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「裏小事(占い付き)」


1月31日
インド、大変なことになってますね。2万人も死んだとか。アーメダバードはうちのインド刺繍物を手がけている人たちの住むところです。みんな無事でしょうか・・・。あの光景をTVで見て、「あ、刺繍スカートが、巾着が、バックは?」と思ってしまった鬼畜は私です。まだ余震が続いているようで、みんな不安な日々を過ごしていることでしょう。支援の物資などは順調にまわって来ているようなのですが、復興に向かう資金が不足しているとのこと。鬼畜も少しばかりですが、寄付をしようと思っています。やあ、いつもいつも鬼畜ですから、普段はそう言うことしないんですよ。なにしろ世話になっている、エンド心の友、愛憎のもつれインドですから。
インドにいた時、レンガにコンクリ塗って積んでいく姿をよく見ていました。図面も持ってない、躯体に鉄芯も入れてない、ただ積んでいくんです。コンクリ塗っちゃあ、レンガを置き、コンクリ塗っちゃあ、レンガを置き、あほーなスピードで繰り返し、集中するでなし、暑い、ああただ暑い、といった家の作り方です。「こんなんで済むのはインドには地震がないからだろう」とその時は思っていました。そんな調子で2階建てだの、3階建てだの建っちゃうんですから、根気はあるのかもしれません。でもお願いだから、もう少し頑丈に作っておくれ。その建物がゲストハウスになったら、私が泊まるかも知れないじゃないか!ちょっとずつ積んだレンガはだんだん高くなって、そのうち置いたレンガに乗って作業をしていきます。猿と喧嘩しながらコンクリ塗っちゃあ、レンガを置き、隣の2階から私が見ていると目線があってニーッと笑ったりしてました。ああ彼は無事か。
建てる、といえばつながり。
タイは盛り返してきたものの、ここのところ不況が続いて、建てかけのビルやマンションが放置されているような状態が続いています。今ではもう見られないかも知れませんが、10年くらい前までは、何を建てるにも足場は竹でした。しなる青竹を接合して、どんなに高い建物もこれで建てていくんです。そしてサンダルか裸足。日本では勿論鉄材ですし、安全靴です。何故竹なのか、以前誰かに聞いたら、鉄材では足が熱くなってしまうから、という事でした。日差しで鉄材が作業できないくらい熱くなってしまうんですって。これにはとても感動しましたね。なるほど!かしこーい、と。タイに赴任中の部長にその事を言ったら、「馬鹿いえ〜そんな事関係ねえよ。アフリカだってきちんとした施工業者が入れば鉄足場に安全靴で作業するんだ〜」ですって。竹がいっぱいあったからで、理由は後から付けたんだろう説。つまらないです。今でも竹足場は見るけど、比較的小さい建物の外壁工事とかですね。作業員は、相変わらず裸足です。タイはバンコクと地方との所得差がひどいですから、大きな工事があると出稼ぎの人たちもやって来ます。だいたい家族でやってきて、母ちゃんが炊き出し、父ちゃんが作業、子供が軽作業や掃除などをしているんだそうです。で、1つ終わるとまたどこかへ。不況で建物が途中で建てられなくなっているということは、こういう人たちにとっても大打撃ですね。竹足場に裸足の時代はよく落っこちて死んだりもしていたそうです。これが日本だったら大変な騒ぎですが、よくあることよって感じなんだそうです。しかし、そうなったら母ちゃんと子供はどうするんだろうなあ・・・。
1月29日
このところの関東の雪は凄いですね。先週の土曜日はかねてから約束していた友人達と豪雪の中ネパール料理を食べに行きました。総勢7人だったのですが、だれも「中止だよね」と言わず、むしろわくわくしていたという精鋭達です。たらふく食って、その後カラオケに行き大爆発。深夜2:30位までいたという・・・。もう声はがさがさでございます。歌ってがさがさなら良いんだけど、ほとんど叫んでてがさがさです。20世紀歌い納めました。21世紀の歌がわかっていないだけですが。タクシーに乗って帰ってきて、また朝4:00まで喋ってしまった。翌日たまってしまった仕事を片づけて、また朝の6:00まで起きていて、もう滅茶苦茶です。いよいよ出発の日が近づいているのに、逃げ続けていた仕事をまだ逃げている・・・かなりやばいです。
1月25日
昨日、田舎に帰るというお客さんから、たくさんいろんな物を頂いた。私、物が増えるのがすごく嫌いなので(何故雑貨屋を)大きな物を買うのにはいつも勇気がいるんです。金額の大きな物はもとより、体の大きな物が嫌いだ。(でもレインツリーとか即決したなあ)必要でも二の足を踏む人。だからこういう機会を申し出てくれて本当にありがたかった。いっきにいろんな物が来ました〜。本棚(書類などを整理しようと思います)、パイプ家具(在庫の段ボールを乗せます)、ミシン(私製作品がお店に並ぶかも)、コードレスアイロン(きゃーうちのコードありよー)のっぽのコート掛け(商品をディスプレイします)あと電子レンジ(母さちこが持って帰りました)。ぎっくり腰をやって以来、積み上げた段ボールの上げ下ろしに恐怖を感じるようになってしまって、何か打開策を、と模索していたのですが、パイプ家具にうまく乗せればまず巨大な3箱は力を使わずに開閉可能になります。すでに本でいっぱいの本棚にも余裕が出るので、資料や書類も見やすくなるでしょう。中腰をするなっちゅうたかて、この仕事は全てが中腰状態でなくちゃできないのよさ。文句を言わずに、一昨日より筋トレを始めました。
Wさんありがとう。感謝、感謝。読んでる?

今日、お客さんから「お友達でNetショップをやりたい人がいるんだけど、メリット、デメリット教えてください」というメールを頂いた。この中腰仕事に対する私の回答がナイスだったので、記念に書いておこうと思う。

ネットショップのデメリットって言えば、食えない、事くらいでしょうか。
あとー外に出なくなるから足萎えする。私は運動不足でぎっくり腰になった。
人によっては太る。
見られないからブスになる。
声が出ない(誰とも喋らないので)
淋しい。
そのくらいかな。ふざけてないよ。

メリットは、便秘にならない(好きなときにトイレに行ける)
日に焼けない。交通費がかからない。
ワイドショーに強くなる。

なーんだ、そんなん言われんでもわかるよ〜って声が聞こえてきそう。ナーイス。
1月23日
素直に雪を喜べなくなって、はや十数年。ランドセルを背負っていた頃はこんな楽しみはなかったのに!!私の小学校では、雪が降ると1時間くらい先生が大目に見てくれて、グランドで雪合戦などしました。なにしろ市では一番大きなグランドだったので、運痴の私にはつらい以外の何ものでもなかったのですが、この時ばかりは別です。雪だるまも何個も作ったし、カマクラを作れるほどいっぱい降ってくれる事が願いでもありました。口を開けて、ただ落ちてくる雪をいつまでも見ていたりしました。「ヒグラシ」(実名)というキチガイの先生がいて、すぐに子供をぶつんですが、雪のたびに「外から帰ってすぐにストーブにあたると、指が痛くなる。雪をいじった後すぐにストーブに手をかざしたらいけません」と言いました。私はすぐに忘れて、ストーブまで駆けていき、手が痛くなる前にぶん殴られてそっちのほうが痛かったです。このヒグラシは、PTA会長の息子大河原ちゃんにだけは弱いという噂で、大河原ちゃんはデブで弱気の子だったから、本来なら奴の餌食になりやすいキャラなのに、ヒグラシが「大河原ちゃん」と彼だけちゃんづけしたあと、手を頬にあててすりすりしたので、あ、本当なんだな、と思いました。エスカレートした噂では、ヒグラシは大河原ちゃんの家でお酒を飲み、酔っぱらって押入に閉じこもって泣いたらしい、というのもありました。「最近、シャーペンを使う子が増えてきたが、シャーペンの芯は折れやすい、実験するから用意ドンで100字書け」と、鉛筆派とシャーペン派を競争させたこともありました。結果、シャーペンが勝ってしまい、「世の中の技術も進歩しているようだ」と負けを認めたときはすごく、すかっとし、また殴られずにすんでほっとしました。遠足のバスでは、車酔いする奴は緊張感が足らない、と言って、吐くと殴って、帰りも吐くから、とお弁当を食べさせませんでした。6年生になってようやく逃げ失せる要領を得た頃、体育館でボールが思わぬ方向に転がり、私だけが悪いんじゃないのに(そもそもそれは悪い事じゃない)「誰だ誰だ」とうるさくて、私は場を納めるために代表で殴られました。こういう文章をデスマス調で書いていると、なんだか、ヤバイ感じがします。
でも、雪が降ると楽しい思い出と共に、いっきにここまでいつも思い出すのでした。
今もおかしいけど、昔もそうとうおかしかった、と言うこと。あ、違う、違う、雪は楽しいねって事。そう?
1月20日
1カ月程、インドにいたことがある。一緒に行った友人は、会社勤めを辞めての同行でしかも初めての海外旅行、英語も全然駄目。私は勤め先から休みを貰って(というか奪って)行った。もともと一人で行くつもりだったのだが、彼女が名乗りを上げたら、甘えが出てきて「連れて行ってやる」という顔をしながらどこかほっとしてしまった。バックパッカーは一人旅、貧乏なほど格好いいと思いがちだが、私は一人でご飯を食べるのが嫌いなのだ。だからといって、誰でも良いというわけでもなく、二人でいてイヤな気分になるくらいなら一人でご飯を食べた方がましだ。しかしながらこれまた日本でどんなに仲が良くても、一歩外へ出りゃ仲が悪くなる、それが旅の常。互いに消えてくれと思うほどむかつくときもあり、爆発することもあった。成田に着いたらもう口もきかないだろうと思ったりして。それでも、喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったもんで、喧嘩が出来るようになってからはだんだんと関係が楽になっていった。あの喧噪と混沌の中の心細さを共有し、互いの存在を確かめ合うことで次第に絆は深まっていったと思う。お互いに人間が出来ていたので、成田離婚せずに済んだ。あの時のことを時々二人で話すことがある。私に申し訳ない、と思いながらも英語やインドに萎縮してしまってつらかった、とか、インドの食事が実は駄目だったとか。私はこの役立たず、と心で罵ったり、優しさに見せかけたイヤミを言ったりしたことを思い出した。私の方にも余裕はなかったのだ。「あんたを生かして帰らなくちゃいけないんだから」と口癖にしていたのだが(戦場にでも行ったようですな、ごめんインド)それは本当にそうで、だけどそんな勝手な自前の使命を盾にして自分も相手もどんどん追い込んでしまっていた。インドの人々はものすごく現実的で賢く、プライドが高く、日本ではお目にかかれない殺伐とした光景の中、信じられないくらい幼稚で真剣な喧嘩を毎日繰り広げていた。私たちは外国人で、世間知らずな子供で、喧嘩も幼稚にならざるを得なかったんだろうけど、とにかく手足をばたばたさせて対抗していた。これから結婚する人は、彼と一緒にインド旅行に出ると良い。休みが取れないとか言っている場合ではない。「彼のこと、本当に好きかどうかわからない」なんて寝ぼけたこと言ってる人もインドに行ったらいい。長く知らない土地に行って(インド最高)生きてるだけで精一杯ってことにも気が付かない位パンパンになったとき、人ってとっても幼稚になる。すんごいケチになったり、ずるくなったりする。どっちのバナナが大きいとか、そんな事でものすごく怒ることが出来る。疲れているから、何を見たってむかつくし悲しくなってくるけど、インド人はお構いなしにまくし立ててくる。理不尽な事ばかり起きる。そんなとき、あなたは彼を助けてあげられるか、彼はどんな態度を示すか、そしてその事について喧嘩をし、許すことが出来るか。そして日本に戻って、その事を笑って話せるようだったら、とても仲良しと思う。
その頃のインドは10年前のタイの貧困とも全然違う、「ど貧困」が目の前にあった。私よりもっとずっと世界を良く知る人が、水のない国の貧困は目を覆う、と言っていた。なんだか私はハッとしてしまった。アジアの貧困は確かに貧困だけれども、実りをもたらす土と水のあるアジアでは「飢餓」自体は少なかったりもする。一日一本バナナが食べられるか否かという状態は確かに貧困だ。でも、バナナが食べられないに決まっている、雨の少ない土地アフリカなどの貧困は酷すぎる。アジアから戻るたび、私は風呂釜いっぱいの水を見て感動する。なんて日本には水がたくさんあるんだろう、と。
なんで急にこんな話をしているかというと、インドのアーメダバードで作られたバックや刺繍ポーチをみんさんにご紹介しながらいろいろと思い出し、それから今日アップしたレインツリーを見ながら、雨乞いについていろいろと考えてしまって、こんな脈絡のないことになったという訳。本当に脈絡なしだ。
1月18日
うちがリンクを貼っている、やぎの目webの林さんが、今(午前4時です)オールナイトニッポンをやっている。出ているのではない、やっている。つまりテーマをたてて番組を進行しているのだ。HPでは非常におもしろさを発揮している林さんだが、喋るって言うのはどうなんだ。しかも1時間半。お風呂からあがると、ラジオからすでに男の人の声が聞こえてきているのだが、「あれ?」って言うくらい彼のイメージからすると、ちょっとテンション高め、しかもうわずった声だ。とたんに心配になり、私が緊張してきた。つい、生まれて初めてのラジオ投稿などしてしまった。だって誰からも投稿がなかったら・・・なんてお母さんみたいな心配をしてしまったのだ。が、たくさん投稿があったようです。世の中みんなお母さんみたいな気持ちだったとしたら、彼のプライドに傷が付くところだ。けっこう前から彼のHPは覗いてた。それというのも友達が「こんなのどう?」ってURL送ってくれたのにはまってしまったのだ。「死ぬかと思った体験」というコーナーに投稿したこともある。ボツったけど。生まれて初めてHP投稿したのに。なんだ、私ってば生まれて初めてをずいぶん林さんに捧げているじゃないの。林さんはすごく有名なサイトのマスターだけど、普段はサラリーマンで、URL教えてくれた友達は林さんと同じ職場だったのだ。「林さんを囲む会」があるから来るか?と聞かれて、ちょっと本人を覗いてみたくなり行ってみると、そこは「オフ会」ではなく、その会社の飲み会だった。私はひとんちの会社の飲み会に出席し、林さんの向かいに座らせてもらってインドカレーを食べたのであった。あつかましくも何気に相互リンクを申し込んでみたけど、何となく断られた。それからとても親しくなったかというと、読者プレゼントみたいな年賀状をもらって以降、メールをうってもなしのつぶて。マメだと思われると恥ずかしいからと本人は言っていたが、振られた経験のないあたしを振るなんて許せないからもうメールしてない。してなかったのに、よりによってラジオ投稿しちゃった。しかもまたボツった。またやられた。「もてたいためにHPを作った」という林さん、つまりはこういうことですか?
1月17日
時々、お客様からお手紙を頂く。筆まめの方には本当に感心してしまう。私はメール豆子だけど、筆不精だ。年賀状だってかなり鼓舞して書く。社会人だったときは(今は違うのか?)上司をひやかそうと、また日頃お世話になっている方にご挨拶をと思って(上司には世話になっていなかったのか?)、かなり無理して書いていたが、今や一昨年、昨年とお休みしてしまっている。節目の挨拶もまともに出来ない人である。だのに、世の中には日常の中で手紙を書いてくださったりする方がいるのだ。私はその返事までもはまたメールでしてしまう、駄目な人なんだわ。今日届いたお手紙には驚いた。その方のおうちの写真が便せんに印刷してあって、「国宝重要文化財」と書いてある。多分冗談ではない。すげえ。国宝重要文化財に住むってどんなでしょう。緊張します。寝煙草など厳禁でしょう。メンテは国がやってくれるのでしょうか。その家の娘、私のお客様は及川みっちーのポスターの前で、ドラゴンワンピを着て踊っていました。国宝重要文化財を生家に持つ娘・・・少し変わった奴だと思ってはいたがますます謎が深まるばかり。ああ、興味津々。
1月16日
行っちゃいました。新潟。いやあ、すごい雪。すごい温泉、楽しい旅行でやんした。(画像はこちらへ)
旅割り7と言う特別割引切符を使って、一行は朝の6:40に新潟へ出発予定。座席で待ち合わせ。行ってみると、予定の男子人数より多い。見たことのない男の人が席にいる。参加希望だった奥さんの体調が悪くなって、代わりに来たという旦那さん!誰も知らない中、よくぞ来ました。そういう勇気のある人は大好きです。ここで一番東京駅に近い人清水さんが寝坊で乗り遅れる。あまりにも期待通りの滑り出しだ!誰も彼もが不安や期待で昨日の夜は眠れなかったという。かくいう私も、一睡も出来なかった!新幹線で寝ようと思ったのに、皆興奮が収まらず、どもりながらしゃべり通しで新潟まで来ちゃった。新潟駅では幹事のみつみ&みつるが待っていた。みつみつカップル。楽しみに(何故?)していたドトールが満席で、喫茶「東京」で清水さんを待つ。すごい人数で喫茶店に押し入り、注目を浴びながらモーニングを食べた。しばらくしてすぐに人生の落伍者(清水)と合流でき、日本の交通事情の素晴らしさを再確認。みつみカー、みつるカー、レンタカーに分乗して向かった先は「ひょう湖」。白鳥を見に行く。白鳥とカモに餌をやったりしてしばし遊ぶ。まるまるとして美味しそうだ。白鳥の鳴き声がどこか悲しいと言ったら、松本さん北国に対してマイナスイメージがあるんですかと質問され、困る。この頃雪は降っているとはいえ、今思えばまだかわいいもんだった。一行は思いつきで「ロシア村」へ。主体性ゼロの集団は、誰も何にも反対しないので、冗談がすぐに具体化してしまう。除雪もしていない道はアミューズメント施設に繋がっているとは思えなかったが、あった、ロシア村。新幹線でアルコール入りになっている人もいるので、テンション高め。私たちが村に入ってから始まるアトラクション。まずはピエロショー。ロシアンピエロがおどけて客をいじる。客いじりはこういうショーにつきものだから、私と代わりに来た旦那さんは察して後方席に逃げていた。でも、旦那さんは捕まってしまい、ナイフショーの餌食になってしまった。こんなところで死ぬわけがない、と思いながらも人間は弱いもので、壁に張り付けになった姿は不安でいっぱい。口は社会性を残して笑っているが、目は本能だった。あんなかわいそうな瞳は見たことがない。恐怖でたまらん彼が他のメンバーからはたまらんご馳走となり、無事に生きて帰ってきたものの、「びくびく」してたから「ビッキー」とか命名されてた。これ以降他メンバーは、彼のクールな表面と裏腹のその心根を追求する魔の手をゆるめなかった。その後、ボルシチとピロシキで昼食。ここでウォッカが入る。私たちが行くべき道はロシア村が用意していた。準備の出来ているところから回っているのか、行く先を予知されているのか、アトラクションの入り口にはどうも同じ女の人がいる。一回500円もする投輪で、「きりん」らしいがヤバイ場所に余計なチョロンが付いている風船をゲットする。この時都合の悪い代表者を選出する際には「はっしっし」というコールが流行る。「はっしっし」はお客さんではないが、当サイトの重要人物で、催しがあるときは有無を言わさず参加させられる人。その後、「マンモスの館」に行き、出てくるとさっき閉まっていた「シベリア鉄道の旅」が丁度始まるという。丁度って多分、絶対違う。私たちの為に開けたんですかと聞くと、受付の人(マンモス館の入り口にいた女の人とそっくり)は「はい」と言った。じゃ、見なくちゃいけないよ。床にごろんと寝っ転がって映像を見た。長い長いシベリア鉄道。誰か寝るだろうと予想していたが、上映が終わるとビッキーが寝ていた。全然起きない。このときビッキーが「どうどう」としていたので、「ドッキー」になるかと思いきや、残念なことにそのままだった。ビッキーまたも高得点マークである。閉館まで見かけた他のお客さんは2組だけだった。そして一行はやっと目的の温泉宿「泉慶」へ。めちゃくちゃ豪華な旅館ではないか。早速入浴。私は目がよいのでとても嬉しい。みんなの乳首は一生忘れないだろう。夕食は宴会場で。開会の言葉の後、一人ずつ自己紹介。うまい米をたらふく食い、たらふく飲んだ。2次会は部屋へ戻ってまたたらふく飲み、あんまり昨日寝ていないのにも関わらず、深夜に及んだのであった。話題の宝庫騒ぎ屋の悪魔が一人いたので初対面でも話題に事欠くことはなかった。ただPCの話は豆田さんにとって宇宙だったけど。実際宇宙の話もしていたが、その区別が付いているかどうか。ダーは2次会のオープニングを見ることなく脱落。2時だか3時だか位に就寝。前日一睡も出来なかったのに私は眠れなくて、みんなの寝息を聞いていた。寝息・・というか女子部屋とは思えないわんぱくなオーケストラだった。カワカミさんは携帯に話しかけていた。豆田さんは「あーあぶないよー」と言っていた。悪魔はすーぽこん、すーぽこん、と言う音を聞いていたそうだが、ぽこんて何だろう。朝はバイキングで豪華だった。やっぱ米が旨い!もうひとっ風呂浴びておみやげを買い、旅館を出ると吹雪いている。すごい雪〜。そろりそろりと車を走らせ、「ふるさと村」に向かった。その前に腹ごしらえとか言って、アジア料理のお店に入りまた酒盛り。近くにあった100円館ダイソーで何故か買い物。何も新潟で買わなくても、と言いながらその品揃えに一同興奮。悪魔は水草のでかいバスマットを買っていた。清水さんは女なのにひげが生えていたのでレディースシェーバー。豆田さんはことわざ辞典。カワカミさんは人工芝を見ていたけど買ったの?私は仕事用のB4封筒。そしてみんなが動物占いの本を買っていた。やっとふるさと村に入るのかな、と思ったら地ビール店でとまった。また酒盛り。動物占いで大いに盛り上がる。私とみつる君はチーターなのだが、2名コアラ以外は全員さる。よくご存じの方はこの状況でいかに私とみつる君が苦労しているかわかるだろう。頼みの綱のダーはペガサスで、全然関係ないのだ。んで、やっとふるさと村。お魚や山のきのこなど美味しい物がたくさん売っている。でもまた日本酒コーナー。帰り時間を忘れたかのように遊ぶ。吹雪いているというのに、主体性のない一行は誰も「早く行こう」とか言わずに雪渋滞で新幹線に乗り遅れる。みつみつカップルがすんごい謝ってくれたけど、東京チームは誰も困っていない。もったいないのでその頭を上げてください。だって乗り遅れたら「寿司食おう」って事になり、喜々としてまた酒盛り。浅ましくもじゃんけんで食べられない人が出てくるように寿司を頼み、大いに盛り上がる最後の宴。酔っぱらいだが、今度こそ新幹線に乗るのだ!自由席を取るために早めにホームへ。なかなか発車しないのに最後まで手を振ってくれているみつみつカップル。「いい人達だね〜」って言いながらビールのふたを開けた人でなし東京チーム。気持ち悪くなるほどビールに日本酒を飲み、おみやげに貰ったお煎餅を食べ、ばば抜きしながら東京へ。別れがたくも無情にも列車は到着。今度またみんなでご飯食べようね!みつみつカップルも結婚したら東京に遊びに来てくれることでしょう!
1月12日
やっと回復の兆しが見えてきました。みなさん、ただいま!!
必死で寝ていましたが、一進一退で冷や冷やしました。明日はいよいよ新潟オフ会です。なんとか行って来ます。
最初はたんなる腰痛だと思っていたのです。なかなか良くならないので、お風呂は避けていたのですが、友人宅での新年会にはお風呂に入っていきたかったので、当日のお昼にそろりそろりと準備をしていました。その新年会の主役でもある「肉」は、当初開催予定宅であったうちに届けられる事になっており、入浴中に「肉」が来たら困るなあ、と思っていました。そこにH君が、新潟オフのチケットを取りに来るというので、ラッキーとばかりに何か食べるものを、とリクエストし、さらにお風呂に入っている間に宅配便屋さんが来たらはんこを押してくれ、と言うお願いをしました。談笑しているうちに「肉」は到着してしまったので、事なきを得ました。やがてH君はホームセンターへ買い物に行くと言い、帰っていきました。どれどれお風呂に入ろうと、ゆっくり体を動かしながら頭を洗い、体を洗い、良く暖まり・・・するとどうでしょう。私は湯船から立ち上がれなくなってしまったのです。「あれ?あれ?」と思いましたが、どうにもこうにもなりません。無理に体を湯船からあげ、タオルに向かいましたが痛くて痛くてなかなか一歩が出ません。結局這いながらお風呂から脱出、素っ裸で怪しくうごめくその姿が可笑しくて自分で笑ってしまい、それが腰に響いて痛くて、痛いのが可笑しくてまた笑ってしまい、そうこうしているうちにに体はヤバイくらいに冷えていき、慌てながらゆっくり地べたを這ってストーブまで行きました。それから1時間ぐらいかけてパンツを履き、シャツを着て、塗れた頭のまま記憶が薄れていきました。目が覚めて、「肉」を思い出しました。誰かに連絡しなければなりません、この状況を。電話まではいつくばっている間、またもその姿が可笑しくて自分で笑ってしまい、それが腰に響いて痛くて、また笑ってしまい、ダーに電話して泣く、という訳の分からない自分に可笑しくてまた笑って、痛くて泣きました。車で移動中の友達にこっちへ回って貰って、「肉」を持っていって貰うことにしました。その車の友人が来るまでの間、天井を見ながら、このまま朽ち果てるくらいなら、新年会へ行ってみんなに介護して貰う方が得策では、と思いつきました。「肉」だけ持って去ろうとしたそいつに、私も持っていってくれと頼み、運んで貰いました。痛くて気持ちが悪くなったりしましたが、夜更けまで人のゲームを見て過ごしました。翌日の昼過ぎまでこの家で介護して貰い、「肉」取り男にまた送ってもらい、祝日明けをまって病院へ行きましたらば、やはりぎっくり腰だそうです。でもぎっくりした記憶がないんですがね。そして今は前に引いた風邪もぶり返し、夜になると微熱が出る、という毎日を続けています。でも私は明日、新潟へ行くのです。どんな格好していこうか、楽しみにしていたのですが、こうなってはもう、ただただ動きやすくて暖かい、格好をしていくしかありませんね。とほほー
1月5日
初詣するのを忘れていました。あーあ。
明日は、友人達と新年会。兵庫に住む友人がうちに神戸牛を送ってくれているそうだ。本人はもう東京にいるのだが・・・何故持って帰らなかったのだ。肉はまだ届いていない。明日は肉抜き?それってしゃぶしゃぶ?それともすき焼き?いやー!
突然の腰痛で机に向かうのがきついです。この辺で。
1月3日
昨日は生家に帰り、親の顔を見てきました。相変わらずしけてました。5匹の猫は元気いっぱい。しかしまあ、私が子供の頃と違い、近所には年寄りしか居なくてまったく寂しい町内です。商店街も閉まっているから、火が消えたようで、まるで墓地です。少し子供を増やさなければなりませんな。お役に立てなくて申し訳ない。
生家に帰ると上げ膳据え膳の半眠り状態。テレビ見ながら眠り、起きたら食い、またテレビを見ながら眠る・・・これはいけません。ずるずる座り込みそうだったので、動けるうちになんとかここへ帰ってきました。メールがいっぱいで大変!オーダーはほとんどありませんが(とほほ)楽しいe−cardが届いていました。それにしても、いろんな種類があるもんですね〜私も今年はMSNを使ったのですが、来年は是非手作りのe−cardを送りたいです。難しそうだ。それもアニメーションがやりたい。超難しそうだ。勉強するつもりで今からやりますか。(やらないくせに)
1月1日
みなさん!明けましておめでとうございます。
今年も何事もなく、平穏で愉快な一年でありますように!

大晦日は御夕飯を食べ過ぎてしまい、年越しそばが食べられるか微妙なところでしたが、口に入れてしまえばするりするりと・・・ああ恐ろしい。寒い日の冷たいざるそばもいけますね!うちの近所のスーパーは大きめで品揃えも良いのですが、昨日の買い出しには出遅れてしまって、毎年楽しみにしているタラバ蟹選びも、選ぶ余地なしと言う感じでした。おお!これぞ年末!という慌ただしさ。なんとか小松菜と鳥は買えましたので、お雑煮は無事です。みなさんいろいろな地方の方が読まれていると思うのですが(もしくは日本に誰もいなくて誰も読んでいない)地方によってお雑煮が違うのですよね。お正月はそういったお話も楽しい。私の生家はごくシンプル、というか貧乏くさいというか小松菜に鳥、おもちを醤油味のスープで食べます。個人的には里芋やにんじんの入った味噌味に興味があります。誰か来て作ってください。

さて、このところみなさんお出かけで寂しいので私もテレビでも見ます・・・

今年もよろしく!!ひゅー


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