずうずうしい「危ない!」なんて何うぬぼれてんの状態だ。
(日本の素敵なお嬢さん達はまだまだこの手合いには気をつけて下さい)なにしろ、偶然にもアミルはパタン出身で、
たくさんの清水さんのお友達のお友達だったのだ。アミルの日本語学校、清水さんのホームステイ先のご近所の話
「◎◎って知ってる?」「知ってる!」と、これじゃあとても悪いことは出来ないだろう。安心かつネタも豊富。
飲み会の場はたいてい「私達の部屋がモロ見えのテラスレストラン」。当然ここのオーナーも飲み会にいる。
背のすらりと高い←ネパールでは希少!これまたイイオトコ。名はパダム。イギリス人の彼女がいるとか?
あんまり英語上手じゃないのになー。いい大人が集まってゴマせんべいをパリパリパリパリ食べながら
目がくっついちゃうまで、話すのだった。とっぷり夜が深まって気分は4:00でも実際はせいぜい00:00。
さすがお日様と暮らすネパールだ。
楽しいが役には立ない飲み友達。なのだが、しかしついに登場をお願いする時が来た。
かわいいセーターを見つけたのに、売り子の少女は値段もわからきゃ、在庫の場所もわからない。店長はいつ
帰るかも知らない。誰かわかる人を出しなさい!と言ってものれんに腕押しだった。なんとか値段交渉をするに
値する人物を引っ張り出したい。この店は飲み会の時に「オレの友達やから行ってみ〜」とアミルが言っていた。
そんな風に紹介されたお店で、もし良いものがなかったら紹介者にもお店にも申し訳ない。
だからこっそり来てたのだけれど・・・欲しい物があったなら話は別だ。何しろこの日で買い付けも最終日。
夜の飲み会でその事をアミルに報告している時間もない。
パダムに電話をしてもらって二日酔いのアミルを叩き起こす。アミルが来るまでの間、自分達の部屋が丸見えの
レストランで、自分達の部屋を見ながら待機。パダムはちょっとした出来事にウキウキしながら、私達につきっきりで
いてくれるのだが・・・別にいなくてもいいのだが・・・英語がうまいわけでも日本語が出来るわけでもなく、ただただ
眉毛を動かしながら私達の顔を交互に見つめてニヒルに笑っている。その顔は・・・ハンサムだ。ホントにイイオトコ。
っつーか、ホントにあんた暇だよね。
ネパール人にしては素早くアミル到着。一緒にセーター屋へ行ってもらう。値段はそれ程下がらなかったのだが、
交渉には社長が出て来てくれた。ありがとう。
清水さんとアミルが結婚してここに住んでくれたらもっと仕事しやすいのに、と思った。
来年も同じメンバーで飲むことでしょう。私はレモンジュースだけどね。

飲み仲間↑悪そうだな、なんとも。


9月6日 カトマンズ

アミルが清水さんの親友に連絡を付けてくれたらしい。出発直前に会いに来た。清水さん感激だ。
私達の部屋が丸見えのレストランで、出発ぎりぎりまで話に花を咲かし、見送ってもらった。
今日はティージと言う女性のお祭りの日。たくさんの赤いサリーを着た女性達がお寺に向かって歩いていく。
「もう少し早く出発すれば良かったねー」道は交通バンダ。渋滞だった。タクシーは追い抜いたはずの赤いサリーに
追い抜かされてる始末。「いや違うよ。この運転手が悪い。道の選び方間違えたんだよ」と清水さん。清水さんは
出発ぎりぎりまで友達と話してたうえに、道々もう1件友達の店に寄ったのでそれを申し訳なく思っているのだが、
そうは言わずに運転手のせいにしている。立ち寄った時間などたいした時間ではなかった。別に清水さんのせい
ではない。でも、清水さんは気が小さいから勝手に気にしていて、それを人のせいにしているのだ。
人として間違っている。そこを否定したい。まあ、それでもなんとか大きな道の渋滞を抜け無事に空港到着。

出発ゲートに来て驚いた。そこには同じ帽子を被ったたくさんのネパール人。良く見ると帽子には何種類かある。
黒、青、黄色・・・。それぞれグループが違うらしい。飛行機に乗り込むと、彼らが私達を取り囲むような席だった。
「観光旅行?・・・っぽくはないね」申し訳ないが海外旅行が出来るような羽振りの良さは感じられない。
丸坊主で日焼けして、手もほっぺも乾燥でカサカサだ。スーツケース等を預けている様子はなかった。
彼らの全ての荷物は手にしている小さなリュックひとつ。それを手から離さないので、スチュワートが荷物棚へ
入れるよう指示をした。荷物はなんとか上へ置けたが、今度はどうやってフタをしてよいかわからない。
スチュワートは「アンビリーバブル!」と呟きながら「1.2.3・・・ハイ!」とフタの閉め方を教えていた。
とにかく、見渡す限りのこの帽子軍団は、あっちが収まればこっちが収まらない。乗務員はドリフさながらの忙しさ。
やっと離陸出来る体制になった頃にはすでに30分も遅れていた。
バスのようにゆらゆらと飛行機が走る。彼らは緊張していた。座席の袖をぎゅっと握ってまっすぐ前を向いている。
「あ、シートベルト」通路を挟んだお隣さんに、清水さんがシートベルトの付け方を教えてあげると、その前後の席の
人達もそれを見てシートベルトを付けた。いったいこの人達はなぜ飛行機に乗っているのか。
気になって仕方がなかった。清水さんが声を掛けたついでに質問。清水さんがネパール語を話すので、シンパシー
を持ってくれたのか、緊張の塊だった帽子軍団の気持ちが安堵と共にこちらへ向かってくるのが分かる。

御一行は、出稼ぎだった。マレーシアの工場へ3年。
この人達にとって「家族」は幸せの全てと言っても過言ではない。「お金」とか「出世」とかそう言う資本主義的な
価値観と無縁の彼らにとって、「家族」のあり様は私達のそれとずいぶんかけ離れている。とても大切なものだ。
その家族と離れて3年だ。飛行機も初めて、外国も初めて。帽子軍団のメンバーは若い者だけではない。
こんなおじいちゃんまでも?と言う人も。年齢層にはかなりのばらつきがあった。カトマンズと田舎の町とでは
経済格差も大きい。山では仕事も少なく家族の誰かが出稼ぎに出れば、がぜん生活が潤うのだ。
せめて友達と一緒の仕事だったら良かったのだが、出稼ぎ仲間も昨日知り合った仲らしい。
もう飛行機に乗ったのだから帽子を脱いでも良かろうに、誰もが生真面目に帽子を被り続けている。
その上からヘッドフォンを付けている。それも聴診器みたいに上下逆さまに付ける者あり、耳パフパフの意味が
分からず試行錯誤する者あり、ボリュームの調節が分からないのか、どこからかヒンドゥーの歌謡曲が大音量で
漏れ聞こえてくる。食事が運ばれて来ても、どこからどう手を付けて言いか分からないようだった。いちいち教える
のも失礼かと思うので、それとなく私達の食べ方が良く見えるようにした。ふうん、と観察してはそれを真似、
その真似を隣が真似、まねまねの輪が広がっていく。無言伝言ゲームみたいに。多少、ナイフやフォークの使い方が
変でも美味しく食べられればそれで良し。ただ、困った事にゴミを床に捨ててしまう。これにはちょっと口出しだ。
「床に捨ててはダメ」と清水さんが注意をした。しかしこういう情報はあまり広がらず、あっという間に床はゴミだらけ。
食事もひとしきり終わり、清水さんがトイレに立ったタイミングで私も席を立ち、初めての空を見せてあげようと
「こっちに来る?」と御一行を手招きした。ちょっと嬉しそうに隣のおじちゃんがモソモソしてる間に、若い連中が
どーっと押し寄せた。威勢良く寄ってきたが怖いらしく、座席の背をぎゅーっと握ったりしている。空の中で稲妻が
走った。みんな大興奮だ。押しのけられたおじちゃんも、しばらく待って交代して貰った。
その時、清水さんはトイレ付近のネパール人と立ち話をしていた。シンガポールに留学している学生くんだ。
彼はパッと見ネパール人じゃないみたいだった。背がすらりと高く、服装も垢抜けていた。気さくな話し方も立ち居振る
舞いも好感度大。英語も流暢だ。どうしても、この人達と比べてしまう。家族と一緒にいられさえすれば良かったのに、
家族の側にいられなくなった人達と。

機内がグラリと揺れて、全員着席の指示が出た。私の席に殺到していた人達は、急いで自分達の席に戻ったが、
一人の男の子は「もう間に合わない!」と思ってしまったらしく、真顔で私の席に座ってシートベルトをカチリと
締めてしまった。仕方なく私は清水さんの席へ座り彼と隣り合った。清水さんは、元の彼の席へ。
彼の横顔を見ると、まだあどけない。17歳くらいかと思ったが、聞けば22歳と言う。やっぱり都会の子よりもずっと
子供っぽいな。ちょっとの英語を使って話をした。この人達の前で「家族」の話をするのはよそうと清水さんと話した
ばかりなのに、話の流れで「そうかお母さんとも昨日バイバイして来たのね」と、つい口を滑らせてしまった。
彼は私の顔を見ながらそれを隠す事もなく、目にたっぷんたっぷんの涙を溜めた。気分を変えよう、とデジカメを
出し中の映像を見せる。これもシマッタ!だ。中にはたくさんのネパールの映像。彼はまた目元をぬぐった。
歌を歌ってもネパール歌。思い出の話は家族の話。「楽しい出来事」が全部ネパールと繋がっているのだから、
やはりどうやっても涙を避けようがなかった。寂しくなっちゃったのか、彼はずーっとぴったり私にくっついていた。
人肌の距離感がこんなにも近い。私は年の大きく離れた弟の手を握った。
「僕の国は貧乏」と、何度も彼は言った。「僕の国は貧乏だから、僕は外国へ行って働かなくちゃいけない」「僕の国は
貧乏で恥ずかしい」そう言いたい様だった。きっとカトマンズの郊外から街へ出て来て、空港に到着するまでの間も、
街の明るさと自分達の生活を引き比べながら、劣等感に押し潰されていたのだろう。「僕の国」を「僕」に言い換えた
言葉そのものの気持ちだったに違いない。「君の国には美しい家族があり、友人との絆があり、歌があって、素敵な
山があるじゃないの」と私は言った。また彼は泣いた。デジカメが珍しいらしく、泣きながらデジカメいじっていたけど。
機内にあった地図でネパールを見せた。ここがネパール、ここがマレーシア。すると「小さい」「遠い」と言った。
ネパールは小さかった。マレーシアは遠かった。焦る私。ここがニューヨーク、そしてここが日本。もう関係ない国を
指差して、ほら!ネパールとマレーシアは近いでしょ、と。彼はもう世界地図に興味をなくしてデジカメで遊んでいた。
一方、清水さんの隣の彼は、かなり強気の男の子で、出稼ぎなんてなんでもねえよ!って態度だったらしい。
清水さんのお土産の余り?なのか海苔せんべいを、「みんなで食べな」と渡すと、自分のリュックの中から空港で売っ
てたと思われる、何の変哲もないピーナッツを取り出し「お返しに」とくれたそうだ。それが男気でなくてなんであろう。

この人達を「かわいそう」だなんて思っちゃいけない。
このメンバーに入れるって幸運な事なんだ。この就職試験に落ちた人がたくさんいた。大きなお金を持って帰れる。
きっとこれをきっかけに、何か出来るかもしれない。そんな希望がなくちゃ家族と離れて知らない所へなんて行けない。
清水さん曰く、実際には村の家族が仕送りに頼りだして生活のバランスを崩すことは少なくないそうだ。
兄弟がギャンブルに走ったり、家が一軒建つ位の仕送りをしたにも関わらず、全部使い切ってしまっていたり。
そして再度出稼ぎに出されてしまうらしい。
外国へ行ったら少し狡賢くなるかもな。帰ったらえばるかもしれない。それでも良い。元気で帰れますように。
そしてどうか知らない国で、酷い目に遭いません様に。

着陸が近づいている。離陸が遅れたので、彼らの乗り継ぎ時間が危なかった。
「もう腹をくくって連れて行きます」清水さんが彼らに、送っていくから付いてくるように言った。
留学生が私達に並んで歩く。一緒に引率しているみたいになった。彼はこの人達のことどう思っているだろう。
少し気がかりだった。貧富の差が激しい国は、たいがい貧乏人に対して金持ちは厳しい。この姿美しい彼の優しい
笑顔が彼らに対しても変わらぬものであって欲しいと願った。様子を見ていると、特に接触するでもなく、かと言って
無視するでもなくまったくニュートラルな感じだった。私達が外国で右往左往する日本のおじちゃん達を見ても、とくに
何をしてやろうとも思わない感じ、に近いのであろうか。それとも、せつないけれど口に出すな、と言うことか。
かつて上野に集団就職で上京して行く人達を、乗り合わせた列車の人達はなんと言って送り出したのだろうな。
大きな通りに出る手前で、マレーシア行きの便名ボードを持ったスチュワーデスが私達を出迎えた。
これに付いていけば大丈夫。あっさりとお役御免だ。
帽子軍団が集められている中、私のネパール弟がキョロキョロしていた。私を探しているのかな?手を上げると、
手を上げてそれに応えて来た。泣き虫の彼は、また泣きそうだ。側へ行ってお別れの握手をした。
彼の手のひらは緊張でしっとりと濡れていた。私をじっと見つめていた。
とたんにどんな声を掛けたら良いか解らなくなった。私はただ何度も日本語の「大丈夫、大丈夫」を繰り返した。



もうけっこう
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